どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

点字ブロックが生まれた場所

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 岡山市中区雄町にある点字ブロック発祥地碑です。掲示板には、岡山市の三宅精一さんが2年の歳月と私費を投入して開発し、1967年3月18日、初めてここに設置されたとあります。まだまだバリアフリーなどといった考えのない時代で、その後も普及に向けて苦労され、ご本人は「全国に点字ブロックを」という夢半ばでお亡くなりになりました。詳しくは、点字ブロックを作っている安全交通試験研究センターHP参照。

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 その時の点字ブロックがこれです。今よく見る黄色い色は、全盲ではない重度視覚障害者にも役に立つようにとつくられています。JIS規格ができたのが2001年です。まだ、場所によっては、点字ブロック自体がちょっと危ない位置につくられています。点々のが危険を知らせるもの、線のが道の流れを示すもの。

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 こういう場所です。点字ブロックの上に自転車などを停めないようにしましょう。もし、視覚障害者の方のお手伝いをすることがあったら、間違っても後ろから押したりしてはいけません。肘のあたりを持ってもらいましょう。

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 雄町といえば、環境省の名水百選に入る雄町の冷泉が有名。江戸時代に、閑谷学校で有名な池田家・岡山藩主3代目の池田光政が整備させ、池田家の御用水としたもの。学生の頃、ここの水でコーヒーを入れたことがあるが、もちろんすでに、水道の蛇口から汲むようになっていた。ただ、付近は今より建てこんでいて、住民の迷惑になっていた。それで、その後、立ち入り禁止になった。

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 現在は、この水源から少し離れたところに水を引き、このような立派なモニュメントができている(以前の場所を見に行くことは可能だが、そちらの水は出ない)。環境省のHPによると、1日60トンの水量だというからスゴイ。ちなみに、岡山市環境保全課水質係のHPでは、月2回の水質検査結果が公表されているが、マンガンの水質基準0.05㎎/㍑を超えるための「飲用不適」の日が多い。独立行政法人国立健康・栄養研究所のHPによれば、100gあたりにマンガン4㎎ぐらい含まれる食品が普通にあるので、まあ、死にはすまい。
  1. 2012/07/29(日) 12:20:59|
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笠置シズ子展(東かがわ市・讃州井筒屋敷)

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 いきなり、レトロな看板です。東かがわ市・引田が生んだスーパー・スター、笠置シズ子展をやっていま
す。

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 映画のポスターです。ザクザク娘って・・・すごい題名です。今でもいけます。戦後のパワーを感じます。

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 入るとすぐ、蓄音器です。後ろに見えてる絵は、写真などをもとに地元の方が描いたものです。

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 今風にアレンジすれば、はやりそうな曲がけっこうあると思います。

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 左の絵は、1951年の「アサヒ芸能新聞」の表紙を飾る、美空ひばりと踊っている写真をもとにしたもの。美空ひばりなら若い人でも知っているでしょうが、笠置シズ子はその美空ひばりに影響を与えた、当時の大スター。

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 エノケンと共演というところから、時代が分かる、かな?

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 輝いてたころ。

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 近くのお寺です。笠置シズ子がお父さんのお墓を建てました。

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 入口付近の石をよく見れば、本堂銅製樋、寄付者、笠置シズ子の名が・・・。

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 ついでに、近くの大坂峠・展望台に向かいました。1185年2月、屋島の合戦に向かう源義経が、徳島からこの峠を通って香川に入ったといわれています。県境の看板。

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 展望台は県境の看板手前を左に入ったところ。何の標識もなかったので行き過ぎてしまいました。なんとも、峠な雰囲気だったので写真に撮りました。

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 展望台からの風景です。疲れた義経さんご一行も、明るうちにここを通っていたら、きっとこの風景に見とれたはず(残念ながら、深夜だった)。

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 徳島側を見たところ。木造の展望台がちょっと恐い。ギシギシいいます。また、他にも危険な場所があり、小さいお子さんは連れて行かない方がいいです。
  1. 2012/07/27(金) 21:00:26|
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三豊市の謎の石造物2つ

