どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

満濃池の桜

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 今昔物語にも、空海が築いたこと、海のように大きく、竜が住んでいると書かれています。

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 満濃池の守り神、神野神社から。鳥居は1470(文明2)年の建造という古さ。

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 満濃池は1184(元暦元)年に決壊、1631(寛永8)年に西嶋八兵衛が修復。しかし、1854(安政元)年の大地震で再び決壊し、1870(明治3)年に長谷川佐太郎が復旧しました。

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 陽光という桜だそうです。

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 満濃池森林公園でたくさんの桜を見ることができます。見物客も多く、桜に囲まれた広場で子どもを遊ばせています。そちらもいいのですが、「満濃池の」桜にこだわりました。

  1. 2013/03/31(日) 21:12:37|
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朝日山森林公園の桜(三豊市)

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 朝日山森林公園の桜は満開でした。

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 資料館です。3階ベランダが展望台になっていますが、狭くて恐いです。大勢上がると危なそう。

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 桜が盛大。人出は多いのですが、賑わい感がちょうどよいくらいです。待たなくて停められる駐車場は常にほぼ満杯というみごとなバランス。


  1. 2013/03/30(土) 21:34:01|
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亀鶴公園の桜(さぬき市)

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 天候が良くありませんが、亀鶴公園の様子をお伝えします。特に解説はありません。

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 向こうに見える三角形の山は白山?

  1. 2013/03/29(金) 22:04:06|
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岡山市水道記念館

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 1905(明治38)年に建てられ、60年あまり使われたそうです。

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 1985(昭和60)年に岡山市水道記念館となり、2005(平成17)年に登録有形文化財になりました。

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 かっこいい。

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 上に書かれている四字熟語?は「坎徳無窮(かんとくむきゅう)」で、水の徳は永遠に続くという意味なのだそうです。

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 供用栓。明治時代に水道がひかれたときは、井戸に代わるものという感じで、ご近所で共同に使うものでした。展示しているのは、ちゃんと水が出て、紙コップで飲めます。

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 井戸のときと似た空気です。

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 こちらは消火栓。

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 旧動力室煙突。八角形煉瓦積みで30mもありましたが、いまは上部が撤去されて12mです。

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 大きなオブジェがあります。省略しましたが、内部にはキッズコーナーもあります。

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 こちらは、岡山市中心部の京橋です。水道が始まった時、旭川の東へと水を運んだ水道管が橋の向こう側に残っています。ちょっと見づらいですが、あとで橋の北側がちらっと出て来ます。
 京橋は、山陽道につけられており、城下町への入口でした。ついでに、この付近を散策してみましょう。

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 岡山城二ノ丸東門跡です。

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 表具師の幸吉さんという人が1785(天明5)年に京橋の上から、羽をつけて飛んだそうです。人類が飛んだ最初なんだそうです。

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 江戸時代の橋脚です。1681(延宝9)年と彫られています。

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 1873(明治6)年、この地に岡山電信局がつくられました。1869年に東京・横浜間、1873年に東京から長崎までつながりました。そのときのことです。
 後ろに、京橋の北側、トラスの水道用鋼製橋が写っています。

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 「迷子しるべ」といいます。「たづぬる方」とあります。訪ね人のことを書いてくぼみに入れたんでしょうか。

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 裏側は「しらする方」になっています。明治25年とあります。

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 こちらの派出所は実は古い建物ではありません。1988(昭和63)年のものです。
 その他、1892(明治25)年に夏目漱石さんがこの辺にあった次兄の妻の家で1カ月ほど滞在しましたという碑などがあります。





  1. 2013/03/28(木) 22:00:01|
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高松市水道資料館

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 前回ちらっと登場した水道資料館を詳しく紹介します。

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 御殿浄水場(現在はお隣)の旧事務室(1917年)と旧ポンプ室(1918年)です。1986年に現在の管理棟が完成し、翌1987年に資料館となりました(1997年に登録文化財)。

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 庭のレンガや石は昔のろ過池に使われていたものだそうです。

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 こちらが旧事務室です。

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 先ほどから見ているポンプ室です。

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 高松では江戸時代の初めごろ上水道がつくられました。

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 江戸時代にはこうした木樋が水を町の井戸まで運びました。

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 以下が新井戸配水絵図です。

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 「高松城および城下町絵屏風」の部分。高松市内の近世上水道については11月28日のブログを見ていただけるとうれしいです。

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 明治時代の「井戸券」というものです。やたら井戸をつくると水が枯渇するので、許可制になっていたようです。

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 ポンプ室内の様子。

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 内部もレトロ。

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 高所恐怖症としては、笑ってしまう恐さ。

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 香東川の伏流水を溜めて、このポンプでくみ上げてろ過池まで送ったようです。

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 エイリアンに見えてきました。

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 江戸時代の井戸のふち石です。ちょっと扱いが無造作?

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 桜といっしょに見に来てください。





  1. 2013/03/27(水) 19:59:09|
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高松市の桜、今日はまだ微妙

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 高松市水道資料館ですが、後ろにあるのが桜の木です。写真の下手さも加勢して、まだイマイチ。ここへ行ったのは何年ぶりかで、駐車場の位置を忘れていて、すぐ北の細い道を下りてしまいました。間違っても、ここにはまってはいけません。道が細くすぐ行き止まる、両側が落ちたらきつい、カーブしている、バックで登るという、久しぶりの恐怖体験をしました。

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 もう一か所、峰山公園の様子を以下報告。

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 咲いているところを部分的に見ると、きれいです。

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 つぼみが多いです。

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 夕方だったので、フラッシュを使ってみました。

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 週末はどうでしょうか?

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 栗林公園とかまだ行っていませんが、やはり、同じでしょうか?

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 テレビでは東京の満開情報ばかりなので、ついどこも満開みたいに思って、夕方、見に行ってしまった…。

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 屋島方面です。

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 というわけで、昨年の屋島です。が、こちらは4月の中の下旬(という表現はないでしょうが)で、盛りを過ぎた写真です・・・。

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 満開の時に行ったら、きれいだと思うのですが、関銭が高いのがネックで、思案中です。




  1. 2013/03/26(火) 18:36:17|
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高山航空公園と黄砂、主基斎田(香川県綾川町)

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 標高280mの高山にクルマで登り、けっこう広くて長細い公園を端っこまで歩くと、高山航空神社があります。併設して陸軍少年飛行兵顕彰碑があります。

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 本来なら、高松空港がきれいに見えるはずが、黄砂に霞んでいます。

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 空港寄りのエリアです。

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 ヘリコプター。私が小学生のころはヘリコブターでした。おばあさん達は「ヘリコブタ」とはっきり言っており、形が子ブタっぽいからかと思っていました。

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 国産初の超音速の訓練機だそうです。

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 セスナといえば、ウルトラQでの大活躍?

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 はじっこまで行っても、木で風景が遮られているようなので、ここで満足。

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 高松空港に、ちょうど飛行機が着陸。

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 飛行機も黄砂で窓が汚れるんでしょうか、勢いで飛ばされるんでしょうか?

