どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

野崎家旧宅(倉敷市児島)

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 野崎家は江戸時代後期に入浜式塩田で財をなして「塩田王」といわれ、藩から苗字帯刀を許される大庄屋になりました。国の重要文化財である広大な屋敷や、貴重でめずらしい物も多い塩業歴史館などを見て、お茶も味わえる(別料金)という、とてもオススメな観光地です。私は何度か訪れる機会があったのですが、いつも人と一緒だったので、落ち着いて写真が撮れていません。長屋門がいきなり斜めになっています…。

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 確か、この正面あたりに殿様専用の門があったはずです。

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 大広間。まるでお殿様の家です。そういえば、野崎家で初めて、水琴窟(すいきんくつ)というものを知りました。手を洗ったりすると、その水が地下に作られた空洞に一滴ずつ落ちて、きれいな音が聞こえてくるというものです。これも撮影せず、無念。

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 蔵の中でも展示が行われたりしています。手前は、近現代に続く野崎家の当主に関する展示。その他、ひな祭り人形の展示が行われていたりします。

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 庭も広いです。これまた全く写真に残していないのですが、生活の場や、使用人の仕事場なども公開されています。

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 裏に石垣がめぐっており、遊び心で扇形の石をはめ込んでいます。写真は以上しかありませんが、美しい日本のお館をゆったりと巡ることができます。また、塩業歴史館ではクイズを楽しんだり、超巨大な岩塩のかたまりを見たりできます。

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 1892(明治25)年に、初代・野崎武左衛門(1789~1864年)さんを讃えるために、庭園と記念碑(オベリスク)をつくったものです。野崎さんの名前は、味野村と赤﨑村の浜に塩田をつくり野崎浜と名付け、自分の名前も野崎と変えたものです。 

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 かつての野崎浜・東端にあたり、船着き場がありました。写真は1863年に建てられた野崎浜灯明台です。製塩業はいまもナイカイ塩業株式会社として続いています。



  1. 2013/02/28(木) 19:37:54|
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尾道の町歩き

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 尾道造酢株式会社です。レトロ好きの心をくすぐる建物ですが、大阪にも会社を持つ元気な会社です。会社概要に、創業・天正10(1582)年とあります。江戸時代には藩の保護を受けて大繁栄していました。業務用の「カクホシ酢」が料理人の支持を得ているそうです。

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 営業しています。

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 ここにも、いい感じの路地。

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 高さを競ったんでしょうか?

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 奥にあるのは御袖天満宮。寺社が密集しているのも尾道の特徴。

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 昭和な建物、株式会社山本慶造商店。昆布を扱っているようです。江戸時代は北前舟で栄えた町なので、昆布の商売も発展したはずです。

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 「こら、起こすんじゃねー」という目。

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 近頃、歩いているのより、宅急便の絵の方がよく見る黒猫。

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 岡山県笠岡市に生まれた画家、森谷南人子(もりたになんじんし1889~1981年)さんの旧居です。

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 憩いの場として修復、「南人子さんとこ」としてオープン、みたいな記事を見て飛んで行きました。ちょっと早すぎたようです。まだ、庭は草ぼうぼうで、大きな石がゴロゴロ、猫が4、5匹といった有様でした。中も、関係者の方々が何やら相談中でした(写真右あたり)。

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 左の建物がそうです。おそらく、今はきれいになっていると思います。なぜ、喜んで見に行ったのかというと、南人子さんの絵が大好きだからです。穏やかでやさしい田園風景は、ここに生きてみたかったと思わせる郷愁あふれる美しさです。笠岡市「竹喬美術館」で見ました。竹喬美術館は、有名な小野竹喬さんの絵が中心ですが、よく企画展を開催する意欲的な美術館です。竹喬さんの絵も大好きです。実は、かなり傾向が重なります。

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 出ました坂道。

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 あやしい雰囲気がいいです。

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 柳水井(りゅうすいい)という湧水です。

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 豊臣秀吉が尾道に滞在したとき、この水でお茶をたてたといわれています。

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 『何だ、この大きな家は?』

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 かつて存在した地元の新聞のようです。この配達所もいい建物です。

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 大林宣彦監督の映画『時をかける少女』に出てきます。

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 料亭「竹村」の内部が、小津安二郎監督の『東京物語』に出てきます。

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 すぐ近くの料亭「魚信」は、大林監督の映画によく出てきます。






  1. 2013/02/27(水) 20:08:59|
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尾道(広島県)と作家たち

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 岡山・香川の史跡を中心にといいつつ、鞆の浦(福山市)まではみ出し、ついに尾道まで話が広がりました。まあ、「中心に」という表現なのでお付き合いください。岡山で暮らしていたころ、尾道近辺まではよく行きました。目の前の島々と海峡とが、独特の光景をつくります。

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 尾道といえば坂道。

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 そして、猫。

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 尾道市文学公園です。倉田百三の碑があります。百三さんは尾道には1年間ほどしかいませんでしたが、作品中に登場します。私は若いころに『出家とその弟子』を読みましたが、親鸞さんが亡くなるラストシーンでは涙・涙…でした。

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 先ほどの公園から石段を登ると、「暗夜行路」の碑が。

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 志賀直哉さんが1912年(29歳)~1914年まで暮らした家です。

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 ここで顔を洗ったんでしょうか。

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 説明によれば、志賀直哉さんはこの三軒長屋・東端に居たとき、『暗夜行路』の構想を練り起稿したそうです。  

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 横に帽子があれば、寅さんです。

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 内省的になるにはいい場所かもしれません。

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 道の真ん中に猫。

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 アララギ派の歌人・中村憲吉さんが晩年を暮らしたところ。

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 といっても半年ほど住んだだけですが(1934年に45歳で亡くなられました)。

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 文学記念室の林芙美子さんのコーナー。東京の書斎が再現されています。

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 林芙美子さんには昔、けっこうはまりました。内容をあまり思い出せなくて残念。『放浪記』で病院か何かに勤めたとき、タマネギばっかり食べていたという話を、なぜか覚えています。

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 メガネや時計など、おしゃれかも(私にそんなことが分かるなら…)。

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 こちらをうかがう猫。

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 映画などにも出てくる「鼓岩(ポンポン岩)」。

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 尾道の写真でよく見るのがこの光景。

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 ここは何かというと…

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 平山郁夫さんの居た場所に立ってみました。

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 さて、坂道から下りてきました。林芙美子さんの像です。このとき、まだ読んだ本のことをいくらか覚えていたので、なんか感慨深かったのを覚えています。

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 商店街の一角で、ちょうど林芙美子展みたいなことをしていました。

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 豊田正子といい、なぜか、貧乏な話に強く惹かれてしまいます。全然、タイプの違う二人ですが、人間や社会の真実が痛いほど見えてくるような気がします。

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 商店街にある「喫茶・芙美子」。つい最近、無くなったと聞きます。

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 いい雰囲気だったので、とても残念です。何も知らずに立ち寄って、驚きました。裏手に古い家があり、「林芙美子の部屋」とあります。「行けるんですか?」と尋ねると、2階に上がってみてもよいと言われました。

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 説明文によれば、大正6年、14歳のとき公営渡船付近からこの家の2階に引っ越し、大正7年3月に市立尋常小学校を卒業し、同年4月に尾道市立高等女学校に入学。その年の9月にまた転居したそうです。

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 すぐに急な階段があります。

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 2階の様子です。養父と母の3人とはいえ、狭い。大きな窓があることは先の写真にあるとおり。子ども時代にパンなどを売り歩いて家計の足しにしていたという話を、不意に思い出しました。

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 『浮雲』を高峰秀子主演で、成瀬巳喜男監督が映画化しています。『放浪記』もそうですが、理性を超えた情念渦巻くカオスな、しかし、真剣で現実感もあるエネルギッシュな世界がすごいです。
 この喫茶店は無くなりましたが、この場所は休憩所などに利用され、林芙美子さんの住んだ家も保存されているようです。





  1. 2013/02/26(火) 13:13:49|
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善通寺の大会陽

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 駐車場に車を停めて西院(誕生院)の区画に入ると、まず、甘酒の接待。マンガのようなアルコール弱者なので、用心してパス。

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 東院に入ると、メインの行事で稲穂が投げられる、五重塔が見えます。

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 露天のお店。ここだけ時間の流れがゆっくりしています。寅さん風な人はいませんが。あと、綿菓子をあまり見なくなりました。

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 金堂です。五重塔とともに昨年、国の重要文化財となりました。普段の休日と変わらぬ光景で、市民のくつろぎの場になっています。

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 少し早く来すぎたので、フリーマーケットを見に行ったら、ゆるキャラが地元の高校の吹奏楽部といっしょにパレードしていました。以前、着ぐるみ恐怖症だと言いましたが、ゆるキャラは”宣伝活動”という範疇で落ち着いて見ることができます。

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 通行人が見て見ぬふりをしていました。

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 いよいよ、お坊さんたちの登場です。

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 この方々を何とお呼びすればよいのか、行列の説明が欲しいところです。

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 大きなお寺だけに、たくさんいらっしゃいます。

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 真っ白な衣服がまぶしいです。ゴールドで洗ったのでしょうか。

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 輿に乗られているのが法主さんだと思います。

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 人々も集合し始めました。

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 割りばしに白い和紙で巻いた新米の稲穂を投げます。豊作と健康や幸福をもたらしてくれる縁起物です。

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 塔は床がないので2階というのは変ですが、バルコニーも準備OKです。

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 嵐の前の静けさ。

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 雨あられと投げられます。

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 あとで餅も投げられます。

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 偉いお坊さんたちも、まだまだ剛腕です。

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 後ろの方で見つめるお坊さんは?
 手前の男の人の影は、しっかりと稲穂を持っています。

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 西院と東院の間にあるカタパンのお店に寄って帰りました。石パン200g、へそまん100gを買って帰りました。480円でした。

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 レトロなデザインがいいです。描いた人は、五重塔とハトが印象に残ってたんでしょう。ちょっと気になるのが「内外砂糖」という言葉。熊岡菓子店の創業は1896(明治29)年で、建物は1913(大正2)年のものです。戦前の砂糖は植民地・台湾でつくられていたので、それと何か関係があるのでしょうか?