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 1つめは、三豊市豊中町下高野の興隆寺跡石塔群です。場所が分かりづらく、地元の方に尋ねると、「石がならんどるだけ」だの、「行っても、せーがないで」とか、期待のハードルが一気に下がりました。小さなお地蔵さんが入口の目印。ここにクルマを停めて少し歩くと、「ややっ!!」とテンションが上がりました(若者のコトバを使用、ただし、tensionて緊張のことだから、使い方間違ってますから)。

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 実は、はじめの写真は上下2段あるうちの上の方。まず、出会うのがこちら、30基ほどの石塔が並ぶ下の段。

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 中央に彫られた不動明王は少し風化してきています。それもそのはず、鎌倉後期~室町末期にかけてつくられた石塔群で、古いものは700年が経つ。

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 改めて、上の段。約70基の石塔が並ぶ。岩を彫ってひさしにしている。

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 そのせいか、不思議なほどきれいだ。

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 どうして、何世代にもわたって作り続けたんでしょうか。貴重なものなので、あえて詳しい場所は書きません。どなんしてでも見に行きたいという方のみ、苦労して探してほしい(史跡好きの楽しみ)。ただ、途中に養蜂場がありましたので、蜂の大群が気になる方は近くまで自動車で。

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 さて、2つめがこちら、高瀬町下勝間の「石の塔」(そう呼ばれてます)。永和4(1378)年3月6日の文字が彫られている。室町時代、足利義満が花の御所を営んだ年だ。別名、異形十三重層の塔といい、全国的にも例がないらしい。伝説では、人魚の肉を食べて800年間美しいまま生き続けた娘が比丘尼となって日本各地を巡り、高瀬でこの石の塔を建てて、どこかへと去って行ったという???摩訶不思議な話(マカって、スゴイという意味らしい)。あまりに意味が分からない、すごすぎる。

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 金毘羅参詣名所図会にも載っている。高さ7.25mに見えません。

  1. 2012/07/25(水) 23:59:03|
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やそばの清水

 坂出市西庄に八十場(やそば)という変わった地名がある。たまに電車が停まるJR八十場無人駅もある。

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 ここに昔から枯れたことのない湧水がある。それも、ガンガン流れている。金毘羅参りなどの旅人が一休みしたこの地に、トコロテン屋さんが現れた。いま創業200余年の清水屋さんだ。

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 「トコロテンはトコロテンでしょう」と思って、食べてみると、「う、うまい!」。インターネット販売までしているわけだ。

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 金毘羅参詣名所図会に載っている絵。水、飲んでます。文章の終わりごろに、この水を飲んだら病気にならないとかなんとかって、書いてませんか?(古文書が読めない。)

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 掲示板にあるように、景行天皇(紀元前13年~紀元後130年、長生きです)の第17皇子・讃留霊王(さるれお)が瀬戸内の怪魚退治に来て、ピンチのときこの水を飲んで元気百倍になったらしい。ちなみに、この人のお兄さんに日本武尊さんがいる。この方は結局、讃岐にとどまって、子孫が有名な氏族になったらしい。

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 別名、神櫛王(かみくしのみこ)さんといい、高松市牟礼町に陵墓がある。もちろん、宮内庁管轄。

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 「寒煙蔓草(かんえんまんそう)」は荒れ果てた様子。松平頼聰(まつだいらよりとし)は最後の高松藩主。「~藩知事」は、1869年の版籍奉還で大名がそのまま地方官として「知藩事(ちはんじ)」として置かれたもの(旧幕府直轄領は府・県)。役職名は「知藩事(藩の事を司る)」だが、個別には「~藩知事(~藩・事を司る者って感じ)」と呼んだ。2年後の廃藩置県で廃止、全員東京に集められ華族として、のちの貴族院の構成者となる。・・・話を八十場にもどして、ライオンズクラブの掲示板にあった、もうひとつの話。

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 この写真と絵図はよく似てますが、江戸時代のこと。それよりずっと遡る平安時代。崇徳上皇の御尊体をこの霊水にひたしたという場所でもあります。そのころの位置は少し水源寄りだったとか、聞いたことがあります。

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 このお地蔵さんがいつからあるのかは分かりませんが、「讃岐のお地蔵さん」によれば、北向きのお地蔵さんで、お参りすると子どもが授かるというので、一度、盗まれたそうな。いまは二代目らしい。また、七夕の晩にこのお地蔵さんの下の水をいただいて髪を洗うと汚れがよく落ちるらしい。シャンプーでも落ちないおおごとが、たまたま七夕ごろ起きたら、ぜひ試してみたい???