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 近くの、主基斎田(すきさいでん)です。大正天皇即位式典の大嘗祭に納める新穀を栽培する主基斎田として勅定されました。

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 毎年6月にお田植まつりが行われています。

  1. 2013/03/25(月) 21:53:18|
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武蔵の里(岡山県美作市大原)

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 ごく普通の真新しい住宅前に「宮本武蔵生家」と書いてあり、何の冗談かと思いました。

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 説明板を読むと、ここに家があったとの事。それ以外の大部分は武蔵(1584~1645年)の略歴が書かれてありました。それによると、元の家は昭和17年に火災で消失したが、大黒柱の「位置」は昔と変わらないという。微妙な情報です。私のような歴史オタクには「…生家跡」として公園化されている方が聖地っぽく、より「ありがたや」感が持てます。ちなみに、武蔵生誕地には諸説あるみたいですが、ここで(このブログで)それを言ってはいけません。

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 道に沿って、一連の見どころがあります。

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 武蔵の姉・おぎんの嫁ぎ先・平岡家です。

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 二男が相続したそうです。

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 説明板にあった九郎兵衛さんが作った池。

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 これも説明板にある「巨木」。

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 武蔵の墓(左)です。右に父母の墓。

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 おじの子孫の方が墓を守っているそうです。

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 武蔵神社です。ちょっと、先へ進みすぎました。旧街道を進む前に、生家跡付近をもう少し。

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 生家跡に近い讃甘(さのも)神社です。宮司の太鼓を打つ姿から、二刀流のヒントを得たといわれます。

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 吉川英治さんの小説をコンセプトにしているようです。

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 私はチャンバラごっこをした世代ですが、カッコいい二刀流が主役で、ジャンケンかかわりばんこでした。

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 「武蔵の里・交流館」にあった2003年のNHK大河『武蔵MUSASI』関連の展示物。一番上のサインが主役の市川新之助(海老蔵)さん、二番目が幼馴染・本位田又八役の堤真一さんです。ここで、峠まで歩いていける距離かどうか確認しました。

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 さて、武蔵が越えていったという釜坂峠に向かいます。

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 ちょっと寂しくなってきましたが、まあ、舗装しているし…

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 本位田外記之助(ほんいでんげきのすけ)さんは武蔵の父・無二斎さんに上意討ちにされたそうです。

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 お墓です。

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 のどか。

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 またしても小説の一節が紹介されていました。これを見た時点では、見晴らしがよさそうな峠に期待が高まっていました。それが、あのような結末になろうとは…

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 旅人が喉を潤した湧水のようです。

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 おなかをこわすといけないので、見るだけ。

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 道は突然、山道に変貌。

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 かなり怪しくなってきました。

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 この草ぼうぼう具合は、怪しいのを通り越して、普段使っている道ではありません。その後も、しばらく進んだのですが、あるものを見て背筋が寒くなって引き返したのでした。突然、道の横が野原になっていて、かつて家が建っていたような場所でした。そこに置かれていたものに、目が釘付けの直立不動になりました。かなり巨大な、クマ用の檻でした。エサこそぶら下がってないものの、ワナを引いたら扉がガーンと落ちる仕掛けのやつです。その扉が上がっていたんです。現役感がすごいオーラ?でした。「踵を返す」という言葉の挿絵のように、引き返しました。何か、ぞーっとしたのです。どこかでクマが見ているような気がして、走ると追って来そうで普通に歩いたのですが、内心、マンガの足が車輪状態でした。
 家に帰ってネットでクマ情報を調べたら、県内で最も出没している地域で、時期的にもクマ出没大サービス期間中でした。実は(以前のブログに載せた)真庭市の出雲街道で山に立ちいる時、クマ情報を気にかけていたのはこの件があったからです。あの後、熊に出くわす夢を見て以降、恐い所に一人では行けなくなりました。それにしても、「武蔵の里・交流館」で峠まで行くからと所要時間を尋ねた時、クマのことも教えといて欲しかった。口数の少ない人です。






  1. 2013/03/24(日) 18:13:15|
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金刀比羅宮の桜

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 金刀比羅宮へ桜などを見に行きました。

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 土産物屋に森の石松さん。

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 神社での商売が許可されている五人百姓。

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 1905(明治38)年に建てられた宝物館。

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 しばし、桜をお楽しみください。

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 祓戸社前銅馬。

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 金刀比羅本教総本部と青銅大燈籠。

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 正月ほどではありませんが、かなりの人出でした。時々耳に入る会話から、県外の方が多いようです。


  1. 2013/03/23(土) 21:28:51|
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新本義民(岡山県)

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 総社市の北部は西へ高梁川をまたいで倉敷市の上に乗っかる形になっている。そこに、西明寺があります。

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 このお寺の裏に、六蔵さん・甚右衛門さん・喜惣次さんのお墓があります(総社市重要文化財)。

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 江戸時代この辺りは、新本村といい、岡田藩(伊東氏)の領地でした。城をもたない小さな藩です。岡田藩は農民の入会地(共有地)を藩のものにしてしまいました(「お留山」)。しかも、享保元年(1716年)には、そこの木を切って運ぶことを農民に命じました。生活に困った農民は4人の代表を選んで、江戸にいた伊東長救(ながひら)という殿様に直訴しました。願いは聞き届けられ、山林は農民のもとに返ってきました。しかし、こうしたやり方が江戸時代の通常ですが、その後、リーダーの4人は処刑され、家族も追放されてしまいました。

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 村民が彼らを神として祭った義民社です。お寺の住職さんから教えていただき、見てきました。寺の敷地をずーっと歩いて行きなされって感じで指差された方へ、なにげに歩いてここに出ました。しかし、後ろを振り返ってびっくり。小学校の敷地内ではありませんか(新本小学校)。いまどき、黙って小学校の敷地なんかに侵入したら、不審者情報に載せられかねません…。

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 彼らが処刑された新本川のほとりに立つ、犬養毅さんの題字による義民碑です。

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 岡田藩・陣屋跡に残る囲炉裏跡です。こちらは岡田小学校の敷地内です。もちろん、事前に電話で許可を得ています。

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 囲炉裏のことは知っていたのですが、井戸のことは知りませんでした。休日出勤でいらっしゃったやさしげな先生が、親切に教えてくださいました。ラッキーでした。余計な心配ですが、二つの小学校は仲がいいんでしょうか。

 農民一揆のことを知るには、藤沢周平の『義民が駆ける』をお勧めします。これを読んで、農民のほうがよほど頭がよくて勇気もあるし、高潔な人格者だと思いました。





 
  1. 2013/03/22(金) 21:34:01|
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岡山孤児院発祥の地(岡山市)

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 岡山県道28号線を牛窓へ向かう途中に、まだ新しく目立つ説明板がある。

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 日本で最初に孤児院を作った石井十次(いしい・じゅうじ、1865~1914年)さんの写真と、発祥の地を示す地図です。

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 この大師堂で、子どもを2人連れて旅をしていた母親に出会い、男の子1人を預かって育てることにしました。そののち、身寄りのない子どもを次々と引き取っていくことになります。そうしたことから、この地を「岡山孤児院発祥の地」としています。

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 宮崎県出身の石井十次さんが岡山医学校で学び、この大師堂の隣で医療活動に従事していたときのことでした。

