どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

猿掛城と庄氏(岡山県矢掛町)

IMG_5895_convert_20121130134911.jpg

 猿掛城跡の絵は前回のブログで確認してください。小田川沿いにある登り口の標識です。杖とお持ち帰り自由の地図もあり、楽勝モードで矢印の方向に向かうと、道は小川の前で大きな鉄の壁に遮られます…。『あれっ?立ち入り禁止?』と引き返し、地元の方に尋ねると、「(鉄板の)横をすり抜けてください」ということでした。謎の鉄板でした。

IMG_5899_convert_20121130135438.jpg

 おそらく、地元有志の方によって維持されているんでしょう、あとは道がきれいでした。ご苦労様です。
 猿掛城の歴史は、治承・寿永の合戦(源平合戦)、一ノ谷の戦いで功績を挙げた庄家長(しょういえなが)が地頭としてこの地に来たことから始まります。

IMG_5907_convert_20121130135547.jpg

 しばらく登るといい景色。西を見ています。戦国時代、庄元資(しょうもとすけ)の反乱から備中の動乱が始まります。石川氏(幸山城)・上野氏(木村山城)・三村氏(鶴首城)・新見氏(楪城)・多治部氏(塩城山城)などが台頭しました。


IMG_5912_convert_20121130135822.jpg

 「寺丸」の遺構から。一度は1492年の戦いで落城の憂き目にあいました。城を守るために孤軍奮闘して亡くなった香西氏一統の冥福を祈る位牌堂が建っていた所です。

IMG_5914_convert_20121130135950.jpg

 何か遺構が残っています。

IMG_5921_convert_20121130140238.jpg

 この辺は「太夫丸」といわれてます。庄元資の子・為資は1533年、松山城を本拠に備中の半分を支配しました。猿掛城は一族の実近(さねちか)に守らせましたが、三村氏との戦闘ののち、毛利元春の仲介で和議が成立。三村元祐が庄為資の養子として猿掛城に入りました。ここは隠居した実近が住んだ場所だそうです。

IMG_5938_convert_20121130140411.jpg

 こういう段々が何回かあります。両側に道があります。

IMG_5942_convert_20121130140535.jpg

 「三の丸跡」です(五・四はとばしました)。木は多いのですが、草はよく刈っています。

IMG_5951_convert_20121130140700.jpg

 「井戸跡」だそうです。

IMG_5968_convert_20121130140825.jpg

 一番上まで来ました。けっこう広く、土塁かな?と思える所なんかがあります。

IMG_5970_convert_20121130140905.jpg

 上の写真の盛り上がっている所が、図の上の端でカッコ状になっている部分。

IMG_5972_convert_20121130141113.jpg

 振り返ってみると、石の行列が…。

IMG_5987_convert_20121130141237.jpg

 図の本丸左は一段下がった「出丸」で、ここにに降りてみました。振り返ると石垣が少し残っています。下りる際に、『これ、登れるんかなー』という不安がなきにしもあらずでしたが、『ま、いいか』という性格なので、いろんなものにつかまって下りたんですが、案の定、登れないのでした…。『白骨化はいやだー!』と必死でもがいて上がりました(泥だらけ…)。

IMG_6005_convert_20121130141352.jpg

 「大手門」と書いてありました。

IMG_6009_convert_20121130141454.jpg

 絶景ですが、ここを上がるのは至難です。城跡はこんな感じです。次は、矢掛町横谷の庄氏館跡です。

069_convert_20121130134102.jpg

 畑のずっとあちらに石碑が立っています。向こうは竹やぶです。

092_convert_20121130134223.jpg

 なんにもない所です。むしろ、この隣の「福武家住宅」(庄屋さん)がすごいです(これも改めて紹介します)。

IMG_3206_convert_20121130134354.jpg

 こちらは庄氏の菩提寺、曹洞宗・洞松寺です。

IMG_3212_convert_20121130134519.jpg

 門は江戸時代の再建(1843年)です。

IMG_6078_convert_20121130141828.jpg

 左が庫裡、右が本堂です。

IMG_3224_convert_20121130134755.jpg

 本堂の中です。本堂の右には座禅をする建物があります。庄元資のお墓を教えてもらいましたが、とても感じのよいお坊さんでした。

IMG_6065_convert_20121130141628.jpg

 庄元資宝篋印塔です。
 のち、山陰の尼子氏が侵入してくると、庄氏・三村氏など備中の有力者はその支配下に入りました。ところが、毛利氏が強大化して尼子氏を圧倒して備中に侵入してくると、三村家親は毛利氏について、1560年に庄高資(為資の子)の松山城を奪いました。その後、庄高資は一時、松山城を取り戻すのですが、1571年の三村氏との戦いで討ち死にしました。



  1. 2012/11/30(金) 22:15:30|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

岡山県の幕末砲台跡

200557011_convert_20121129210503.jpg

 倉敷市の「下津井台場跡」です。岡山藩が1863(文久3)年に作ったものです。

200557010_convert_20121129210405.jpg

 自動車と比較すると大きさが分かります。向こうに見えるのは瀬戸大橋です。

200557001_convert_20121129210241.jpg

 上は草ぼうぼうです…。端っこからの景色はいいですが、海は次の写真で。

200557019_convert_20121129210700.jpg

 台場の隣にある祇園神社です。ここは1336年、足利尊氏が九州から攻めのぼるときに上陸、滞在した所といわれています。岡山では、陸上を進軍した弟の直義軍20万が攻めた備中福山城の戦いの方が有名です(いつか紹介すると思います)。

200655012_convert_20121129211025.jpg

 こちらは、同年に鴨方藩が作った砲台「青佐山御台場跡」(浅口市)です。

200655005_convert_20121129210836.jpg

 ほとんど何もありません…。

200655007_convert_20121129210936.jpg

 海は美しいです。

2005612024_convert_20121129211124.jpg

 岡山藩が内陸部に作った「横井上お台場遺跡」です。山陽自動車道と国道53号線が交差するあたりです。

2005612030_convert_20121129211321.jpg

 5世紀の円墳の上に直径40mほどの陣地をつくり、4門の大砲を北に向けていました。親藩の津山藩と、譜代の松山藩を警戒したものです。備中松山藩の藩主・板倉勝静(かつきよ)さんは運悪く最後の老中首座(今でいうと総理大臣)でした。

2005612038_convert_20121129211416.jpg

 風景は微妙です。

IMG_5883_convert_20121129211634.jpg

 最後は、矢掛町の猿掛山です。手前は小田川です。

IMG_5893_convert_20121129211738.jpg

 下の方に「砲台遺跡」とあります(城跡の方はいずれ紹介予定)。やはり、松山藩を警戒したものです。

IMG_6015_convert_20121129211907.jpg

 なんとなく跡が残っています。1867(慶応3)年に、岡山藩の要請で丹波国亀山藩主松平紀伊守が作った旨が、町教育委員会の立て札に書かれていました。なぜ、亀山藩なのか分かりません…。

IMG_6024_convert_20121129212025.jpg

 実際に戦闘はなく、勤務した方はラッキーでした。すぐ下の川で釣りをしたんですかねー。

IMG_5881_convert_20121129211525.jpg

 タイ焼きくんみたいな雲が泳いでました。



  1. 2012/11/29(木) 22:28:31|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

高松市内の近世上水道

P6230040_convert_20121128212310.jpg

 高松の市街地、鍛冶屋町の「亀井戸跡」です。井戸といっても、南北約61.7m、東西約16.0mのちょっとした池で、上水道のための水源池でした。高松藩の記録によれば、藩主松平頼重が正保元(1644)年に工事したものです。

PA290053_convert_20121128213609.jpg

 2010年に発掘調査が行われました。写真は、池の中にあった設備を復元展示したものです(高松市埋蔵文化財センター)。取水口で、ここから19の町に水が送られたそうです。

PA290054_convert_20121128213653.jpg

 発掘の様子などが分かるように掲示されています。

PA290027_convert_20121128212939.jpg

 高松市埋蔵文化財センター内に展示されている、水を通した管です。

PA290028_convert_20121128213021.jpg

 その他、出土したものが展示されています。

隶・イ仙嵜蜷肴園蝗ウ莨壻コ€莠墓虻_convert_20121128224653
 『讃岐国名勝図会』にも載っています。

P6230043_convert_20121128212411.jpg

 ここは、「今井戸跡」です。ここにも、同時に作られた給水池がありました。

P6230046_convert_20121128212456.jpg

 「大井戸」です(ここだけは「…跡」ではありません)。やはり、同時に作られた上水のための給水池です。

P6230047_convert_20121128212542.jpg

 門を入ってすぐ左に「史跡・大井戸」の掲示板があります。

P6230049_convert_20121128212629.jpg

 井戸は門を入って、右手です。

P6230050_convert_20121128212721.jpg

 給水口なども残っているそうです。井戸もこれだけ広ければ、お化けのS子さんも泳げます。

PA290048_convert_20121128213517.jpg

 この掲示物も、先ほど紹介した高松市埋蔵文化センターのものです。高松藩主が松平頼重になる前、生駒氏のとき、雨の少ない讃岐にたくさんの治水工事をした西嶋八兵衛さんです。満濃池の改修工事でも有名ですが、高松では、2つに分かれていた香東川の一本化で有名です。氾濫をなくし、治水にも便利にし、墾田も拡大しました。

PB160072_convert_20121128213742.jpg

 香東川の工事をする前に、川の中に西嶋八兵衛が立てた石碑です(いまは栗林公園内)。「大禹謨(だいうぼう)」と書かれています。中国・夏王朝の始祖で治水工事に優れていた禹王の遠大なはかりごとにあやかる、という意味だそうです。

P6230057_convert_20121128212813.jpg

 全然関係ありませんが、これだけを紹介する機会がないようなので、市内散策ということでここに載せます。中心的な商店街・丸亀町にある百十四銀行創業の地です。

P6230059_convert_20121128212903.jpg

 1872年に伊藤博文が国立銀行条例を出し、1876年の条例改正によって銀行設立が続き、153行つくられた日本で最初に設立された銀行の一つです。

 
  1. 2012/11/28(水) 22:39:46|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

ゼノンの逆理

ゼノンの逆理(アキレスと亀)

 「<ゼノンの逆理への反論>の誤り」を述べたい。反論として2つ取り上げる。
 
★〔前置き…とばして結構です〕

 <ゼノンの逆理への反論>の誤りを述べたい。反論として2つ取り上げる……というのは、実は、わかりにくいこの問題を解説するための方便である。読んでいただければ分かるが、ゼノンの逆理そのものは哲学的に誤った主張であり、また、他方、これを肯定し、あるいは、否定すると称する主張のほとんどすべてが、これまた意味のない議論に終始している。私にはベルクソンの主張が唯一受け入れられるが、「ああ、それね」と受け流すことしかできない人々には、逆に、私の文は意味を成さないだろう。残念ながら、日本におけるベルクソン理解にはあまり期待していない。例えば、ウィキペディアの「ゼノンのパラドックス」では、ゼノンの主張は単に、世界が多から構成されるという立場への反論だと述べているが、それでは、そもそも、「時間を空間と区別することなく論じてよい」という<前提>から出発していることになる。仮に、歴史上のゼノンさんの主張がそのとおりだとするならば、そんな無意味な議論は全く必要がない。実在する時間の姿に迫るという哲学的視点が最初から欠落している。だが、実際は、ゼノンの議論が時間の本質を見失う知性の本質を計らずもあぶり出すのであって、このことが経験に即した時間を語るという本来なすべきことの一助となるにすぎない。ちなみに、ウィキペディアの解説では、ゼノンの逆理の「哲学的観点」として、運動という連続は「多」(要素)からなっているわけではないとして、連続がまずあって、それを切片に切って把握することができるにすぎない(要約のうえ下線部は私)…という。一見、ベルクソン的な(「的な」を繰り返すCMがあるが)ことを述べているように見えるが、実はこう述べる(一つの連続がまずあって、あとで分割される)だけでは、ベルクソンの空間論と何ら変わらない。ベルクソンの「持続」(時間)は単なる「連続」ではない。というより、彼の本は最初の1ページからそう主張するためにこそ書かれている。ここまで明快に「すべって」いると反面教師として役に立つ。前置きはここらでやめよう。

★ゼノンの逆理への反論1.
 
 ゼノンの逆理とは結局、アキレスが亀に追いつくまでの過程を無限に分割できることを述べているにすぎない。つまり、実際にはある時点(tx)でアキレスは亀に追いつき、その後、追い越す。連続した時間のtxまでしか見ないで、それまでの過程が無限に分割できることを指摘するにすぎない。あるいは、横軸に時間、縦軸に距離を表すグラフで、アキレスと亀それぞれの動きを示す2つの直線(ないし曲線)で言うなら、2つの線分の全体を見ないで、両者が交差する点の前だけを問題にしたうえで、その過程が無限に分割可能だと言うにすぎない。