  1. 2012/07/24(火) 20:50:32|
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高松市・渋柿地蔵

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 いきなりですが、こちらが渋柿地蔵さんです。次の掲示板にあるように、このあたり(中野町、四国新聞社本社の少し西)に渋柿がたくさんあったことから、そう呼ばれました。戦国時代の昔、このあたりには香東川(ごうとうがわ)の支流が南北に流れていて、「讃岐のお地蔵さん」(ふるさと研究会S56)によると、大蛇が暴れて困ったそうです。ある人がこの地蔵をつくり、一切経を修行して悪霊を取り除いたという。

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 実際は、この掲示板にあるように、洪水がなくなりますようにと、西の渡し場近くのこの辺りにお地蔵さんがつくられたのでしょう。また、ここは香西(こうざい)氏方の吉田玄蕃という人の城跡らしい。この掲示板は、真宗・渋柿寺の住職さんが書かれたものですが、このお地蔵さんがお寺そのもののようです。

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 高松市の掲示板にあるように、享保(きょうほう)年間(1716~35年)に藩主・松平頼重が仏飯(ぶつはん=お供えのご飯)料として3石を寄進しました。

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 こちらが切支丹燈籠(高松市掲示板)なのか、織部形燈籠(渋柿寺掲示板)なのか・・・です。高さ75㎝。「聖徒」が彫られているのが見えるでしょうか(下の方)。近ごろ有名になった古田織部という人が、そもそもキリシタンだったのでしょうか??? それはともかく、ここにある燈籠のいわれはナゾのままです。
 話をお地蔵さんに戻しますが、渋柿地蔵さんは、最初の写真、中央です。
  1. 2012/07/23(月) 18:18:13|
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観音寺市・生木地蔵

 観音寺市大野原町の生木(いきき)地蔵さん。

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 大きなクスの木が見えてます。

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 家が襲われとる・・・。なんと、樹齢1000年以上、直径2m50㎝、高さ24m。

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 襲われているように見えたのは、お堂でした。このクスの木に彫りこまれたお地蔵さんを、守るようにお堂がつくられている。120年ほど前、森安利左衛門さんという方が彫ったそうです。

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 お堂に入ってすぐ、正面にお地蔵さんが見えます。カプセル状のガラスが、宇宙船みたいで、どっかに飛んで行ってしまいそうです。地蔵を彫ったほこらは、高さ2m、深さ1m50㎝くりこんでいます。一般に、木って大丈夫なのだろうか?力強く張りめぐらされた根も、天に突き出した枝も、生き生きとしている。

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 ありがたや、ありがたや。開眼供養の日、謎の遍路がカツを入れましょうとか言って、お経を唱えると、お地蔵さんがまばたきをしたという。別名、またたきの地蔵。眼病に霊験あらたかといいます。(参考:「讃岐のお地蔵さん」ふるさと研究会・昭和56年)ちなみに、観音寺を「かんのんじ」と言うと、ヨソモンだとバレます。「かんおんじ」と読んでください。
  1. 2012/07/22(日) 21:31:45|
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太助灯籠(丸亀市)

 金毘羅参拝ブームはどうやって起こったのか。西回り航路の船員が海の神として信仰し、全国に広まったことはよく知られている。かつて見に行った、丸亀市立資料館・「丸亀湊(みなと)と金毘羅参詣展」によると、寛永期を中心に大名による参詣がはやり、江戸屋敷に金毘羅さんを分社したり、庶民に開帳したりしたことが文化文政期の参詣ブームにつながったそうだ。