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 石パンです。私の知る限りもっとも硬い食べ物です。口の中で溶かしながら食べないと、歯がかけそうです。

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 へそまんです。2択で、おいしいか、まずいかと聞かれれば、まずいとしか言えません。なのに、買っている私。くせになる味、寝たら死ぬぞでないけど、見たら食べたくなる。噛むと、ねしっとして、昭和の味。ばあばん(丸亀の方言で「おばあさん」「おばさん」)が空き缶から出して、分けてくれそうな味。




  1. 2013/02/25(月) 19:41:10|
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滝宮天満宮の梅花祭(香川県綾歌郡綾川町)

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 ここ滝宮天満宮は、菅原道真さんが讃岐国司だったころ(886~90年)の官舎のあとといわれています。948(天暦2)年に菅原道真さんの霊を慰めるために、綾川寺(のちの滝宮神社)の僧空澄さんがここに祠をつくったことに由来するそうです。

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 梅が満開です。

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 本殿です。

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 すごい。

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 ちょっと今風な顔立ちの道真さん。

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 いろんな色が楽しめます。

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 空の青を背景にいい色具合。

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 智泉さんが空海さんから「うどん」の作り方を教えてもらって、父母に食べさせたのが、うどんの日本デビューなのだ…たぶん。

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 こういう石碑が立っています。

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 菅原道真さんといえば、901(昌泰4)年の「昌泰の変(やめて901くれい!)」で大宰府左遷が決まり、「東風(こち)吹かば・匂ひをこせよ・梅の花・主なしとて・春を忘るな」と詠んだことが有名です。このころまで花といえば梅でしたが、道真さんによる遣唐使廃止(894白紙に戻す年)後の国風文化では花の代表は桜になります。また、903(延喜3)年に道真さんが大宰府で亡くなると、その後、醍醐天皇近辺の人々が謎の死を遂げたり、清涼殿に落雷があって公卿が何人も亡くなるなどして、道真さんが天神様(雷の神様)として祭られたことはよく知られています。

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 雅楽や舞いが奉納されました。

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 実は、NHKのニュースで催し物があることを伝えていたので、来てみました。

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 ニュースでは、練習風景なども取り上げられていました。

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 後ろの方から撮っていたので、たくさんの方の後頭部が写っているのばかりでした。

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 伝説では、道真さんは城山(きやま)に登って雨乞いをして、日照り続きで困っていた香川県民を救ったといわれています。雨の少ない香川県では、戦前まで雨乞いの儀式がしょっちゅう行われていました。




  1. 2013/02/24(日) 20:45:56|
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1回休み

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 久しぶりに、保存失敗。ありゃ、何事?…キツネごときにつままれた私。時間をかけたのでガックリ…。写真は三木町の太古の森です。ウォーッと言いたくなったので。

PS あれっ!? 保存されてました…。ま、これも置いときましょう。キツネに肩でも揉まれた気持ち。

  1. 2013/02/23(土) 21:58:32|
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高松市の有名建築

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 城の石垣?

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 瀬戸内海歴史民俗資料館(高松市亀水町1412-2)です。1975(昭和50)年に「日本建築学会賞」受賞、1988(昭和63)年に「第一回公共建築賞優秀賞」、1998(平成10)年に「公共建築百選」と、輝かしい歴史を持ちます。

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 南側の入口。五色台の上に建ち、向こうに海が見えます。設計者は山本忠司氏(1923~1988年)です。

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 灯台の上の部分が2つ置いてあります。

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 高松港の灯台だったものです。

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 本当に城跡のようです。

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 たぶん、ここが本当の入口だと思うのですが工事中で、横から入りました。中もすばらしいのですが、撮影禁止だったり、個人で見るなら可だったりで、出せません。貴重な物が一杯で、『へー』ボタンが欲しいぐらい。また、係りの方はよくご存知なので、遠慮せずひつこく質問した方が理解が深まります。

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 展示室がだんだん上になり、最後は展望台につながっています。東方向、高松市中心部の方を見ています。

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 手前にまんじゅう型の山が2つ。香川の山は三角錐のぽやーんとしたイメージですが、他方で、絶壁もけっこうあるので注意が必要です。

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 中庭に自然の地形を残し、石造物をたくさん配しています。自然の地形はわざと残したそうです。建物内外に広がる自然を意識しやすいようにしています。

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 資料館から坂を下ると岬の突端で、大槌島・小槌島が目の前にあります。伝説では、2つの島の間には「槌の門」といって、竜宮城への入口があるそうです。船に乗って、竜神への雨乞いの願いをしたという物語も伝わっています(高松市歴史資料館のHPを参照してください)。

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 西に瀬戸大橋が見えます。高松市中心部に戻って、あと2つ建築物を紹介します。

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 こちらも有名な建築家、大江宏氏(1913~1989年)による香川県文化会館(高松市番町1-10-39)です。彫刻は流政之氏の「おいでまぁせ」です。

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 喫茶・城の眼(しろのめ)です(高松市紺屋町2-4)。瀬戸内海歴史民俗資料館を設計した山本忠司氏によります。1962年に完成し、インテリアなどにも有名な方々が関わってるそうです。市立美術館も近く、芸術の香りがする喫茶店です。
 またまた、どうでもよい話ですが、若いころに住んだアパートまん前に、ちょっと有名な喫茶店がありました。「ちょっと」というのは、業界の方に有名ということで、県外からも喫茶店経営者が豆を買いに来ていました。マスターは頭脳明晰、知識豊富で、話も上手でした。いろいろと有益な話が聴けたのですが、一つ紹介します。コーヒー豆は焙煎してから1、2週間がおいしく飲める期間だと聞きました。つまり、基本的に自家焙煎の店はおいしいのです。よい豆を選んだり、それにあった炒り方を研究したりして腕を競うのは、その上のレベルの話。本当にうまい店に通い詰めたら、舌が肥えてきます。炒ったばかりのは、蒸らすために湯を注ぐとモリモリと盛り上がって来ます。そのとき気泡とともにうまみ成分が出ているそうです。スーパーで売っているのを買ってくると、全然盛り上がらないのは、基本的に古くなっているからです(焙煎後1、2週間どころじゃないので)。豆がどうとか、焙煎方法がどうとかいう以前のハナシです。自家焙煎の腕のある喫茶店で買うのが一番ですが、そうでない場合、すくなくても盛り上がるかどうかがひとつ基準になります(比較的古くないやつを選ぶ)。私の経験では、比較的安いところでは、スターバックスで買ったのは全く盛り上がらず、ドトールコーヒーの(「○○に入荷しました」とあるやつ)はけっこう盛り上がります。実際、ドトールの方がおいしいです。スーパーの超安いやつでは、トップバリューのが比較的盛り上がります。安いので味はそれなりですが、スーパーのはそんなに変わらない気がします?







  1. 2013/02/23(土) 21:30:08|
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本荘八幡宮・通仙園など(倉敷市児島)

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 高速道路・児島インターを降りて430号線を左に2kmばかり行くと、高速道路の下をくぐってすぐに、通生(かよう)という地名の港があります。ここを訪れたのは暖かい季節でした。港で道が分からなくなり、歩いている方に尋ねました。すると、「わしゃ、ここのもんと違うけんの。ちょっと聞いてみるけー」と、防波堤から身を乗り出して下に向かって叫びました。「ちょっと道聞っきょんじゃけど、あんた知っとるじゃろ」。私も身を乗り出して下を見ると、上半身裸で入れ墨が顔以外を覆っている方がこっちを見て、行きたい所はどこかと尋ねながら、上がって来ました。とても親切に教えてくださり、「いっしょに行こか?」と言ってくださったのですが、丁重にお断りしてペコペコお礼をしました。
 たどり着いたのがここです。右が「本荘八幡宮」、まっすぐが「通仙園」です。

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 701(大宝元)年創建という由緒ある神社です。

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 裏手に、国指定重要文化財の鳥居があります。

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 シンプルで、現代アート風な美しさがあります。

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 「応永廿八年□(1421年)十一月吉日」「願主塩生村住人松井紀義泰辰生年三十□」と彫っています。

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 明神鳥居という形式で、室町時代初期の典型的な姿なのだそうです。

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 ちょっと恐い「通仙園」の案内板。

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 瀬戸内海が美しい。

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 水島工業地帯が目に入ります。児島や水島の夏は、ときどき光化学オキシダント注意報が発令されます…。

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 シュール。実は、「通仙園」はツツジの名所です。本来、ここまで歩く間も花また花で、うっかりすると春に増えるうかれた人になります。4月中旬に来ないと、こんな無言な光景。