★1.への反論

 まさにそのとおりです。数学的・物理学的には全くそのとおりで反論の余地がない。しかし、ゼノンが「問題にしている」ことは全く別なことなのだ。とはいうものの、実は、ゼノンの逆理が問題にしている哲学的脈絡においても、彼の「問題の立て方」が誤っているせいで話がややこしくなっている。本当のところ、ゼノンの逆理が含んでいる哲学的問いを「正しく立てる」ことこそが困難なのだ。ベルクソンがこれを成している。とはいえ、ベルクソン哲学の要約がここでの目的ではない。彼の文章は一つの芸術作品のような完成形だ(単なる喩えですが、何億円もする陶器をまねた何千円かのちゃちな作品について、本物を「要約しました」?と言いますか)。ここでは、哲学的思索なるものへの方向なり、ゼノンの「思い」が示せればよいと考える。大事なのは、彼が見ようとした哲学的事実である。ゼノンの逆理を単に物理学や数学の問いとして見るなら、最初から、言われなくともその誤りは一目瞭然である。 
 ゼノンの気持ちを支配しているのは、「過去」と「今」と「未来」とが意味を持つ、現実の時間の流れである。空間における点は、実在するというよりも「理念上のもの」と考えることができる。しかし、時間に関しては、過去と未来とを分ける「今」という時点しか実在しないという実感がある(実はこれも経験そのものとは言い難いのだが、そういうことにしておこう)。もちろん、実感は実感として置いておくのが普通で、それというのも、直線的時間が有用だからだ。なにも物理学などという高級な思考を持ち出すまでもなく、スケジュールを組むのにも用いられている。が、ゼノンは「役に立たない」(この言葉には、2つの意味が考えられ、単に無用という意味と、根源的価値という意味だ)時間そのものを見つめようとするために、直線的時間がブレて見える、あるいは、そのおさまりが悪く感じはじめる。
 そこで、<妥協策>が登場する。直線的時間は「今」の連続的継起の総和ではないのか。それは無限小の「今」(「瞬間」)が連続する(連なり続く)系列sérieと考えられる。ゼノンは時の「流れ」を順序の定まった「連続」へと還元するのだ。だが、ここで一つの矛盾(「逆理」)に遭遇する。時点t1とt2とは異なる。両者の間には隙間がある。時間が飛び飛びに存在するのでなければ、その隙間を埋める時点がなければならない。しかし、無限数の時点を付け加えても、そのどれも位置が異なり、かつ、厚みを有さないために、隙間は原理上埋まらない。よく考えてみれば、そもそも、0をいくつ加えても、原理上厚みを生じることは金輪際ない。「無限」は解決してくれない。数学の定理上、0×X=0なのだ。「瞬間」0が実在するという初めの仮定が誤っている(ここでは直接関係ないが、「ゼロ」がはらむ哲学的問題を考えるのは面白い。たとえば、サルトルの『存在と無』に見られる無の問題の議論など)。
 だが、もう一度、ゼノンの心情を思い返そう。なぜ、彼がわざわざ「奇妙な」議論をして見せたのか。あくまでも、直線的時間を認めたうえで、「今」の流れを探し出そうとしたからだ。せめてsuccession(継起)を容認できるように、直線的時間を「今」(瞬間0)の連続série(順序のある連なり)によって形成できなければ、これが「逆理」でなく何であろうか。なぜなら、直線的時間が空間のように全体として先に存在し、あとで好きなだけ分割可能なものという意味での連続continuitéなら、「今」は理念上のもの(指摘できるだけのもの、あるいは、自在に指摘できるもの)と看做されるからである。「今」が実在しないなら、今の連続としての流れも実在しない。当然、「過去」も「未来」も、立てられた「今」を起点とした仮のものにすぎなくなる。直線で表した数学的(物理学的)時間は流れない。始まる前からすべての事が終わっている。時間は凍りついた永遠となる。つまり、飛ぶ矢が止まっているのは、時間そのものが止まっているからに他ならない。特定の時点だけが止まっているのではない。直線的時間が「実在」なら、「今、流れる」時間や、「過去」や「未来」という経験的事実の方が「単に理念上のもの」となる。この転倒を「逆理」と言わず、素直に受け入れられる人だけが哲学を不要としうる。哲学がおかしいか、その人がおかしいかである。
 しかし、よく考えてみたまえ、いや、よく「見て」みたまえ。机上の紙に書かれている時間を表す直線を。アキレスと亀の動きを表すグラフを。ちゃんと、止まっているではないか。私たちが計算するのを待っていてくれる。関数は変わらない。私たちが計算できるのはそのおかげだ。アキレスと亀の競争がもし事実なら、それは遠い昔であって、ますます、昔になっていく。私たちが計算しつつある今が現実の時間であり、それは直線ではない。そうこうしている間に、計算も終わった。あ、テレビを見る時間だ。アキレスと亀の競争はまたいっそう昔になる。実際の時間の中では、過去はどんどん沈んでいく。同じ位置に留まることはない。過去はつけ加わるのではなく、その全体が変容し続ける。そうして、未来も実際にやって来る。ゼノンは時間のこうした本質を見逃し、単なるcontinuitéとしての時間に反対するために、<妥協の産物>として、本当は継起successionしない、最小の同じもの=瞬間(時間のアトム)の繰り返し、その連なりsérieとしての連続を対置するのみである。そもそも、数学、物理学の言葉で語り始めるために、単に、「奇妙な発想」でしかありえず、幼稚な数学、物理学として批判されることになるのだ。ここから、これで済ます者と、哲学者とに分かれる。後者は、ゼノンが「語ろうとした」、人々の心をつかんで離さない、数学や物理学から根本的に置いていかれる実在的時間の方を、「正しく」語り出そうとする。
(補)逆理への反論者が「連続した時間のtxまで」「2つの線分の…交差する点の前」と言うとき、その「まで」とか「前」は、正確には線分・グラフの「左」だ。ここで、空間に<方向>を与えるのは、現実の時間である。<方向>とは、「すでに」そっちから来て、「これから」あっちへと「向かう」ということだ。
(補)「見る」とは、私の身体がその物体との交渉関係に入ったことを意味する。特に、「注視」することは、有効な図式(言語的・身体的図式)に入れ込む過程を意味する。「理念」とは、「いつでも・どこでも(いつか・どこかで)」適用可能な図式のことに他ならない。


★ゼノンの逆理への反論2.

 時間は直線と考えてよい。そもそも、「今」の連なりという発想が間違っている。continuitéとしての直線上を、「今」という時点が一方向へと進むと考えればよい。

★2.への反論

 この人は、話が振り出しに戻ったことを理解できていない。直線上を進む点とは何か。それは、紙に書いた直線を指でなぞっているのと同じことだ。時間は直線なのか、指を動かしている現実世界そのものなのか。二者択一である。この人は、実は、時間が直線ではないと自ら言っているのだ。
 おかしな話だが、時間という直線上を「今」が動くと「まじめに」仮定してみよう。その「動き」は「どんな時間(?)」の中で起こっているというのか。つまり、時間が、神様の庭に敷いた線路(横たわる全時間)上を「今」という機関車が走ることだとしよう。その場合、神様の住む世界の時間はどうなっているのか。神様の神様がいて、神様の住む世界を乗せた機関車がその上級の神様の庭の線路を走っているのか。からかうのはよそう。物理学は、仮に何かを基準にして、物質どうしの相対的関係を関数で表したものだ。比較対象のないものの「動き」(?)を関数化する手立ても意味も存在しない。相対性理論が、もともと実在ではない絶対的直線時間を否定したからといって、何ほどの事があろう。哲学的問題とはそもそも縁もゆかりも無い(物理学的時間が無用と言っているのではない。むしろ、有効性、ないし、有用性がそのすべてだと言っているのだ)。


★補足1.

 ゼノンの逆理が、数学的・物理学的には誤った問いであることは言うまでも無い。それは当たり前だとさえ言える。数学的・物理学的説明には、その論理の内部においては、いかなる誤りも無いからだ。困難が生じるのは、数学的・物理学的問題とは別の、ゼノンの逆理に潜む哲学的問題に気づくときだ。ところが、それが数学的・物理学的視線にとっては不可視であるうえ、他方で、問いとしては不明瞭なのだ。ゼノンが理解されない責任はその敵対者にのみあるのではない。というのも、そもそもゼノン自身が何を問おうとしているのか、彼自身にとっても明確ではない所に「逆理」が存在しているからだ。この「逆理」を解いてしまう新たな地平を開く者によってのみ、「ゼノンの逆理」の正確な意味は明らかになる。逆理が「説明される」とは、逆理が逆理でなくなるということだ。逆理が「逆理として」明確になるなど、自己矛盾でしかない。一方には、ゼノンが求めた(見ようとした)哲学的問いを全く見ない者たち。他方には、その「問い」を明確にできない者たちがいる。これでは、禅問答(「逆理」)になるのは必定だ。ベルクソンは、正確にはゼノンの立てた問いを解いたのではない。むしろ、ゼノンが立てようとしてうまく立てられなかった問いを、彼が初めて正しく立てたのだ。哲学的問いが正しく立てられるときは、それが解かれるときだ。したがって、数学者・物理学者にとってだけでなく、ベルクソン(哲学者)にとっても、「逆理」は存在しない。だが、両者の言う意味は全く異なる。明快な哲学的地平が開かれることと、それに触れることもできないこととの間には、大きな隔たりがある。また、こうも言える。哲学者と称しつつ、さかんに「逆理」を説明する者は、ゼノンと同程度に、自分が言いたいことを決して理解してはいない。
 ゼノンは、「過去」「現在」「未来」や「流れる時間」を直線的時間から説明できるのか?と考え、それを「瞬間」の並びとして説明しようとして「逆理」へと至る。しかし、この<中途半端>な問いの立て方のために、つまり、問いが哲学的に(数学的・物理学的にではなく、哲学的に)正しく立てられていないがゆえに「逆理」が生まれる。その「説明」そのものが実は不明瞭なのだ。皆それに気づいている。が、他方、その敵対者でさえ本当はゼノンの心情を理解しえる。そこに「逆理」が根を持つ。ベルクソンはといえば、先だってある連続したものcontinuité でも、<妥協策>にすぎない同質的で相互外在的な連続でもない、「相互浸透」的で質的な実在的時間に一気に身を置き、これを露わにしていくところから始める。その全く新しい視界から、直線的時間を明確に位置付けていく。ベルクソンが開くのは、直線的時間を支える数学や物理学、いや、そもそも知性が生命の適応行動なのだということを見せてくれる、そんな視界だ。「直観」などと言うと、すぐ「非合理的」と考える向きもある。しかし、ベルクソンは「知」の姿を(ヒトという生物の行動として)これまでになく明晰判明にした。その意味では、「超合理的」と言ってもいいだろう(自らは「厳密な科学」と称している)。ここでの1.2.に対する私の反論は、ゼノンの逆理は奇妙なものとしつつも、その心情を支えるものこそ実在する時間だという点をなんとか指摘したに留まる。ぜひ、ベルクソンとともに時間の真の姿に迫って欲しい。


★補足2. 日本語の「連続」という言葉の曖昧さ

 「連続」という言葉には2つの意味がある。それをフランス語のcontinuitéとsuccession(suite)として区別してみた。前者は、物体のようにどてっとそこにあるもの。後者は本来、時間的なものだ。しかし、ゼノンは後者から時間の本質へと向かわず、単に「連なり続く」もの、前後の順序、系列sérieという<妥協策>に向かう。ここから問題が生まれる。実際は、「順序」の居場所は真理よりも有用性にあり、「仮のかたまり」を作り、「これのあとに、それ」という段取り(スケジュール)として活かされている。ユクスキュルの環境世界や、ハイデッガーの道具連関も、段取りの世界だ。生物進化も区切りをつくって生成してきた。これに対して、前者は、究極的にはすべての部分がすべての部分に反響しあう宇宙全体であって、そこに段取りを持ち込むのは生物だ。しかし、哲学的真理として、無限小の系列série が存在するというのが、ゼノンの逆理だ。しかし、数学上、直線を無限小の集まりと「見ることができる」ことと、「0×X>0」が成立すると考えることとは、別問題である。前者は、直線はすべての位置を含むと考えられるということにすぎない。「位置」から「直線」が形成されるという言語表現は成り立たない。微分が可能なのは、例えば、加速度なりが「関数」で表されるときであり、先に、時間による速度の変化が関数化できていなければならない。いわば、加速度という変化の変化を静的に把握させるcontinuitéが先にある。一見、「0×X>0」が成立しているかのような印象を与える積分でも、まえもって関数によってcontinuitéが与えられているから可能なのだ。積分はcontinuitéをある範囲で区切る作業にすぎない。無限小は実在しない。が、繰り返しになるが、空間的連続continuitéはそもそも無時間的だ。


  1. 2012/11/27(火) 23:12:24|
  2. 哲学する
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

アッケシソウ(三豊市・丸一鋼管詫間工場)

PB250005_convert_20121126194440.jpg

 アッケシソウは、北海道の厚岸で最初に発見されたことから命名された、日本では絶滅に瀕している植物です。丸一鋼管詫間工場内で保護育成されています。工場の一角に、みごとな公園?

PB250001_convert_20121126194347.jpg

 実は、ここは埋め立てで地続きになった、もとは唐島という本当の島でした。周囲には、すぐ向こうから海水を引き入れています。赤く見えるののがアッケシソウです。

PB250009_convert_20121126194532.jpg

 アッケシソウは塩分を好む珍しい植物で、しかも、潮の満ち引き、約3%の塩分濃度、真水も必要という結構わがままな植物です。昔は、塩田にたくさん自生していました。

PB250014_convert_20121126194621.jpg

 ある年齢以上の香川県人なら、記憶の片隅に残っているのではないでしょうか。こちらの会社で戴いた詳しいパンフレットによれば、詫間町の塩田は元禄時代に作られた香川県最古の塩田だったそうです。塩田の需要が無くなり、埋め立てられるときから保護活動が始まりました。アッケシソウの詫間町での存在が確認されたのは1924(大正13)年で、以来、希少性が指摘されてきたのでした。

PB250015_convert_20121126194657.jpg

 秋になると赤いきれいな色になります。その姿から「サンゴ草」ともいわれます。

PB250021_convert_20121126194733.jpg

 かつては、北前船によって北海道から伝わったといわれていましたが、DNA鑑定で瀬戸内海固有のものだと分かりました。写真は現地の掲示物です。

PB250022_convert_20121126194804.jpg

 これも掲示物の一部ですが、他にも希少な動植物が保護されているそうです。唐島の突端部分は、輝石安山岩(亀甲石)という貴重な岩石だそうです。

PB250030_convert_20121126194841.jpg

 「登山1分」と書かれていたので登りました。ツバキが咲いていました。残念ながら、木が生い茂っていて頂上からの見通しはよくありません。お金にモノを言わせるメセナもいいのですが、こちらのような、身の回りのことで文化や知性を感じさせる活動がいいなあと思いました。


  1. 2012/11/26(月) 20:33:08|
  2. 自然
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

白峰寺(坂出市)・根香寺(高松市)の紅葉

白峰寺・根香寺地図

 白峰寺(しろみねじ)と根香寺(ねごろじ)は市が異なりますが、互いに近く五色台にあります。

PB250038_convert_20121125212438.jpg

 白峰寺はすでに崇徳天皇陵(白峰陵)との関連で紹介しました。
 到着前から体内の水圧が限界を超え、ト、ト、ト、トイレはー?どこーっ?とキョロキョロすると、門の左に目立つ「トイレ(←)」の看板。見ると工事現場にある臨時トイレが…開けると臭いが…しかし、好みを口にできる身分ではございません。エイッと飛び込みました。『はー…』と思うのもつかの間、暗い部屋が急に明るくなり、首を回すとドアが全開しているではござらぬかーっ!…後で、中に美しいトイレがあると分かり、トホホ。教訓。人間、心に余裕がないと損をする。

PB250049_convert_20121125212527.jpg

 ジゴクの後は、極楽、極楽。

PB250055_convert_20121125212611.jpg

 本堂前もきれいでした。

PB250060_convert_20121125212657.jpg

 阿弥陀堂が見えます。アミダクジは阿弥陀様の後光からきた名前だそうです。

PB250061_convert_20121125212743.jpg

 自然が豊かです。

PB250062_convert_20121125212828.jpg

 薬師堂が人気です。

PB250070_convert_20121125212908.jpg

 ここが紅葉の美しさベストでした。

PB250071_convert_20121125212949.jpg

 引力に負けて階段を降りてしまいました。第81番札所・白峰寺(真言宗)でした。

PB250106_convert_20121125213541.jpg
 
 次は、第82番札所・根香寺(天台宗)です。

PB250075_convert_20121125213035.jpg

 門を入ると、いきなり石段を降りて紅葉に囲まれた石畳の道を進み、また、石段を登ります。

PB250083_convert_20121125213118.jpg

 右手には、樹齢1600年まで生きていたケヤキの老木が保存されていて、昔、円珍が寺を創建するとき、そのケヤキの木から白い猿が下りてきて円珍を助けたという伝説があります。