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 大師堂の内部。

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 大師堂の隣、石井十次さんが居を構えていた場所です。

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 説明にあるように、孤児院を立てた場所はここではありません。もっと中心部の岡山市門田屋敷で、現在、病院が建っています。その病院前にも石井十次さんの胸像があります。岡山市のデジタルアーカイブ(自治体の自然や歴史を紹介するHPとしては最高)にも詳しく載っています。

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 「岡山孤児院発祥地碑」。

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 のち、故郷の宮崎にも施設をつくり、現在まで続いています。

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 『石井のおとうさんありがとう』という映画にもなっていますが、まだ見ていません。石井十次さんとは直接関係ありませんが、孤児を描いた映画で忘れられないのは清水宏監督『蜂の巣の子供たち』です。1948年の荒廃した風景(古き良き風景も見られる)の中、実際の戦災孤児たちが出演しており、映画の冒頭に、この子たちに見覚えのある方はご連絡をお願いしますという旨の一文が出ます。淡々としたロードムービーですが、監督の意図とは違うと思うのですが、人間の純真さに心を打たれました。



  1. 2013/03/21(木) 22:07:34|
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鍛冶屋谷(かじやだに)たたら遺跡(真庭市)

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 「たたら展示館」の向かいに建っていた「旧森江家住宅」。

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 山間農家ということで、今回のテーマと直接関係ないのでした。史跡へ行く前に「たたら展示館」に置いてあったものを紹介したいと思うのですが、展示館の外観を撮るのを忘れたので代わりに向かいのお家を載せました。

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 砂鉄です。たたら製鉄は砂鉄を熱して作ります。砂鉄にも、玉鋼(たまはがね、刀用)の原料になる質のよいものと、銑鉄(せんてつ=ズク、包丁など用)の原料にしかならないものがあります。

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 「母岩」と書いています。鉄鉱石などを含んだ岩石です。

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 たたらの守護神「金屋子神(かなやこじん)」です。

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 風を送るふいご。

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 鉧(ケラ)。鉄の塊です。たたら製鉄では、3日間熱する過程で、要するにこれをドンドン大きな塊にしていきます。最終的に、ケラのなかからいい部分をランク付けしてよりわけます。一番いい部分が玉鋼です。日立金属のHPによると、13トンの砂鉄と13トンの木炭を投入して、2.8トンのケラが得られ、そのうち玉鋼は1トン以下だといいます。

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 林の中を少し歩けば、「鍛冶屋谷たたら遺跡」があります。

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 見取り図です。

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 ワクワクします。

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 「元小屋」とは全体を仕切る事務所で、材料の購入、仕事の采配、製品出荷などをします。「山内(さんない)小屋」とは働く人の寝泊まりした所らしいです。

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 例によって、誰にも会うことはないようです。

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 「金池」はよく分かりません。

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 誰もいない山中は不気味なんですが、それがまた子どもっぽいわくわく感を引き起こします。

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 たたらの守り神「金屋子神」が鎮座しています。

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 水は透き通っています。

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 ところどころ石垣が残ります。

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 向こうに四角い、幼稚園のプール程のへこみがあります。

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 ちょっと分かりづらいですね。先にも挙げた「日立金属」のHPを見てください。「たたら製鉄」の詳しい紹介があります。プロジェクトXの会社は日立金属安来製作所だったようです。

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 稲荷神社もあったようです。

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 「砂鉄置場」。

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 こういうとき、写真を早めにまとめておけばよかったなあと思う。どれとどれが同じものを別角度から見たものやら、訳が分かっていません。

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 この辺が説明板にあった「溶鉱炉跡」のはずです。つまり、ここがたたら製鉄を行った場所です。

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 川の水は反射がなければ写らないほどきれいです。

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 「かなくそ」は現在スラグと呼ばれる、使い道のない部分です。この辺に捨てられたようです。

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 また、林を抜けてクルマに戻りました。時たま、こんな場所でも人に出くわし、すごくビックリすることがあります。特に、人の存在に気づかず、感心して「ほー」とか連発していた時…。

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 ミヤマカタバミ?

  1. 2013/03/20(水) 22:19:06|
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善通寺の涅槃桜

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 善通寺の大師堂の裏に、涅槃桜が咲いています。

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 メジロが蜜を吸いに集まっています。

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 反対になったり、身軽にちょこまか動いています。

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 いっぱい集まっています。

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 なんと1965年に発見された桜です。愛媛県新居浜市の真言宗善通寺派寺院・明正寺で発見され、ミョウショウジザクラと命名されました。1973年の弘法大師生誕1200年のとき、善通寺に寄贈されたそうです。

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 いろいろな仏様が並んでいます。

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 涅槃桜という呼び名は、もともと明正寺で、お釈迦様が入滅した涅槃会(3月15日)頃に満開になることからつけられたそうです。

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 晴れていたら、もっときれいだったでしょう。

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 「涅槃」はサンスクリット語のニルヴァーナの音に漢字をあてたものです。煩悩の消えた悟りの境地や、お釈迦様がお亡くなりになったことを意味します。

  1. 2013/03/19(火) 20:26:45|
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百々手祭(ももてまつり、三豊市、3月17日)

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 午前中に船越八幡宮で同様の行事が行われたのですが、午後の大浜海岸での祭だけを見に行きました。初めて見に来たのですが、神社の前あたりの浜かなと勝手に思い込んでいたために場所が分からず、多少、おろおろしました。三豊観光協会に電話すると、すぐ教えてくださり助かりました。神社の前の道を荘内半島の西側へ抜け、西詫間漁港の南辺りが会場でした。

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 すぐ北の港と山の風景。

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 南を見たところ。

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 古式にのっとって弓を引きます。

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 独特の作法があります。学生時代に古武道を習ったとき、弓の作法にどんな意味があるのか本で読んだのですが、記憶喪失…。

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 弓も心も緊張。

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 的の取り換え。
 百々手祭は厄払い、大漁・豊作、海上安全などを願って、西讃のいろいろな神社で行われているようです。

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 次は扇です。

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 ほとんどご近所の方のようです。ひかえの人から、ユーモア交じりの励ましの声がかかります。

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 けっこう的に当たっています。この後は、最も小さいカワラケです。

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 地域によって、内容の違いはありますが、全部で二百本の矢を射ることは共通しているそうです。

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 画像が粗いですが、右の方に矢が二本飛んでいるのが分かるでしょうか?