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 多島美とすっきりした地面が不思議。

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 向かいの無人島・葛島(かつらじま)です。

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 展望台があります。

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 とりあえず登ってしまう習性。
 この付近、430号線沿いには「梅荘」という、おいしいうどん屋さんがあります。塩田王・野崎家の別荘だった建物で、豪華な気持ちになれます。そこを写真に撮らなかったのは心残りです。

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 ここは、高速道路が下津井に上陸して300mほど、最初の山と山の谷間。階段を登ると、岡山県指定の重要文化財があります。

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 「石造地蔵菩薩立像」です。約60cmの小さなお地蔵様です。1368(応安元)年の銘があります。熱心にお参りをされている方がいらっしゃったので、『また来ようかな』と思いながらも、どんなお地蔵様なのか見ていると、その方がふいに振り向きました。『じゃましてしまった』と気まずくなっていると、「写真、撮りますか?」と超日常的に問われました。「あ、すいません」と、あわてて1枚、ピントのずれた写真を撮りました。


  1. 2013/02/22(金) 20:26:35|
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井笠鉄道記念館(岡山県笠岡市)

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 道路を渡ると昭和に戻れるような感じです。

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 地元の年配者にはうれしいでしょうね。

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 「新山驛」の木の札もいい味出してます。

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 1911年に井笠軽便鉄道株式会社ができ、1913(大正2)年にまず井原・笠岡間を走りました。この1号機関車は開業から1955(昭和30)年まで走った、コッペル社の蒸気機関車です。

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 いわゆる蒸気機関車のもつ豪傑っぽい面構えではありません。癒し系です。

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 この客車は開業から1971(昭和46)年の全線廃止まで使われたそうです。すごい。

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 1971年に走っていたことが奇跡です。大正の香り。

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 この貨車も客車といっしょに活躍し続けたそうです。動く納屋です。よく保存してくれました。

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 詳しくは、お読みください。

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 運転席です。

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 駅舎の中です。右の方に映画のポスターがあります。『花の講道館』(1953年)という映画です。鉄道沿線でロケがあったそうです。60年前なので、撮影を覚えている方も多いと思います。

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 私が子どもの頃は、こういう懐かしい室内燈をよく見ました。

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 駅員さんの帽子。昔は1つの駅に駅員さんが何人もいました。

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 上の段に並んでいるのはペンチではありません。改札ばさみ(切符切り)です。古い映画やドラマを見ていると、都会の改札では駅員さんがはさみを絶えずカチカチ動かしています。あれを見ると、チャップリンのモダンタイムスを思い出したものです。

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 切符がいっぱい。どこの鉄道でも、厚紙のカチッとしたものでした。昔の子どもは遊びが少ないので、厚紙を見るとよく薄くはがして遊んだものです。さすがに切符をはがしませんでしたが、無意識によれよれにしていることがありました…。プチプチをつぶすのと同じ?

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 古い写真が何枚か展示されていました。なんか、落ち着く光景です。
 バスを運営していた井笠鉄道が昨年に破産し、記念館も破産管財人の手に移り、存続が危ぶまれているそうです。最後の駅長だった館長さんは84歳で頑張っておられるようです。ぜひ存続してほしいと思います。


  1. 2013/02/21(木) 19:58:14|
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岡山県の白鳳期廃寺

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 笠岡市の関戸廃寺・塔の心礎(心柱の礎石)です。白鳳時代(だいたい7C後半~710年)から平安時代末期まで存続しました。完全に田んぼの中で、隣に箱庭的な公園?があります。
 この近くには、かつての軽便鉄道・新山駅舎を保存した、井笠鉄道記念館があります。私が行った時には最後の駅長さんが館長をされていました。また、紹介したいと思っています。

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 乙巳(いっし)の変後、大化の改新という政治刷新が始まりました。645年に孝徳天皇の名で、諸国の豪族に寺院建築を奨励する詔が出されました。

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 倉敷市真備町の岡田廃寺です。ここは本当に分かりづらいです。地元住民の方に尋ねながら探すしかありません。いまは、マダニが恐くて近寄れないかも…。
 こちらの近くには、すでに紹介した横溝正史疎開宅などがあります。

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 この説明板以外に何もなく、そっとして置かれています。蓮華文の瓦が何種類か出土し、花弁の数が8弁のものは白鳳時代末、16弁のものは奈良時代のころらしいです。

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 倉敷市日畑の日畑(ひばた)廃寺です。遺跡がどれなのかよく分かりません。ここも探索が難航します。倉敷市がんばって!(ただし、貝塚をはじめ、他の史跡はとても場所が分かりやすく、また、市のHPの充実度はAクラスです。ランク付けしたことないですが…。)

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 場所は、楯築(たてつき)墳丘墓(以前紹介した、弥生時代では日本最大の墓)と、王墓山古墳群という古墳密集地帯の間にあります。歴史のある有力豪族が寺院をつくったと思われます。

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 総社市南溝手の栢寺(かやでら)廃寺です。近くに真新しい岡山県立大学があります。四角い部分が塔礎石を復元したものです。

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 ただ、心礎は石塔の土台にされています。

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 2008年に近辺の道路工事に際し、大量の瓦が見つかり、文字の書かれたものが2点ありました。「評(こおり)」という文字もありました。701年の大宝律令で「国」の下の行政単位とされた「郡(こおり)」は、それ以前は「評」と書かれていたことが分かっています。評(郡)の長にはその地方の有力豪族が任命されており、この寺をつくった有力豪族の館や評(郡)の役所などがあったと思われます。

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 総社市秦の秦(はだ)廃寺です。巨大な心礎と、その右にも礎石を横にして台に使っています。

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 飛鳥時代(だいたい7C前半)にさかのぼるといわれ、岡山県最古です。

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 でかっ。岡山市中区赤田の幡多(はた)廃寺の塔心礎です。

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 近くの賞田廃寺などとともに、有力豪族・上道(かみつみち)氏の氏寺であろうといわれています。上道氏は5Cに造山古墳(全国第4位の大きさ)や作山古墳(全国第9位)をつくった一族です。

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 岡山市中区賞田の賞田(しょうだ)廃寺です。備前国府跡といわれる場所が近くにあります。

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 広大な史跡がよく整備されています。初めて見に行ったときには、草ぼうぼうでした。近くの人に伺うと、草の中を探せば礎石が見つかると言われ、コワゴワと草むらに足を踏み入れると、ウンチの臭いが鼻をつき、さらに、あちこちで草がガサガサーッ、ガサガサーッというので、思わず脱出しました。車に戻っていると、大きな犬が3匹出てきてビックリ。危うく行方知れずになるところでした。こんなに整備していただき、ありがたや・ありがたや。
 余談。寺院建築・仏教が大王(→天皇)を中心とする国家統一の思想的バックボーンだったことは教科書にあるとおりです。聖徳太子の頃の、蘇我VS物部の崇仏論争は有名です。その後も仏教は、奈良時代では鎮護国家を担い、平安時代になっても密教、浄土教などが影響力を持ちました。神様は本地垂迹(ほんじすいじゃく、仏様の仮の姿)という地位でした。武家政権においては禅宗が政府に庇護されました。江戸時代になると幕府は仏教も神道(吉田家を本所)も統制下に置きました。 


  1. 2013/02/20(水) 19:52:17|
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宗吉瓦窯(むねよしがよう)(三豊市三野町)

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 後で最近の様子を紹介しますが、まず、2005年の写真を見てください。当時はまだ、こんな感じでした。屋根が付いている所が、おそらく復元展示を試みている窯跡だと思います。

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 これがどう変身するか、びっくりしますよ。

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 当時の説明板です。まだ藤原宮(694年~)の瓦しか発見されていなかったので、一方的に政府が設置したものという解釈が示されています。この説明板は今では、”かつての解釈”を示すものとして、展示館の裏にこっそりと置かれています。

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 右下にチラッと見える道路が、先の写真の道路です。どうなっちゃたの?というぐらい激変。歴史好きとしては、うれしい限りです。まず、展示館をのぞいてみましょう。

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 藤原宮の塀の瓦です。

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 この模様の軒丸瓦がここから出土しました。「複弁八葉蓮華文軒丸瓦」です。どこで区切って読むのかというと、「複弁(ふくべん)八葉(はちよう)蓮華文(れんげもん)軒丸瓦(のきまるがわら)」と読みます。極楽のハスを上から見た姿をデザインしました。複弁とは花弁が2枚セットでくっついているデザイン。八葉とは、そのセットが8つあること。蓮華文はハスの花の模様(デザイン)のこと。

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 藤原宮では200万枚!の瓦が使われました。短期間で作るためには全国から調達しなければなりませんでした。三豊市のこの辺りには、もともと陶工が集まっていて地元の寺院の瓦も作っていました。

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 瓦の作り方をVTRで再現しています。

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 ジオラマがあります。

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 左端の大きい3つが、最も古いものでC群といわれています。地元の妙音寺(南へ約5km)の瓦を作りました。その右に12あるのがB群。

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 さらに右にA群が9基。A~Cの24基がフル回転して、丸亀の宝幢寺も加え、何といっても藤原宮に大量供給しました。当時としては日本最大規模です。ちなみに、当時は海が目の前にあり、積みこみには便利でした。詫間の辺りまで埋め立てたのは江戸時代の丸亀藩です。ただ、藤原宮へは瀬戸内海を難波津まで進み、大和川、飛鳥川を伝って約200km。瓦を作った拠点としては最も遠方にありました。

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 番号は発掘された順につけられました。B群は18~23の6基が奥にあり、10~16の6基が手前にあります。

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 左端で、階段辺りまでのC群はほとんど分かりません。

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 最も古いC群の17号は約13mあり、当時は日本最大規模です。

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 ただし、角度が緩くて火力が弱く、失敗も多かったようです。

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 次にB群です。右端の16号窯跡は復元展示されています。

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 火のめぐりのよい、短く急角度の窯を数多く作ることで、効率を上げました。

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 奥にある6基で、右端が23号です。

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 焚口を塞ぐ石も出てきました。

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 その右、手前に出た6基。右端が16号です。

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 発掘時の状態がリアルに再現されています。

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 こんな感じ。

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 階段の所にこれから焼く瓦を並べました。

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 藤原宮の瓦が埋まっていました。瓦は単に形が同じだけではありません。

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 木枠のキズとその位置まで、藤原宮出土の瓦と一致します。木枠はだんだん傷むのでキズが増えます。それで、作られた順番もわかりますが、そんな個性的なところまで一致します。こうした一致は、もちろん、県内の妙音寺・宝幢寺の瓦にも見られます。
 最近、難波津辺りで、同笵(同じ枠から作られた)瓦が1つ発見されたそうです。落っことした?