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 有力な港になった丸亀藩にとっては重要な観光資源。湛浦(たんぼ)といわれる四角くくりぬいた入り江を掘って港とした。福島湛浦という。しかし、これも手狭になると、商人の柏屋団治が発起人となり、江戸の豪商に寄付を募って、新堀湛浦と銅燈籠3基の計画が持ち上がった。藩の担当者は瀬山登といい、大目付、勘定奉行、江戸留守居役を歴任した人物で、金毘羅土産としてうちわの生産を思いついたのもこの人。うちわは今でも丸亀が全国シェアの90%を占める。写真は、新堀湛浦に立つ銅燈籠。

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 高さ約5.4m。あと2基の燈籠は、戦時中に供出されてしまった。金毘羅五街道のうち最も栄えた丸亀街道はここを起点に12km。

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 発起人・柏屋団治の名前が真ん中より左よりに大きく見えます。

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 さて、江戸の豪商で第一の協力者だったのが塩原太助。江戸講中燈籠が通称・太助燈籠といわれるのはこの人の名から。さすがに、字が大きい(左端)。塩原太助さんのことを知りたい人は、NHK落語名人選4・古今亭志ん生「塩原多助一代記」というCDを図書館で借りてください。三波春夫も歌謡浪曲で歌ってます。明治の修身の教科書に載っていたという有名人です。

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 最後の写真は、少し分かりづらいが、一番下の段の左から4人目、「歌川廣重」とあります。燈籠には寄付者・世話人の名前が彫られているので、諸国名所百景で丸亀湊や金毘羅を描いた広重さんも、寄付したんでしょうかねえ。資料館の展示では、そのほか「旅行用心集」(八隅蘆庵)というベストセラーがあったことや、十返舎一九の「続膝栗毛」に金毘羅参詣が出てくることなど、いい勉強になりました。

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  1. 2012/07/21(土) 16:40:45|
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備中・国吉城(小笹丸城・竹井党の寄親)

 日本史の教科書に「寄親・寄子制」というのが出てくる。山川の教科書では、戦国「大名は家臣団に組み入れた多数の地侍を有力家臣にあずける形で組織化」したとある。前回紹介した美星町の竹井党は、小さな地侍で、毛利の重臣・口羽春吉を寄親とした。口羽氏の城・国吉城は小笹丸城から313号線を10キロほど北へ行った所にある。

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 中央(左寄り)の山がそれだ。今でも、眼下に江戸時代の村を見下ろす感じだ。もし、侍の亡霊がいるなら、彼は知らないだろう、自家用車や液晶大画面・テレビ三昧な生活が営まれていることを。

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 クルマで上まで行くと、(よくある)ちょっと入る気しないトイレと、説明板がある。小早川隆景が三村政親から激戦の末、ここを奪い取ったことが記されている。

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 ちょっと登って振り返った風景。城内って感じだ。神社になっている城跡は多い。城内に氏神を祭るのが通例なので、それが残っているのだろう。手水鉢には「嘉永」の元号があった。

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 さらに少し歩いて、前を見る。見張り小屋が「たぶん、こんなんで」と、建てられていた。小屋のそばまで行ってみる。

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 さらに、先へ行ってみる。ちょっと、心細いが・・・。

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 振り返ると、こんな感じだ。戦国時代の山城を訪ねると、誰にも遭遇しないことがよくあるが、妙なワクワク感と、凶暴な犬とかいたらどうしよう的な不安がある。
  1. 2012/07/19(木) 11:26:52|
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遠藤周作『叛逆』ゆかりの地

 遠藤周作の『叛逆』は、数多くある歴史小説の中でも、とりわけ、戦国大名を描いたものとしては、貴重な作品だ。織田信長の暗黒面をこれだけ赤裸々に描いたものは他にない。主人公・竹井藤蔵はまったくのフィクションだが、もし、こんな武将がいて、有名な歴史的事実・事件の現場にいたら、こんな風に感じ、考え、行動したに違いない、彼の眼には数々の歴史事象はこう映ったにちがいない。そんなふうな設定だ。そして、彼にはモデルがいて、遠藤周作の母方の祖先、岡山県井原市美星町の竹井党一族となっている。次の写真は、その拠点となっていた小さな城跡だ。