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 どなたの矢でしょう。見事にカワラケを真っ二つにしています。

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 和やかな空気の会場で、気心の知れた仲間うちでの楽しい会話をしながらの弓ですが、きりっとした後ろ姿に本気モードが漂っています。

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 東方向を見ています。

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 最後は、華やかな的が登場。





  1. 2013/03/18(月) 18:47:26|
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牛窓町(岡山県瀬戸内市)

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 1887(明治20)年に建てられた、旧牛窓警察署です。

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 この手の警察舎としては県内最古だそうですが、そもそも警察署がよく保存されているのは何か理由があるんでしょうか。

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 警察署が建つ前は、肥後熊本藩の宿舎・肥後茶屋が建っていたそうです。

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 いまは海遊文化館です。入ってみます。

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 牛窓は船大工の町でした。いまも数軒は残っているそうです。

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 船型のだんじりです。秋祭りで使われます。

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 細工がすばらしいです。

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 朝鮮通信使の人形です。牛窓は通信使の寄港地で、唐子踊りが伝わっていることでも有名です。

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 江戸時代にやってきた通信使のうち、牛窓で接待が行われたのは9回だそうです。人数は500人ほどで、これに対馬の宗氏が500人ほど加わります。町家が接待するのはもちろん、岡山藩からも300人以上が接待に出ました。

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 雨森芳洲(あめのもりほうしゅう、1688~1755)は対馬藩に仕え、朝鮮との外交を担当した儒学者として有名です。木下順庵の弟子(新井白石らが同門)です。

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 帆が木綿であると記されています(木綿は当時、高級品)。

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 船に魔よけで鬼の絵が描かれています。瀬戸内海の藩は、自分の領内を通る間の警護に船を100隻ほど出しました。また、民間からも800隻ほど出しました。

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 この船は、火災で燃えた船の代わりに使ったもの。帆が木綿でないのはどうしたことか、と書かれています。

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 国書を乗せた輿は、写真中央で、フラッシュで見づらくなっています。

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 唐子踊りの人形。実際の、唐子踊りを見たことがないのが、残念です。岡山で仕事をしている時、必ず、この日は休日出勤でした…。

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 この付近の港です。

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 通信使の宿舎になった本蓮寺です。

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 重要文化財がたくさんあります。

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 国の重要文化財、中門。

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 祖師堂(県指定重要文化財)。

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 本堂(国指定重要文化財)。

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 海がよく見えます。本蓮寺は大学生のときに友人と宿泊した思い出があります。真夏でしたが、海辺の高台でとても涼しく快適でした。当時、前の海岸には夜、幽霊が出るという話がありましたが、一人で真っ暗な海で海水浴をした豪傑がいました。

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 三重塔(県指定重要文化財)。

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 国の重要文化財、番神堂です。

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 室町時代の作だそうです。

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 古い建物がたくさん残っています。

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 特に観光に利用していなさそうで、保存が心配です。

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 雲行きが怪しくなりました。

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 1915(大正4)年築の中国銀行・牛窓支店です。

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 赤レンガに日本瓦というのがはやったそうです。

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 岡山藩が通信使を接待した御茶屋のための井戸(御茶屋井戸)です。

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 お米屋さんのマークがついた家。

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 いい味出してます。

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 牛窓では本蓮寺以外でも、学生時代に友人とペンションなるものに一泊しました。当時から日本のエーゲ海として観光に力を入れており、晴れた日は本当にきれいです。現在、お寺で宿泊できるのかどうかは知りませんが、ペンションはいっぱいあるはずです。手ごろな価格で料理もおいしかったのを覚えています。



  1. 2013/03/17(日) 21:03:56|
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大麻山(おおさやま)の桜

 桜の名所シリーズ?です。今回は、大麻山(おおさやま)です。9月8日のブログ「大麻山の工兵道」、9月3日の「野田院古墳・大麻山」にも、この山のおもしろさを紹介していますので、ぜひ、読んでください。

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 行き方は、善通寺市のHP内「善通寺市デジタルミュージアム」などでご確認ください。初めての方は、まず野田院古墳とそこからの光景に感激して、時間を費やすことでしょう。頂上へは、さらにクルマで行き止まり(鉄の門が閉まっている所)まで行きます。門があいておれば、もう少しクルマで行けるんでしょうか?私は、それを見たことがありません。いまのクルマが坂道を自然に下るとは思いませんが、用心のため石で車止めをして、ちょっとだけ急な坂道を少し歩けば頂上です。

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 4月中に行った写真だったと思うのですが、まだ、つぼみが多いようです。

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 こんな道が延々3km続いて、金毘羅さんのある象頭山につながっています。

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 丸亀城の桜と比べると、ちょっと隙間が多いかも…。

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 四国新聞のHP内「21世紀へ残したい香川」によると、もともと善通寺市民の手で植えられたもので、「山頂の桜並木は三十年の月日を経て、病気などのため本数が減ったり、樹勢が衰え出した。…桜並木の管理者は…若木を植えるなどの対策も始めている」そうですが、この記事からすでに約10年たっており、当時と比べてどうなのか不明です。私自身、大麻山にはよく登りましたが、桜を見に行ったのは最近で、この写真を撮った1回きりです。また、行ってみようかな。

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 つぼみが多かったことも差し引かないといけない。満開ではもう少し、豪華になると思います。

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 十分、きれいです。

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 左側が、ちょっと弱っているのかも。キツツキがけっこういます。中に虫がいるようです。

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 元気になってほしいものです。

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 3kmも続く桜並木、しかも、標高616.3mの周囲を遮る山がない空中庭園です。ここに豪華絢爛な花びらが分厚く続いていたら、すごい魅力的です。

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 町の喧騒から隔絶した場所に、きれいなハイキングコースがあるだけでも財産。

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 延々続きます。

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 ここら辺りで引き返しました。

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 向こうに飯野山(讃岐富士)、すぐ前にあるのが、左が鉢伏山、右が如意山、その間が買田池です。飯野山から右に延びるラインが土器川で、同じく左に延びるのが高速道路です。

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 宇多津、丸亀、多度津の海岸が見えています。前に紹介した、工兵道もちょっとした探検を味わせてくれますし、野田院古墳まではクルマで来れるので、ぜひ、見に来てください。ただし、山道は舗装され恐い道ではありませんが、すれ違えない部分が多いので、十分な注意が必要です。

  1. 2013/03/16(土) 17:24:39|
  2. 自然
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美甘村、まだこんなものが(真庭市)

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 湯原へと向かう県道55号線にある、「二本杉」と「六地蔵」です。

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 独立した自治体だったころの説明板。市町村合併の弊害の一つに、かつての自治体の方が愛情を持ってつくっていた、地域の歴史などに関するHPが消失したことがあります。

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 合併後の自治体は、きちんと受け継いで欲しいと思います。いまは残念な状況です。

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 廃校になった校舎です。この小ささは分校ですね。

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 備前焼の二宮金次郎像です。老けている?

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 こんな説明板がありましたが、この時は「剣のみささぎ」を探す時間がありませんでした。残念。

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 この付近の風景。

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 タタラ製鉄の遺跡らしき看板を発見。

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 残念ながら、現場には何も残ってません。製鉄遺跡は、ちゃんと残っている所をまた改めて紹介する予定です。
 昔、NHKのプロジェクトXで見たのですが、古代から江戸時代まで続いたタタラ製鉄は、現代の最高水準の技術に匹敵するもので、明治以降の近代の工場生産による鉄をはるかにしのぐものでした。江戸時代までのタタラによる刀は、兜をたたき切ることができました。しかし、近代以降に作られた刀は、逆に、折れていました。プロジェクトXでは、ひげそりのメーカーが、もともと質のいい鉄鉱石から作られる外国のメーカーに打ち勝つために、かろうじて生き残っていた最後のタタラ製鉄の親方に社員を弟子入りさせるというものでした。その社員は苦労の末、その技術を受け継ぎ、会社を辞めて技術の伝承者となりました。会社の方は、たたら製鉄の秘密を科学的に調べ、信じられない純度の鉄の生産方法を手に入れました。人間の経験と感覚というのはすごいものだと思いました。