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 さらに右のA群、9基です。

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 灰原は16号の前、展示館の右あたりが大きかったようです。たくさん出てくるので宝の山です。
 さて、地元の寺院は、地元の豪族が作ったものです。宗吉瓦窯C群は、もともとそのためのもので、地元の陶工を使って生産していました。新しい律令国家建設の機運の高まる中で、中央と地方豪族の持ちつ持たれつの関係の中で、藤原宮建設という国家プロジェクトに地方豪族が積極的に関わっていったというのが、現在の香川県関係者の見方です。また、藤原宮の瓦生産に当たっては、中央から指導者がやって来たのではないかと考えられています。




  
  1. 2013/02/19(火) 23:10:37|
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山下岡前(やましたおかまえ)遺跡(東かがわ市)

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 「白鳥廃寺跡」の50m北から、新たな遺跡が発掘されました。手前に「白鳥廃寺跡」の説明板。白い小型トラックのあたりが廃寺跡です。どうも、私の世代は「はいじ」という音にカワイらしさを感じていけません。

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 飛鳥~奈良時代の古代寺院跡の発見は全国で600ほど、なのに、香川県ではそれが30余りも発見されていて、全国平均をはるかに上回っているようです。

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 塔の礎石が見えています。

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 心礎(塔の心柱の礎石)の周りに、柱の礎石もきれいに残っています。

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 本当は、自動車の向こうにも小さな建物の礎石が残っているのですが、何かのお仕事をされている方々がその真上で車座になって休憩中でした。ま、いいかーとなりました…。草の中で作業されているみなさん、マダニに気をつけてください。

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 さて、肝心の史跡。写真を左右(北→南)に横切っているのが、塀の跡です。こちらに向かってくる溝の左側(北側)に1軒、右側(南側)にもう1軒、家が建っていました。

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 東西に細長い北側の建物の柱の跡が、まっすぐに通っています。

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 説明してくださっている方の手の上が史跡です(下は「白鳥廃寺跡」)。上下に走る赤い線が塀の跡。ピンクの四角2つが建物跡。先の写真は、上側(北側)の四角(建物)です。どうやら、寺院に付属した建物のようです。
 坊さんが2人描かれていますが、実際、それぐらいしかいなかったそうですよ。

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 柱の木が残っています。

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 こちらも柱の木。(礎石のない)掘立柱の建物です。僧侶が生活したり、施設や道具の製造・修理をした
場所だと考えられています。

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 南側の建物の一角に、焼けた土などの層が見つかりました。羊羹みたいな部分は、それが分かるように残しています。掘った地面にも黒っぽい部分が見えます。また、鉄さいが発見されています。何か道具などをつくった場所のようです。

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 古墳時代~奈良時代の須恵器です。

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 すべて奈良時代です。

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 瓦は遺跡全体に大量にちらばっていたそうです。完成品の遺物だけではなく、失敗したものや壊れたものを埋めたのがいっぱいあるようです。古代寺院の瓦の模様には、中央の寺院と似たものがあるので、今後の研究が待たれています。湊山下古墳の目の前なので、寺院を作った豪族と関係がありそうです。古墳と同様、寺院は中央との繋がりのなかで作られました。寺院建築や仏像などに関する知識・技術や、仏教に関する情報など、中央とのつながりなしに考えられません。昨日のシンポジウムで学んだことが混ざってますが…。

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 今回の発掘の目玉の一つ。仏像の螺髪(らほつ)です。奈良時代の仏像は塑像(そぞう)か乾漆像(かんしつぞう)です。前者は粘土で、東大寺戒壇院四天王像などが有名。後者は骨組みに布を巻きつけ漆を塗ったもので、興福寺阿修羅像などが有名です。今回発見された螺髪は、仏像のパンチパーマのくるっと巻いた一つです。かなり大きな仏像があったと思われます。坐像で2.5m余りあったそうです。
 心の中で手を合わせました。隕石が落ちませんように。マダニに噛まれませんように。



  1. 2013/02/18(月) 20:16:04|
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湊山下(みなとやました)古墳発掘調査現地説明会(東かがわ市)

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 昨日、中原淳一生誕地からさほど遠くない場所で、現地説明会がありました。白鳥神社から11号線を西に1km程行くと湊川が流れており、これを渡って南へ500m、さらに西へ300m程行った所です。道路工事のための調査で見つかったもので、残念ながら調査後は残りません。
 すでに少し小高い場所に立っています。左の道を登りますが、位置は右の斜面のちょうど真上です。

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 先の斜面を上がった所。さらに上です。腰痛から回復後、最初の山?登り。

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 いきなり出たっ。前期の古墳です。左が竪穴式石室、右が粘土槨(木棺の周りを赤色粘土で固めたもの)です。すでに盗掘にあっており、左の木棺を囲んでいた石は崩れています。右にも石が見えますが、枕元に石を置くケースはあるそうです。魔よけか何からしいです。

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 ご遺体の足元、東方向です。

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 南はのんびりした棚田です。すでに工事のため削られて崖になっています。

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 頭の方向、西は尾根です。南に向かってズルズルと斜面。実は、北側だけ円墳として浮き上がるように整備されていたそうです。その他の面は加工していません。その秘密は…

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 北側に海が見えており、向こうから見ることを想定して作られたからです。11号線辺りが、古代南海道で、そのすぐ北が海でした。海を越えてやって来た人たちが、これを見ながら来ます。そして、湊という地名はおそらく港があったからで、そこに上陸して目の前に古墳が見えるって感じです。
 東西方向にご遺体を2体並べるのは、香川県の特長だそうです。

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 ヒスイ製の勾玉は新潟県姫川など特定の所からしか入手できません。畿内の有力豪族経由のようです。そもそも、古墳の広がりはヤマトとの関連を示しています。

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 管玉とビーズはこんな感じです。ビーズの説明の紙が風に吹かれて行方不明です。

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 縦に掘ったところに赤い筋が見えますが、これが赤色粘土の層です。赤い色を使うのは一般的です。どういう意味があったのでしょうか。

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 近畿地方のご遺体は南北方向なのだそうです。しかも、香川県でも有力豪族のご遺体は南北方向なんだそうです。やはり、ヤマトとの関係の中で、ランク付けがあったようです。
 ただ、ヤマトが中心といっても、古墳時代はまだ個別の親分子分関係に近かったようです。白村江の戦いを経て、国家的組織に編成されていくそうです(これは、本日の香川県埋蔵文化財センター主催の『シンポジウム・讃岐国の幕開け』で聞いた話)。





  1. 2013/02/17(日) 19:54:38|
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「中原淳一生誕百周年フェア ~大正時代の白鳥本町~」(東かがわ市)

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 たまたま1月28日のブログで、中原淳一さんの生家跡はこのへんのはずだけど…と紹介したばかりですが、そのとき頼りにしたマップを作製された「こま犬会」(まちおこしグループ)の主催で、中原淳一の回顧展が行われると知り、出かけてきました。実は、他にも行く所があったのですが、それはまたの機会に。

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 「こま犬会」のみなさんが苦労して集めたもので、入場は無料です。明日もやっています。
 中原淳一さんは1913(大正2)年にこの場所で生まれました(この建物はあとで建てられたもので関係ありません)。しかし、2年後に徳島へ引っ越したので、ご本人に愛着がなかったようで、世間にもあまり知られていません。地元の皆さんとしては、遺族との関係も深めつつ、生誕地をアピールしていこうとしているところです。

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 雑誌『それいゆ』などが展示されています。父親はここでは教師をしていたそうです。持ち家ではなく、土地所有者は郵便局もされていた地元の名士だということです。また、親戚が近くで米穀店をされていたそうです。

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 これも以前、紹介した「白鳥勧商場」という名のお店。前回は、遠慮して遠目に眺めただけでしたが、どうも気になってしょうがなく、好奇心に負けて接近。なんとも言葉にできない昭和の空気。ある種の人間に強い引力を及ぼす異空間があります。


  1. 2013/02/16(土) 21:03:34|
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津島遺跡(岡山市)

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 岡山県総合グランドの中に、かなりの面積で弥生時代の様子が復原されています。弥生時代の水稲耕作は前期のうちに青森県まで伝わりました(砂沢遺跡)。

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 右の遺跡&スポーツミュージアムは、図では大きく思われそうですが、スタジアム内の一角にあります。また、敷地の南の方には第17師団の偕行社が保存されています。

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 水田跡をコンクリートで再現。

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 稲穂を摘み取る石包丁の写真があります。穂首刈りの場合、残った部分はどうしたんでしょうか? 後で刈り取るぐらいなら、最初から根刈りにしますよね。踏み込んで肥料にしたんでしょうか?