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 道がカーブしてます。ぐるっと回ります。

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 小笹丸城とあります。遠藤周作さんの字です。

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 まあるい2段重ねのケーキのような形をしています。

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 上は平らで、桜が咲いています。

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 その竹井さんは、小説の最後で、実在の人物・竹井将監として描かれています。豊臣秀吉による備中高松城の水責めは有名ですが、その周囲にいくつかある毛利方の小さな城の一つに冠山城があります。竹井将監はここでの戦いで、秀吉方の加藤清正と一騎打ちして亡くなります。

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 冠山城跡は場所が分かりにくく、地図でよく確認して出かけないと見つかりません。

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 小笹丸城同様小さく、大きな合戦向きではない。決死の覚悟でないと無理。

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 慰霊碑が立っている。最後の写真は、加藤清正の陣地跡。

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 こんもり木が茂っている所がそう。やはり、小山で、その上に陣取っていた。いまは生石神社。左手の土手は、足守川。秀吉は、このあたりを決壊させて、湿地帯を守りにしていた高松城を水に沈めた。
  1. 2012/07/18(水) 11:49:48|
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お勧めクラシックCD

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 最近、大活躍のイザベル・ファウストさん。BSの音楽番組でも、かっこよく演奏していた。日本では、この録音が高く評価されて、突然、有名になった。このCDが店頭に並んだとき、すぐ手に取った。ダニエル・ハーディングが指揮していて、アバドのつくったマーラー室内管弦楽団というのもいい。両者とも、おおーっ!とうなる個性的で、しかも、完成度の高い演奏が期待できるからだ。失礼ながら、聞いたことのない方が、この組み合わせで出てくるんだから、ファウストさんもきっとヤリテにちがいないと・・・。これはもう、大正解!ブラームスのヴァイオリン協奏曲は王道中の王道な曲だけど、大好きである。やはり、オイストラッフの2種類の盤は濃厚で、ムター(カラヤンじゃなく、マズア指揮の方)やヒラリー・ハーンが、情熱的でかっこいい。しかし、この個性は負けてない。私の中の、今までのベストはどれ?的な流れを軽くひっくり返した。残念なのは、そのあと出たベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲が、そこまで心に響かなかったこと。やはり、指揮者・オーケストラも大きい。

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 フーガの技法は、あまり、CDが多くない。しかも、正直に言うと、ときどき強烈に聞きたくなるのに、途中で飽きてくる・・・。長すぎる。それゆえの、もっとスゴイ演奏ないかなーという期待。エマールさんのがすごく気に入っていたが、個人的には、微妙に、リフシッツ派。

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 モーツァルトのレクイエムはものすごく好きな曲だ。ご本人が書いたのは途中までだけど、それでも好きだ。終わりまで仕上げてたら、どんなすごいことになってたかと考えると、残念でならないが・・・。モーツァルトの交響曲とピアノ協奏曲は、数少ない短調の曲が個性的で有名だけど、モーツァルトらしい、気持ちよくしてくれるのは、やはり、長調の曲だ。これでもかといい曲が詰まったオペラ、フィガロの結婚も明るい。が、レクイエムはそれでも好きだ。しかも、録音も膨大だ。これまで、何十種類も聞いた。ジュスマイヤーによる補筆完成が気に食わないというので、他の人がつくったランドン版やらレヴィン版やら、モーンダー版やら、モー何でも聞いた。変わった演奏ということでは、ブリュッヘンやアーノンクールがやらかしてから、もう、そう変わったのはないだろうと思っていた。ところが、今回、でたっ!!いいのか、これで?いいでしょう。