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 日本最初の稲作地とありますが、縄文時代のイネのプラントオパール(細胞の化石)で、当時、最も古いものが発見されたときの記念碑です。今では、もっと古いものが発見されています。たとえば、岡山市・彦崎貝塚で6000年前の地層から大量のイネのプラントオパールが見つかっています。

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 麓城(ふもとじょう)の城主・三浦忠近さんが尼子晴久さんの攻撃で落城、この石の上で自害したと伝えられています。

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 平安時代の薬師如来のようです。

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 ガラスの向こうで、うまく撮れていませんが、地元の方によって大切にお参りされているようです。

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 周辺の様子。

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 最後は、以前紹介した美甘の旧街道で、まだ、お見せしていなかった写真から。街道の裏手を流れる新庄川。桜の開花時期をはずしています。

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 家々の前を流れる小川と、かつて川の水を使っていた名残り。

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 幕末から明治初期に活躍した蘭方医の診療所兼自宅だった建物。横山廉造(よこやまれんぞう)さんというお医者さんで、香杏館(こうきょうかん)というそうです。津山の洋学資料館によると、山田方谷(やまだほうこく)さんから儒学を、華岡家で医学を学んだそうです。

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 味のある建物をいくつか紹介します。 

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 縁側のある家は前にも紹介したものです。

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 大きな肘木がついています。

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 こちらは現役で何かご商売をされているようです。ロケに使ってもらえそうな、いい感じの建物です。






  1. 2013/03/15(金) 22:20:46|
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美甘(みかも)の出雲街道を歩く(岡山県真庭市)

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 以前から知っていたわけではなく、山中一揆の史跡を訪ねてみようと思った時、たまたま、出雲街道入り口という掲示板を見つけて、ちょっと入ってみたのが最初でした(少し前のブログ)。その時は、降り積もった雪にたじろいで退散したのですが、少し暖かくなってトライしました。ただし、今回も最後までたどることはできませんでした。旧道がどんな空気なのか伝わればと思います。まず、このどこかへ登るんだなあと見上げた山です。

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 左に小川が流れています。

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 しばらく進むと、以前、雪に埋もれかけていた橋が見えます。あれを、左へ行くのですが、その前に、川を上へたどってみます。

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 橋からすぐ上の辺りです。さらに上に滝があるはずです。しめ縄がしてあります。

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 「八反不動滝」です。この写真の右上へ登って行きました。

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 けっこう急斜面で、転がらないよう気をつけてここまで来ました。不動明王などが祭られています。右の方に続く細い道があって上がれるようにはなっているのですが、危険なのでもう満足しました。

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 ここから滝の始まり付近が見えます。このあと、下まで降りたあたりで川の中にこけてしまい、悲惨なことになりました。上から転落しなかったことをありがたく思うことにしました。

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 気を取り直して、橋を渡って旧道を歩き始めました。ちょっと恐い雰囲気。真庭市はクマの出没がないこともないので。

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 「二本松」と名付けられています。昔は、見晴らしのいいポイントだったのでしょう。下に新庄川が流れています。

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 旅人が通った道。

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 「鉄問屋跡」です。このあたりの遺跡は、後ろを振り返って見た写真です。

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 石垣が残っています。往時は人の行き交う街道沿いで、立派な家が建っていたのかも。

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 説明板も壊れています。「砂鉄の仲買商」「相当の支配力を持っていた」「新庄川側で茶屋を経営していた」というような文言が読めます。

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 こちらが「茶屋跡」。

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 やはり、石垣が残っています。

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 両側に、石垣が残っている様子がわかります。

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 さて、また前を向いて前進。

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 しかし、道が崩れてなくなっていました…。近づいて見ると、真っ逆さまな感じで、ちょっとしゃれにならないので、ここで引き返しました。残念!
 あとで夢の中でクマに遭遇し、目が覚めました。現実でなくて、よかったー。それ以来、一人でクマのいそうな山に入るのが恐くなりました…。




  1. 2013/03/14(木) 21:15:44|
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丸亀城の桜

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 石垣の見事さで全国のお城ファンからありがたくも愛されている丸亀城です。以前、石垣の刻印(7.11)・マニアックな丸亀城(10.1)を紹介しましたが、今回は、以前に撮った桜の写真(4月上旬)です。したがって、説明はあまり要らないと思います。

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 二の丸のシダレザクラ。

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 この辺りは昔、配水池があったところです。

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 御殿表門(この中に藩主居館がありました)。玄関前御門ともいいます。薬医門造り。

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 現在はほとんど広場です。花見のころは、おやじバンドがあったり、楽しい催しが行われます。

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 ここもかつての藩主館跡付近。

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 大手二の門(高麗門)。

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 正面玄関です。

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 小さいながら、全国に12しかない現存天守です。内部にも入れます。

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 いろいろな場所から見る飯野山(讃岐富士)も楽しみの一つ。

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 二の丸の井戸は深く、一説によると日本一深いそうです。抜け穴伝説もあります。丸亀城の石垣をつくった名人・羽坂重三郎が、二本の鉄棒を使って石垣をいとも簡単に登り、これを見た殿様が、敵に内通してはいけないと二の丸の井戸を掘らせ、上から石を落として殺したという言い伝えもあります。

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 ここら辺が朝日がよく見える場所で、元旦には人がたむろします。

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 丸亀城バサラ京極隊のみなさん。

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 丸亀城にはもう一つ、豆腐屋さんの幽霊の話が伝わっています。ある雨の夕暮れ、人柱を探していたお侍さんの前に現れたのが、通りがかりの豆腐屋さんでした。むりやり人柱にされたため、雨の夜にはお濠の周辺でトーフー、トーフーとか弱い声が聞こえてくるのだそうです。 

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 正面に見えるのは青ノ山(土器山)です。

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 丸亀城の桜は大満足間違いなしです。桜の開花予想をチェックの上、ぜひ、見に来てください。



  1. 2013/03/13(水) 18:03:06|
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後楽園(岡山市)の桜

 今回も、ほぼ写真の紹介です。後楽園は2代目の池田綱政さんが作らせた庭園です。金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて「日本三公園」といわれています。写真は4月初旬のものです。

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 入ってすぐ、南に岡山城が見えます。

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 延養亭、能舞台の前にシダレザクラがあります。

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 3代目・池田継政さんがつくった唯心山の上から。

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 流店(りゅうてん)と名付けられたちょっと変わった休憩所。

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 井田(せいでん)。かつては広い田畑があったそうですが、この部分だけが残されています。6月の第2日曜日にお田植祭りがおこなわれます。

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 スズメとレンゲ。

  1. 2013/03/12(火) 22:19:54|
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山中一揆(さんちゅういっき)(岡山県真庭市)

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 前回のブログで最後に出てきた新庄川です。この付近は「今井河原」というそうです。

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 山中一揆は、享保年間(1716~35年、8代将軍吉宗のころ)に起こった大規模な農民一揆です。山中地方は現在の真庭市で、この地方を幕府が津山藩から取り上げることになったとき、事件が起こりました。藩が例年より早く納めさせていた年貢米は、幕府に納めなければならないため、農民はこれを持っていかないように求め、了解を得ました。しかし、藩側が約束を破ったため、3000~4000人の大一揆が起こり、その結果、51名もの農民が処刑されました。