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 発掘の様子。

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 有森裕子さんの像が走っています。

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 キビが栽培されています。

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 キビ、アワ、ヒエなんかを焚いて食べたことがありますが、見た目が…。中でもキビがおいしかったです。

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 水辺です。

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 1kmほど東に旭川が流れています。

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 竪穴住居や倉庫群が復原されています。泊るお金がないとき、遺跡で一泊できるかも? ちなみに、雨漏りはしません。雨漏りがしたら白川郷や五箇山の藁葺き屋根は大変です。また、接地面も粘土などで囲みます。どーっと流れ込んできたら、寝たら死にます。

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 親戚一同で住んだのでしょうか。

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 杭が並んでいます。

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 土止めの矢板の代わりに杭を並べた痕跡があったということでしょうか。

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 一番リアルな高床倉庫です。

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 出土した部材を参考に復原したそうです。

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 スタジアムに入るとすぐ、床がガラス張りになっています。

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 レプリカです。

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 高床倉庫のハシゴです。いま壊しましたという生々しさ。

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 発見した人は大興奮したはず。こりゃもう、ガラス張りで保存したいって思ったんでしょう。

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 ミュージアムの中を少し紹介します。木製品がいっぱい。レプリカでしょうが、実際出てきたもの。高床倉庫の部材といい、保存の条件が整っていたようです。

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 左端は、ご飯を盛りつけた高杯(たかつき)。今でも、神棚にこういうものを備えます。そういえば、竪穴住居の柱と梁の形は鳥居そっくりです。

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 炭になってもDNAがわかるんですね。粒がそろっているそうです。

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 紡錘車です。軸を通してコマのように回します。糸を引っ掛けて、撚っていくものです。

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 落書き。ET?

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 ほとんど吉備地方からしか出てこない、特殊器台と上に置かれた器。古墳の円筒埴輪の起源といわれています。また、以前のブログ(2012.9.1)で取り上げましたが、総社市の宮山墳丘墓(弥生時代の有力者の墓)から出土した「宮山型特殊器台」が、ヤマトの出現期最大の古墳・箸墓(はしはか)古墳から出土しています。

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 おとつい、古墳時代の竪穴住居跡を載せました。ちょうど、その絵があったので載せておきます。




  1. 2013/02/15(金) 20:20:09|
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和泉屋敷石塔(丸亀市)

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 丸亀市立資料館に、「和泉屋敷石塔(いずみやしきせきとう)」なるものがあります。
 もともと川西町にあり、その後、城辰小学校に置かれ、現在、資料館で保管されている。石塔類は、近年、酸性雨によって急激に崩壊が進んでいて、修復・保存が重要になってきているそうです。
 摂関家の九条家の荘園がここにあり、九条家が1227年に京都・泉涌(せんにゅう)寺に寄進。1232年に荘園を管理する地頭として、和泉氏が派遣されてきました。この和泉氏の屋敷跡にあったことから命名されました。今は8重の塔ですが、もとは9重の塔でした(必ず奇数にする)。

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 梵字(ぼんじ)。手前(元は北に置かれた)のは「阿弥陀」を意味し、奥(南に置かれた)は「釈迦」を意味します。2つセットの石塔は、寺社の入口に置かれ、聖俗の境界を示すそうです。

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 以上、書いていることのまとめです。


オマケ 武士とは何か まとめてみました

①10Cの税制改革:国司が土地に税をかける……課税対象:人→土地(徴税単位=名) 
②税:官物(←租庸調)、臨時雑役(←雑徭)
③税負担者:田堵(有力農民)=負名:名の耕作請負人→大名田堵(国司と結んで大規模化)
 →11C開発領主=在庁官人(国衙役人、郷司などとして一定地域支配)・荘官(荘園の在地領主)など
④政治の乱れ
 受領=国司の守(介)は徴税請負人、受領以外は遙任(赴任せず収入のみ得る)
 成功(私財を出して官職を得る)→重任(国司などに再任)が横行
 →11C後半、受領も交代のときだけ国衙へ(留守所)→目代が在庁官人を指揮
⑤11C開発領主→在庁官人など=地方武士団形成
 承平天慶の乱などを勝ちぬいた桓武平氏・清和源氏などが棟梁となって地方武士団を組織化(軍事貴族=武家の成立)
⑥11C荘園公領制の確立  
 地方武士団=開発領主は地方の有力者なので、その国で一定の役職を持つ。公領では在庁官人(国衙の役人)や郡司・郷司・保司(一定地域の支配者)である。国司は彼らに頼って一定の税(年貢・公事・夫役)さえ納めれば、あとは彼らに任せた。地方武士の中には、より安定を求めて広大な支配領域(郷など)を中央の有力者に「寄進」する者も増えた。その場合、支配領域を荘園といった。寄進先の有力者を荘園領主(領家→本家)という。「寄進」といっても、あげちゃうのではない。国司に納めていた分(年貢・公事・夫役)を有力者に納めるのだ。つまり、交代する国司との関係や、武士同士の争いなど不安定要因が多かったのだ。といっても、比較の問題なので、ケース・バイ・ケースで、安定度や手元に残る分が多いことが条件なので、すべてが荘園化していない(公領と荘園の割合は諸説ある)。
⑦鎌倉幕府の成立:本領安堵=武士(地頭)の土地支配が法的に確立
 西日本は基本的に朝廷が支配、税(年貢・公事・夫役)は納めるのが原則
 朝廷も「新制」によって(領主ごとの約束ではなく)公的に在地領主との関係を確立しようと努力
⑧承久の乱(1221年)で、朝廷が敗北→西日本に東国武士が新補地頭として着任
 新補率法(新補地頭の取り分の規定)はおそらく、東国での標準だったのではないだろうか。一律に明確な法的基準ができたので、訴訟が増えたと思われる。
⑨地頭の在地支配がだんだん進む→下地中分・地頭請所(中分より早く荘園の消滅)
⑩蒙古襲来・得宗専制・所領細分化・商品経済進展
 →幕府の貴族領への支配権強化・悪党(税を納めない)登場・御家人の不満増大
⑪室町時代:守護大名の登場→荘園公領は一部残るも全国的な重要な仕組みとしては崩壊



  1. 2013/02/14(木) 21:32:31|
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萩前(はぎのまえ)・一本木(いっぽんぎ)遺跡(高松市)

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 去年(2012)5月26日、市教委文化財課による現地説明会に行きました。古墳時代後期の遺跡です。ちょっと地味かなと思い、そのまま忘却…。ふと思い出しました。
 考古学ファンが結構いるなあと感心しつつ、まず、目の前にあったのが「竪穴建物」の跡。竪穴住居で古墳時代の特徴は端っこにカマドを備えていることです。それまでは中央に炉がありました。

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 通常のように、いろんな時代のものが出てきます。古墳時代後期のものとしては、竪穴建物2棟・掘立柱建物3棟などが発掘されたそうです。

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 琴電がやって来ます。仏生山駅がすぐそこです。

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 今回の目玉は、断面がV字の幅約2m、深さ1.7mの溝です。古墳時代後期のものです。

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 おそらく、発掘されていない部分を含め、四角い部分をぐるっと取り囲んでいることでしょう。古墳時代後期の豪族(在地首長)の居館跡と推測されています!
 そうとう貴重です。山川出版の『詳説・日本史』には、「豪族は民衆の住む村落から離れた場所に、周囲に環濠や柵列をめぐらした居館を営み、この居館は、豪族がまつりごとをおこなう所で、生活の場でもあった。また余剰生産物をたくわえる倉庫群もおかれた」とあります。

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 味のあるイメージ図が貼っていました。「あの絵はリアルなんですか?」と尋ねたところ、「単なるイメージです」という、食品パッケージの但し書きみたいなお返事。

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 出土したもの。手前は、古墳時代中期のもの。須恵器(すえき)がたくさん。

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 「杯蓋(つきふた)」というのは、「高杯(たかつき)」のフタでしょうか。「臼玉(うすだま)」は真ん中に穴のあいたシャツのボタン風に加工した宝石で、「管玉(くだたま)」は管状に加工した宝石。両方とも、糸を通して首飾りなどにします。

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 幅広い時代のものが出てきます。

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 室町時代のものまで出土しました。発掘調査は大変です。地面には古代のものから、戦時中の爆弾まで、いろんなものが埋まってますから。土を見て区別できたら素質があるかも?私にはムリです。




  1. 2013/02/13(水) 20:41:19|
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石船積石塚古墳など(高松市)

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 高松市の石清尾(いわせお)山古墳群にはたくさんの古墳が密集しています。自動車で行ける所まで行って、このあと少し歩きます。今回は、石船積石塚古墳だけ見に行きます。

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 すぐ展望台があります。特に、遠くまで風景が広がってはいません。すり鉢状になっていて、家や畑などがこまごま存在します。