PB250085_convert_20121125213157.jpg

 円珍は空海の甥で、生誕地は空海の生誕地・善通寺のすぐ近くの金倉寺(こんぞうじ)です。

PB250086_convert_20121125213248.jpg

 紅葉が幾重にも重なっています。

PB250087_convert_20121125213328.jpg

 明るい光の下で見たら、もっとすごかったと思います。

PB250093_convert_20121125213407.jpg

 本堂へは、ロウソクの灯る暗い回廊を通ります。鐘の場所が離れていないので、つく人が多いです。減価償却費が大変なので、つく人は力に応じてお賽銭を多めによろしくお願いします。

PB250099_convert_20121125213451.jpg

 お寺のHPによると、400年前に牛鬼という妖怪が退治され、その角が供養のために納められているそうです。興味のある方はHPを見てください。角の写真が載っています。
 ここの紅葉がこんなにすごいとは知らず、香川県人としてモグリか、ダイバーか、無資格営業かと言われないよう、来年は早く見に行こうと思います。



  1. 2012/11/25(日) 23:01:20|
  2. 自然
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

世界遺産にしたいCD(2)

genesis.jpg

 勝手に世界遺産にしてほしいCDを自己満足的に並べています。第2回目です。
 ジェネシスのメンバー(入れ替わりがありますが)はピーター・ガブリエル、トニーバンクス、マイク・ラザフォード、スティーヴ・ハケット、フィル・コリンズ、アンソニー・フィリップスなど、一人ひとりでも結構有名な人々です。このCDは、ジェネシスの1973年のアルバム『Selling England By The Pound(月影の騎士)』です。ジャケットの絵から期待される世界を遥かに超越した美しいメロディが次々と押し寄せる完璧なアルバムで、私にとってはジェネシスとはこのアルバム(と、『...And Then There Were Three...』の「Burning Rope」「Folliow You Follow Me」)です。

aimond.jpg

 マーク・アーモンドはゲイである。1990年のアルバム『Enchanted』は妖しく美しい曲がいっぱいだ。

america.jpg

 アメリカのデビュー作『America』(1971年)。「名前のない馬」が大ヒットした有名なバンド。日本ではCSNYの亜流などと言われることもあったが、別モノでしょう?その後も、いい曲をたくさん発表しましたので、ベスト盤やライブ盤は聴きごたえがあります。私は、代表曲も含めて地味なこのアルバムがダントツに好きです。生ギターの演奏がかっこいいと思います。

carpenters.jpg

 カーペンターズの『Now&Then』(1973年)もいい曲満載。残念ながら、妹さんのカレン・カーペンターさんの突然の死で1983年に活動を終えた。「Yesterday Once More」は涙なしに聴けない。

dylan.jpg

 ボブ・ディランは、知名度も高く、今でも現役でその評価も全く衰えません。自分の恥を示すようですが、実は、私は彼のよさがほとんど理解できないのです。いいと思ったアルバムは3つ、4つしかありません。しかし、このCDは特別です。すごく気に入っています。1978年の『Street Legal』。

doors.jpg

 「ジ・エンド」で有名なドアーズのファースト・アルバム『ハートに火をつけて』(1967年)。ドアーズは特定のミュージシャンにはまった一つでした(他には、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、レッド・ツェッペリン、ジャクソン・ブラウン、ニール・ヤングなど)。中心人物ジム・モリスンの急死(1971年)で実質的に終わってしまいました。同様のカリスマ性のあるミュージシャン、ジャニス・ジョプリンが前年に亡くなったばかりでした。

stones.jpg

 ローリング・ストーンズの『Sticky Fingers』(1971年)は、奇跡的なカッコイイ曲ばかりです。レコードのときは、チャックが開きました…。いまメンバーは70歳ぐらいだというのに、現役バリバリです。ちょっと前の映像でも、まだ飛び跳ねて叫んでました…。恐るべし、西洋人の体力。

springsteen.jpg

 ブルース・スプリングスティーンの1975年の『明日なき暴走』を聴いたときは、ピアノとエレキ・ギターと野太い声からメロディアスでカッコイイ曲があふれ出して、感激しまくりました。音楽にも若者にも新しい未来がいっぱいあるような期待感にも満たされました。

steelydan.jpg

 スティーリー・ダンの『プレッツェル・ロジック』(1974年)は涙ちょちょぎれもんのメロディでいっぱいです。

pinkfloyd.jpg

 ピンク・フロイドはアルバム『狂気』が超有名ですが、私は全く面白いと感じません。私の耳が変なのかもしれませんが、どの曲も凡庸に思うぐらいです。『原子心母』のB面のサイケデリックな美しさや、『おせっかい』(「エコーズ」の真ん中あたりがダルいが)の神秘性や、『炎』のプログレ的で美しい曲など、大好きです。しかし、この『アニマルズ』(1977年)は特別に好きです。3つの大作もだれることなくグイグイ引きつけられます。

zeppelin.jpg

 レッド・ツェッペリンはハード・ロック(今でいうヘビ・メタを含む)というジャンルを生み出した、超有名バンド。洋楽界で、名実ともにビートルズにとって代わった存在です。アルバムをあれこれ聴くより、2006年に出たこのDVD(ライヴ集)が一番衝撃的。爆発的なエネルギーと高い音楽性がすごいです。
 実は、最近出た2007年のライヴもすごいの一言。輸入盤で2000円台でCD2枚+ブルーレイ+DVD(特典映像)という安さが貧乏人にはありがたい(エライ)!!63歳のジミーペイジがギターを弾く指の動きが信じられない。59歳のロバート・プラントは高い声が出なくなっていたが、ミュージシャンとしての力は全く衰え知らずで、なんともカッコよくて涙ちょちょぎれものでした。


  1. 2012/11/24(土) 23:32:22|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

屋嶋寺(古代山城サミット・現地説明会)・高松市

PB230035_convert_20121123211231.jpg

 現地集合して、まず、南側の城門跡に向かいました。クレーン車などを使って工事中です。写真は、現場入口の看板です。説明にある通り、2001年から発掘調査が始まったばかりです。

PB230009_convert_20121123210749.jpg

 ちょうど、クレーンで吊り下げた石がキャッチされたところです。材質は安山岩です。崩れていたのを組み直すわけですが、足りない部分はよそから持ってきます。しかも、屋島は石も含めて文化財なので掘り出したりできないので、全く別なところから持ってきたそうです。色が異なるので、完成した後はっきり分かるのでちょうどよいようです。

PB230020_convert_20121123210859.jpg

 現在工事中なのは、図でカーブのあたりまでで、もっと向こうまで石垣が発掘されています。

PB230023_convert_20121123210944.jpg

 景色は抜群です。

PB230024_convert_20121123211028.jpg

 石の形を整えているようです。

PB230027_convert_20121123211112.jpg

 工事中の全体像です。

PB230032_convert_20121123211150.jpg

 完成予想図です。城門を入ってすぐの閉鎖空間は、近世城郭でいう枡形だそうです。
 質問タイムがあったので、城壁はきっちり城郭を取り囲んでいたのかどうか伺いました。自然の城壁になっている部分が多いので、侵入しやすい部分にのみ城壁が築かれたようです。全体の10分の1が石垣などで作られてあるそうです。

PB230065_convert_20121123211716.jpg

 ツバキの花などを観賞しながら移動。

PB230074_convert_20121123211856.jpg

 「談古嶺」からの風景です。あいにくの天気ですが、雨にならなくてラッキーでした。向こうに八栗さんの五剣山が見えています。眼下は、源平古戦場です。

PB230071_convert_20121123211826.jpg

 こういう水墨画的な眺めもいいかもしれません。

PB230058_convert_20121123211635.jpg

 源平合戦のとき血のついた刀を洗ったといわれ、「血の池」と呼ばれる池です。空海が作ったという話があり、本当は「瑠璃宝の池」というそうです。

PB230086_convert_20121123212022.jpg

 その向かい側です。この辺りも発掘されていて、7~8世紀の土器などが出ているそうです。また、頂上の中央部に当たるこの一帯は少しくぼんでいて、飲料水のための池が作られていた可能性があるそうです。この向こうにも池があるそうです。

PB230039_convert_20121123211340.jpg

 北側に来ました。城跡はあちらに見える上が平らな山にまで及んでいたと考えられています。浸食で崖になっていて、まさに自然の城壁となっている様子が分かります(知った風に言ってますが、そういう説明があったのです)。香川県の山には、浸食による絶壁がよく見られます(知らない山には気をつけましょう)。また、こちらとの間の谷間には、50mほどの長さの城壁があるそうです。

PB230040_convert_20121123211510.jpg

 最後は、北側の城壁跡です。みなさんが歩いているのが城壁の上です。ある程度進んでから説明されたので、最初、おっちょこちょいにも担当の方に「こんな所に道があったんですねえ。知りませんでした」などと無駄話をしたところ、「いや、道じゃないんです。これが実は城壁なんです」と言われてビックリ。

PB230043_convert_20121123211553.jpg

 「獅子の霊巌」あたりまで続いています。最後の説明で、この「屋嶋城」は日本書紀に書いてあるが、遺跡が出てこなかったものだから、(以前ブログで紹介した)坂出の「城山(きやま)」がそれだろうと言われていたそうです。屋嶋城はやっぱり屋島にあることが分かったという次第。最初に見た看板にあるように、民間研究者による石垣発見がきっかけだったというのが夢があっていい。

PB230088_convert_20121123212102.jpg

 戴いたパンフレットです。黄色い線が城の領域のようです。北にぐっと伸びた部分にはあまり手が入っていないようです。ふつう人が入る観光地も南の部分に限られています。見づらい写真ですいません。パンフレットをずっと持ち歩いたので、ベコベコになりました(讃岐弁で「きたなしげに(汚く)」なりました)。こういう現地説明会にはファイルするものを持っていくべきですね。




  1. 2012/11/23(金) 22:30:33|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

鳴滝(吉備中央町)・神庭の滝(真庭市)

002_convert_20121122112317.jpg

 紅葉の紹介がちょっと遅くなりました。吉備中央町の鳴滝です(奥に小さく見えています)。

017_convert_20121122112714.jpg

 水量がすごく、爆音?がしています。

023_convert_20121122112812.jpg

 散策できるよう整備されています。

006_convert_20121122112620.jpg

 水不足に悩む香川県人にはぜいたく。水が出しっぱなしだー!という感じ。

024_convert_20121122112908.jpg

 この辺に来ると水しぶきが飛んできます。

036_convert_20121122112948.jpg

 豪快。

061_convert_20121122113133.jpg

 紅葉もきれいです。

050_convert_20121122113041.jpg

 人工的な公園ではありますが、広くて自然に恵まれています。

062_convert_20121122113343.jpg

 神庭の滝は北のほうなので、もう紅葉が終わったかな。

072_convert_20121122113507.jpg

 昨年の写真ですが、このときもかなり終わってました…。

078_convert_20121122113626.jpg

 しかし、滝は見ごたえがあります。110mの落差があります。

081_convert_20121122113744.jpg

 これぞ滝っていう形がいいです。

087_convert_20121122113858.jpg

 紅葉美が見たい、また行ってみたい所です。サルにも会ってみたいし。


  1. 2012/11/22(木) 22:54:27|
  2. 自然
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

岡山県の鎌倉時代の遺構?

177_convert_20121121142310.jpg

 前回紹介した「伊達弾正館跡」をお見せします。吉備中央町教育委員会によると「鎌倉時代の居館址である」。

126_convert_20121121135051.jpg

 家の間の細い道から、正面に見える小高い山に登る。よく教科書に紹介されている鎌倉時代の武士(開発領主)の館は平地に堀を巡らせてある。まあ、いろいろあったでしょうから、それだけで何とも言えません。どこのお家の方に挨拶をしたのか記憶が曖昧ですが、もちろん、断って登りました。

136_convert_20121121140206.jpg

 けっこう高いですよ。そそり立つ壁のようです。地面は突き固めたようにカッチカッチです。ちょうど上がって、『おーっ』と思ったとき、下から不審げにじーっと見ている方が…。登る前に挨拶した方ではないようです。で、一応、上から経緯と目的を叫びました。どういうやりとりがあったか、覚えていませんが、了解していただいて見学をしました。

127_convert_20121121135227.jpg

 すぐ、登ってきた方向が目に入りました。うーん、クッキリ土塁が…おーっ…。

130_convert_20121121135719.jpg

 とりあえず、反対側からも見てみました。すぐ気付いたのですが、畑やブドウ園がありました。それで、さっき怪しまれたわけです。まず、(さっき来た方向へ)向こう回りに歩くことにしました。

132_convert_20121121135901.jpg

 地面が固そうなのが分かるでしょう。あの角を右方向へ行きます。

137_convert_20121121140332.jpg

 土塁が続きます。何だか分らぬのに、こんなにクッキリ残っていることに感激。

140_convert_20121121140449.jpg

 ちょっと小高い場所だと分かりますか。

142_convert_20121121140747.jpg

 石積みのか所がありました。

143_convert_20121121140921.jpg

 ぐるっと回って、ほぼ反対側に来ました。「町指定史跡 伊達弾正館址」とあります。

146_convert_20121121141150.jpg

 その後も、みごとに土塁が続いています。

151_convert_20121121141325.jpg

 ずーっと歩いて、後ろを振り返る。

152_convert_20121121141618.jpg

 前を見るとこんな感じ。溝と、水を配水する切れ目があります。

153_convert_20121121141756.jpg

 畑の設備だったりして…。

155_convert_20121121141944.jpg

 ではないと思います。畑に必要と思えない塀のような土塁がずーっあったわけで、土の見た目が同じ様だからです。

160_convert_20121121142114.jpg

 よく残ってきたなあと感心。

175_convert_20121121142235.jpg

 一周回って戻って来ました。

178_convert_20121121142431.jpg

 木の生えている右側だったんですが、こういうポコッと持ちあがった小山です。

080_convert_20121121134404.jpg

 次は、ずっと北に行って、高梁市有漢町にある「正尺(しょうしゃく)屋敷跡」です。北条義時のとき新補地頭・秋庭重信が館を構えた所といわれています。また、改めて秋庭氏の城跡や墓なども紹介したいと思います。

082_convert_20121121134529.jpg

 この遺構そのものが、いつのどういう性格のものか明白ではありません。

083_convert_20121121134651.jpg

 石塁が二重に残っています。

096_convert_20121121134942.jpg

 キバナコスモスの色が美しい。

IMG_2676_convert_20121121142536.jpg

 最後は、岡山市の「伝賀陽(かや)氏館跡」です。鎌倉時代末ごろのものと考えられています。南から見ていますが、吉備中山が見えます。吉備津神社がすぐ向こうにあります。賀陽氏は代々吉備津神社の神官を務めた大豪族です。吉備真備の出た下道氏らとならぶ、古墳時代ごろからの有力者です。鎌倉時代の有名人としては、栄西を輩出しています。