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 河原のすぐ近くにある六十六部廻国碑はこのころ作られたもので、一揆の犠牲者のお墓がわりに作った可能性があるそうです。

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 美甘村の義民の墓です。

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 そこから村を見た風景です。尋ねたのは雪の日でしたが、地元の人にすれば「これぐらいクルマで行ける」と道を教えられましたが、少し山を登ったところで諦め、あとは歩きました。

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 蒜山まで来ました。

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 いい風景が広がっています。

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 「社田(こそだ)義民の墓」。西茅部社田・治郎兵衛さんの墓です。「刃了禅定門、享保十二宗天正月十三日」とあります。

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 6月の第一日曜日に義民祭を行っているそうです。

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 ここからの景色です。

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 「田部の義民の墓」があります。

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 西茅部村の犠牲者20人の墓です。

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 場所を教えてくださった方が、やはり、義民祭のことをおっしゃっていました。

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 ここからの景色。

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 田んぼの向こうに、「大森の義民親子の墓」があります。

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 父の七左衛門さんと子の喜平治さんは院庄の河原で打ち首になりました。

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 地元で祠をつくって供養しています。

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 蒜山・川上村笠木の又兵衛さんの墓です。土居河原で打ち首になりました。散歩中の方に尋ねると、ちょうどご子孫の方で、「ああ、うちのお墓です」と案内していただけました。関係者のお墓には「刃」という字が書かれてあると教えてくださいました。享保12年の字が読めます。

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 付近の風景です。

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 塩釜の冷泉を見てきました。

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 勝手に汲んで帰ってはいけません。ペットボトルを売っていて、蛇口から汲むシステムになっていました。この後、国道313号線を南へ向かいます。

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 「湯原町・土居の義民の碑」。この付近で、総大将の徳右衛門さんが捕らえられ、前の土居河原では25名もの処刑が行われました。題字は岡山県知事だった長野士郎さんです。

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 すぐ100mほど南、国道脇にある徳右衛門さんの碑。

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 さらに南に向かうと、徳右衛門さんとともに一揆の中心人物だった樋口弥治郎さんの生誕地があります。勝山町見尾。生家は昭和43年まで残っていたが、老朽化がひどくなって解体されたようです。近くまで来て、畑仕事をされていた方に場所を尋ねたのですが、またしても、その方がご子孫の方でした。

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 樋口弥治郎さんの碑です。横に小さく写っているのは「忠犬碑」といわれ、山中に隠れ住んだ弥治郎さんのために食糧を運んだ飼い犬の碑です。

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 字が小さくてすいません。昭和43年まで残っていたという家と、隠れ住んだ洞窟の写真があります。

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 弥治郎さんが隠れた裏山です。お家の方によると、洞窟へ行くルートは滑りやすく、かなり危ないそうです。にもかかわらず、洞窟まで行くなら案内しますよと、とてもご親切におっしゃってくださったのですが、お怪我でもされたら大変なので、丁重にお断りしました。本当に親切な方でした。

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 洞窟付近を指差してくださったので、場所を示す掲示板らしきものを望遠で撮影。

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 ちょっと恐そうな橋が架かっています。旭川沿いの313号線です。

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 院庄の首なし地蔵です。院庄滑川刑場で首謀者6名が処刑されました。

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 村人が哀れんでお地蔵様を作ったそうですが、なぜ、首がないのかは不明です。なお、説明文で徳右衛門さんと弥治郎さんとのお名前が混同されているのは誤りで、6名が正しいと思います。

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 湯原町・大林寺です。

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 「妙典塚」といいます。犠牲者51名の供養塔で、1833年に住職が建てたものです。

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 わざと日付を変えるなどして、藩の目をごまかしたそうです。











 




  1. 2013/03/11(月) 21:47:38|
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凱旋桜(岡山県真庭市新庄村)

 桜の名所をぼちぼちと紹介しています。今回は、「凱旋桜」です。新庄村は昨日の美甘村のさらに北、岡山県の端っこです。特に説明することはありませんので、写真をたくさん載せます。見ごたえ十分な桜並木で、人出は多いです。また、史跡もありますが、別な機会に紹介したいと考えています。
 行ってみたい方は、例年4月中旬ですので、ご注意ください。

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  1. 2013/03/10(日) 10:16:39|
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岡山県真庭市美甘村

 前回、美甘村の宇南寺を見ましたが、美甘村は自然も街並みもいい感じなので、少し、紹介します。
 そのまえに、新庄(しんじょう)川沿いの国道181号線を美甘村に向かうと、勝山町を通過します。勝山の街並みは素晴らしすぎて、事のついでにとはいかないので、川沿いの光景を1つ紹介します。

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 この辺りは勝山町神代(こうじろ)という所です。こんな渓谷が続いています。

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 いい感じ。

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 石灰岩質で穴だらけです。一帯が「龍宮岩」と名付けられています。

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 奇岩がいっぱいあります。国道の反対側には…

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 こんな洞窟がいくつかあります。

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 すぐ行き止まりです。

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 ここは奥が深く、「鬼の穴」といわれています。

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 計60m程あるようです。「珍しい昆虫」はあまりうれしくありません。

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 電灯のスイッチがありましたが、壊れていて点灯しません。ということで、これ以上進めないと分かり、なぜかホッとしたのでした。

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 国道を少し進むと、「出雲街道→」の文字が。クルマを停めて、道らしきところを通ってしばらく山を登るとここに来ます。さすがに、このときは前進を諦めました。

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 それからまた、国道を行くと小さめの別れ道があり、そこに立て札があるのが目に入りました。

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 どうやら、脇道はかつての宿場町で、ここには「塚谷屋」という大店があったようです。

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 古い町並みが残っていました。

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 こちらは病院だったようです。

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 何のお店だったんでしょう。2階の感じは昔の宿のようです。

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 自動車屋さんでしょうか。

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 この縁側が郷愁を誘います。

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 左下の絵が時代を物語っています。

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 「首切り峠」という、戦国時代にたくさんの方が亡くなった場所のようです。

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 現在の中心部の手前で、旧道に入ると美甘(みかも)渓谷が続きます。

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 うまく写っていませんが、水は透明です。

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 古そうな橋です。

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 橋の手前に階段があったので下りてみました。クルマと比べると岩の大きさが分かります。

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 いい橋です。


 


 
  1. 2013/03/09(土) 21:57:26|
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宇南寺(岡山県真庭市美甘村)

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 181号線を鳥取県との県境近くまで来ています。この辺りまで来ると、いきなり雪国になります。今年の写真ではないのですが、今もまだこれに近いと思います。

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 冬に中国山地を超すにはチェーンが必要です。ここまでなら、スタッドレスでなんとかいけます。

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 宇南寺に着きました。

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 美甘村指定文化財の石塔。

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 シーンとした雪景色の中で、ゴーンという音を響かせてみたかったのですが、雪崩を起こしてもいけないのでやめました?

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 今日も、後醍醐天皇つながりです。

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 隠岐へ配流される途中で、ここに一泊されたといわれています。本堂は見るからに古い様式を残しています。

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 1510年に改築されたそうですが、それでも古いです。岡山県指定文化財。

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 横から。

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 裏に回って、少し離れてみました。

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 裏側。

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 裏山?