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 迷路です。一番高い所まで登ってきました。

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 百を超える古墳があるっていうのも、そうとう珍しいと思います。

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 ここを入っていきます。

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 すぐ掲示板が見えます。

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 後円部に、枕のついた船形の石棺があるそうです。

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 後円部が見えます。

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 写真では分かりづらいのですが、なんとなく道ができていて登りやすくなっています。

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 登るとまず、石棺らしきものが目に飛び込みます。

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 左手にも、小さい石室のようなものが。

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 右が石棺で、左は蓋だということです。濁った水と落ち葉で、中は全く分かりません。

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 前方部です。全体の形状は取っ手付きの鏡そのもので、取っ手にあたる前方部の方が短い感じです。

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 前方部から見ています。ここの古墳群の中で積石塚は4~5世紀のものだということです。
 石棺の石材は国分寺町の鷲ノ山産です。鷲ノ山の麓の石船天満宮に、同じ石材でできた、やはり枕付きの石棺が祭られています。見に行きました。

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 石船石棺といわれています(高松市国分寺町新名1879)。

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 石を刳(く)り抜いてつくった刳抜式石棺で、石舟池(1km程南、上を高速道路が通過)の堤防下で発見されました。両側に突起部があります。

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 鷲ノ山の石でつくった石棺が、石清尾山の石船積石塚古墳を含め県内で8例、大阪府で2例確認されているそうで、石船池周辺が製作工房と推定されているそうです。

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 タテに見たらこんな感じ。

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 枕があります。


オマケ

【前期】3世紀後半~4世紀、瀬戸内・近畿中心、竪穴式石室、
    副葬品=銅鏡(三角縁神獣鏡など)・玉・腕飾り、被葬者=司祭者、
    箸墓古墳(奈良)など
【中期】4世紀末~5世紀、全国化・大型の前方後円墳、竪穴式石室、
    副葬品=武具・馬具、被葬者=武人的性格、
    大仙陵古墳(仁徳陵?)・誉田御廟山古墳(応仁陵?)など
【後期】6世紀、近畿中央部は巨大な前方後円墳、地方は小規模化…連合→大王への服属
    横穴式石室が一般化、多量の土器を副葬(土師器・須恵器)←葬送儀礼、形象埴輪
    地域色=石人・石馬(九州北部)・装飾古墳(福岡県・竹原古墳など)、
    群集墳=有力農民層の台頭
【古墳の消滅】7~8世紀←仏教伝来・大化の薄葬令(646年)








  1. 2013/02/12(火) 18:27:10|
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香川県のお土産など

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 「かねすえ」は高松の商店街でもベスト・ポジションにある有名なお菓子屋さん。香川大学や地元企業が中心となって開発したレアシュガーは、最近、すごく注目を浴びていますが、さっそく使用していることをアピール。

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 「大禹謨(だいうぼ)」については、以前のブログでも触れました。江戸時代初期の西嶋八兵衛が香東川の治水工事の成功を願って川の上流に「大禹謨」の石碑を設置したものが近年発見され、栗林公園内に置かれています。お菓子についていた説明文によれば、中国で治水工事の功績から夏王朝の王となった禹王にちなみ、治水工事の時「大禹謨(謨は”はかりごと”)」という石碑を建てる習慣ができたのだそうです。

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 栗林公園の石碑です。

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 似ていますか。材料には、香川県産小麦やオリーブを用いるなど、こだわりがあります。味は「香川県産品コンクール最優秀賞」だけあって、シナモンの味が効いた特徴のあるおいしさです。毎日おやつで食べれば飽きるかもしれませんが、お土産には喜ばれると思います。
 そういえば、トレハロースが使用されていますが、開発した岡山市の林原が2011年に会社更生法の適用を受けて驚きました。変なコマーシャルが記憶に残っていて、宇宙人のマスコット人形までもらっていたので、ショックでした。レアシュガーは気をつけて欲しいと思います。

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 知る人ぞ知る「村瀬食品」の納豆です。お土産というより、おやつ向けで、味は抜群です。小さいのが300gで、大きいのが600gです。そんなに買ってどうする、と言われそうですが、小さいのが250円、大きいのが500円です。味も最高でこの量なら、買いませんか?

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 種類も豊富で、イモの納豆?まであります。

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 難点はこの場所です。信じられない場所にあります。舗装こそされていますが、とんでもなく山中です。それでも、毎日営業していても売れるのです。定評があります。残念なのは、5月~9月が休みだということです。

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 香川県はハマチ養殖発祥の地(東かがわ市引田)です。

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 「道の駅・源平の里むれ」で購入。

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 ”ペンケース”です。今でも「筆箱」で通じるのが、なんか不思議です…。なぜ、死語にならなかったのか、謎です。そもそも、私の子ども時代でも、筆を入れていたわけではありませんが。どうでもいい話ですが、私は高校に入ってからシャーペンを初めて買いました。それまで、そんなものは邪道だと決めつけ、鉛筆しか使いませんでした。初めて使ったときは、コカコーラを初めて飲んだときぐらいの衝撃でした。

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 道の駅でお土産用についでに買いました。

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 香川県産ではありませんが、おもしろかったので紹介します。

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 慶長小判の大きさ・重さ・模様を再現したそうです。歴史好きとしては黙って通り過ぎることができませんでした。バテレンデーに買う人もいるんでしょうか。


PS
 
 ネットでは遠くの方もご覧くださっていることを忘れていました。香川県のお菓子で、私がNO1だと思っているのは、「くつわ堂」の「瓦せんべい」です。讃岐和三盆を使った、少し硬めの(善通寺のカタパンには完敗です)お菓子ですが、そのおいしさNO1の座は今後も微動だにしないでしょう。実物の瓦ぐらい大きいのもあり、味・硬さは全く変わりません。また、最近では、坂出市の復元塩田の塩を使った「さかシュー」(シュークリーム)がおいしかったです。以上、県人なら知らない人でも知っている事実?でした。


  1. 2013/02/11(月) 18:44:19|
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天狗祭り(坂出市)

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 天狗祭り2日目は、マラソン大会がメインの行事。その間行われていたステージの様子を紹介します。最初は、フィリピンの歌手・haranaさん。歌以外に、いろいろとボランティア活動もされているそうです。歌はものすごく上手でした。テレビに出ている人々と比べても全く遜色がありません。

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 次は、ロスバリエンテス・モダン・サルサのみなさん。ダンスはすごいカッコよかったです。

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 見物人が一気に増えました。

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 サルサは一昔前、映画などでも大変はやりましたが、日本ではほぼ東京あたりで止まったかな。若かりし頃、ティト・プエンテとかCDもいろいろ聞きました。いまでは趣味が多様化して、地方都市でも習っているんですね。

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 鴨川福神太鼓保存会のみなさんです。変化に富んだ演奏で、これもカッコよかったです。

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 スポーツ・チャンバラというものがあるのを初めて知りました。元気のある方は、ストレス発散によさそうです。

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 最後は、劇団テアトル・ローマンによる演劇。悪者登場。

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 正義の味方、相模坊天狗が登場。

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 まいったか!

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 決まった。スネアーズペンギンではないぞ。

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 すいませんでした。菓子で許してください。観客にも配ります。

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 助さん・格さん、参りましょう。
 こんな感じ?で、楽しめました。

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 連凧も風になびき、黄門様の笑い声が響いていそうな青空。


  1. 2013/02/10(日) 20:40:48|
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お弓神事・沼名前(ぬなくま)神社(福山市鞆町)

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 明日2月10日(第二日曜日)、福山市鞆町・沼名前神社でお弓神事が行われます。福山市は岡山県笠岡市の西隣です。写真は2007年に行った時のもの。

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 的を設置中。

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 町が持ちまわりで弓を引く人を出します。2名の方が的を狙います。いろいろと儀式があったり、作法に則って登場します。後ろの方々はずっと歌を歌っています。

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 緊張の瞬間。

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 2人目の方。

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 結構、中心に当たっています。何に驚いたかというと、矢がまずまずの距離を飛んで来ることです。吸盤でくっつくやつではありません。刺さってます。観客が近いと思いませんか。余所から来た人は「間近でまじか!?」と思うはず。
 1本しか見えませんが、一度的をおろして、刺さった矢を抜いています。

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 矢を集める役割の子どもさん。

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 鞆の浦は本当にいいところです。坂本竜馬関連の建物や「いろは丸展示館」、太田家住宅、保命酒(ほうめい酒)の酒蔵、足利義昭の鞆幕府跡に建つ「鞆の浦歴史民俗資料館」、港の風景、などなど見どころ満載です。

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 写真が傾いてすいません。ぜひ、ネットで調べて、尋ねてみてください。




  1. 2013/02/09(土) 11:32:17|
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羽山渓(岡山県高梁市)

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 テレビの『ナニコレ珍百景』で高梁市の洞窟に藤岡弘さんがもぐっていました。ちょっと前の写真ですが、洞窟を含む「羽山渓」を紹介します。まず、そこへ向かっていると最初に見つける掲示板です。

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 汚れのせいか、なんかよく分からないことになっていました。海底で地層ができ、隆起したのち上の方が浸食でなくなり、また、海底に沈んで地層が堆積。浸食を受けた時期の地層がぽっかり存在しないことから、いつごろ隆起し、また、沈んだのかが分かるという貴重な地層らしいです。