IMG_2681_convert_20121121142656.jpg

 今度は北側から見ています。何が遺構か分からなくてすいません。白っぽく葦やらススキやらが枯れてはびこっている部分が堀で、70m×60mの四角い部分をきれいに取り巻いています。近づいて見ても枯れ草ぼうぼうで、上空から見ないと分かりません。しかも、内部が個人宅なので入れません。地図で示しておきます。

伝賀陽氏館跡地図

 左下の四角い囲みがそうです。その左側をひょろひょろと通っているのが、写真の道です。右の方に見える中山茶臼山古墳は大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)とも呼ばれています。近くには有名な吉備津神社や古代吉備文化財センター、黒住教本部などがあります。






  1. 2012/11/21(水) 21:26:02|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

妙本寺(岡山県吉備中央町)

185_convert_20121120215005.jpg

 紅葉って、この週末ごろが見納めでしょうか?妙本寺は鎌倉時代の1275年につくられた日蓮宗のお寺です。

188_convert_20121120215130.jpg

 この地の地頭・伊達弾正朝義(だてだんじょうともよし)が、日像上人を開基に建てたお寺です。

192_convert_20121120215245.jpg

 日蓮上人が『立正安国論』を執権・北条時頼に提出したが、北条氏は禅宗に帰依しており、日蓮はこれにより罰せられることになった。伝説では、龍ノ口(神奈川県)で処刑されそうになったとき、刀に雷が落ちて、処刑が中止になったという。その場に居合わせた伊達朝義は、日蓮に帰依したという。

198_convert_20121120215416.jpg

 本堂は室町時代の建築様式で、岡山県の重要文化財です。

199_convert_20121120215530.jpg

 日蓮上人像です。

201_convert_20121120215652.jpg

 この番神堂は国の重要文化財です。番神とは、法華経を守護する三十人の神のことだそうです。

216_convert_20121120215914.jpg

 ところで、この向かいに伊達弾正朝義の館跡といわれるものがあり、本当なら、(発掘とかでなく見えている)鎌倉時代の遺構で、とてもめずらしいです。次回、紹介予定(本日はくたびれたので、これにて閉店)。

  1. 2012/11/20(火) 22:34:49|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

祝!披雲閣、重要文化財(玉藻公園=高松城)

IMG_3823_convert_20121119124100.jpg

 お城の東南角にある駐車場から見えるのが、かつて城の東北部にあった「艮櫓(うしとらやぐら)」です。

IMG_3824_convert_20121119124232.jpg

 「旭橋」を渡って中に入ります。

IMG_3830_convert_20121119124402.jpg

 門を入ると「枡形(ますがた)」ですが、正面に見える石垣を四角くくりぬいた「埋門(うずみもん)」と呼ばれる出入り口が珍しいです。侵入した敵を攻撃したとか、藩主の脱出用だとか言われています。

PB160055_convert_20121119132058.jpg

 「艮櫓」を中から見た所。国の重要文化財です。

PB160054_convert_20121119132001.jpg

 すぐに見える広場は「桜の馬場」ですが、2004年の高潮で桜がかなり枯れてしまいました。

PB160061_convert_20121119132328.jpg

 かつて「桜御門」がありましたが、空襲で焼失しました。石垣などに焦げた跡があります。

PB160062_convert_20121119132412.jpg

 さて、この7月に新たに国の重要文化財になったばかりの「披雲閣(ひうんかく)」です。もともと藩主の生活の場で、現在の2倍ありましたが老朽化で壊され、松平家の別邸として1917(大正6)年に建て直されたものです。
 これが目的で改めて見に来たのですが、運の悪いことに行事で貸し切りになっていました…。内部は、2009年に見に来た時の写真が一番新しいので紹介します。おそらく、国の重要文化財になってから、もう少し、こぎれいにしていると思います…。

IMG_3852_convert_20121119124732.jpg

 これ、何をやってたときでしょうか???…記憶がありません。なぜ、傘?

IMG_3851_convert_20121119124523.jpg

 江戸時代の様子を模型にしたものです。左手前の(奥へ行く)橋を渡って、中央の披雲閣に来ました。お屋敷の中で迷いそうなほど大きい。模型の右の方が北になります。北側は海です。高松城は海の城です。

IMG_3854_convert_20121119124850.jpg

 天井の電灯が古そう。

IMG_3855_convert_20121119125002.jpg

 巨大な高松城地図ののれんが…。下が北です。

IMG_3856_convert_20121119125121.jpg

 小さめの中庭。

IMG_3858_convert_20121119125403.jpg

 ソテツがいっぱい。

IMG_3859_convert_20121119125518.jpg

 広々。掃除が大変そう。

IMG_3860_convert_20121119125635.jpg

 ガラスがまた古そうですね。

IMG_3869_convert_20121119125815.jpg

 長い廊下がいっぱいあります。志村けんの殿さまが、「お待ちなされー!」と追われて走って来そうです。

IMG_3875_convert_20121119125931.jpg

 建物の裏側に回ると、「内苑御庭」があります。

PB160043_convert_20121119131803.jpg

 サザンカがきれいに咲いてます。

IMG_3895_convert_20121119130208.jpg

 庭から北へ行くと、「月見櫓」があります。

IMG_3901_convert_20121119130421.jpg

 刻印発見。

IMG_3914_convert_20121119130711.jpg

 海に突き出た場所で、船を監視するところから「着見櫓」ともいわれています。

IMG_3919_convert_20121119130843.jpg

 「月見櫓」から南を見て、手前から「続櫓」「水手御門」(隠れて見ずらい)「渡櫓」です。

PB160023_convert_20121119131548.jpg

 城の外(北)から見た「月見櫓」です。現在は城の北側に道が通っていて、道の北が海になっています。

PB160024_convert_20121119131659.jpg

 左から、「月見櫓」「続櫓」「水手御門」「渡櫓」です。ここに実際に船が着きました。水城としてのこういった遺構は全国でここだけです。もちろん、重要文化財です。

IMG_3885_convert_20121119130059.jpg

 さて、今度は北西の入口から入ってすぐのところにある「水門」です。ここから海の水を入れます。ここから南に向かって歩くと、「披雲閣」の西を通って…

PB160051_convert_20121119131849.jpg

 「天守台」の向かいに出ます(目の前の堀を右に行くと、先の水門)。その右に小さく見える「鞘橋」が本丸に向かう唯一の通路です。これで、大体の所を見て回ったことになります。

PB160001_convert_20121119131342.jpg

 これは香川県民(アルファあなぶき)ホールの地下に保存されている、17世紀中ごろの下層石垣です。松平頼重の入封が1642年なので、生駒氏時代のものかどうかは微妙です。奥へ行くと階段があって、少し上から見るようになっています。

PB160006_convert_20121119131423.jpg

 この建物を作る前に行なった高松城東ノ丸跡の発掘調査で現れました。位置は移していますが、石の一つ一つを見ると番号が振ってあり、厳密に復元してあるようです。

PB160007_convert_20121119131509.jpg

 この遺構保存庫は、事前に連絡して時間を決めた上で、係りの人の立会いの下で見学できます。



  1. 2012/11/19(月) 23:48:19|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

世界遺産にしたいCD(1)

10ccoriginal.jpg

 勝手に世界遺産にしてほしいCDを選んでみました。(1)と題しましたが、気が向いたら(2)もあるかもしれません。
 10CCの『オリジナル・サウンドトラック』(1975)のころは、洋楽がおもちゃ箱をひっくり返したように面白さに溢れていました。レッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』(同年)、ポール・マッカートニー&ウィングスの『ヴィーナス・アンド・マース』(同年)、クイーンの『オペラ座の夜』(同年)、ザ・バンドの『南十字星』(同年)、パトリック・モラーツの『ザ・ストーリー・オブ・アイ』(1976)、ジャーニーの『未来への招待状』(1976)、エアロスミスの『ロックス』(1976)、フリートウッド・マックの『噂』(1977)…きりがない。
 洋楽好きの方には無用な話しか書けませんが、10CCのこのアルバムは決して本当のオリジナル・サウンドトラックではありません。おそらく、当時、高校生~大学生の洋楽好きの方はみんな夢中になったレコードです。「パリの一夜」「アイム・ノット・イン・ラブ」などちょっとプログレ風な曲がありますが、奇妙な面白さはゴドレイ&クレーム(『フリーズ・フレーム』1980、『イズミズム』1981)に引き継がれたように思います。

al.jpg

 AL STEWART(アル・スチュワート)の『24CARROTS』(1980)も怒涛の快感メロディー連続攻撃で、かなり繰り返して聴きました。タイトルの意味が全く不明ですが。

bobbycharles.jpg

 ボビー・チャールズの『ボビー・チャールズ』(1972)は、ザ・バンドのしみじみした名曲を集めたような印象で、クセになります。犬に口をなめられて、「うわっ」とか言ってる幸せそうなジャケットのような、ポワーンとした世界。

csn.jpg

 CSN(クロスビー・スティルス&ナッシュ)の『CSN』(1977)は第一印象は地味だが、ハマると抜け出せなくなる。このメンバーにニール・ヤングを加えるとCSNY(『デジャ・ヴュ』が超有名)となる。ニール・ヤングの作った1曲でやられてしまう類のすごくいい曲とは異なるかもしれませんが、何度聴いても飽きないのがこのアルバムです。

ELO.jpg

 ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)は私にとってはこの『アウト・オブ・ザ・ブルー』(1977)がピークです。やはり、洋楽ファンはみんな聴きまくったアルバムです。2001年の『ZOOM』には感激しました!

halloates.jpg

 ダリル・ホール&ジョン・オーツの『X-STATIC(モダン・ポップ)』(1979)はメロディアスでカッコイイ曲のメジロ押しです。たぶん、いまの感覚でも古臭い所が全くないと思います。前作『赤い断層』もよかったですが、これに比べると少し霞みます。

harpersbizarre.jpg

 ハーパース・ビザールの『エニシグ・ゴーズAnything Goes』(1967)は、いわゆるソフト・ロックというジャンルになるんですが、「甘ーーーーーーーーい!!」と絶叫してしまう素晴らしいアルバムです。

procolharum.jpg

 プロコル・ハルムは最初のシングル「青い影」が超有名ですが、3枚目の『ソルティ・ドッグ』(1969)はその「青い影」級の名曲で固めたような天才的アルバムです。

traderhorne.jpg

 トレイダー・ホーンの『朝の光の中で』(1970)はこの中では有名でないアルバムだと思いますが、お宝発見的な、美しい曲に満ちています。フォークっぽい曲で、ジャケットのような不思議な世界に迷い込ませてくれます。Chirdren Of Oarcという曲が、ウィングス『ロンドン・タウン』のDon't Let It Bring You Downにかなり似てます(もちろん、Traider Horneが古いです)。 

 trees.jpg

 ジャケットが恐いトゥリーズの『オン・ザ・ショア』(1970)もフォーク・ロックですが、どうもうまく言えませんが、トレイダー・ホーンより完成度が高いというか存在感があります。こちらも不思議な感覚が味わえます。

ub40.jpg

 UB40の『Signing Off』(1981)はデビュー・アルバムにして最高傑作です。ジャンルはレゲエです。サード・ワールドの初期の作品にも通じる深い味わいに満ちています。しみじみいい曲だな―と思います。これに近い感じが2009年の日本の若いミュージシャンであるリクル・マイさんの『マイレーション』で聴けて、びっくりしました。


  1. 2012/11/18(日) 23:12:22|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

栗林公園の紅葉(高松市)

PB160068_convert_20121117210055.jpg

 栗林公園・東門入口の常盤橋です。もともとは高松城外堀にかけられていた橋の一部です。

PB160106_convert_20121117210144.jpg

 松の緑もきれいです。もともと栗林公園に多いのは盆栽松です。高松は盆栽王国ですから。栗の木はあったのですが、殿が切ってしまいました。

PB160113_convert_20121117210349.jpg

 背景の山は紫雲山200mです。栗林公園に面した部分はすべて公園の一部です(国有地で、高松市が無償で借りています)。

PB160137_convert_20121117210438.jpg

 南湖です。

PB160142_convert_20121117210516.jpg

 楓岸です。和船が楽しめます。

PB160145_convert_20121117210614.jpg

 楓岸はこれからもっと紅葉が美しくなります。

PB160151_convert_20121117210701.jpg

 実際に見ると、島の盆栽のなかに2、3花が咲いていてきれいです。

PB160154_convert_20121117210743.jpg

 飛来峰(ひらいほう)という眺めのよい小山から見た偃月(えんげつ)橋です。

PB160161_convert_20121117210831.jpg

 根上がり五葉松(ねあがりごようまつ)は、11代将軍・家斉から高松藩主・松平頼恕(よりひろ)に贈られた盆栽が育ったものです。高松松平家の初代・頼重は水戸藩主・徳川光圀の兄で、ややこしいのですが、2代・頼常は光圀の子です。つまり、将軍家と深い関係にあるわけです。
 地面の溝に茶色い落ち葉が溜まって模様になっています。

PB160164_convert_20121117210917.jpg

 歴代藩主が使った茶室・掬月亭(きくづきてい)です。

PB160183_convert_20121117211115.jpg

 中国の赤壁にちなんで名づけられた石壁です。滝は自然のものではなくポンプで水をくみ上げています。昔は、上に置いた桶まで人力で水を汲み上げました。

PB160211_convert_20121117211203.jpg

 ススキがいい感じです。

PB160221_convert_20121117211303.jpg

 東門近くに帰ってきました。日本最大の文化財公園・栗林公園にぜひ来てください。




  1. 2012/11/17(土) 22:34:57|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

大窪寺の紅葉(さぬき市)

PB150001_convert_20121116163118.jpg

 一番近い駐車場はお土産屋さんの駐車場です。お土産を買わなかったり、他店で買った人は罰金を払っていただきますと書いています。どこでも売っている(讃岐弁では「どこんでも売っりょる」)天津甘栗を買ってしまいました。

PB150002_convert_20121116163206.jpg

 いきなり最高の紅葉!