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 なぜ傘をさしていたのか忘却。

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 やはり、帰りも見入ってしまった光景。

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 雪解け水が流れています。後醍醐天皇が来られたのは3月、旧暦だと雪は道端に残っている程度かもしれません。


  1. 2013/03/08(金) 21:01:32|
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児島高徳さん(岡山県)

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 倉敷市児島の尊瀧院(そんりゅういん)にある児島高徳(こじまたかのり)生誕碑。承久の乱(1221年)で後鳥羽上皇の皇子の一人・頼仁親王が児島に流されて尊瀧院(修験道)の大僧正となり、今日までその子孫が続いています。児島高徳さんがその一族という説もあります。

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 元弘の変(1331年)で隠岐へ流されることになった後醍醐天皇を奪回するため、児島高徳さんが挙兵した船坂峠(ふなさかとうげ)。岡山県と兵庫県の県堺です。国道2号線の県境のトンネル手前からこの旧道に入る道があります。ただし、自動車を停めるスペースが国道の反対側にしかなく、2号線でも非常に狭いこの付近をトラックがひっきりなしに通っていて、渡るのが恐いです。

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 人に会うのは奇跡的で、野良犬と遭遇しそうな雰囲気の道をしばらく歩くと、かなり大きな石碑が立っています。私のような変わり者が見に来るだけというのももったいないほど、きれいになっています。
 児島高徳さんは、後醍醐天皇を護送する鎌倉幕府方と出会えませんでした。敵は別ルートを通りました。

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 昔の県境の石碑。

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 湧水がありました。

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 津山市の作楽(さくら)神社です。鎌倉時代に美作守護の居館があった所で、後醍醐天皇はここに閉じ込められて一泊しました。

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 そこへ助けに来た児島高徳の像です。宵闇にまぎれて助けに来ましたが、警戒厳重でとても救助できません。そこで、桜の木を削り、そこに10字の詩を書き残して、天皇を励ましました。戦前の教科書にも載せられたりしました。「天莫空勾践(天、コウセンをムナシウするなかれ) 時非無范蠡(時にハンレイ、無きにしも非ず)」という詩です。中国で大昔、勾践王をハンレイ(字がすごすぎ)という忠臣が助けた故事にちなんだものです。

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 ここがその場所といわれる、東大門跡です。

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 津山藩が森氏のときの家老・長尾勝明がこの石碑を建てたそうです。

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 この地は、明治になって津山藩主・松平氏によって作楽神社となりましたが、のち、荒廃。これを嘆いた川上音二郎さんが1907年に寄進した拝殿です。

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 オッペケペー節は録音が残っています(CD『甦るオッペケペー』。図書館にあると思います)。

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 赤磐市の熊山神社です。1336年に、後醍醐天皇と室町幕府とが対立したとき、児島高徳が南朝側として挙兵した場所です。

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 児島高徳の腰掛岩・旗立岩といわれるものです。

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 熊山は508m。登るとき、「途中、道が崩れており危険、通行止め」という看板が、微妙によけて置いていたので、『ま、いいか』と登りました。すると、本当に道が崩れていて、気づいたときはもう横が崖で、死ぬかと思いました。あとで、頂上の反対側(南側)に、舗装されたいい道があることを知りました…。

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 山の風景。

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 ピラミッドがありました。

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 一辺・約12mの国指定史跡です。奈良時代の仏塔ではないかといわれています。
 





  1. 2013/03/07(木) 21:51:57|
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醍醐桜(岡山県真庭市)

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 少し気が早いですが、ぼちぼち桜が気になるころです。シーズン到来に向けて、ときどき、過去に行った名所を紹介します(あまりないですが)。
 まず、BS新日本紀行の冒頭シーンに出てくる有名な「醍醐桜」です。

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 シーズン中ここを訪れるには、相当の覚悟が必要です。自動車の数が半端ではなく、上の駐車場にもっていこうとすると、すごい渋滞に巻き込まれます。山の麓から歩いた方が早いです。健康な方は、下の駐車場に止めて、登山したほうがよほど健康的です。

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 桜のある場所から。

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 醍醐桜の名称は、1332(元弘2)年に、後醍醐天皇が隠岐に配流される途中、この桜を見て賞賛したという伝説からきています。

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 アズマヒガン(ヒガンザクラの仲間)という種類で、東西南北20m、樹高18mという巨大さです。岡山県の天然記念物です。写真はいっぱい撮ったのですが、あいにく(覚悟して行ったのに…)曇りがちで、全体像は初めの写真が一番よいものです。

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 もちろん、山のあちこちで桜をみることはできます。また、ミツマタ(紙の原料でよく知られる)がほうぼうで黄色い花を咲かせています。

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 近くでコンニャクを作っていました。観光客の人だかりができて、手伝わしてもらっている方々がいました。

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 しかし、意図して観光客に見せているのかどうかは不明でした。もし、違っていたら、手伝うなんてもう、迷惑以外の何物でもない可能性が…。

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 カタクリの花の群生地もあります。

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 珍しくて、これまた写真を撮りまくりましたが、やはり、群生してます的な写真は、光が足りないせいか、周囲の草などのゴミゴミに埋もれてしまい、写りが悪かったです。離れて花を撮るのは、天気のいい日に限ります。


  1. 2013/03/06(水) 18:28:15|
  2. 自然
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讃岐での細川頼之さん

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 細川頼之さんといえば、金閣寺で有名な足利義満さんを幼少のとき補佐した管領として有名です。1362年に、南朝側となったいとこの細川清氏さんが讃岐に逃れたのを追って来ました。そして、坂出市林田のこの辺りで清氏さんを討ちました。

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 この地は「三十六古戦場」あるいは「細川将軍戦跡」、またあるいは、説明板のような名称で呼ばれています。地名の由来として、細川清氏さんと36人の家来が自刃したという話が伝わっているようです。

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 なぜか、大砲の弾です。

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 「乃木大将遺愛地碑」とあります。第11師団長だった乃木希典さんが、祖先が幕府方の武士としてここで戦死したことから、史跡の保存に尽力したそうです。

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 丸亀市土器町、青野山の麓・駒ヶ林の「細川頼之出陣の地」です。

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 ここには旧陸軍墓地があり、西南戦争から満州事変までの戦没者が弔われています。

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 ここには日露戦争・第一次世界大戦中、捕虜としてお亡くなりになったロシア人とドイツ人のお墓もあります。

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 宇多津町の多聞寺です。

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 隣の圓通寺とともに室町時代の讃岐守護所跡です。

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 細川頼之公、お手植えの槇柏(シンパク)の木だそうです(木の名称については諸説あるようです)。

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 隣の圓通寺です。こちらも細川頼之さんお手植えの松がありましたが、2002年に枯死のため伐採され、いまは二代目が育っています。





  1. 2013/03/05(火) 22:51:59|
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宇多津「まち歩き」(香川県立ミュージアム学芸員とともに)

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 「うたづの町家とおひなさん」の報告、3回目です。盛りだくさんで、これでも見てほしい写真を切り詰めています。写真は宇多津町役場です(西から東を見ています)。