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 でました。手掘りのトンネルです。

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 夜通りたくないです。

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 トンネル入り口のすぐ横にあるのが、藤岡隊長の入った洞窟です。「謎の洞窟があるので、調査してください」ということでしたが、探検後に「内部はこうなっています」と出来のいい洞窟地図がでたとき、「あれっ?」と思った方がいると思います。測量器具を持ち込み、しらみつぶしに歩かないと、あんな地図できないでしょうから。

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 実はすでに現地に貼ってあります。番組はおもしろく作ってました。まあ、ゆるい番組なので、目くじらや目頭2:50を立てることではありません。

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 それより、「気楽にどうぞ」みたいな看板の方こそ問題があるでしょう。テレビで見た限り、結構、危なっかしい場所もあったし、方向音痴だと泣きそうな事が起きそう。

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 画像が粗いですが、上の方に人が登っています…。人知れず、命知らずな人がいるもんです。

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 川に下りることができます。

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 向こうから恐竜が出てきそうな空気でした。

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 地層が逆転しているらしいです。謎。

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 また、下りる所があったので、行ってみました。

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 ここも独特な空気が流れています。

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 ここの水も、人知れず流れているんですね。

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 静かで透明な川でした。

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 そそり立つ石灰岩の層。

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 こういう所もわくわくします。

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 岡山県北には、洞窟がたくさんあります。ちょっと前まで、「~洞」という観光地が結構はやっていたんもんです。私が学生の時、サークルのレクで「井倉洞」へ行きました。洞窟前には河原の広い大きな川が流れ、立派な滝もあります。昼食のカレーをつくって食べたのですが、現地調達の食材を入れないと気のすまない岡本信人みたいな人がいて、気持ちの悪いものができました。今なら、「知らない植物には気をつけましょう」と断固反対するのですが。




  1. 2013/02/08(金) 21:20:11|
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岡山市の戦争遺跡

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 左に写っているのはJT岡山流通基地岡山倉庫、右は慈圭病院の駐車場(岡山市南区浦安南町)です。パイロットの養成所があったころの橋の跡です。1944年に、軍隊のものになり、特攻の訓練が行われたそうです。

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 春日神社(岡山市北区七日市西町)です。春日神社は言うまでもなく藤原氏の氏神です。この辺りは、かつての摂関家の重要な荘園「摂関家殿下渡領(でんかわたりりょう)」(他に越前・河内・大和にあった)の「鹿田荘(しかたのしょう)」でした。荘園の発掘調査も進んでいます。

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 1945(昭和20)年6月29日の岡山大空襲のために建物は焼け、玉垣の一部が壊れました。以下、同日の空襲による被害の跡が残されたものです。

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 表町三丁目の大雲寺です。

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 多くの仏像や灯籠が壊れたり、焦げたりしました。

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 黒くなっているのが焦げた部分です。

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 岡山市北区中央町の蔭凉寺(いんりょうじ)です。

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 やはり、石塔などに焼けた跡があるそうです。

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 岡山市北区田町の蓮昌寺です。この付近の被害は特にひどく、国宝の本堂などがすべて焼けてしまいました。

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 題目石が真っ二つに割れてしまいました。

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 北区蕃山町の本行寺です。蕃山町は熊沢蕃山(ばんざん)が住んでいたことからついた名前です。

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 空襲で山門以外は焼失したため移転、再建されましたが、山門はそのまま使われています。焼夷弾のあとが残ってます。

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 こんな跡が残るものが、空からバラバラと降ってきたと考えると実に恐ろしいです。

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 国の史跡だった岡山藩藩学も焼失しました。今は池と橋が残るのみです。

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 岡山城の守護神・岡山神社(北区石関町)もほとんどの建物が焼け落ちました。この随神門(1745年造立)は奇跡的に残りました。

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 焦げた跡。

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 こちらの灯篭にも焦げた跡が残っています。

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 玉井宮東照宮(岡山市中区東山)の社殿は無事でした。

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 破損した鳥居の一部を保存しています。

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 本殿の屋根に焼夷弾が落ち、修理の跡が分かります。

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 北区中央町の田町橋です。

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 この付近の被害は特にひどく、たくさんの方が亡くなったそうです。橋には空襲の痕跡が残されています。

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 中区御成町の大福寺は、この山門や客殿などを除いて、ほとんど焼け落ちました。

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 焼け跡の残る大地蔵です。

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 平和でありますように。



  1. 2013/02/07(木) 18:29:04|
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岡山大学の戦争遺跡(岡山市)

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 岡山大学のあたりは第十七師団跡地です。教育学部の東にある高い壁もその遺構です。古い話で恐縮ですが、30年ほど前まではこの高い壁が、津島キャンパスの南をぐるっと取り囲んでいました。その壁の内側は、やはり兵舎がずーっと残っていて、そこにサークルの部屋がぎっしり入っていました。ジブリの『コクリコ坂から』は高校ですが、あれと雰囲気は似ていました。

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 教育学部辺り。

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 「忠節」「質素」等々の標語が並んでいます。

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 1932年(昭和7年)に軍人勅諭下賜50周年を記念した碑です。

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 図書館の西にある「入浴場跡」。

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 「旧陸軍第17師団・歩兵第33旅団司令部」ですが、当時はもっと大きかったそうです。

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 「旧陸軍第17師団司令部衛兵所」です。

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 津島キャンパスが広すぎて、敷地を東西に走る道と、その真中から南に向かう普通の道が走っています。写真は南北道路を南から見ています。30年ほど前は、プラスチック容器にうどんが入って出てくる自販機が大人気で、構内にもありました。

  1. 2013/02/06(水) 16:55:59|
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田村神社・節分祭(高松市、2月3日)

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 遅ればせながら、田村神社の節分祭の様子です。個人的に悪いこと続きなので、ちょっと出かけてきました。

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 上手にできています。どなたが製作するんでしょうか。ひげ面です。鬼の髪はなぜ縮れているのでしょう?赤鬼・青鬼は人種(鬼種?)が異なるんでしょうか?

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 お多福さん。お多福さんも、よく考えると、もとは誰なんでしょうか?

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 熱唱する、千昌夫さん。お菓子を持つ手にも力が入ります。どのタイミングで投げるんでしょう?

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 豆まき(菓子まき)が始まるので、人々が集まります。オニさんも手持無沙汰…って、よく考えたら、微妙な。
 関係ない話ですが、鬼の着ぐるみの中に入っている人は、なぜか、いい人のような気がしてしまう。ディズニーランドなどで、かわいいキャラクターに入っているバイトの人って、中で何考えてんだろうと思うと、ちょっと恐い。面白く言っているのではなく、本当に私は、着ぐるみが近付くと鳥肌が立つんです。危害を加えられそうで。ぞっとして、よけてしまいます。変でしょうか?…オニさんには、なぜかホッとします。

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 いっぱい投げてます。ちょっと違いますが、私が子どものころの棟上げ式は、大人が結構大人げなくて、子どもが時々吹っ飛ばされていました。ずいぶん、人間性が穏やかになりました。

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 いまさらですが、節分は季節の分かれ目で、年4回あります。特に、立春の前が重視されました。二十四節季は地球の位置で決まるので、これは旧暦における太陽暦の側面です。したがって、現在の結構正確な暦でも多少のずれがあるので、2月3日か4日になります。旧暦では、1ヶ月が新月から新月の29.5日しかないので(実際は29日の月と30日の月)、もっと激しくずれていました。ずれすぎると、閏月を入れて1年が13か月の年をつくりました。

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 旧暦の新年こそはいいことがありますように(2月10日が旧正月のようです)。
 
 ※前日のブログの最後に、少し付け加えました。よろしかったら、読んでください。




  1. 2013/02/05(火) 18:56:52|
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丸亀歩兵第十二連隊・歩兵第百十二連隊跡地(丸亀市)

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 ピントが合ってませんが、手前が「丸亀歩兵第十二連隊跡地」、奥が「丸亀歩兵第百十二連隊跡地」の石碑です。場所は「丸亀市民ひろば」です。ちょうど、お散歩中の80代の方からお話を伺うことができました。

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 1875(明治8)年から存在する、非常に歴史の古い連隊です。西南戦争から太平洋戦争まで関わっています。そのせいか、図書館で古い地域史の本を見てみると、やはり、戦死者のお名前が西南戦争から太平洋戦争に至るあらゆる戦争に記録されています。私の遠い親戚と思われる姓もかなり載っていました。

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 百十二連隊は、1940年に編成されました。

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 市民ひろばからはお城が見えます。以下、80代の方から伺ったお話です。

 もう80過ぎた人でなければ、こういうもの(連隊跡地の石碑)があっても誰も知らない。33号線(旧11号線)のところが城の北の濠で、東は労災病院の辺りまでがお城で、それが全部軍隊のものだった。子どもだったので、濠の浅いところを渡ってよく訓練を見に来た。広大な訓練場があった。お城の石垣を登る訓練や、土器川を渡る訓練もよく見た。二の丸の配水槽まで水を揚げる大きなパイプと石段があって、これを登る訓練もしていた。大砲を運ぶ訓練では、敵はトラックや列車で運んでいるのに、日本軍は大砲を分解して、人の手で運んでいた。砲身などは、とても人が持てる重さじゃない。高松の空襲に来たB29が、急には曲がれないので大きく旋回するために、ここを通過して行った。こんなところまで飛行機が来るからには、日本の近くはアメリカの空母だらけだろうと思った。
 ここの連隊は、西南戦争から行っている。先の戦争では南方に行って、たくさん亡くなった。男が居なくなって、女性は結婚相手がいなくなった。これから戦争に行く人に嫁ぐ人もいた。親戚にもそういう人がいて、1日ぐらいしかいっしょにいなかった。
 戦後は、学校の建物がなくて、兵舎が3つの学校にあてがわれた。
 
 そんなお話を伺いました(貴重なお話に感謝)。

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 公園の北側にありました。何の遺構でしょう?