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 途中で飽きるなどと、狼藉者な発言をしてしまったバッハだが、ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲はおもしろい。後者は、ヒラリー・ハーンのがお勧めだが、ピアノ協奏曲の方は録音もそう多くない。最近、なぜか、立て続けに何種類か出たが、私はこれを手に取った。全曲ではないがCD1枚で安いから・・・ではない。やはり、発想はファウストさんの時と同じだ。リッカルド・シャイーは、ブルックナーの演奏で美しい響きをつくる大好きな指揮者、アルゲリッチとのラフマニノフもすごかった。ともかく、何かやってくれそうな人なのだ。それがよく知らない人と組むからは、絶対何かある、臭いぞこれはと思ってしまうのだ。ピアニストのバーラミさんはイラン人らしい。深い演奏ではないかもしれないが、華やかでいい演奏だと思う。特に、短調の1番・5番あたり、けっこう快感が病みつきになる。これに関しては、やはり、アンドラーシュ・シフの演奏が深みがあると思うけど、いいんです、いまバーラミにはまってます。
 
  1. 2012/07/16(月) 22:20:27|
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明治5年の天皇行幸と丸亀

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 丸亀・市営大手町第一駐車場の目の前にある、巨大な明治天皇行在所(あんざいしょ)址碑。高さ7.9m。
 5月23日に東京を出発。西日本各地を回り、香川県には7月4日、御召艦をはじめ11隻の艦船が下真島沖に停泊、西郷隆盛・従道ら約80名と近衛兵一個小隊を従え、行在所へは午後4時ごろ到着、6日早朝まで御滞在。翌5日は白峰御陵などを遙拝されたり、軍人・政治家とお話されたりした。東京の近衛兵と山縣有朋とが対立していたため、西郷さんたちはこの日の午後、東京に戻った。
 のち、大正8年に、幸町に市庁舎がつくられた際、建物の一つに玉座を収め、聖蹟記念館とし、その隣に玉座のあった建物も移築されていたらしい。この巨大な碑は、行在所を記念するため、大正10年に建てられた。

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 記念館は昭和38年に、柞原町に移築され、現在、三船病院の一角にある。<以上、「丸亀の歴史散歩」(直井武久氏・昭和57年発行)で調べました。>玉座やその建物に関する情報は、今のところ持ち合わせていない。ちなみに、西郷さんがお泊りになったのは通町らしい。
 
 P.S.「丸亀の歴史散歩」が、明治5年7月5日に明治天皇が白峰寺ではなく、「白峰御陵」を遙拝されたと書いていることに、気をつけたい。1868年のいわゆる神仏分離令という一連の通達によって、白峰御陵は「白峰寺」から分離され、宮内省管轄になった。いま、宮内庁HPを見ると、崇徳天皇陵墓として同庁が管轄している。


 PS いきなり、この記事を見てくださった方は、つづきを見てください→聖跡記念館ふたたび


  1. 2012/07/15(日) 09:26:22|
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大正時代に亡くなった丸亀ゆかりの2人

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 丸亀市川西町北にある、香川不抱(かがわ・ふほう)さん生家跡の碑。与謝野鉄幹・晶子さんから高く評価されていたにもかかわらず、病気のため帰郷。しかも、父親が事業で失敗。香川新報社(いまの四国新聞社)で働いた。しかし、大正6(1917)年、肺結核のため28歳の若さで亡くなった。高松市西浜新町の借家だった。

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 大杉栄さんの生まれた家があった所。丸亀市瓦町。父は軍人で、少尉になったとき丸亀の連隊へ移され、栄さんが生まれた。しかし、その後すぐ、父親が今度は東京の近衛連隊に転勤したため、丸亀の記憶はない。1923(大正12)年、関東大震災の時、妻(28歳)・おい(7歳)とともに虐殺されてしまったことは、歴史の教科書に載っている。38歳だった。岩波現代文庫「大杉榮・自由への疾走」、平凡社ライブラリー「大杉栄・叛逆の精神」を読んだが、今の感覚では、まじめな学者って感じだ。本音を言うためには命懸けの時代だったのだ。今、瓦町のこの場所には何のしるしもない。丸亀市発行の「丸亀・郷土の歴史を彩った人々」には、大杉栄さんが生まれた家が写っている。私が見に行った時点で、この塀だけになっていた。おそらく、今はそれすら残っていないだろう。
  1. 2012/07/14(土) 21:49:10|
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丸亀城―石垣の刻印など