PB150010_convert_20121116163254.jpg

 振り返ってもう一枚。

PB150015_convert_20121116163346.jpg

 入口の紅葉で渋滞気味。

PB150035_convert_20121116163526.jpg

 お参りに向かいましょう。第88番札所、結願(けちがん)のお寺です。杖や笠を納めるところがあって、「おたきあげ」されます。正面の山は矢筈(やはず)山787mです。山中に奥の院がありますが、まだ行ったことがありません。

PB150033_convert_20121116163430.jpg

 イチョウの葉がまだ残っています。

PB150038_convert_20121116163623.jpg

 バスでお遍路されている方々でしょうか。

PB150041_convert_20121116163712.jpg

 盛大な紅葉は入口とここだけのようです。こちらは風景的にどうでしょう…。

PB150044_convert_20121116163754.jpg

 なんか元気のよさげなお地蔵さん。

PB150046_convert_20121116163903.jpg

 結局、入口の紅葉が一番みたいです。実は、周囲にカメラや携帯を構えた人がたくさんいます。道の真ん中に三脚を立てて頑張り続ける豪傑もいます。
 それにしても、豪傑な性格の人がうらやましいなあと思います。私は、たとえば以前、赤信号で止まった時、後ろの車に軽くあてられ(特に傷もなかったようです)、人が降りてきたので謝りに来たのかなと思ってたら、70~80歳の男性の方で、いきなり、「なんで止まるんじゃ!」と怒られたことがあります。「信号が赤ですから」と答えたら、「赤でも、行きゃええんじゃ!」と爆発しまくりでしたが、私の考えたことといえば、『お元気でよかった』ぐらいで、こんな調子なのであまり知らない人とは関わらないようにしています。
 関係ない話でした。
 お遍路って昔は、結構、深刻な人も多かったようですね。帰る所が無く、行き倒れになるまで歩き続け、道端にお墓をつくってもらった人もいたそうです。私が子どもの頃は、近くに八十八ヶ所もないのに、うちの前で拝んでいるお遍路さんがよくいました。お布施をもらいながら歩いているのです。何も知らず、からかって親に叱られたことがあります。大人になってふと思い出しては、申し訳ない気持ちになっています。


  1. 2012/11/16(金) 21:32:09|
  2. 信仰・民俗・伝統など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

鬼ノ城(きのじょう)・総社市

P9050007_convert_20121115112339.jpg

 鬼ノ城は総社市にある7Cの朝鮮式山城です。

P9050015_convert_20121115112730.jpg

 鬼ノ城に登るとすぐ、大岩がある所に足場を組んだ設備があって、西門をちょっと離れた位置から眺められます。

P9050012_convert_20121115112517.jpg

 どこからの眺めもよく、散歩にもってこいです。

P9050020_convert_20121115112821.jpg

 さて、遺跡群に近づくと、まず、角楼が目に入ります。土壁は実際に版築の工法で再現されました。

P9050024_convert_20121115112859.jpg

 西門が続きます。

P9050029_convert_20121115112933.jpg

 建物そのものの復元には推測の部分が多いと思われ、賛否両論あります。

P9050033_convert_20121115113015.jpg

 門内の様子。

P9050034_convert_20121115113052.jpg

 実際には、海外から敵が攻めてくることはなかったので、いつまで兵を置いたんでしょうか。

P9050035_convert_20121115113127.jpg

 発掘の様子が示されています。

P9050042_convert_20121115113229.jpg

 門から南側を進みます。

P9050047_convert_20121115113312.jpg

 この先は工事中です。

P9050057_convert_20121115113402.jpg

 門の内側から南側を進む道が以前からあります。

P9050060_convert_20121115113449.jpg

 いろんな遺構がたくさん残っています。

P9050065_convert_20121115113535.jpg

 水門跡です。城内の水を排水するための水門が6か所あります。

P9050071_convert_20121115113659.jpg

 ところどころ、見晴らしがよく、端っこに近づきたくない場所があります。

P9050074_convert_20121115113742.jpg

 いい眺めです。

P9050079_convert_20121115113825.jpg

 南門です。

P9050082_convert_20121115113903.jpg

 えーーーっと、この出口からどこへ行くんでしょうか??? ”THE FIFTH ELEMENT"のタクシーが停まりそうな出入り口です。

P9050083_convert_20121115113950.jpg

 右下の地図で言うと、右端から出発して真南まで来たことになります。

P9050090_convert_20121115114036.jpg

 ここも何でしょう?

P9050099_convert_20121115114149.jpg

 道を石で敷いたり、囲ったりしている所も結構見られます。

P9050103_convert_20121115114230.jpg

 のちの時代にできた信仰の場所です。

P9050116_convert_20121115114319.jpg

 ちょっとした広場です。大きな岩はまずほっとかれません。

P9050121_convert_20121115114357.jpg

 千手観音が彫られています。

P9050124_convert_20121115114436.jpg

 東門が見えてきました。

P9050127_convert_20121115114515.jpg

 やっぱり、空飛ぶタクシー用???

P9050133_convert_20121115114609.jpg

 石垣としては立派な部分。上も広いです。しかし、台風かなんかで崩れた事があるので要注意。

P9050138_convert_20121115114650.jpg

 北門です。

P9050140_convert_20121115114728.jpg

 ここからは下へ降りることができます。すぐ北の「岩屋」と呼ばれる巨石巡りコースみたいな信仰遺跡があり、そこへ行くことができます。もっとも、鬼ノ城遺跡を一周回って駐車場に戻り、車で行くのが普通です。

P9050141_convert_20121115114800.jpg

 角楼に戻ってきました。遺跡は30haほどあります。内部にも建物群の遺跡があり、あとで紹介します。

P9050142_convert_20121115114839.jpg

 遺跡に来る手前に、「鬼の釜」があります。重源が修復した鎌倉時代の山岳仏教の寺院があったので、訪れた人々のための湯屋に用いたものでないかという説があります。

P9070003_convert_20121115114928.jpg

 さて、現地説明会に行ったときの写真を紹介します。

P9070021_convert_20121115115030.jpg

 のちの時代のお寺の遺構が見つかったそうです。

P9070022_convert_20121115115117.jpg

 向こうに低い石垣が見えます。その向こうに水を溜めたと推測されています。

P9070039_convert_20121115115216.jpg

 周りを版築や石垣で固めているので、水が溜まると困るのですが、飲み水も必要です。

P9070040_convert_20121115115314.jpg

 余った水は外へ流します。南側の壁が見えています。

P9070041_convert_20121115115355.jpg

 向こう側です。水門になっています。

P9070043_convert_20121115115437.jpg

 上の方にも廃水口があります。

P9070056_convert_20121115115617.jpg

 先ほど石垣の大きい所の上が結構広いと言いましたが、説明会の後、散歩してきました。

P9070058_convert_20121115115659.jpg

 土塁の所もあります。

P9070060_convert_20121115115808.jpg

 今回も、北門を回って帰りますが、その前に、中央の礎石建物群跡を見てきます。

P9070064_convert_20121115115846.jpg

 先の方に石が並んでいます。

P9070066_convert_20121115115952.jpg

 こっちの方が分かりやすいです。

P9070070_convert_20121115120033.jpg

 建物跡が6、7棟あったようです。

P9070072_convert_20121115120121.jpg

 戦に備えて食糧を備蓄していたんでしょうか。

IMG_1362_convert_20121115112241.jpg

 ちょうど、日が沈んできました。

IMG_1344_convert_20121115112122.jpg

 たそがれてます。

鬯シ繝主沁P20_convert_20121115120450

 一日が終わります。突然ですが、2億5000万年前はパンゲア大陸があったそうで、星座すら今とは違っていたそうです。猿人の登場が500万年前、ホモ・サピエンスは10万年前、歴史時代は3000年ほど。古代の人はそんなこと知ったこっちゃないですが…

鬯シ繝主沁P15_convert_20121115120340

 昔の人は、夕日を眺めて何を考えたんですかね。




  1. 2012/11/15(木) 22:37:23|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

映画「バルトの楽園(がくえん)」ロケ地(徳島県鳴門市)2007

IMG_0589_convert_20121114212015.jpg

 2006年の映画「バルトの楽園」は、第一次世界大戦でのドイツ人捕虜を収容した徳島県鳴門市に置かれた板東俘虜収容所を舞台にした実話を描いたものです。主役の松平健が演じる所長・松江豊寿が陸軍上層部と対立してまで捕虜を人道的に扱い、彼らと地元の人々との交流も深めていきました。捕虜たちは地元に多くのドイツ文化を残して行きましたが、特に、日本で初めてベートーヴェン第九の全曲演奏を行ったことが有名です。

IMG_0706_convert_20121114220501.jpg

 かなり大掛かりなロケ地がつくられ、2009年まで公開されました。その後、地元NPOの要請で移転・縮小されて保存、現在も公開されています(「阿波大正ロマン バルトの庭」)。小さくなって残念ですが、実際の収容所の建物もここに移転、公開されているので、機会があったらまた見に行きたいと思っています。

IMG_0711_convert_20121114220756.jpg

 さて、なくなった最初のロケセットです。どれどれが今も残っているのかは分かりません。入口をはいると、まず、民家のロケセットがありました。

IMG_0590_convert_20121114212132.jpg

 リアルです。

IMG_0593_convert_20121114212342.jpg

 駐在所で、道を聞く観光客がいました…。

IMG_0600_convert_20121114212501.jpg

 健康のことも考えています。

IMG_0603_convert_20121114212637.jpg

 兵舎はこんな感じです。

IMG_0606_convert_20121114212800.jpg

 これ、どう見ても夏バージョンです。冬はこれじゃあ地獄です。

IMG_0610_convert_20121114212913.jpg

 布団を置いているのがリアル。夏なら、ここに忍び込んで寝れます。

IMG_0616_convert_20121114213023.jpg

 壁にドイツの新聞がぎっしり。

IMG_0620_convert_20121114213136.jpg

 こちらの部屋にはフィルムが。収容所内の自由さが伺えます。

IMG_0625_convert_20121114213258.jpg

 お風呂です。

IMG_0627_convert_20121114213411.jpg

 中はこんな感じです。

IMG_0632_convert_20121114213521.jpg

 ここはパン工場です。

IMG_0636_convert_20121114213638.jpg

 材料の缶まで実にリアル。

IMG_0637_convert_20121114213756.jpg

 窯ですが、どうみても本物ですね。

IMG_0641_convert_20121114213909.jpg

 さて、すごいのがこちら…。

IMG_0642_convert_20121114214011.jpg

 印刷所です。新聞づくりまで許されていたんです。

IMG_0644_convert_20121114214141.jpg

 酒ビンが…。

IMG_0651_convert_20121114214251.jpg

 兵舎も何棟も作られています。といっても、歴史上の収容所はまだまだ大きかったようです。

IMG_0661_convert_20121114214546.jpg

 お酒が飲める所までありました。

IMG_0660_convert_20121114214417.jpg

 立派なお店です。

IMG_0668_convert_20121114214704.jpg

 収容所内とは思えません。

IMG_0672_convert_20121114214811.jpg

 一杯入ると、みんなで歌ったんでしょうね。

IMG_0674_convert_20121114214916.jpg

 窓から見える中庭の、右にちらっと見えるステージ上で、映画の中で第九が演奏されました。

IMG_0675_convert_20121114215024.jpg

 洗い場やトイレまでちゃんと再現していました。

IMG_0681_convert_20121114215141.jpg

 映画の小道具を陳列していました。青島(チンタオ)は日本が攻撃したドイツ領です。

IMG_0683_convert_20121114215245.jpg

 よく作ってます。

IMG_0691_convert_20121114215534.jpg

 小道具とはいえ勉強になるので、いまもあるといいのですが。

IMG_0693_convert_20121114215720.jpg

 外出許可も出たんです。

IMG_0695_convert_20121114220007.jpg

 これは日本側の執務室のような部屋。

IMG_0698_convert_20121114220131.jpg

 奥に所長室があります。

IMG_0699_convert_20121114220245.jpg

 松平健さんの部屋です。

IMG_0705_convert_20121114220357.jpg

 映画のポスターです。

IMG_0583_convert_20121114211528.jpg

 「ドイツ村公園」が実際に収容所があった場所です。

IMG_0586_convert_20121114211705.jpg

 アーチの橋です。

IMG_0587_convert_20121114211855.jpg

 捕虜たちが記念に作っていったものです。地域の人の中には、楽器やパン作りなどを教わった人もいます。

IMG_0715_convert_20121114221036.jpg

 ソーセージを食べました。あと、すぐ近くに、ドイツ館と賀川豊彦記念館があり、見ごたえがあります。といっても、いまの「阿波大正ロマン バルトの庭」は位置が離れているかも知れません。

PS 残念ながら、「バルトの庭」は閉園になってしまったようです。



  1. 2012/11/14(水) 23:31:51|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

城山(きやま)遺跡・坂出市

IMG_3226_convert_20121113221047.jpg

 坂出市の城山(きやま)は7世紀につくられた朝鮮式山城の一つです。663年の白村江の戦いに敗れ、防衛のために築かれました。前後を年表にして整理してみました。

斉明天皇(皇極天皇・重祚)655~61】   都:飛鳥(板蓋→川原→岡本宮)
658阿倍比羅夫、蝦夷征討/有間皇子(孝徳天皇の子)の変
660唐・新羅軍が百済を滅ぼす→旧百済勢力に援軍→661斉明天皇没(九州朝倉宮)  
中大兄皇子・称制661~67】
663白村江の戦い→唐・新羅連合軍に大敗
    →大宰府北方に水城・大野城、南方に基肄城/西日本に朝鮮式山城/九州に防人
667近江大津宮
天智天皇668~71】

 という感じです。有名な、645年・乙巳の変と672年・壬申の乱との間の出来事です。

IMG_3224_convert_20121113220847.jpg

 城山温泉を越えて、高さ462mの山頂を目指します。山頂部は南北2km、東西1.5kmの平坦地で、全体が城郭とみられてます。

IMG_3230_convert_20121113221216.jpg

 遺跡はゴルフ場内にあるので、事前に連絡して、大丈夫な時刻を決めてから出かけることになります。案内の方が連れて行ってくださいます。さっそく、何か見えてきました。

IMG_3239_convert_20121113221924.jpg

 石の塀がずーっと続いています。

IMG_3235_convert_20121113221349.jpg

 右側。

IMG_3237_convert_20121113221751.jpg

 左側です。

IMG_3266_convert_20121113222707.jpg

 それにしても何でしょう?

IMG_3236_convert_20121113221430.jpg

 もとは高さ3m、幅も3mあったそうです。それなら防御施設として理解できます。ていうか、申し訳程度に戻したのはなぜ?材料の石は捨てたのでしょうか?組み直してみませんか?

IMG_3245_convert_20121113222108.jpg

 案内の方が道を説明してくれ、「一人で自由に歩きたかったら、今日はもうこの辺りに人がいませんから、どうぞ。万一いたら、気を付けてくださいよ」と言われ、一人で歩くことにしました。方向音痴なので不安でしたが、なんとか到着。ゴルフ場に初めて入りました。

IMG_3246_convert_20121113222219.jpg

 古代人がここから海を見張ったんでしょうか?

IMG_3250_convert_20121113222407.jpg

 振り返って門を見るとこんな感じ。

IMG_3259_convert_20121113222530.jpg

 石をきれいに加工しています。サヌカイトがいっぱいらしいので、これもそうでしょうか?