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 国道の向こうに、ちょっとレトロな写真館があります。


P.S. 謎の遺構について、丸亀市文化観光課に問い合わせました。

 とても素早い、親切な対応をしてくださいました。
 遺構は、道路を北に渡った市役所南館庁舎建設の際に地中から出てきたそうです。昔の写真と比較した結果、レンガ造りの兵舎の一部なのだそうです。


  1. 2013/02/04(月) 18:43:48|
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ちょうさ会館・豊浜郷土資料館(観音寺市豊浜町)

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 豊浜町は祭りで巨大な太鼓台がいっぱい集結し、勇壮さで知られています。それで、こんな博物館があるぐらいです。

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 実物が展示されていて、太鼓をたたくことができます。祭りが近いころに行くと、待ちきれない地元の方が叩いていたりします。
 丸亀市の私が生まれた地域でも当時、大きな太鼓台があり、てっぺんに乗っているとき電線に引っかかって落ちそうになりました。よく感電しなかったものです。

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 巨大スクリーンと映画館のようなスピーカーを備えています。

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 隣接した豊浜郷土資料館の前に、手押しの消防ポンプがありました。

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 鎌倉時代の武士・関谷兵衛国貞(せきやひょうえくにさだ)が豊浜町関谷地区に綿を伝え、江戸時代には綿花栽培が盛んになりました。

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 社会科の教科書で、よくガンジーさんが使っていたりします。ガンジーさんといえばインドですが、日本の綿花栽培は、開国によってイギリスから安価なインドの綿花(本当は花ではなくて実ですが)がもたらされたことで、すっかり衰退しました。また、肥料の鰊粕が不要になったことで北前舟にも打撃を与えました。

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 機織です。これがないと、鶴も恩返しできません。

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 綿花栽培はほぼなくなりましたが、国内での綿布団の生産は香川県が全国17位、布団綿の生産は8位だそうです。そのなかでも豊浜と高松に集中しています。

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 事業所は狭い豊浜に密集していることが分かります。

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 関谷簡易郵便局付近で11号線を西へ外れて、狭い海沿いの道を行くと、鎌倉時代に綿を伝えた関谷兵衛国貞を祭る「わた神社」があります。綿・塩・砂糖を讃岐三白といいます。他に、「塩竃神社」が坂出、「向良(こうら)神社(砂糖神社)」が東かがわ市にあります。


  1. 2013/02/03(日) 20:51:02|
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二宮忠八飛行館(まんのう町)

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 二宮飛行神社です。国道32号線沿いの、JR琴平駅と讃岐財田駅との真ん中あたりです。二宮忠八(1866~1936年)さんが神職の資格をとって、ニギハヤヒノミコトを祭り、航空殉難者の霊を合祀するために京都の自宅につくったことに始まります。

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 といっても、宗教家としてよりも、世界で最初に実際に飛んだかもしれない飛行機を考えた人として有名です。世界に誇れる話として、国定教科書にも描かれていた人物です。

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 「二宮忠八飛行館」(まんのう町追上358-1、「道の駅空の夢もみの木パーク」と併設)の隣に、忠八さんの像と神社があります。なぜこの場所かと言うと、忠八さんが23歳のとき、丸亀歩兵十二連隊の看護手として、演習でこの地を通り、この樅の木峠で昼食休憩しました。そのとき、滑空するカラスを観察して、水きり石の原理と比較していたとき、初めて、飛行機の原理を考え始めたからです。角度や気流と揚力などについて、かなり、細かい観察や計算が頭に浮かんだようです。

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 丸亀練兵場で初めて飛ばした模型、カラス型1号機。

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 なぜ、こういう才能があったのかというと、12歳で商人だった父親(祖先は武士)が他界してから、苦労して働きながらも学問を積んだからです。また、おじの薬種商で働いたり、測量の仕事にも携わり、いろいろな学問を身につけました。子どものころに作った立体的な凧はよく売れたそうです。

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 忠八さんは昆虫の飛び方も詳しく研究しました。これは玉虫型飛行機です。

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 実際につくった模型は全長2mで、動力はゼンマイでした。

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 先の模型は、1985年に科学技術庁が「つくば万博」で展示したものです。
 さて、忠八さんの研究はどうなったのかというと、陸軍に再三にわたり上申するも却下されたのでした。もちろん、発明で食べてはいけないので、大日本製薬株式会社に入社しました。そこでも才能を発揮して、常務取締役になりました。その後も、石油発動機を動力とする飛行機を設計して、開発研究を陸軍に上申しましたが、これまた、再三の上申が却下されたのでした。
 そのうち、1903年にライト兄弟が初飛行を成功させました。その結果、日本でも研究がされることになったのですが、その中心にいたのは、忠八さんの上申を却下した人でした。運が悪いことに、会社に不正経理が発覚し、上司としての責任をとって損害を賠償したうえ、会社を去りました。

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 忠八さんの書です。
 その後、自営の会社が軌道に乗りました。と同時に、彼の業績に光が当てられ、かつて彼の上申を却下した長岡中将も彼に詫び、「帝国飛行」という機関誌で忠八さんの業績を紹介し、賞賛しました。こうして、日本中にその名が知られていくようになりました。

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 飛行館には、その他にも航空機の歴史が模型で展示されています。南北戦争のときの熱気球、リリエンタールのグライダーです。

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 飛行船ヒンデンブルク号、第一次世界大戦当時のオーストリアの軍用機、ダ・ヴィンチのヘリコプターです。







  1. 2013/02/02(土) 22:25:02|
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観音寺郷土資料館・大平正芳記念館(観音寺市)

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 琴弾公園の近くにある観音寺市郷土記念館です。県外の方はたいてい「かんのんじ」と読みますが、「かんおんじ」と発音してください。すぐ、よそ者だとバレます。隣の「世界のコイン館」は少し悲しいので、思い切ったテコ入れをして観光地化を目指してほしいものです。

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 1914(大正3)年に建てられ、1927(昭和2)年から博物館になり、戦後は図書館兼博物館になって、1980(昭和55)年にきれいに修理されて資料館となりました。
 関係ない話ですが、明治を西暦に直すときは、「やむな(867)く大政奉還」=1867に足します。明治元年は1867+1=1868年。同様に、大正は、11に足します。特に暗記方法はありません。昭和は25に足します(ニコニコ普選でも、ジゴくの治安維持法でも…)。年代暗記は3ケタだけでも可能です(1000年ずれても気づかない方は細かい年号以前の問題を抱えています)。1900年代以降の年号は二桁のみの暗記でいけます。

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 中には、こんなものや…

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 四国八十八ヶ所ブームの火付け役・真念さんの説明と、彼の設置した道標が展示されてます。

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 更新世(200万年前~1万年余り前)は氷河時代で、海から蒸発した水が雪になって陸地に降って、氷って固まったもんだから、なかなか海に戻らなくて、どんどん海面が下がりました。大陸と今の日本列島はつながっていました。瀬戸内海は水深が30mぐらいで、満濃池程度なので、完全に干上がっていました。普通に草木が生えてたので、ナウマンゾウがのし歩いていました。今でも漁網に骨が引っ掛かるそうです。

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 郷土資料館の前にはこんなものが。

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 財田川の左岸の一部を範囲を限って、荷物の積み下ろし場として使用を許す、という石標です。あと二つ現地にあるそうです。

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 ということで、見に行きました。裁判所の付近です。

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 「これより西84間」と彫っています。

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 財田川も河口付近なので、すごい水量です。

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 もう一つの石標。

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 最初の石標の近くにあったお店が気になりました。戦時中の防火水槽だと思うのですが、看板が飛んで行かないための重しになっています。

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 市役所前の大平正芳(1910~80年)記念館です。子どものころに使った机です。私の家でも、最初は床・畳に座って使う机しかありませんでした。中学校の時のある友人は、みかん箱のようなものを机にしていました。
 椅子に座る机が家に来たときは感動しました。私専用のスチール製の机は高校入学のとき買ってもらいましたが、それを30年以上使いました。

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 大平正芳氏は1978年に総理大臣になりました。79(泣く)年には第二次石油危機(第一次は73年、涙年と覚えてください)がありましたが、日本は安定成長に入り、経済大国といわれるようになりました。また、日本で初めてサミットが開かれました。しかし、国会対策では内憂外患のなか、1980年の総選挙中に亡くなりました。

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 「アーウー」を連発し、温かみのある感じでした。おっとりした印象でしたが、当時、過去の総理大臣のしゃべる速度を調べた人がいて、大平総理大臣が歴代で一番早口だと書いていました。
 この年には、黒澤明監督の「影武者」が公開され、友人間でしばらく、「山は動かん」などがはやりました。動くのがたいぎー時など、自由に使ってました…。当時は、戦闘シーンなどがすごくリアルに思えたものでした。

  1. 2013/02/01(金) 21:06:21|
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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