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 この辺(「倉の前」)に高松藩米蔵があり、港町として栄えました。もともと、室町時代に守護所が置かれるなど重要な場所でしたが、さらに交通の要衝として発展したようです。
 県立ミュージアム学芸員の渋谷さんと、会長さんをはじめ地元実行委員のみなさんの案内で、役場の西の「こめっせ宇多津」から出発して、元・商家の「蔦屋」さんを目指して歩きました。

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 いただいた「屋号地図」です。赤い線はパソコン上で私が記入したものですが、江戸時代の高松丸亀街道です。西の宇夫階神社から東は聖通寺あたりまでが宇多津の町で、ちょうどその両端辺りで街道が今の33号線と重なります。高松藩米蔵は海辺で、南へ少しずつ上がっていて、街道が一番高い所(背後の山の手前で)を通っているそうです。目指す「蔦屋」さんは、川(大束川)に架かる橋の手前です。

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 ちょっと字がつぶれてますが、赤く囲ったところが「蔦屋」さんで、街道を挟んだ「西光寺」とともに、水運と陸上交通の交点、一番いい場所に位置します。

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 途中で、町家が一軒なくなって駐車場になった所で、説明。向こうに、奥に細長い町家の断面がきれいに見えます。駐車場も細長くて使いづらいのですが、何より、町家が一軒なくなったことが残念です。住民が町ぐるみで、そして、文化財課なども入って、周囲の協力もあって、保存活動が行われます。「町家とおひなさん」の活動は10年目に入りますが、会長さんの「町家を守りたい」という気持ちが原点だそうです。
 以下同様ですが、伺った話をまとめていると考えてください。私の感想なども混ざるかもしれませんが、いちいち分けるのも読みづらいでしょうから、その点ご了解ください。

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 上手に写真が撮れていませんが、ここは道がきれいに十字に交差せず、わざとずらしています。城下町によくある防御のための作りですが、藩の米蔵があったためと思われます。

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 さて、高松丸亀街道に入りました。東へ向かっています。

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 大束川まで来ました。

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 北を向くとこんな感じです。

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 宇多津町が発祥のライスパワー関連の建物らしいです(「ライスパワー」が初耳でした…)。元は、ここまで「蔦屋」さんでした。私の背後に、西光寺があります。

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 今回おじゃまする「蔦屋」さんのご子孫のお家です。「蔦屋」さんは材木を扱っていました。

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 雛人形も立派です。それぞれのお家の雛飾りは、奥さんがお嫁入りなどの時にもってきたものだそうで、坂出風のものがあったり、丸亀風ののものがあったりして、全体として宇多津風になっているそうです。

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 天保のころの暦です。

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 漆器の箱ですが万延2(1861)年と書かれています。

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 細長い町屋の裏庭にある蔵です。

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 出てきた木札には「天保2年」に建てたことや、塩飽(しわく)の大工(船大工)が施工したことなどが書かれていました。先にも述べたように、ここは水運と街道との接点で、輸送などにおいて塩飽諸島と関連があったようです。
 学芸員さんによれば、これを見せてくれて、何なのか尋ねられたのは奥さんだったそうです。旦那さんは、小さなころから見慣れ過ぎているせいで、何も気にしないことが多いようです。いろんなことをお年寄りに尋ねて再発見したり、町家の価値に気づいたのも奥さん方のようです。それで、実行宇委員でも女性が多いそうです。

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 お土産に下さった、折り紙のコマです。



  1. 2013/03/04(月) 19:06:28|
  2. 史跡・文化財など
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うたづの町家とおひなさん2(宇多津町)

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 きれいな雛飾りの写真はまだまだあるのですが、今回は前回出ていない建物などを中心にいきます。「倉の館三角邸」として住民の文化行事などに利用されている、もと肥料商・堺屋さんの接客用建物。以前も紹介しましたが、今回、中に入って来ました。

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 高価そうな床の間です。

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 ひな人形用の和服?

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 中庭です。ガラス越し。

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 「お屋敷」ですねー。誰かが掃除してくれるなら、住んでみたい。

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 もう一つの入口から入った所。玄関を入ると丸い窓越しに庭が見える。

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 こちらもお屋敷。

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 昭和30年の雛飾りです。豪華。

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 町屋は間口が狭く奥に長いわけですが、ここは間口も広い。

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 玄関を入ると正面。

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 上が吹き抜けです。

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 玄関脇の部屋に展示。こちらの方のお母さんが昭和8年にご結婚されたときの花嫁衣装だそうです。

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 さらに玄関寄りの小部屋。

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 こちらの展示には驚きました。個人で収集されたそうですが、許可を得ましたので、いくつか紹介させていただきます。

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 雛人形の周りが戦前のもので一杯です。右手前は、子どものカルタなどです。

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 白い所はお名前です。「愛国婦人会通常会員」「帝国在郷軍人後援会○○婦人団員」などと書かれています。また、「靖國」の下の丸い印はについては、「支那事変に出征された名誉の軍人のお家の門口に出ているしるし」ですという説明が書かれています。

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 「在郷軍人会正会員」等、家に掲げてあったんですね。

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 紙芝居も戦争色に。

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 日露戦争の時の「征露丸」です。

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 先ほどの場所だけでも、博物館よりすごいと思うのですが(紹介したのは一部です)、こちらにも双六などが展示されています。

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 大正11年の「受験競争双六」です。昔のことを、もっと調べたくなりました。


  1. 2013/03/03(日) 18:58:00|
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うたづの町家とおひなさん・1(宇多津町)

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 ちょっと早い、お釈迦様の誕生日を祝う、おはなまつり。

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 左の家のように、「おひなさん」の垂れ幕がかかっている家で、お雛様を飾っています。

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 大きめのお人形さんも多いようです。

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 1972(昭和47)年だそうです。

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 けっこう古そうです。

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 中央のが豪華そうです。

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 お屋敷が立派。

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 はまぐりで作りましょう、ということで、はまぐりの貝殻を売っていました。

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 大正4(1915)年。

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 昭和6(1931)年。

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 大正末期も古いですが…

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 中のポスターがいいです。

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 いい感じの建物。交通整理をしてくださっていた方が、「こんな家はもう無しんなったなあ」と語りかけてこられ、そこに通りがかった別な方が「瓦がいま見んで」と、瓦についてのウンチクを語ってくださったのですが、『へー』と思ったのもつかの間、いま、全く思い出せません…。

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 明治中期といいます。どことなしに品があります。

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 玄関が立派でびっくり。

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 西光寺の舟屋形茶室(多度津藩の船屋形を茶室にしたもの、県指定文化財)も公開中でした。

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 お寺の本堂でも雛飾り。

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 これが高価そう。

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 これは、和尚さんが法事などに出かける際に乗られた籠で、明治ごろのものだそうです。

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 こめっせ宇多津(旧宇多津町農業協同組合倉庫・1936年)です。

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 ここでも展示中。これも豪華。古い町屋も多く、明日もやっています。駐車場は33号線北側の中央公園や宇多津北小学校などです。かなり、広い範囲で行われていて、疲れるほどです。満足できます。ぜひ、見に行ってください。歩き疲れたので、写真は2回にわたって紹介したいと思います。 




  1. 2013/03/02(土) 19:51:21|
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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