IMG_3273_convert_20121113222804.jpg

 ゴルフ場に感謝して、クルマで頂上に行きました。見晴らしがかなりいいです。

IMG_3280_convert_20121113222846.jpg

 瀬戸大橋も見えます。

IMG_3297_convert_20121113223019.jpg

 さて、下りてしまう前に、もう一か所、ゴルフ場の外の遺跡を見学です。

IMG_3302_convert_20121113223156.jpg

 ホロソ石(どういう意味?)というものが落ちています。

IMG_3304_convert_20121113223351.jpg

 ドテッ、ドテッと点在。

IMG_3306_convert_20121113223657.jpg

 どうやら、石を組み合わせて柱が入る穴になったようです。なぜ、数が少ないのか、点在しているのかは謎です。周辺の人が持って帰って何かに使ったんですかね?探せば、あちこちから出てきたりして…。

IMG_3309_convert_20121113223927.jpg

 羊羹みたいなのもあります。

IMG_3313_convert_20121113224129.jpg

 オブジェだったってことは…ないと思います。

IMG_3319_convert_20121113224647.jpg

 これも城山に残る、明神原遺跡という磐座信仰の跡です。

IMG_3315_convert_20121113224246.jpg

 886年、讃岐国司・菅原道真さんがここで雨乞いをされたそうです。

IMG_3363_convert_20121113224822.jpg

 ナヨクサフジが鮮やか。

IMG_3366_convert_20121113224928.jpg

 ノイバラもきれいに咲いてました。5月ごろ出かけました。




  1. 2012/11/13(火) 23:49:55|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

承久の乱と尊瀧院(そんりゅういん)・倉敷市

20051225002_convert_20121112090830.jpg

 倉敷市林にある五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)のもともとの歴史は古く、伝承によれば白鳳期に遡ります。修験道の寺院であり、すぐ北にある熊野神社と一体となった神仏習合の施設で、奈良時代に聖武天皇から児島の地を寄進されて発展したが、平安時代には衰退しました。
 1221年の承久の乱で後鳥羽上皇(安徳天皇の次の天皇)は隠岐に流され、その子土御門上皇・順徳上皇もそれぞれ土佐・佐渡に流され、孫の仲恭天皇も廃され、おいの後堀河天皇が即位したことは教科書にも記されています。また、後堀河さんの子四条天皇が12歳で亡くなった次の後嵯峨天皇(両統迭立の原因をつくった)は土御門さんの子です。
 話を戻して、承久の乱では後鳥羽上皇の他の皇子も配流されていて、頼仁親王は備前・児島に流されました。そして、争いを避けて先にこの地に来ていた弟・覚仁親王とともに、五流尊瀧院を復興しました。いまの尊瀧院の当主は頼仁親王の子孫です。

20060209001_convert_20121112091251.jpg

 500mほど南にある頼仁親王墓です。宮内庁管轄になっています。

20051225005_convert_20121112090926.jpg

 五流尊瀧院にある頼仁親王歌碑です。「この里に われ幾年を 過ごしてむ 乳木の煙 朝夕にして」。乳木(にゅうもく)は密教で護摩に用いる木。

200549012_convert_20121112090628.jpg

 覚仁親王墓です。

20060209011_convert_20121112091348.jpg

 後鳥羽上皇の一周忌(1240年)に冷泉宮頼仁親王・桜井宮覚仁親王が上皇の供養のために建てた後鳥羽上皇御影塔(五流尊瀧院宝塔)です。国の重要文化財です。

200549026_convert_20121112090725.jpg

 尊瀧院の三重塔ですが、熊野神社側(神仏分離令以後、五流尊瀧院から分離)にあります。

20060209013_convert_20121112091543.jpg

 熊野神社の社殿です。

20060209012_convert_20121112091441.jpg

 こちらも国の重要文化財を含む立派な建物が並んでいます。

20051225008_convert_20121112091045.jpg

 児島高徳生誕地の碑。『太平記』で有名な児島高徳は頼仁親王の子孫という説があります。

20051225012_convert_20121112091155.jpg

 最後の写真は、五流尊瀧院から西へ直線距離にして5kmの所にある呼松郵便局です。1935年建築の現役郵便局です。味のある郵便局がうらやましいです。


オマケ 承久の乱後の岡山の新補地頭(新しく補任された地頭)

結城朝光(ゆうきともみつ):乱の首謀者の一人で北面の武士・藤原秀康は備中吉備津宮の地頭職・社務職だった
               →結城朝光が新たに地頭に任命された。
赤木忠長:1221年、穴田郷(高梁市)の地頭。
新見資満(すけみつ):1222年、新見荘の地頭。
足利義氏(よしうじ):1224年、美作国・新野保(にいののほ)など数カ所の地頭。
伴惟時(ばんこれとき):美作国・粟井荘、久世保。
行寛(ぎょうかん)法印:二宮荘。


  1. 2012/11/12(月) 20:34:52|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

最近よかった再発CD

繝槭ャ繧ッ_convert_20121111170531

 ボブ・ウェルチ時代のフリートウッドマックのCDが長い間廃盤だったので、とてもうれしい。『penguin』が入っていないのが残念だが、特に好きな『Future Games』(Woman Of 1,000 Years,Future Games,Sands Of Time)『Bare Trees』(Child Of Mine,The Ghost,Sentimental Lady,Dust)『Mystery To Me』(Emerald Eyes,Hypnotized,The City,For Your Love)が入っているのでかなり満足。1970~73年にかけてのアルバムだ。洋楽が好きだという方には絶対オススメです。たぶん、生涯聴き続けることになる名曲に出会えると思います。個人的には、ボブ・ウェルチが2003年にいい曲ばかりを再録音した『His Fleetwood Mac Years & Beyond』にも大満足しているが、残念ながら限定盤のため今は廃盤中で、中古で法外な値段が付いている。しかし、original album seriesがあればもちろん十分。2,000円前後という値段もいい。もちろん、ウェルチの去ったあとの『噂』が大名盤であることは間違いないが、ウェルチ時代の名曲たちには何物にも代えがたい魅力があります。知る人ぞ知る状態がもったいなさすぎ。

繝ゥ繝ウ繝・ぅ_convert_20121111170603

 ランディ・ニューマンは映画音楽(『トイ・ストーリー』シリーズなど)も多く手がけているので、ちょっとは知られていると思います。この中では『Good Old Boys』『Little Criminals』が傑作だと思う。特に、後者は名曲目白押しです。これがずっと廃盤中だったのだから悲しすぎる。音もずっと昔に出たCDよりは改善されている。音楽雑誌の名盤特集などで見た方もいるかもしれません。『Born Again』も傑作だが、リマスターされないままなのが残念(輸入盤のみ入手可)。

繝昴・繝ォ_convert_20121111170627
繝昴・繝ォ繝サ繝ゥ繝_convert_20121111170651

 ビートルズの中心(と勝手に思っています)ポール・マッカートニーについては、有名すぎだと思います。リマスターされたシリーズが少しずつ出てますが、音のよさが感激ものです。解散後に出した2枚ですが、当時は最初の『マッカートニー』は評価が低かったのを覚えています。「ジャンク」「テディ・ボーイ」はビートルズ時代の名曲レベルだが、他は…という感じでした。しかし、今聞くとどの曲も、凡百の者にはない天才的ひらめきに満ちています。『ラム』は当時から高い評価を得ており、名曲以外なしの才能あふれかえる一枚です。それだけに、次のウィングス第一弾『ワイルドライフ』はワイルドすぎて多くの人がガクッとしたわけですが、それでも、「トゥモロウ」などの傑作がありました。個人的には、ウィングス時代に入って『ロンドン・タウン』までは一人でもビートルズ級に思えたのですが、それ以後は…です。2005年の『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード』には感激しまくりました。今後もただ一人残ったビートルズとして期待しています(もう一人スターがいますが、ビートルズ時代の「イエロー・サブマリン」「オクトパスズ・ガーデン」以外いいと思ったことがない…すいません)。
 ビートルズといえば、映画『マジカル・ミステリー・ツアー』がリマスターで出て感激しました。もともと私の中では、アルバムとしても『サージェント・ペパーズ…』『アビーロード』と並んで3大傑作です。たぶん、私が大学生の頃だったと思うが、『マジカル・ミステリー・ツアー』の8ミリ映画を見てものすごくおもしろかったのを覚えています。今見ると音楽はともかくも、だるいシーンが多いなあと思います…。


PS
 ランディ・ニューマンの『Little Criminals』『Born Again』がタワーレコードからリマスター・再発されていました。タワー・レコード、偉いっ!!!



  1. 2012/11/11(日) 20:39:47|
  2. 音楽
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

日柳燕石(くさなぎえんせき)さん(琴平町)

PB100028_convert_20121110193535.jpg

 日柳燕石さんについては以前のブログでも、幕末の勤皇家で、高杉晋作を匿った罪で牢に入れられたりしたことを紹介しました。今回、「ぶらり天領榎井めぐり」に参加しましたので、そのうち燕石さん関連だけ、新しく学んだことを写真とともに紹介します。
 前回も旧宅・呑象楼(どんぞうろう)を載せましたが、もとは別な場所にあったそうです。

PB100007_convert_20121110193309.jpg

 興泉寺というお寺の隣にありました。そして、日柳燕石さんはこのお寺の住職さんとお友達でした。前回、燕石さんをやくざの親分と紹介しましたが、実は父親は、豪商・豪農でした。どうやら、博徒を使っていた関係で、親分的な存在になったようです。

PB100009_convert_20121110193350.jpg

 この井戸枠は日柳燕石が寄付したものですが、後ろに見える塀の向こうに呑象楼はありました。何かあったときは、治外法権であるお寺に逃げ込むことになっていました。

PB100012_convert_20121110193426.jpg

 井戸枠に本名・日柳政章の字が途中まで見えます。

PB100014_convert_20121110193459.jpg

 大きなお寺です。

PB100052_convert_20121110194027.jpg

 さて、呑象楼に入ってみます。

PB100041_convert_20121110193652.jpg

 2階に上がると、窓付きのふたが閉まるようになっています。

PB100042_convert_20121110193729.jpg

 わざと天井を低く作り、刀が使いにくいようにしています。

PB100044_convert_20121110202315.jpg

 秘密の逃げ道。

PB100046_convert_20121110193801.jpg

 向こう側です。2畳ほどの部屋です。鴨居の溝を見てください。右側の戸は溝がありません。ご存知のように戸は右側が手前で、こちらを開けるのが普通なので、ジタバタしてしまいます。

PB100049_convert_20121110193854.jpg

 壁がくるりと回るどんでん返し。

PB100050_convert_20121110193932.jpg

 隣のお寺の見える窓の下には、梯子を隠していました。用心深い?趣味??

PB100036_convert_20121110193610.jpg

 これは、日柳燕石の実家・加島屋の瓦です。

PB100087_convert_20121110194148.jpg

 ここが生家跡です。右の石碑から左へずーーーっと写真からはみ出して広がっていました。

PB100089_convert_20121110194301.jpg

 加島屋から土地建物を買った方のご子孫のお家です。茶室だけが当時を伝えているそうです。

PB100091_convert_20121110194342.jpg

 あとは、呑象楼にもあった瓦が一つ残るのみです。

PB100095_convert_20121110194419.jpg

 見せてくださった新聞です。まだ、建物が残っていたころの様子です。すでに、そうとう危険な状態になっていたそうです。

PB100088_convert_20121110194225.jpg

 生家跡の向かい側です。右から左へと、殿さまの行列が通った道だそうですが、道が斜めに切れて広くなっているのは、近代になってから戦車が通れるようにこうしたそうです。

PB100056_convert_20121110205533.jpg

 日柳燕石さんを讃える石碑です。横に石碑を作った後援者として、高松藩・丸亀藩の最後の藩主の跡継ぎの方をはじめ、膨大な数の名前が並んでいました。


  1. 2012/11/10(土) 20:45:42|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

源平・藤戸合戦

IMG_0247_convert_20121109142209.jpg

 児島の平家本陣跡です。

IMG_0248_convert_20121109142324.jpg

 のちに建てられた地蔵堂です。合戦のとき平家がかがり火を燃やしていたことから、篝(かがり)地蔵と呼ばれています。

IMG_0245_convert_20121109142050.jpg

 他の方角は建物などが迫っているし、今は眺望がいいとは言えません。2005年に撮った写真を紹介しましょう。

200649004_convert_20121109134418.jpg

 まだ広々としています。

200649002_convert_20121109134315.jpg

 合戦当時に近い光景ではないでしょうか?

IMG_0177_convert_20121109135732.jpg

 源氏が布陣した高坪山に上がる道。少し行くと……

IMG_0181_convert_20121109135839.jpg

 この井戸は源氏方が使っていたといわれています。しかし、蘇良(そら)井戸という名前の由来は謎です。

IMG_0192_convert_20121109140121.jpg

 この合戦で有名なのが佐々木盛綱です。藤戸寺に近い「もりつな橋」の上に像があります。平家の陣地・児島は当時は本当の島で、平行盛は敵が船以外で攻めてくることを想定していなかった。しかし、佐々木盛綱は地元の漁師から浅瀬があることを聞き、先陣を切って海峡を馬で渡って攻め込みました。

IMG_0172_convert_20121109135632.jpg

 佐々木盛綱がいくさの前に祈った御崎神社です。

IMG_0166_convert_20121109135036.jpg

 佐々木盛綱がここから海を渡りました。

IMG_0168_convert_20121109135531.jpg

 12月の海は寒かったでしょうね。

2005117002_convert_20121109134717.jpg

 これも少し古い写真を載せました。いまは草で後ろの方が隠れています。

2005117031_convert_20121109134815.jpg

 先ほどの「もりつな橋」の佐々木盛綱です。こんな感じで敵陣に向かったのでしょうか。

IMG_0236_convert_20121109141702.jpg

 以前のブログで藤戸寺を紹介した際に触れた「鞭木(むちき)」跡です。浅瀬の途中で、鞭を海中に突き立てて忘れていったのが木になったという伝承の地です。江戸時代に木は枯れ、その木からつくられたという盛綱像は以前のブログで見てください。一説によると、前日に目印として鞭を立てたのだともいわれています。

IMG_0254_convert_20121109142426.jpg

 ここが児島の、佐々木盛綱が上陸した地点です。

IMG_0255_convert_20121109142548.jpg

 先陣庵といいます。

IMG_0258_convert_20121109142641.jpg

 ここからの眺めです。

IMG_0266_convert_20121109142823.jpg

 倉敷市粒江のこの辺りが激戦地といわれ、岡山県立図書館のHPによると「人馬の死骸が山をなしていた」そうです。
 この戦いに敗れた平家は讃岐・屋島に退きました。

IMG_0210_convert_20121109140541.jpg

 田んぼの向こうに草木がこんもりした所が分かりますか。この辺りも海中でした。

IMG_0212_convert_20121109140708.jpg

 佐々木盛綱は海中の浅瀬を教えた漁師を切ったといわれており、その男の死体が流れついた場所とされています。当時、「浮洲岩(うきすいわ)」と呼ばれる岩がありましたが、豊臣秀吉が聚楽第の庭石にし、その後、京都・醍醐寺三法院の藤戸石という有名な庭石になりました。