 今年の春、丸亀城の桜を撮りに行った時の写真。

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 いつ見ても見事な石垣。京極氏になるまでは、南側が正面玄関(?)でした。そのせいか、南側のほうが複雑で、いかにも要塞っぽい感じもする。実際、子ども時代に銀玉鉄砲や2B弾なんかで”忍者部隊月光”ごっこをしたのは、主に南側だ。石垣美を、また、いつか紹介したい。

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 桜がきれいに咲いていた(讃岐弁で言うなら、「桜がけっこに咲いとった」)。ホンモノの天守閣は全国で12しかないので、とても貴重だ。中を見ることもできる。全国に残る大きな(「おっきょい」)天守閣に比べると小っちゃく(「ちょんもに」)見えるが、中に入ると意外と大きい。

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 さて、石垣の刻印はこれだ。写りのいい2枚を載せた。「二の丸」だったかな?・・・天守閣を支える最後の石垣を、じーっと見てまわってください。きっと見つかります。

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 見返り坂を登ったところの、扇の勾配といわれる石垣。忍者をも寄せ付けないと言われますが、嘘です。なぜなら、小学生の時、私はこれを登ったからです。それがバレて、先生にひっぱたかれました。

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 丸亀城のいろいろな場所から、讃岐富士の異名を持つ飯野山が見えます。どこから見てもいい感じに納まっていて、さすが香川を代表する山です。
  1. 2012/07/11(水) 21:40:56|
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善通寺市・すし傳(伝)

 すし傳は昭和初期に建てられた料亭。軍都善通寺にあって将校たちで賑わったという。これまで市の文化財指定を受け、取り壊されなかった。そして、ついに見事に復元、観光交流センターとして新しい命を吹き込まれた。善通寺市、エライ!

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 2009年末に撮った次の写真と比べてほしい。

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 とくに現在の交流センター正面にあたる側なんか、涙なくして見れません。ほんとうの正面玄関は次の写真。

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 内部もきれいになりました(讃岐弁を使うと「中もけっこんなったがな」)。

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 二階へ上がる。

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 中庭の見えるつくりが昭和初期。ガラスは横から見ると風景が波打つ旧式のもの。

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 窓から善通寺の五重塔が見える2階の一室。

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 2階・大広間では、伝統芸能や結婚式が行われたという。地域密着の施設だった。

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 玄関を内部から見たところ。

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 玄関前の小路を行くと、大正湯(大正時代につくられた)が見えるが、残念ながら閉店(映画「サマータイムマシーン・ブルース」の撮影時にはやっていた)。

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 交流センターに展示されていた写真のうちの1枚。かつてのこの小路。

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 ついでに、ちょっと向こうまで歩いて、熊岡菓子店にカタパンを買いに行った。この建物や菓子のケースは1913年からだが、創業はもっと古く、1896年にさかのぼる。歯が折れるほど硬いが、とてもおいしい石パンをはじめ、何種類かあります。兵隊さんの携帯食として考案されたのが最初だったとか。個人的には、絶対よそでは出会えない味・形の「へそまん」も好きだ。

  1. 2012/07/10(火) 15:44:52|
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高松市・生駒氏墓所とその周辺

 高松市・弘憲寺を見てきました。

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 生駒親正夫妻のお墓です。豊臣秀吉の重臣として讃岐の支配権を得て、高松城・丸亀城を最初に築いた人です。徳川時代に入って4代目で、お家騒動のため改易。その後、香川県は西讃・東讃に分割され、西に山崎氏の丸亀藩、東に水戸藩から松平頼重が入って高松藩が成立。さらに、丸亀藩の山崎氏は3代で断絶し、京極氏に代わった。
 私の家から自転車ですぐの地点だ。ちょっと、ご近所を紹介したい。

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 昔の面影を残す家々が結構あったりする。コンクリートの電柱の一部らしきものが家の前に寝そべっている。

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 銭湯が2軒もある。ほかに小さな、町の魚屋さん・お菓子屋さん・薬屋さん・食堂なんかもあって、お客さんもよく見る。県内のほかの市や町では、郊外型大店舗に押されて、生き残った小さなお店も四苦八苦している。高松市の懐の深さを感じる。


  
  1. 2012/07/09(月) 13:47:02|
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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