IMG_0215_convert_20121109140818.jpg

 石碑が草に覆われつつあります。もとは、草が生えている所が円形に池になっていました。

IMG_0199_convert_20121109140229.jpg

 「もりつな橋」を渡った所にある、藤戸寺の飛び地の経ヶ島です。児島を領地として与えられた佐々木盛綱がすべての戦没者と漁師の霊を慰めるために、供養塔を作ったものです。

IMG_0204_convert_20121109140337.jpg

 左が漁師の供養塔といわれています。

IMG_0183_convert_20121109135942.jpg

 漁師の母が、佐々木が憎い、笹も憎いと、笹をむしり取ったといわれる笹無山です。

IMG_0185_convert_20121109140035.jpg

 とはいえ、そもそも『平家物語』のどこまで事実かは不明で、漁師の話は能の謡曲『藤戸』で有名になり、尾ひれがついています。

IMG_0223_convert_20121109141141.jpg

 以前にも紹介した、佐々木盛綱が戦没者を供養するために整備した藤戸寺です。もう一つ文化財を。

IMG_0228_convert_20121109141343.jpg
IMG_0227_convert_20121109141237.jpg

 寺の向かいの『always三丁目の夕日』ロケ地、藤戸饅頭の店もすでに紹介しましたが、饅頭そのものも有名でおいしいです。

2005117034_convert_20121109134913.jpg

 「もりつな橋」付近にある地図です。藤戸寺と経ヶ島を結ぶのが「もりつな橋」です。

IMG_0221_convert_20121109141026.jpg

 佐々木氏の家紋は丸亀の京極氏と同じ「四つ目結」です。佐々木氏は宇多源氏で、盛綱は3男ですが、長男の子孫が丸亀藩などの京極氏です。


オマケ 藤戸合戦地図をつくってみました。

藤戸合戦地図


  1. 2012/11/09(金) 20:38:16|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

岡山の源平争乱~水島の戦いまで

20051210446_convert_20121108132621.jpg

 岡山市吉備津、平家物語で「有木の別所」として登場する有木山です。1177年、鹿ヶ谷(ししがだに)事件で首謀者の一人として捕まった藤原成親(なりちか)がこの地に流されました。同じく首謀者として鬼界ヶ島に流された僧俊寛はのち自害しましたが、成親はこの地で殺害されました。

2005121041_convert_20121108131947.jpg

 石段の上の囲いの中にちっこい石塔があり、おそらくそれが成親さんのお墓だと思います。山をかなり歩いて登らないといけません。
 私が来たとき、倒れたデカイ木がお墓にかぶさってました。これを「んがっ!」と昔のサザエさんのような声とともに持ち上げて横(写真手前)に落とすと、ボキッと先が折れたので、それだけでも片付けました。幹側は重くて動きませんでしたが、それが写真左に写ってるやつです。
 
2005121044_convert_20121108132043.jpg

 高麗寺の跡です。藤原成親は有木の高麗寺に流されたとする書もあります。

2005121040_convert_20121108131842.jpg

 先ほどの供養塔よりは、ずいぶん麓近くです。
 ところで、「鹿ヶ谷事件」の「鹿」って字が何で「しし」って読まれるのかというと、もともと「しし」とは「肉」のことで、イノシシでもシカでも食えればどっちでも同じだったんですね。動物を見たら、「食い物!」って叫んでたようなものです。

2005121056_convert_20121108132322.jpg

 1179年、やはり後白河上皇と謀って反平家的な行動をとっていた関白藤原基房が流された所です(岡山市湯場)。

2005121057_convert_20121108132425.jpg

 この方は翌年には許されて京に戻り、87歳の長寿を全うしました。

2005121050_convert_20121108132223.jpg

 平家方の武士・妹尾兼康は倶梨伽羅峠で源義仲に敗れて捕虜になりましたが、自分の領地・岡山に近づくと源義仲軍から脱出しました。義仲に従うふりをしてここまで来て反旗を翻したのです。
 しかし、息子とともにこの地で没しました(総社市・妹尾兼康の墓)。太りすぎで動けなくなった息子を助けようとして、敵の大群に突撃して亡くなったのです。義仲さんも「あっぱれ剛の者かな」と感心しました。

2005121049_convert_20121108132135.jpg

 1991年に隣の鯉山小学校で工事があり、その際、校庭から妹尾兼康の頭蓋骨らしきものが発見されました。年代も、骨の年齢も合致し、びっくりでした。

20051011031_convert_20121108132526.jpg

 玉島の円通寺から水島合戦の戦場付近を見ています。源義仲軍と平家軍が戦いました。アーチ型の橋が架かっていますが、その写真右手側が平家の陣地、橋の左手側が源氏の陣地でした。ちなみに、円通寺は良寛さんが修行したので有名です。

IMG_2075_convert_20121108132746.jpg

 玉島大橋の西が柏島(かしわじま、今は陸地)で、橋の付け根に源平・水島合戦・記念碑があります。こちらが平家側です。源平合戦で負け続ける平家が唯一勝った戦いです。

IMG_2086_convert_20121108132844.jpg

 橋を東の対岸に渡ると乙島(おとしま、やはり陸地)です。

IMG_2095_convert_20121108133001.jpg

 橋のすぐ近くの小高い山に源氏軍の陣地がありました。いまは常照院というお寺です。

IMG_2100_convert_20121108133058.jpg

 2月ごろに行ったのですが、梅にウグイスがいました。よく、ウグイスは実際には梅の木にとまらないなどと書かれているのを見ますが、そんなことはありません。ホーホケキョって鳴いてました。

IMG_2222_convert_20121108133215.jpg

 総社市の宝福寺近くに井神社があり、この中に兼康神社があり、妹尾兼安が祭られています。

IMG_2224_convert_20121108133321.jpg

 この付近の用水は妹尾兼康が整備したといわれ、神様として祭られているのです。

IMG_9110_convert_20121108133422.jpg

 神社の目の前にある、現在の高梁川の湛井堰(たたいぜき)です。流れを堰き止めた右手に取水口があります。

 大事なことを忘れるところでした。源義仲さんですが、源頼朝の朝廷工作に驚いて京へ引き返すものの、なんだかんだあって源義経にやられてしまいます。そのすきに平家も一の谷まで戻ったのですが、こちらも義経にやられてしまい、岡山の児島を前線基地とします。






  1. 2012/11/08(木) 21:26:16|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

那須与一の墓など(岡山県井原市)

IMG_9781_convert_20121107130407.jpg

 井原市にある那須与一の墓です。那須与一が軍功により全国に得た5か所の荘園のうち、備中荏原荘は与一の弟とその子孫に受け継がれたようです。その一族によってつくられた供養墓といわれています。

IMG_9784_convert_20121107130505.jpg

 受験生がお参りに来ると書かれていますが、ここまで車で来るのはかなり大変です。ほとんど秘境です。

IMG_9764_convert_20121107125958.jpg

 一族の菩提寺・永祥寺です。ここには簡単に来ることができます。ここから先ほどの与一公の墓まで直線では近く、おそらく、山道をすたこら歩いた昔の人にとっては、決して不自然な場所ではなかったのでしょう。いま、車で行ける道はわざと遠回りさせているかのように激しくうねりまくっています。

IMG_9766_convert_20121107130108.jpg

 受験生向けのお守りをセールスしています。

IMG_9774_convert_20121107130300.jpg

 那須与一が扇の的を射たときの片袖を祭ってる、袖神稲荷です。受験生もここなら来やすいです。

IMG_9773_convert_20121107130202.jpg

 この稲荷は、もともと一族の小菅城内にあったと書かれています。

IMG_9785_convert_20121107130616.jpg

 小菅城へと到る道です。クルマが一台しか通れない道を延々進みます。対向車が来たらアウトです。かわす場所が一か所もありません。ジャンケンするしかないです。負けたら、ここに戻ってきます。バックが苦手なら人生最大の危機です。

IMG_9788_convert_20121107130806.jpg

 城跡付近のみ広くなっています。

IMG_9790_convert_20121107130912.jpg

 二の丸です。何もありません。

IMG_9794_convert_20121107131017.jpg

 本丸です。何もありません。風景も全く見えません。『ここかー…』、そして、茫然…。

IMG_9786_convert_20121107130704.jpg

 先ほどの入口に掲げられていた案内板です。那須一族のことが詳しく書かれています。最終的に、関ヶ原で敗れて野に下ったとあります。岡山県では那須さんというお名前の方にときどき出会います。また、他県では旗本として明治を迎えた一族もあるようです。

IMG_9802_convert_20121107131121.jpg

 最後は、荏原那須一族の墓です。距離的には、先ほどの3か所より遠くにありますが、道はいいです。といっても、迷路のようですが。

IMG_9806_convert_20121107131217.jpg

IMG_9812_convert_20121107131400.jpg

 案内板を2つ続けて載せましたが、ここには、ちょっとした休憩所が設けられており、よく観光名所などに見るノートが置かれています。開くと、高松のNHKの方やら、~大学とあったり、外国人が横文字で書いていたりします。マニアックな人しか来ないようです。


オマケ  源平合戦後に岡山に移住してきた関東武士たち(注:まだ後に、新補地頭という第二波があります)

頓宮氏(藤野保=和気町)、松田氏(伊福郷=岡山市)、伊賀氏(長(おさだ)田荘=加茂川町)、那須(なす)氏(荏原(えばら)荘=井原市)、秋庭(あきば)氏(有漢(うかん)郷=有漢町)、庄氏(草壁郷=矢掛町)、三村氏(星田郷=美星町)、伊達氏(野山荘=賀陽町)、富永氏(粟井荘=作東町)




  1. 2012/11/07(水) 20:20:01|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

屋島・源平合戦史跡

IMG_0279_convert_20121106150306.jpg

 安徳天皇・行在所が六万寺にあったとき、平家側の前哨が置かれた場所。初代高松藩主・松平頼重さんがこれを記念して、衡門(こうもん=簡単な門)を設置したそうです。

IMG_0297_convert_20121106150735.jpg

 「弓流しの跡」です。源義経が海中に弓を落とし、必死で拾おうとして敵の平盛嗣に捕まりそうになったという有名な事件現場です。大将の弓がこんなに小さいとばれることを恥じたといいます。武士とは馬上で弓が引ける者のことであったことをよく物語っています。しかし、小学生の持ち物でもあるまいに、名前が書いてなければ持ち主が誰か分からないでしょうに…?

IMG_0294_convert_20121106150533.jpg

 「射落畠(いおちばた)」です。佐藤継信がボディーガードのように、平教経の放った矢から義経を守って自らを犠牲にした場所です。

IMG_0271_convert_20121106150102.jpg

 神櫛王墓の隣にある「佐藤継信の墓」(高松藩主・松平頼重による)。

IMG_0272_convert_20121106150205.jpg

 その右奥にある「太夫黒の墓」。太夫黒は義経が後白河法皇からもらった馬で、佐藤継信の供養を志度寺の覚阿上人に頼むに際し、この馬を置いていったといいます。太夫黒の死後、ここに埋められたそうです。

IMG_0371_convert_20121106152322.jpg

 屋島寺へ向かう遍路道にある「佐藤継信の供養塔」(やはり松平頼重による)。

IMG_0301_convert_20121106151017.jpg

 那須与一が扇の的を射る前に、ここで八幡神などに祈ったとされる「祈り岩」です。

IMG_0306_convert_20121106151207.jpg

 なぜかその先に「祈り岩」のレプリカがタテになっています。

IMG_0305_convert_20121106151106.jpg

 カワセミがくつろいでました。

IMG_0314_convert_20121106151440.jpg

 「駒立岩(こまだていわ)」。ここから扇の的を射たそうです。ずっと向こうに扇の的が描かれています。皇室の祖先神を象徴する日の丸を撃てまいというわけですが、与一は見事に扇の要に命中させました。

IMG_0316_convert_20121106151537.jpg

 那須一族はのちに全国に数か所の土地を得たが、その一つ岡山県井原市には城跡、一族の墓、また、菩提寺の永祥寺には扇の的を射た時の衣服の片袖を納めたという神社があります。

IMG_0364_convert_20121106152108.jpg

 「安徳天皇社」といいます。このあたりに行宮が置かれていたようです。ちなみに、屋島の戦場も(文字違いの)「檀ノ浦」といいます。
 実は「駒立岩」に行ったとき、『ここまで干上がってると雰囲気でないなあ』と思いつつも、調子に乗って岩に飛び移ってみました。帰りに、少し離れた場所にあったクルマに乗ろうとして、キーが無いことに気づいてビックリ。引き返して探すと、川に落としていました。きっと飛び乗るときです。『干上がっていてありがとう!』。余計なことをしたあと、こういう、運が悪いんだか、いいんだか分からないことがよくあります。



 

  1. 2012/11/06(火) 22:30:41|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

浜崎周吉さん(坂出市)

PB040140_convert_20121105154812.jpg

 坂出市の総社神社です。総社神社とか、一宮というものがどこの県にもあります。国司には国内の神社を参拝して回る役割がありました。面倒くさいので平安時代に入ってから、これを簡略化し、国府の近くに神社をまとめて合祀したのが総社神社です。讃岐の国府(国の役所)は今の坂出市にありました。つまり、古代の香川県の中心は坂出(綾北平野)でした。他方、一宮はその国を代表する神社で、11世紀末ごろに定められたのではないかといわれます。

PB040130_convert_20121105154729.jpg

 讃岐国の総社神社内に、浜崎周吉という人を讃える石碑があります。
 以下、『讃岐の民衆史』からの要約です。
 浜崎周吉さんは、1870(明治3)年1月、綾北12カ村の百姓が起こした騒動の代表者でした。明治になっても年貢は軽くならず、藩札の大量発行によるインフレも百姓を苦しめていました(藩がなくなるのは翌1871年)。そんなとき、村役人は藩と結んで私腹を肥やしていました。
 綾北では、農民の入会地(共有地)が藩有地になったり、村役人が村人に植林させた法印谷(王越町付近)を、後任の村役人が勝手に白峰寺に売ったり、藩が村人に支払うべき工事代金や、貸付米などが農民の手に渡っていないなどの問題が起きていました。
 農民は浜崎周吉を中心に団結し、嘆願書を書く一方、1月5日、3000人が集まり、本来の村の財産である山林を伐採しました。白峰寺の住職も事実を知って農民側に付きました。藩はなんとか懐柔しようとしましたがうまくいかず、農民側は1月25日にも山林を伐採しました。
 藩側は鉄砲隊を投入して農民を抑え、浜崎周吉・正本伴吉を捕えました。農民たちは、彼らの助命嘆願をしました。しかし、白峰寺住職も捕えられて殺されてしまいました。
 藩側は、藩有林を半分にし、村役人は法印谷の代金を農民に返す、工事代金はよく調べる、貸付米は貸す、伐採した松は貧民に分けることを約束しました。しかし、浜崎周吉は6月23日に謎の獄死を遂げました(34歳)。また、その前に奥さんは心労から病死していました。
 村の人々は周吉の墓をつくって供養しました。


  1. 2012/11/05(月) 21:28:35|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

讃岐抜刀道・丸亀城鉄砲隊・高松鉄砲隊(高松市香南町)

PB040021_convert_20121104153317.jpg

 高松市香南歴史民俗郷土館主催で、抜刀と鉄砲の実演が香南町・月見ヶ原公園で行われました。最初は、日本抜刀道連盟香川県支部・讃岐抜刀道のみなさんの実演です。
 スパッ。

PB040030_convert_20121104153355.jpg

 ピシッ。落ちる前に、もう次の動きに入ってます。

PB040039_convert_20121104153820.jpg

 シュパッ。

PB040045_convert_20121104153918.jpg

 プシュッ。

PB040050_convert_20121104154045.jpg

 薙刀です。ヤッ!エイッ!ホッ!ヤーッ!
 この掛け声は、冗談で書いたのではありません。私は学生時代に古武道を習いました。竹内流(たけのうちりゅう)2段です。棒術・柔術・小具足(こぐそく)しかしていませんが、掛け声が決まっていて、最初はヤーッ、中はホッ!を繰り返し、とどめでエイッ!と言います。今日見た薙刀では掛け声の順番は特に決まってないようですが、やはり、ヤ・ホ・エイの3種類だったので、けっこう多いのかも知れません。

PB040059_convert_20121104154130.jpg

 両方から同時斬り。大変難しいそうです。讃岐抜刀道は全国的にもハイレベルだそうです。

PB040061_convert_20121104154219.jpg

 刀を納める前は、写真のように刃先を下げます。これは昔、教わりました。重いので、意味もなくやたら持ち上げたりしません。

PB040072_convert_20121104154400.jpg

 次は鉄砲隊です。実は、郷土館で火縄銃展をしているので、今日はそれに合わせた行事です。いきなり、一斉射撃です。始め、打つ方向に子どもさんたちがいたので、「そこにいたら撃たれるので、のいてください」と注意していました。もちろん、空砲ですが、煙も行くし、何か飛んでいってもいけないので、用心のためです。さすが、香川県人、おもっしょい(おもしろい)ことを言います。

PB040074_convert_20121104154458.jpg

 弾ごめ中。

PB040076_convert_20121104154544.jpg

 膝構えつるべ撃ちです。

PB040077_convert_20121104154729.jpg

 火縄セット中?

PB040078_convert_20121104154846.jpg

 千鳥構えつるべ撃ち。

PB040079_convert_20121104154957.jpg

 今度は馬上筒です。ここまで短いと、正直、短筒と馬上筒の違いが分かりません。

PB040080_convert_20121104155058.jpg

 音はデカイです。

PB040084_convert_20121104155150.jpg

 ついに大筒の登場です。どういう時に使ったのでしょう?
 郷土館の火縄銃展では、命中精度を高めるためにものすごく長いのがあり、ゴルゴ13みたいな名手がいたのかなと思いました。弾ごめが大変ですが。

PB040087_convert_20121104155313.jpg

 予想通り、音がデカすぎです。

PB040093_convert_20121104155526.jpg

 3人ずつの3段射法を見せてくれました。安全第一なので、ゆったりした3段撃ちでした。戦国時代に実践で3段撃ちをしたとき、撃ち終わった人は後ろから撃たれそうで恐かったでしょうね。
 郷土館の火縄銃展によると、鉄砲隊は兜ではなく陣笠で、実践の時は鉄のやつだったようです。

PB040100_convert_20121104155605.jpg

 かっこいいです。実は、終了後に不発だったのを撃っているところ。

PB040102_convert_20121104155650.jpg

 お片づけをする鉄砲隊。

PB040104_convert_20121104155730.jpg

 戦い終わり、笑みがこぼれる。そういえば、実演前に、甲冑姿のままのっしのっしとトイレに向かい、並んでいる最中に、後ろの子どもにちょっかいを出されている方を目撃しました。トイレに不便はないようです。

PB040105_convert_20121104155809.jpg

 大筒です。火縄銃展によれば、戦国末期に香川県には鉄砲が560丁ほどしかなく、江戸時代もそのままだったそうです。幕末には2000丁ほどだったようです。しかし、現存するのは50丁ほどらしいです。

PB040127_convert_20121104155845.jpg

 ここが高松市香南歴史民俗郷土館です。由佐城跡に作られています。


  1. 2012/11/04(日) 21:30:28|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

讃岐国分寺・史跡まつり

PB030006_convert_20121103195951.jpg

 地域の獅子舞が披露されました。青年・少年がパワフルに踊りました。

PB030020_convert_20121103200045.jpg

 菊花展もありました。懸崖づくりがなんともきれいでした。

PB030021_convert_20121103200218.jpg

 厚走りもいいです。色が鮮やかです。昔は菊人形をよくやっていて、子どもの目にはどうにも理解しがたいものでした。菊人間て感じでした。

PB030041_convert_20121103200254.jpg

 石造りの10分の1復元模型です。塔が以前よりリアルになった気がしますが…気のせい?

PB030057_convert_20121103200413.jpg

 伊藤公朗さんによるシタール演奏。ヒマラヤの聖者などのもとで8年修業されたそうです。ラーガに聞き入ってしまいました。2曲演奏しましたが、特に、2曲目のタイトルが「慈悲」という意味の曲がよかったです。

PB030060_convert_20121103200455.jpg

 メイン行事の一つ天平行列です。

PB030062_convert_20121103200532.jpg

 地域の子どものための祭という側面があり、子ども力餅大会もありました。

PB030064_convert_20121103200613.jpg

 ちょっと歩行距離が短く、もったいない気がしました。アナウンスで衣装の簡単な説明もありました。また、資料館の方で詳しい展示もされていて、10月20日にあった講演の資料もいただけました。学問的なところを押さえている点がすばらしい。

PB030075_convert_20121103200726.jpg

 子ども箏演奏。さっきの行列にも参加していた子どもたちです。演奏はハイ・レベルです。

PB030086_convert_20121103200802.jpg

 メンバーが変わって、こちらはマンガの主題歌でした。フリーマーケットも行われており、ちょっと骨董品ぽいのが気になって見てきました。が、価値が分からないので、やめました。

PB030044_convert_20121103200330.jpg

 空いた時間に、観光案内で北西隅の庚申さんのことを尋ねてみましたが(こちらは成果を得られませんでしたが)、別なことで貴重なお話が聞けました。この地図で右上の10分の1模型の左あたりに、昔、春日神社があったのだそうです。たいてい、寺の鬼門(東北)に神社はあるそうで、国分寺の場合、藤原氏の影響で春日神社(藤原氏の氏神)がつくられたのだという。「えっ、どこの国分寺もですか?」と尋ねると、「それは分からない」ということでしたが、あとでネットでざっと見たところ、どうも該当するようです。

PB030137_convert_20121103201028.jpg

 すぐ近くの国分尼寺の領域に建つお寺です。法華滅罪之寺(国分尼寺の正式名称)と書いてあります(国分寺の正式名称は金光明四天王護国之寺です)。

PB030133_convert_20121103200950.jpg

 国分尼寺のかつての寺域の北東隅に春日神社があると伺い、見に来ました。鳥居の前が田んぼですが、うーん、確かに。

PB030139_convert_20121103201105.jpg

 国分寺のように古代の礎石が盛大に残ってはいませんが、お寺の中に一つ発見(?、書いてるって!)しました。

PB030096_convert_20121103200915.jpg

 その後、丸亀の妙法寺へ与謝蕪村の絵を見に行ってきました。何の囲いもない所に蕪村の絵があって感激しました。ご住職のお話では、ちょうどそのころまで蕪村は歌よりも絵が主だったようです。与謝蕪村は摂津の生まれで、本名は谷口だそうです。20歳で故郷を捨て、帰るところがないので、(本心はクサカンムリなしの)無村の意味でそう名乗ったのだろうといいます。与謝の名は、母の故郷、丹後国・与謝からだそうです。
 また、元三大師(がんざんだいし)画像(丸亀市指定文化財)を見ました。比叡山第18世・天台座主で、比叡山中興の祖として、伝説に彩られた人物のようです。特に、魔を降伏させる祈祷の時、鏡に映った姿が鬼の形相だったとして、「角大師」の絵が護符になっています。角大師ストラップを買ってきました。

PB030094_convert_20121103200839.jpg

 金毘羅さんから宣伝に来られていた(?)方に、写真を撮らせてくださいとお願いしたところ、並んでくださいました。





  1. 2012/11/03(土) 21:35:56|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

屋島の海

IMG_0378_convert_20121102221443.jpg

 高松市の屋島です。有名な源平合戦の史跡を脇に置いといて、屋島の北端を見てみませんか。

IMG_0386_convert_20121102221607.jpg

 屋島をぐるっと回る舗装された道を北端で外れてから、車でそうとう走って、ようやくここに出ます。

IMG_0387_convert_20121102221658.jpg

 道が悪いので、雨の翌日は避けた方がよいでしょう。私は軽四ですが、気をつけないと車の底を打つほどでこぼこです。

IMG_0391_convert_20121102221915.jpg

 ちょっと屋島側を振り返ってみました。これから、歩いてもう少し下ります。

018_convert_20121102214551.jpg

 見えてきました。前を行くのは県外から来た友人です。

IMG_0395_convert_20121102222041.jpg

 ちょっと秘境っぽいワクワク感があります。

IMG_0397_convert_20121102222145.jpg

 そうは見えませんが、けっこう高さがあります。

IMG_0405_convert_20121102222244.jpg

 1863年に、高松藩主・松平頼聡が砲台を設置したとあります。ちなみに、岡山県側の下津井にも岡山藩がつくった大きな砲台跡が残っています。

IMG_0410_convert_20121102222343.jpg

 囲いが無いので、注意。

025_convert_20121102214654.jpg

 吸い込まれそうで恐い…。

042_convert_20121102220703.jpg

 屋島を眺める友人。

034_convert_20121102214806.jpg

 かなり頻繁に船が行き交います。フェリーでしょうか。

IMG_0412_convert_20121102222500.jpg

 浜辺もあります。

IMG_0466_convert_20121102222639.jpg

 レンズのごみではなく、鳥(讃岐弁で「トット」)です。

043_convert_20121102220749.jpg

 庭石のように配置された島々。

IMG_0477_convert_20121102222728.jpg

 こっちは客船?パンダが乗ってます。

051_convert_20121102221041.jpg

 次は、屋島の東に海を隔てた庵治町、平家の船隠しといわれる所です。

049_convert_20121102220915.jpg

 こんなことをする人を想定した彫刻?

067_convert_20121102221215.jpg

 この近所の人がうらやましい、気持ちのいい公園です。

068_convert_20121102221306.jpg

 屋島方向に夕日が沈んでいきます。

063_convert_20121102221125.jpg

 猛禽類、発見。

050_convert_20121102220955.jpg

 夕日中毒になります。

078_convert_20121102221350.jpg

 きれいですねー(讃岐弁で「けっこいなー」)。
 ときどきNHKで宇宙もののドキュメンタリーを見るのが好きで、スター・トレックみたいな世界に憧れたりもするんですが、でも、本当にそんな時代が来ても、日常生活はあんまり変わってないんでしょうね。テレビで、家族ドラマとかやってるんでしょうね。今SF映画で、大宇宙を舞台にした、いやな上司が出てきたり、家族のいざこざが起きたりするドラマとか、『宇宙でも、男はつらいよ』みたいな映画をつくっても誰も見ないわけですが…。



  1. 2012/11/03(土) 00:42:09|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

妙法寺(丸亀市)と半径300m圏内

IMG_4888_convert_20121101204656.jpg

 富屋町商店街の妙法寺は、与謝蕪村が明和3(1766)年~明和5(1768)年にかけて数回訪れています。絵を何点か残していて、国の重要文化財に指定されています(放浪の画家みたいです)。

IMG_4903_convert_20121101204808.jpg

 この11月3日・4日の9:00~16:00に公開されます。

PA280033_convert_20121101205529.jpg

 本町のスペース114(旧百十四銀行丸亀支店1927年築)です。10月28日に、hacomoという会社を中心に段ボール・グッズのイベントをしていました。

PA280030_convert_20121101205452.jpg

 中には丸亀城天守閣が…。

PA280023_convert_20121101205400.jpg

 不用心に金庫が開けっぱなしでした。物置状態です。

PA280002_convert_20121101205240.jpg

 通町では巨大な段ボールおもちゃで子どもさんが遊んでいました。

PA280010_convert_20121101205321.jpg

 有名な恐竜が昔とは多少変わりましたが、王者ティラノサウルスだけはその地位を維持しています。T.レックスというバンドがあったぐらいです(個人的には『TANX』が一番好きです)。ザウルスと発音が濁ってましたが…。

P3130002_convert_20121101204915.jpg

 本町の天平(てんぺい)商店です。204号線を渡って、猪熊源一郎現代美術館の南の通りの、さらにもう一本南の細い道沿いにあります。

P3130003_convert_20121101205007.jpg

 知る人ぞ知る南京豆のおいしいお店です。

P3130006_convert_20121101205142.jpg

 豆類以外にも自家製のお菓子があります。

PA280060_convert_20121101205950.jpg

 私はこのぽん菓子が好きです。

PA280044_convert_20121101205606.jpg

 33号線より南、南条町の金毘羅街道沿いにある堀田製籠商店です。

PA280046_convert_20121101205646.jpg

 古い凧が飾ってありました。もう絵を描く人がいなくなったといいます。

PA280052_convert_20121101205758.jpg

 本来、竹製品のお店です。竹の風鈴(?)を買いました。値段が分からなくなっていて「1,500円もはせんかったはず…」と言いつつ、箱を探されていました。「ああ、これやわ、1,200円ゆうて書いとるなあ、買われるんやったら、よごれとるし、500円にしときます」ということになりました。ずうーっと吊り下げっぱなしで、値札も風で飛んでいったみたいです。

PA280048_convert_20121101205722.jpg

 プラスチックではない、ちゃんとした獅子頭ももう丸亀では作っていないということです。「高松にまだ一軒しとるとこが残っとるゆうたかなー」ということです。

PA280054_convert_20121101205833.jpg

 ネコが悠々と「ほんだらの、また来なよ」と出て行きました。

PA280056_convert_20121101205913.jpg

 すぐ近くに、井上通さん(8.3ブログ)の墓所があります。




  1. 2012/11/01(木) 22:14:02|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

最新記事

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (57)
史跡・文化財など (344)
音楽 (15)
ひょっこり思ったこと (5)
歴史 (40)
自然 (107)
映画 (5)
信仰・民俗・伝統など (69)
哲学する (14)
名勝 (1)

カレンダー

10 | 2012/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR