どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

旧遷喬(せんきょう)尋常小学校(真庭市)

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 1907(明治40)年につくられ、1990(平成2)年まで遷喬小学校として使われていました。国の重要文化財。

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 1870(明治3)年に町内有志による学校がつくられることになり、山田方谷さんの門人を先生に迎え、校名は方谷さんが明親館と名づけました。1874(明治7)年に久世代官所御蔵を校舎として遷喬尋常小学校となりました。やはり山田方谷さんが詩経から命名しました。

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 屋根の上のマークは高瀬舟をデザインしたものです。「ALWAYS 三丁目の夕日」(一平くんと竜之介くんの通う学校)などでロケ地になりましたが、三丁目の夕日ではこのマークが消されてたような気がします?

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 土台は赤レンガと御影石。中へ入りましょう。

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 全体はこんな感じです。

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 廊下は松だそうです。建物全体は良質の檜、杉でできているそうです。

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 階段が回っています。

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 ぐるぐる回ります。

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 2階です。トーテムポールはいつごろのもの? 私が小学校の頃は、何故かよく作られましたが・・・。

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 広めの教室。

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 講堂は折り上げ格(ごう)天井です。豪華。

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 降りて来ました。

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 懐かしい机・椅子。平成にこれを使っていたとも思えないんですが、保存してあったのでしょうか?ただ、机は木製でも一人用が普通ではないでしょうか?

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 後ろの椅子は最近のですが、このアングルに郷愁を感じました。

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 私が学んだ木造校舎もこんな感じでした。

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 丸い椅子もなつかしい。図書室や理科室なんかがこれでした。

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 小学校といえばオルガン。

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 よく保存してました。

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 奥、校長室。下駄箱の左が裏口です。

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 建物の裏側。

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 雪がちらついてきました。

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 私の母校の校歌は今でも覚えていますが、改めてネットで確認してみたら、在校時から間違って覚えていたことが判明。周囲はおかしかったはず。

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 ついでに、すぐ近くの「白猪屯倉(しらいのみやけ)碑」(4月9日のブログ参照)です。蘇我稲目が設置した朝廷の直轄地(屯倉)がこのあたりではないかといわれており、1915(大正4)年に建てられた石碑です。

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 ただ、根拠とされた多数出土した瓦は、今では五反廃寺のものと確認されています。

 なお、旧遷喬尋常小学校では平成25年4月・5月・6月・10月・11月の土・日・祝日に、事前予約で学校給食を食べることができます(12:00~、800円、TEL0867ー42-7000 )。



  1. 2013/04/30(火) 20:34:59|
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津山市の近代建築など(岡山県)

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 旧津山基督教図書館です。建てたのは津山藩の御用商人だった家に生まれた森本慶三さん(1875~1964年)。内村鑑三さんに入門してキリスト教徒となりました。森本慶三さんは平和主義者で、戦時中、反戦的だとして憲兵隊に建物が摂取されました。戦後は夜間高校となったのち、現在は森本慶三記念館、歴史民俗館となっています。ちなみに、向かいの「つやま自然のふしぎ館」は、夜間高校のとき増設された建物です。

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 岡山県立津山高等学校です。

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 1900(明治33)年、岡山県津山中学校本館として建てられました。

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 写真に写っているのは知人の学校関係者です。くれぐれも、学校敷地内に断りなく入らないように願います。怪しい人と間違われます。

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 物騒なものが・・・。

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 1920(大正9)年に妹尾銀行津山東支店として建てられました。その後、第一合同銀行、中国銀行津山東支店となり、近年まで洋学資料館として使われていました。なお、洋学資料館は移転してさらにスケールアップしました(HPあり)。津山藩医の家に生まれた宇田川玄随(うだがわげんずい)、箕作阮甫(みつくりげんぽ)など有名人にちなんだ資料館です。箕作阮甫の家は残っており、彼らについてはまた、改めて紹介したいと思います。

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 知新館、旧平沼騏一郎別邸(生誕地)です。

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 武家屋敷の姿をいまに伝えています。現在は市民のコミュニティーセンターとして開放されています。

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 津田真道さんの生誕地です。1873(明治6)年、森有礼、福澤諭吉、加藤弘之、西周、西村茂樹らとともに、明六社を結成したことで有名です。

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 幕末には、徳川慶喜の諮問に応えて、西周とともに徳川家を中心とした近代国家の案を提示したことでも知られています。

  1. 2013/04/29(月) 21:09:00|
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岩田神社の藤まつり(高松市飯田町)

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 高松市の岩田神社には「孔雀藤」と呼ばれる大きな藤の木があります。写真左手、花やかさがすぐ目に飛び込んできます。

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 ちょうどよいくらいの人出でした。

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 辺りは甘い香りでいっぱい。ハチがたくさん来ていました。

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 意外にも、ハチが写っていません。あれだけ飛びまわっていれば、自然にいくつか撮れているだろうと考えたのが間違い。狙って撮るべきでした。

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 1本の幹から枝が24m×11mに広がっています。

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 シャワーです。

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 樹齢は800年です。

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 満喫しました。

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 屋台も出ています。

  1. 2013/04/28(日) 21:55:38|
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犬養毅さん(岡山市北区)

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犬養毅さんのお墓です(石碑の向こう)。そのすぐ横が・・・

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 生家です。
 犬養さんは立憲国民党を率いて尾崎行雄さん(政友会)らとともに、、「閥族打破・憲政擁護」を掲げた運動を起こし、1913年に第3次桂太郎内閣を倒しました(大正政変)。1924年には革新倶楽部を率い、立憲政友会(高橋是清)・憲政会(加藤高明)とともに、清浦圭吾内閣を倒し、以後、8年間の政党内閣の時代をもたらしました。

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 川の向こうは木堂記念館です(内部の撮影禁止)。

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 門の向こうに家が見えます。

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 中へ入ってみます。

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 手前から、上端・中の間・座敷。座敷の左手に小さな庭があります。

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 台所。奥は納戸です。

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 土間が家を突き抜けています(私が子どもの頃まで、こうした作りが普通でした)。

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 家の裏へ回る前に、もう一度玄関に戻り、左へ行きます。座敷の前の庭が見えています。

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 小さな庭です。座敷で何か行事が始まったようです。

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 改めて、家の裏へ出ました。向かいの木堂塾の前を左へ行くと・・・

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 木堂記念館があります。貴重な資料がたくさんあり、犬養さんの演説が録音されたレコードを聞くことができます。

 1931年に満州事変が勃発し、世論やマスコミは軍部を支持して立憲民政党内閣を弱腰と非難し、若槻礼次郎首相は事態を収束できず総辞職しました。その後を受けて、犬養さんが立憲政友会内閣を組閣しました。有名な高橋財政によって経済は復興していきますが、1932年に血盟団事件(前蔵相・井上準之助、三井合名理事長・団琢磨の暗殺)が起こったり、軍部が「満州国」を立ち上げたりします。犬養さんは満州国に消極的でしたが、五・一五事件で暗殺されてしまいました。これにより、政党政治に終止符が打たれました。
 撃たれた後、「今の若いもんをもう一度つれてこい、話して聞かせてやる」と語ったそうですが、病院で夜半に亡くなりました。
 次の斎藤実内閣は満州国を承認し、1933年に国際連盟脱退。岡田啓介内閣は1934年にワシントン条約破棄、1935年に国体明徴声明、1936年1月にロンドン軍縮会議を脱退。ついに、二・二六事件が起こります。その間、小林多喜二の虐殺、滝川事件(←文相・鳩山一郎)、陸軍パンフレット事件、天皇機関説事件などが起こっています。

  1. 2013/04/27(土) 21:30:03|
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福田英子さん(岡山市)

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 福田英子(1865~1927年)さんの生誕地に建つ顕彰碑。「妾(しょう)が過ぎ来し方は蹉跌(さてつ)の上の蹉跌なりき。されど妾は常に戦えり、蹉跌のためにかつて一度も怯(ひる)みし事なし」と書かれています。自伝「妾(わらわ)の半生涯」の一節です。揮毫は平塚雷鳥さんです。
 父親は岡山藩の下級武士で、寺子屋を開いていました。1879年に15歳で優秀な成績で小学校を卒業し、すぐ教師になりました。1882年に、岸田俊子さんの演説を聞いて自由民権運動を志すようになりました。1885年に、大井憲太郎さんとともに大阪事件で逮捕され、2年間投獄されました。大井憲太郎さんとの間に子どもをもうけましたが別離。1892年に自由主義者の福田友作さんと結婚。3人の子どもに恵まれますが、友作さんは1900に死去しました。
 その後、幸徳秋水さんらと平民社をつくったり、1907年に社会主義女性雑誌『世界婦人』を発刊したり、足尾鉱毒事件の支援を行ったりしました。

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 岡山市北区野田屋町の野田屋町公園(岡山駅から東へ徒歩5分)にあります。


オマケ 大阪事件前後の年表

1881年 明治十四年の政変→国会開設の勅諭、自由党結成(国会期成同盟が板垣退助を総理に)
1882年 立憲改進党結成(大隈重信ら)、伊藤博文がヨーロッパへ憲法調査

<1881年~松方財政>
 ○増税・緊縮財政(軍事費は増大)  ○1882日本銀行設立
 ○米・繭など物価下落で不況→自作農の没落→民権運動の激化 
 ○貧富の差拡大→寄生地主は資本家に、没落農民は小作農や労働者に
<民権運動の激化>
1882年 福島事件:福島県令・三島通庸の圧政に対し、河野広中ら自由党員と農民とが一揆
1883年 高田事件、
1884年 群馬事件、(茨城)加波山事件  →自由党・立憲改進党の解党
      (埼玉)秩父事件:困民党を称する1万の農民が自由党員の指導で蜂起  
1885年 大阪事件:大井憲太郎らが朝鮮の独立党支援を計画したが、事前に逮捕された

1886年 大同団結運動:星亨→後藤象二郎(「小異を捨てて大同を旨とする」)
1887年 三大事件建白運動<言論集会の自由・地租の軽減・外交の挽回> ←保安条例
1888年 大隈が入閣
1889年 後藤が入閣 →運動は壊滅
      大日本帝国憲法発布

 


 
  1. 2013/04/26(金) 19:38:44|
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片山潜さん(岡山県久米南町)

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 生家前に建つ「片山潜(1859~1933年)の碑」。片山潜さんは江戸末期に水呑百姓の次男として生まれました。1880(明治13)年に岡山師範学校に入りますが、中退して上京、勉学を続けました。

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 その後ろに墓碑があります。実際の墓はロシアにあります。

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 説明板にあるとおり、1884年にアメリカに渡り、そこで大学を卒業しました。キリスト教に入信し、労働運動に関わるようになりました。

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 「片山潜記念館」です。ご用の方は電話をするようにと電話番号が記されていたので、さっそく電話し、中を見せていただきました。

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 家族と一緒の写真です。
 その後、片山潜さんが行なったことは以前のブログ「森近運平さん」のとき載せた年表を見てください。高校日本史の教科書に出ている程度の内容です。

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 左は、1904年、第2インターナショナル第6回大会(オランダ・アムステルダム)での写真。

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 1907年、幸徳秋水さん、堺利彦さん、山川均さんらと社会主義講習会で。その後、1910年に大逆事件が起こり、弾圧が厳しくなります。

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 左の写真は、1912年、東京市電のストライキ指導で入獄したとき。1914年にアメリカに脱出しました。1921年にソビエト連邦に移り、コミンテルン常任執行委員になりました。

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 右は1932年、72歳の片山潜(モスクワ)。翌年に亡くなり、写真左がモスクワ赤の広場へ向かう片山潜さんのひつぎ。

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 赤の広場での葬儀。

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 お墓はクレムリンの壁の前に、多くの重要人物たちの墓と並んであります。


 

 
  1. 2013/04/25(木) 20:09:33|
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馬越恭平(うまごしきょうへい)さん(岡山県井原市)

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 馬越恭平さんは1844(天保15)年に井原市木之子町に生まれ、1933(昭和8)年に亡くなった実業家です。名前の読み方は「まこし」「まごし」「うまごし」と3種類あるようですが、井原市のHPに従いました。代々お医者さんの家系です。

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 馬越さんは1856(安政3)年に大阪の鴻池で丁稚として働き始めました。その後、益田孝さんと知り合い、『西国立志編』を勧められて影響を受けたといいます。

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 説明がなく、当時からある庭なのかどうか不明。
 1873(明治6)年に、井上馨さんと益田孝さんが作った貿易商社「先収会社」に入りました。その後、井上馨さんが元老院議官になると、益田さんは三井の大番頭・三野村利左衛門とともに「三井物産」に改め、初代社長となりました。

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 裏へ回ると、古い家と蔵が残っています。
 1891(明治24)年に馬越さんは、社長の益田さんから三井物産が大株主だった日本麦酒(恵比寿ビール)再建を任されます。日本初のビアホールで経営を立て直し、1906(明治39)年に、サッポロ、アサヒとの大合同を実現、大日本麦酒社長に就任しました。

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 大日本麦酒はシェア約70%で、馬越さんは「東洋のビール王」といわれました。

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 これは謎。

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 もっと謎。

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 小田川には「馬越橋」が架かっています(浄見寺の西、「公民館?」とある場所が生家)。  
 大日本麦酒は戦後、過度経済力集中排除法により、アサヒとサッポロ(ヱビス)に分割されました。



  1. 2013/04/24(水) 18:51:07|
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森近運平さん(岡山県井原市)

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 森近運平さん(1880~1911年)の生家跡です。森近運平さんは井原市高屋町で農家の長男として生まれ、青年岡山県農学校を首席で卒業、農商務省農事試験場を経て、岡山県庁で農政を担当しました。その後、平民社の社会主義運動に接近し、1904年に日露戦争反対の運動をして免官になりました。

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 1909年に故郷に戻り、農業の改善に取り組んでいた1910年、大逆事件に連座して死刑になりました。今日では、首謀者とされる幸徳秋水さんからして冤罪であったと考えられています。

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 こんな山の中です。

オマケ 社会運動の発生

1899 横山源之助『日本の下層社会』・1903農商務省『職工事情』
   賃金労働者の増加:大半は繊維産業(9割は女子)→1933 重化学工業 ≻ 繊維産業
1897 高野房太郎、アメリカの労働運動に学び職工義友会
   →労働組合期成会(高野房太郎・片山潜)→鉄工組合、1898日本鉄道矯正会 1901ごろ解散命令
1898 社会主義研究会(安部磯雄・片山潜・幸徳秋水)       
1900 社会主義協会(安部磯雄・片山潜)           1900治安警察法(
1901 社会民主党(安部磯雄・片山潜・幸徳秋水・木下尚江)  翌日解散
1901.12 田中正造、足尾鉱毒事件(1891~)で天皇に直訴
1903 平民社(幸徳秋水・堺利彦・内村鑑三)『平民新聞』
1906 日本社会党(堺利彦・片山潜・幸徳秋水) →1907結社禁止…西園寺Ⅰ内閣
1907 議会政策派(片山潜) ≺ 直接行動派(幸徳秋水)
1910.5 大逆事件:幸徳秋水・管野スガら26名を天皇暗殺計画で逮捕…桂Ⅱ内閣
1911.1 幸徳秋水ら12名死刑→社会主義の冬の時代      .3 工場法(施行1916~、不十分)
   .8 警視庁に特別高等課
1912.3 美濃部達吉『憲法講話』    7.30 明治天皇、没    8 友愛会(鈴木文治)


  1. 2013/04/23(火) 19:59:20|
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久米流砲術隊(4.21さかいで鹽まつりにて)

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 「さかいで鹽(しお)まつり」に出かけた真の目的は、こちら、久米流砲術隊の演武を見ることでした。さっそうと登場。

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 法螺貝の音も勇ましく、期待値マックスに。

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 鹽まつり(2日間)参加者は主催者発表6万人。歴史に興味のある人がもっと欲しいところ・・・。なお、久米通賢さんに関しては11月1日のブログをぜひご参照してください。

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 轟音。

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 馬上筒です。

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 大筒の登場。

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 火縄セット中。

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 音のでかさに歓声が上がる。のけぞる人、耳栓をする人なども。

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 手作り甲冑の宇多津甲冑隊のみなさん。

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 一斉射撃。

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 しゃがんだ姿勢で。

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 馬上筒も『決まった』って感じ。

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 火薬の入った容器。

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 フジ・フィルムの容器が一番と力説。外国のはだめですと、さらに、舌好調。

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 火蓋(ひぶた)の説明。火蓋を開け、それ用の火薬を火皿という部分に入れます。小さい穴を伝って中の火薬に点火される仕組みです。火皿の火薬がこぼれたり、ここに火縄から火の粉が落ちてはいけないので、撃つ直前まで火蓋は閉めておきます。「火蓋を切れ」の号令で、初めて開けます。

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 火皿用の火薬のようです。

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 最後の一斉射撃。
 平均年齢が高いので、若い方を求めているそうです。ぜひ、ご参加を。


 
  1. 2013/04/22(月) 18:09:22|
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さかいで鹽(しお)まつり

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 瀬戸大橋記念館前のオブジェ。

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 メガ塩すべり台。塩分は控えめにしましょう。

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 塩竃(しおがま)神社に奉納する塩をつくっていました。

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 できています。

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 超わかりやすい讃岐三白。

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 自衛隊のジープが2台。

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 中が気になったので覗いてきました。

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 讃岐もち豚は香川県のブランド豚ですが、ポスターの具合がいかにも香川県人っぽくて、おかしい(方言では「おもっしょい」)。



  1. 2013/04/21(日) 19:21:24|
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太田家住宅など(福山市・鞆の浦)

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 太田家住宅は国の重要文化財です。ともかく広くて、家の中も美しく保たれていて見栄えがします。

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 部屋や見るべきものは多いのですが、はしょっていきます。

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 江戸時代には保命酒(ペリーも飲んだ)を発案、独占販売して繁栄した中村屋でしたが、明治になって衰えて廃業、廻船業を営む太田家がこの家の主となりました。

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 明るい庭に面した部屋には、幕末、三条実美らが宿泊しました。

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 1863年の七卿落ちのとき鞆では少し休息しただけでしたが、翌1864年に京に戻ろうとして7月18日に再び鞆に上陸、19日から20日にかけてこの部屋でくつろぎました。
 当時は、保命酒の中村屋だったので、保命酒の歌を残しています。とても気にいったようです。

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 最初に、歌の説明が書かれています。
 とはいえ、19日には蛤御門の変が起きており、この知らせを22日に多度津で知り、また長州に引き返したようです。

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 高い石垣の上に建つのが、福禅寺対潮楼です。朝鮮通信使も宿泊しました。

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 とても見晴らしがいい部屋があります(部屋そのものはどーした!としかられそうですが、たまたま、とっ散らかっていたので、パス)。仙酔島が見えます。行ったことがないのですが、温泉が多いそうです。お魚の料理もおいしいはずです(陸地側のお店ではいただきましたが、大満足)。

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 雁木(がんぎ)といわれる江戸時代につくられた船着き場が残っています。

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 福山市鞆の浦歴史民俗資料館は、高台の鞆城跡に建っています。石垣には刻印がいくつか残っています。

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 ここからの風景。

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 毛利氏時代には、織田信長に追放された足利義昭のための屋敷もあり、鞆幕府といわれました。

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 こんな喫茶店もあります。昭和初期に建てられたときは散髪屋兼銭湯だったそうです。

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 味わい深い町屋のお店はたくさんあります。こちらでは、オリジナル絵葉書や保命酒などを売っています。

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 保命酒を作っている所は4軒あり、見学できるところもあります。

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 友人と食事に入ったお店で。保命酒が並んでいます。お酒の飲めない私でも、少しなら飲めます。健康によいそうです。




  1. 2013/04/20(土) 20:14:14|
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鞆の浦(広島県福山市)と坂本竜馬

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 いろは丸展示館です。建物は江戸時代の蔵で登録有形文化財です。1867年に鞆の浦沖合で坂本竜馬の海援隊が借りていた蒸気船「いろは丸」が紀州藩の蒸気船「明光丸」に衝突されて沈没しました。1989年に海底から、いろは丸が発見されました。

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 調査の様子や引き上げられたものなどが展示されています。

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 展示館に寄付すると(金額を忘却、100円とかそんな感じ)、透明なペラッとしたプラスチックのカップアイスみたいな容器に入った石炭がもらえます。いろは丸から引き揚げた石炭ですみたいなことを書いています。本物かなー?とも思ったのですが、石炭の物理的成分は同じなので、展示館お墨付きってことに意義があると考えて購入(いや、寄付)しました。

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 いろは丸事件として有名なので、経緯は多くの方がご存知だと思いますが、鞆の浦と長崎奉行所で紀州藩と争い、結局、紀州藩が7万両ほど支払いました。

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 船のドアノブの裏側。船が建造されたバーミンガムという地名が入っています。

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 展示館の2階には、竜馬が利用した隠し部屋が再現されています(家はここではなく、別に残っています)。

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 トイレで新聞読んでいるみたいで、もうちょっとカッコよく再現して欲しかったかも・・・。

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 実際に、竜馬が使った隠し部屋がある桝屋清右衛門宅です。

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 紀州藩との交渉の場となった魚屋萬蔵宅です。近年、取り壊されそうになったのをNPOが買取り、「御舟宿いろは」として再生されました。御多分に洩れず、私も司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にはまった人間ですが、最近、坂本竜馬の実像や評価については様々な説があるようです。いずれにせよ、ロマンをかきたてられる人物であることは間違いなく、こうした史跡を残してくれたことに感謝感激です。





  1. 2013/04/19(金) 18:10:59|
  2. 史跡・文化財など
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琴平(高燈籠から東へ)

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 高燈籠のある一角、金刀比羅宮北神苑。

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 27.58mの高燈籠の明かりは、丸亀港から見えたそうです。1860(万延元)年に完成したそうです。

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 建てた時の記念碑。3000両かかったそうですが、お金を出した講や中心人物たちの名前が彫られています。津田村の上野甚左衛門(萬歳講)さんが呼びかけたようです。しかし、有力者だけではなく、地元の店や遊女たちも関わったことが書かれてあるそうです。

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 蟲(むし)塚です。1828(文政11)年に大原東野という絵師が丸亀街道を修復し、そのとき犠牲になった蟲を供養するために立てたのだそうです。

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 善通寺道と金蔵寺道との分岐点、多度津街道の金毘羅側の起点石、大麻茶堂前にあった光石橋。

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 丸亀街道の起点石、これより丸亀へ百五拾町とあります。

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 北神苑の向かい側です。7月21日のブログで、丸亀港の太助灯籠をつくる際、発起人・柏屋団治が江戸の豪商・塩原太助らの協力によってつくったことを述べましたが、ここに柏屋団治の名が見られます。

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 11月10日のブログで、「ぶらり天領榎井めぐり」に参加したときの幕末の勤皇家・日柳燕石(くさなぎえんせき)さん関連のみ紹介しました。そのとき紹介しきれなかったことなど、いっしょに載せておきます。JR琴平駅から東付近です。ここは春日神社のお旅所。鳥居にはこの地方の有力者の名が刻まれています。

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 日柳燕石さんを讃える石碑が建っているのがこの春日神社です。これまでに何度か書きましたが、全国の春日神社は古代には藤原氏の荘園に建てられた氏神でした。

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 旗岡神社には、琴平出身の歌舞伎俳優の中村福円さんが寄付した手水鉢があります。

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 字が少し見づらいですが、中村福圓とあります。

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 すぐ東にある、この鳥居が天領・榎井と高松藩・四条村との境界だそうです。ここから少し北に行くと・・・

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 日柳燕石さんのお墓があります。

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 上の写真、右の方に写っているお墓がそうです。

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 さて、高松街道方面のアーケードに入るとすぐ、へんこつ屋があります。建物は明治中期の町家に昭和初期に手を加えたもので、国の登録有形文化財になっています。

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 へんこつ饅頭など、手作りのお菓子が楽しめます。

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 アーケードにある休憩所?で見た巨大腕時計。腹に巻いても重そう。

  1. 2013/04/18(木) 21:49:36|
  2. 史跡・文化財など
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金毘羅付近の丸亀街道・多度津街道

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 高松街道、阿波街道、伊予土佐街道については、10月18日のブログを見てください。赤い線で街道を示しましたが、よれよれしているのは私がへたくそだからです。以下、丸亀街道と多度津街道を金毘羅さん側から進み、この近辺だけ見ます。

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 丸亀街道です。

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 燈籠の間にお店の出入り口があります。

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 並び灯籠は誰が何時ごろ灯したんでしょうか。

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 市川 鰕十郎さんは歌舞伎役者。

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 字が薄いのですが、右端に「吉原江戸町二丁目」とあります。「小紅屋」はそういうお店でしょう。

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 こちらにもずらっと並んでいます。

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 「大亀」(泉州)というお店の「亀」の字が絵になっていておもしろい。

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 高燈籠の横の辺り。

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 「船積問屋」と書いています。

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 こちらははるばる「北海道」です。

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 次に、多度津街道沿いの並び灯籠です。

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 けっこうあります。

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 左側は「江戸道中・日雇方仲間」とあります。

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 右は大阪道中「陸尺仲間」。陸尺というのは駕籠かきです。

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 左の「桐生」の豪商「書上文左衛門」さんといえば、坂口安吾さんが晩年を過ごした所ではありませんか。

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 ここが多度津街道・並び灯籠の端っこです。
 並び燈籠の寄付者を詳しく調べていったら、面白いことがわかるかもしれません。といっても、誰かが調べているでしょうから、気が向いたらそんな本を探してみよう。





  1. 2013/04/17(水) 22:06:50|
  2. 史跡・文化財など
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金毘羅宮の御田植祭

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 神事場で御田植祭が行われました。最初、台の上(って言っていいんでしょうか?)、そのあと、写真の様にこちらのほうに、紙吹雪が撒かれました。お清めみたいなものでしょうか?

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 次々と、お供え物が運び込まれてきます。

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 お野菜です。その他、テンポよくいっぱい運ばれてきました。

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 ずらーっと並んでいます。この後、お祈りがささげられました。

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 雅楽演奏が始まりました。

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 若い神職の方の舞いです。

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 次は、いよいよ農作業の様子を表現するようです。舞台が地面の方に変わりました。

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 昔の農作業の道具を使って、2人の方が地面を掘る所作などを行います。

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 鍬です。

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 いよいよ、牛の登場です。いよいよっていうのは、始まる前からずっとモーモー鳴いていて、みなさん、牛が気になって仕方ないようでしたから。

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 田んぼを耕しています。

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 道具を変えます。写真を見ていると、おとなしい牛だなーと思われるかもしれません。しかし、最初は嫌がって動かず、強めのモー、抗議のモーで不機嫌そうでした。コレッとか言ったり、なだめたりしながら、頑張って引っ張っていました。しかし、一度動き始めると、練習されていたのでしょうか、よく言うことを聞いていました。

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 順調、順調。牛も晴れ晴れした感じ。

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 最後は、巫女さん6人による舞いです。

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 田植えから収穫までを表現しているそうです。

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 かなり長い舞いで、練習は大変だったでしょう。

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 優雅で息もぴったり。

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 舞のあとは、お供えしてあったお餅を振舞って終わりました。

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 帰りに目に入った鋸屋さん。鋸だけ売る店って珍しくないですか?



  1. 2013/04/16(火) 17:08:31|
  2. 信仰・民俗・伝統など
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女木島2(高松市)

 2回めは女木島の風景です。特に解説なしです。

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  1. 2013/04/15(月) 21:06:35|
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女木島(1)大洞窟(高松市)

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 こないだ女木島(めぎじま)に行ってみました。洞窟より、島の景色の方が素晴らしいのですが、次回に回します。午後最初の船で渡り、とりあえず洞窟を見て、時間があったらイロイロ見ようと決めました。で、バスにするか、歩きにするかと思案した末、まあ、大したことないようだから歩いてみるかと考えて、ここまで登りました。考えが甘かったです。足が痛い、腰が痛い、なんか苦しい、なんとか生きてますって感じです。バスには、出川哲郎さんご一行(もちろん、カメラマンも)が乗っていました。何のテレビでしょうか。

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 味のある土産物屋さんの前を通ると、入口です。女木島は鬼ヶ島ともいわれます。

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 奥行き400mで、けっこう広いです。

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 すでにお気づきのように、人が掘った洞窟です。しかし、いつのものかは不明です。

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 鬼が大勢集合できます。

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 いま瀬戸内国際芸術祭をやっていて、洞窟内にも作品がありました。正直に言うと、現代アートは苦手です。ほとんど意味が分かりません。が、この映像作品は面白いと思いました。洞窟内には他にも2つ動く映像が置かれていて、音楽が低音のドンドコいう音で、洞窟だけにブキミです。

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 出ました、絵本のような鬼。

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 ここに紹介されているのは、橋本仙太郎さんの説です。橋本さんは高松市鬼無(きなし)が桃太郎さんの住んでいた所だという説を考えていて、1931(昭和6)年にこの洞窟を発見しました。発見といっても、彼が「おーこれだ!」って思ったという意味で、島には人が住んでいるので島民には知られていました。橋本さんの書いた『鬼無伝説桃太郎さん・鬼ヶ島征伐』がよく売れたせいで、鬼ヶ島として観光地化しました。

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 「宝庫」って書いています。腰をかがめて岩の上に登ってみると・・・

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 狭い隙間から、下にも小部屋が見えます。絵本や映画などに出てくる海賊のお宝の箱が置かれていました。

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 一家団欒。

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 鬼ヶ島天満宮。菅原道真が讃岐守だったころに桃太郎の話を書いたという説を紹介していました。これも、橋本さんの本に出てきます。いつの新聞かコピーを掲示しており、大阪の中学生がここで祈願して見事合格って、実名・写真入りで書いています。

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 ここにも芸術祭の作品があります。

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 「監禁室」って書かれていました。いきなり、現代風で生々しい凶悪犯なイメージ。「牢屋」にして欲しかったかも・・・。

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 ・・・・・・

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 「亀の甲天井」とありました。

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 もうすぐ出口という辺りで、横穴があります。

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 洞窟内の最後の作品。

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 中はかなり広く、奥にもまだ穴が見えます。

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 外に出ると、上に500万年前にできたといわれる柱状節理があります。溶岩が噴出してできたもので、鉛筆を重ねたようになっていて、多くは五角形をしているそうです。写真ではしょぼいんですが、実際はかなりの見ものです。

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 橋本仙太郎さんの『鬼無伝説桃太郎さん・鬼ヶ島征伐』を復刻、解説を付けたものです。もとのタイトルは旧字体で、右から書かれています。膨大な数の地名などを病的に集めまくってつなげていくの繰り返しで、途中で投げ出したくなること間違いなしです。なぜ、ベストセラーになったのか、謎。そもそも、地名を伝説の根拠にするのは問題があるように思います。逆に、伝説から地名が付けられた可能性が強いと思うからです。

  1. 2013/04/14(日) 22:03:43|
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古代備中国(2)

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 伝備中国府跡(総社市金井戸)です。国道180号線の国分寺口交差点から東へ500mほど、国道の北側にあります。国道沿い(南側)にも石碑が立っています。

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 国府、御所といった地名がいくつかあります。御所に石碑が立っています。個人的な希望ですが、もうちょっと人が来てみようかなと思える明るい空間にして欲しいです。しとーっとした重い空気で、犬のおしっこっぽい臭いがします・・・。

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 備中国分寺です。こうもり塚古墳や江戸時代の古民家等を保存したコーナーなども集まっていて、いい散歩コースです。常に観光客がいます。

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 間口五間、奥行二間の最初の門がありました。今は礎石を3つ残すのみです。

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 南門の両側には築地土塀(東西約160m、南北約180m)が廻っていました。

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 巨木を刳り抜いた井戸枠が、130㎝×60㎝の楕円形というのが不思議です。そんな楕円形の木って珍しくないですか(わざとへしゃぐというのも、さらに分からないし)???

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 こんな感じだったんですね。

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 中世(教科書的には院政期~戦国期)に廃寺となり、江戸時代中期に再興されたそうです。

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 間口五間、奥行二間の中門跡。礎石は1つしか残っていません。

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 山門です。

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 礎石が1つお地蔵さまの台になっています。

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 本堂です。

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 勅使門と客殿。

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 江戸時代後期の五重塔は国の重要文化財です。

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 内部が公開されるときに行きました。

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 不思議な動物が・・・(以下同様)

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 ネコダック?

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 さて、国分寺から東へ約700mに国分尼寺跡があります。東西108m、南北216mの国分尼寺をめぐっていた築地土塀跡です。基部の盛り土のようです。よく残ったなあとすごく不思議な気持ちになりました。南北朝時代(1336~1392年)に焼失したといわれており、礎石が残るのは分かるのですが、600年以上ももろい土のかたまりががひっそりと残ってきたんですねー。

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 表玄関の南門跡です。10m×6m程の門だったようです。

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 こんな感じでした。

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 中門跡です。基壇の遺構から21m×1.8mという横に長細い門だと考えられています。

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 国分尼寺跡で一番の見どころ、金堂跡です。

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 20m×13mの大きさだったようです。

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 同じく、金堂礎石。金堂に本尊がおさめられていて、寺の中心です。日本の寺院は、最初の飛鳥寺では塔が中心に置かれていましたが、次の、四天王寺・法隆寺では2つが並び、薬師寺以降は金堂が中心に位置しています。

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 講堂跡です。礎石は2つしか残っていませんが、盛り土の範囲から金堂と同じぐらいの規模と推測されています。他にも、何らかの建物跡が残っていますが割愛。

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 国分寺の目の前(南)には、「総社市吉備路 もてなしの館山手」という道の駅風の建物があり、広い駐車場があります。また、すぐ南には三宅酒造という、とても古いいい建物があり、内部を見学できます。お酒もかなり有名なようです。 


  1. 2013/04/13(土) 21:45:36|
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古代備中国(1)

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 総社宮(総社市総社)です。備中国の総社で、間違いなく総社という地名はここから来ているでしょう。ちなみに、すぐ南の倉敷市は巨大なイオンや三井アウトレットなどがあり、家電量販店も密集しています。しかし、総社市は鬼ノ城、備中国分寺、福山城跡、宝福寺など歴史遺産では負けていません。ショッピングセンターのお総菜コーナーも倉敷より充実していた気がします。どうでもいい情報でした。
 この鳥居の西側に「まちかど郷土館」があって、展示品が興味深いので、そのうち紹介します。

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 総社市のHPには、324社の神を合祀しているとあります。いまさらですが、「国司の手間を省くため」という理由でも、ご利益は割り引かれないのでしょうか。

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 お社がたくさんあります。

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 島にもたくさんお社があります。

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 三島式庭園というようで、古い様式なのだそうです。

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 さて、次は備中国の一宮、吉備津神社(岡山市北区吉備津、国道180号線の南)です。実は、こちらの写真が多くなってしまったので、美作、備前と見てきたそれぞれの国府跡・国分寺跡・総社・一宮ですが、今回は2回に分けて紹介します。
 かつての山陽道は国道180号線を北へ超え、さらにJR吉備線の北側を通っていました。この鳥居が本来の参道の始まりです。

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 長い参道を通ると大きな駐車場があります。最初に目撃するのが、この「矢置岩」です。

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 桃太郎の起源になったといわれる「温羅(うら)伝説」が有名です。吉備津彦命が温羅という鬼を退治したというものです。最初、吉備津彦命が矢を放つと、温羅の投げた岩と空中でぶつかって落ちたそうです。その際、命が矢を置いた岩がこれだという伝承です。

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 登った後、振り返った北随身門(室町時代、国の重要文化財)です。

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 国宝の本殿・拝殿です。1425(応永32)年再建。吉備津造と呼ばれる独特の様式です。

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 お酒の好きな方にはたまらないでしょう。

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 1357(延文2)年再建の南随身門(国の重要文化財)です。

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 随身門をくぐって下に降りる、1579(天正7)年再建の回廊(県指定重要文化財)です。

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 360mあります。

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 回廊をほぼ降りたあたりで右に曲がると、お釜殿(国の重要文化財)です。

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 申し込むと鳴釜神事を受けられます。大きな釜に湯を沸かし、上にのせた玄米の入ったセイロから鬼の唸り声のような音が聞こえ、それによって吉凶を占います。これも温羅伝説に基づくものです。
 吉備津彦命が温羅を退治したのち、鬼の首が唸り声をあげ続け、骨になってもおさまりませんでした。そこで、神社の釜の下に埋めると、吉備津彦命の夢に鬼が現れ、自分の妻にこの釜を炊かせて欲しい。そうすれば、吉備津彦命の家来となって、釜が鳴る音で吉凶を教えよう、と告げたのでした。

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 鬼瓦が意味ありげに見えてしまいます。

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 外(西側)から見た回廊・南随身門・本殿です。

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 神社のある吉備中山(きびのなかやま)を自動車で少し登ると、岡山県古代吉備文化財センター(HPが充実)があります。そのすぐそばに、4世紀につくられた中山茶臼山古墳(105mの前方後円墳)があります。吉備津彦命の墓とされ、宮内庁管轄になっています。
 余談ですが、ここからさらに少し行くと、黒住教本部があります。








  1. 2013/04/12(金) 18:25:48|
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古代備前国

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 備前の国府跡と推定されている場所です(岡山市国府市場)。

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 発掘等による物証は得られていません。付近の地名から推測されたものです。

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 備前の総社宮(岡山市祇園)です。

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 残念なことに、説明板にある社殿等は近年の火災により焼失し、関係者による復興が試みられているようです。

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 備前の一宮、吉備津彦神社(岡山市北区一宮)です。

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 南にある中山を背景に、すぐ西にある吉備津神社(備中の一宮)と同じく、大吉備津彦命を祭っています。

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 1697(元禄10)年に池田綱政さんが造営した随神門です。

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 1859(安政6)年につくられた日本一の燈籠(高さ11.5m)が2基あります。

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 拝殿。

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 祭文殿。

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 渡殿と本殿です。本殿は岡山県指定文化財で、池田綱政さんのとき1697(元禄10)年に完成しました。

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 備前国分寺跡(赤磐市)です。県道27号線付近で、以前紹介した両宮山古墳の近くです。塔の心礎の上に作られた国分寺跡石造七重塔は鎌倉時代の作と推定されています。

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 国分寺の建立は、奈良時代の聖武天皇が741年に国分寺建立の詔で命じたものです。737年に権力を握っていた藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂(不比等の子)が天然痘によって亡くなった後、橘諸兄政権(吉備真備・玄昉が補佐)になりました。このとき、740年に藤原宇合の子・広嗣が九州で反乱を起こしたことに慌てた天皇が都を転々と移すとともに、仏教による鎮護国家を願ったものです。743年には大仏造立の詔が出されました。大仏開眼供養(752年)のころには、藤原仲麻呂が権力を握っていました。

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 先ほどの石塔の左。一帯にかなり広い野原が広がっています。現在は少しずつ整備されていっているようです。

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 国分尼寺跡。

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 どこに何があったのか、何も残されていません。

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 国分寺跡の近く、県道27号線沿いです。ここは古代山陽道の駅家(えきかorうまや)、高月駅の跡とされています。

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 七道、つまり、都と各国の国府を結ぶ官道(かんどう、駅路)のなかで山陽道は最も重視されました。原則として駅路には30里(16キロ)ごとに駅家がおかれ、駅馬が常備されました。駅鈴(えきれい)をもつ官人などがこれを利用しました。山陽道には約13里間隔で駅家を設け、それぞれ馬25疋がおかれました。『延喜式』(905年、養老律令の施行細則をまとめたもの)によると、岡山県内の駅家は、備前の坂長(さかなが)・珂磨(かま)・高月・津高、備中の津峴(つかさ)・河辺(かわのべ)・小田・後月(しつき)の8駅です。

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 オマケ。付近にある「岡山県の近代化遺産」に選ばれている建物です。久米南町にあった赤坂尋常高等小学校(明治43年建築)です。高月小学校跡地に移転されたものです。









  1. 2013/04/11(木) 20:43:32|
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岡山県の後期古墳(6世紀)

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 吉備三大巨石墳を紹介します。まず、岡山市の牟佐大塚(むさおおつか)古墳です。

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 この地の有力者、上道(かみつみち)氏の古墳と考えられます。

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 誰か住んでいたらちょっと恐いなあと思いながら、覗きこむとコウモリが飛びしてきて、無意識に思い切り後ろに走っていました。

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 石室の長さは18mです。貝殻石灰岩(井原市白山)の石棺がきれいな形で残っています。珍しく、中まで自由に入れます。

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 総社市の、こうもり塚古墳です。五重塔が美しい国分寺の一角にあり、風光明媚な散歩コースになっています。

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 全長100mで、石室は19.4mあります。

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 横穴式石室は後期古墳の特徴です。

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 めったに公開されないので、歴史ファンが熱心に見ています。名前の通り、ここもコウモリが住みついています。

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 三大巨石墳、最後は、倉敷市真備町の箭田大塚(やたおおつか)古墳です。

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 直径54mの円墳です。

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 石室は19.1mあります。刀剣・馬具・金環・勾玉などが出てきました。

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 鉄格子の間にカメラを突っ込んで撮影。石棺が壊れていました。

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 オマケ。真備町つながりで、2007年の勝負砂古墳(5世紀後半、倉敷市真備町)の現地説明会の様子を紹介します。

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 岡山大学による発掘調査で、未盗掘の竪穴式石室が発見されたとあって、大勢の人が集まっていました。

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 かなり掘ってます。

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 右の方に短甲(鉄製のよろい)が見えます。

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 その他、青銅鏡、大刀、槍、青銅製の馬具などがありました。本物がそのまま見られて、大興奮でした。




  1. 2013/04/10(水) 20:06:37|
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岡山県の巨大古墳

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 岡山市新庄下(しんじょうしも)にある、5世紀に作られた造山(つくりやま)古墳。全長360mで、全国第4位の大きさ。

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 木が生え放題で、普通の山になっています。

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 周囲に陪塚(ばいづかorばいちょう)といわれる同時期につくられた小型の古墳がいくつかあります。陪塚とは親族か家臣の墓、あるいは、副葬品のための古墳です。

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 上にあがってみても様子がよく分かりません。向こうが後円部。 
 ヤマト政権は、服属した地方豪族を国造(くにのみやつこ)などに任命しましたが、岡山県の国造は、大伯(おおく)国造・上道(かみつみち)国造・三野(みの)国造・下道(しもつみち)国造・加夜(かや)国造・笠臣(かさのおみ)国造です。大伯氏以外は身分を示す姓(かばね)はすべて「臣(おみ)」で、ヤマトの有力豪族と同じです。

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 造山古墳と、後で紹介する作山(つくりやま)古墳は、吉備下道臣(しもつみちのおみ)氏のものと考えられています。

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 前方部に置かれた石棺は阿蘇山の凝灰岩でできています。

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 『日本書紀』(720年)によると、雄略天皇7(463)年に、吉備下道臣・前津屋(さきつや)が天皇を呪詛(じゅそ)したことが、官者(とねり)の吉備弓削部(ゆげべ)虚空(おおぞら)の密告によって発覚、前津屋(さきつや)は天皇がつかわした軍隊によって殺されたそうです。

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 陪塚といわれる千足(せんぞく)古墳。

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 石室を仕切る壁に描かれた直弧文(ちょっこもん)という独特の模様が雨ざらしで風化、最近、岡山市はこれを取り出して埋蔵文化財センターに保存しました。

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 この写真を撮ったのは、そのずっと前で、上から見られるようになっていたのですが、雨が溜まって完全に水没していました。シロウト目にも、これっていいのかなあと思ったものです。ニュースを聞いて、やっぱりなーって感じでした。

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 こちらが、総社市三須(みす)の作山古墳で、286m、全国第9位です。同じく、おそらく下道(しもつみち)氏の墓で、5世紀のものです。

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 ここも山になってます。

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 というか、公園化しています。

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 造山古墳と市は異なりますが、実は、けっこう近くにあります。

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 ついでに、作山古墳のすぐ近くにある、方墳の角力取山(すもうとりやま)古墳です。

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 さて、次はずーっと東へ、赤磐市山陽町まで行きます。

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 両宮山古墳(赤磐市山陽町、192m)です。これまた、なんのことやら形が分かりません。

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 説明板の上空写真の方がよく分かります。吉備上道臣(かみつみちのおみ)の墓と考えられます。
 『日本書紀』(720年)によると、雄略天皇7(463)年、吉備上道臣・田狭(たさ)が朝鮮に派遣され、その間に妻の稚媛(わかひめ)が天皇に奪われました。田狭(たさ)は朝鮮で反乱を起こしました。雄略天皇が479年に崩御すると、妃の稚媛(わかひめ)が雄略天皇とのあいだにもうけた星川皇子を押し立てて、皇太子・白髪皇子から大王(おおきみ)の位を奪おうとしましたが、ヤマトの軍隊によって関係者は全員、殺されました。また、このクーデタに関わったとして、上道臣も罰せられ、山部(?)が奪われました。

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 陪塚の和田茶臼山古墳。

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 もとはかなり大きかったようです。

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 これも陪塚の森山古墳。

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 立派な古墳です。

 ところで、『日本書紀』で吉備下道氏、上道氏を討ったとされる雄略天皇は5世紀の有名な天皇です。①中国の史書『宋書(そうじょ)』倭国伝に、478年に遣使(けんし)した「倭王(わおう)・武」として登場します。武(雄略天皇)の上表文によれば、寝る間がないほどの戦いに明け暮れ、たくさんの国々を制覇しました。②埼玉県稲荷山(いなりやま)古墳出土・鉄剣と熊本県江田(えた)船山(ふなやま)古墳出土・鉄刀に「ワカタケル大王」と彫られているのは、雄略天皇の名前です。つまり、埼玉から熊本までは押さえていました。
 6世紀になると、欽明天皇16(555)年、大臣(おおおみ)・蘇我稲目らを派遣して吉備五郡に白猪屯倉(しらいのみやけ)を設置。翌年にも、大臣・蘇我稲目を派遣して児島郡に屯倉を設置しました。敏達天皇8(579)年には、大臣・蘇我馬子らを派遣して、白猪屯倉をさらに拡大しました。屯倉とはヤマト政権の直轄地です。また、天皇家に仕える名代(なしろ)という部民などが定められ、地方豪族である国造がこれを管理する役割を担うなど、ヤマト政権の支配体制が確立していきます。



  1. 2013/04/09(火) 20:42:50|
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美作の国1300年

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 津山市中心部付近にある国府台寺です。

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 この辺りに美作国府がありました。1970年からの中国縦貫道の建設に伴なう発掘調査によって、岡山県下で唯一の確認された国庁遺跡となりました。3つの時期のものが発見されています。①7世紀後半~8世紀初頭(美作国成立以前の郡庁)、②8世紀初頭~9世紀前半、③9世紀後半~13世紀前半。このうち②では、85m(南北)×100m(東西)の塀と、建物群の遺構などが見つかっていて、国司の居館らしき遺構も見つかっています。国司の役職の一つ「少目(しょうさかん)」銘の土師器(はじき)の坏(つき)までが出土しており、讃岐国府発掘がやっと端緒についた香川県人には実にうらやましい話。

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 お寺の中にある美作国府跡の碑。
 689(持統3)年の飛鳥清御原令で備前・備中・備後が定められたと考えられています(飛鳥池遺跡から出土した同時期の木簡から推測)。美作国は713(和銅6)年、備前の6郡を割いておかれました。これが、最近、ニュースなどで耳にする「美作建国1300年」の意味です。国の設置が遅れた理由は、山間部に官道を作るのが大変だったからと考えられます。

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 すぐ近くにある、美作総社宮です。国司には国内の神社を参拝して回る役割があり、大変でした。これを簡略化するため、国府の近くに神社をまとめて合祀したのが総社です。

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 拝殿の後ろに本殿があります。

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 かなり豪華です。桃山時代の建築様式です。

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 1562(永禄5)年に毛利元就が造営したもので、国の重要文化財です。

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 町が一望できます。

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 中山神社前の推定樹齢800年のケヤキ。

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 津山市内を少し北に行った中山神社は、美作国の一宮(いちのみや)です。一宮はその国を代表する神社で、11世紀末ごろに定まったと考えられています。鳥居は全国に類のない独特の形(分類がけっこう複雑なようですが、どれにも当てはまらないそうです)。

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 鳥居の横には推定年齢500年のイチョウがあります。

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 中に入ってみます。

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 拝殿です。

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 修理中でした。戦乱により焼失し、1559(永禄2)年に尼子晴久が復興しました。国の重要文化財。

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 津山市内を53号線で東へ少し進むと、国分寺跡があります。こちらは、岡山県内では国の史跡に指定されたのが遅く、2003年です(とくに備中は国分尼寺跡も国の史跡)。地図で、金堂の前あたりにこの説明板があります。青い回廊が四角く見えますが、その右(東)に黒い枠が見えると思うのですが、これが現在の国分寺です。金堂の前に灰色の太い道がそちらに向かっていますが、この灰色が今の道路です。

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 地図に灰色で示された道路と、その向こうの現国分寺。

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 けっこう分かりづらい場所にあります。

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 礎石が置かれていました。

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 ここにも超巨大な礎石が。

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 もとの国分寺は平安末期には衰退したようです。

 以上、奈良~平安時代の間に国府・国分寺・総社・一宮がセットになりました。









  1. 2013/04/08(月) 20:01:32|
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鎮花祭(さぬき市・宇佐神社)をちょっとだけ見ました

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 宇佐神社で鎮花祭(ちんかさいorはなしずめのまつり)という行事があると聞いて、見に行きました。

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 最初、正面に見える小さなテント内で、内輪で挨拶などが行われていました。桜の散るころに流行するという疫病を鎮めるための儀式だそうです。

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 最初の式でテント内から、2000年の歴史を持つという紹介が聞こえてきました。四国新聞のHPによると、宇佐神社では1980年から行われているようです。

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 花咲じじいみたいな人がまじっていました。

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 最後は子供たちです。

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 本殿に向かいます。

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 中に入った所まで見ました。

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 雨という天気予報でしたが、急速に晴れました。しかし、強風が吹き荒れる天気。

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 以前、桜を紹介した亀鶴公園にある神社です。

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 強風で花弁が散っています。今後、春らしい風物に出会えますように。


  1. 2013/04/07(日) 15:48:46|
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紫雲出山(三豊市)で今年の桜は見おさめ?

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 展望台から。

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 丸山島・大蔦島などが見えます。

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 粟島が見えます。

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 紫雲出山頂は高校日本史にも載っている高地性集落遺跡で有名です。詳しくは、9月29日のブログを見てください。弥生人家族も桜に満足。

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 駐車場の展望台から東を見たところ。善通寺の山々が見えます。



  1. 2013/04/06(土) 14:32:48|
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今年の丸亀城の桜

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 お堀の北東から。

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 お城の西、資料館の裏に車を停めると、まず京極氏の屋敷のあった場所に出ます。

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 お屋敷の表門、玄関先御門。

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 見返り坂を登る前に振り返る。右に大手門などがあります。坂を登る前に少し寄り道・・・

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 お城の北側です。右の方に、大手門、枡形があります。

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 お花見でにぎわう場所の一つです。

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 見返り坂を登った所。三の丸北の石垣。20m以上あり、扇の勾配といわれています。

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 復原された三の丸東石垣が向こうに延びています。

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 二の丸。かつて貯水池があったころの石段がそのまま残っています。

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 本丸へ登ります。

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 天守閣。四国一古い1660(万治3)年に建てられた現存天守です。

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 南を覗いたところ。下に三の丸井戸が見えます。ここも抜け穴伝説があります。

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 どこからも目立つ飯野山。

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 不意に人がひいたのであわてて撮ると、やはり、ナナメ・・・。

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 二の丸北側。

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 お屋敷の跡まで戻って来ました。

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 かつては庭の景色の一つであった、かぶと岩。なぜか、昔の男子小学生はこれを見ると衝動的に登りたくなるようで、みなよく登ったものです。

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 節目、節目に来てしまう丸亀城。




  1. 2013/04/05(金) 17:41:22|
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栗林公園(高松市)の桜

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 檜御殿跡。

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 きれいに咲いています。 

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 北門付近の芝生広場。お花見シート?の多いのが、ここと入ってすぐの桜標本木の付近。

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 はじめは百花園といわれ、のち、平賀源内が管理した薬園があったところ。

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 西湖(せいこ)のほとり。

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 南湖です。桜はありません。

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 花もお団子も。

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 偃月橋(えんげつきょう)。借景の紫雲山は、見える範囲は国から高松市が借りています。

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 桜はそれほど多いわけではありません。松が主役の公園です。


  1. 2013/04/04(木) 20:42:34|
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玉藻公園(高松城)の桜など

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 艮櫓とシダレザクラ。もともとの城はもっと大きかったので、艮櫓はその丑寅(北東)にあったものです。1967(昭和42)年にここに移されました。

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 桜の馬場です。

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 ということで、玉藻公園内の桜はここだけです。

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 復原された天守台です。最近、公開されました。実はこれが見たくて、桜も咲いているし、来てみました。さっそく、行きましょう。

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 鞘橋を渡って行きます。

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 鞘橋の西側には、琴電築港駅があります。ちょうど電車が停まっています。

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 いよいよ天守台に登ります。

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 天守台から鞘橋の方向。

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 北を見る。

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 すぐそこに海があります。

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 真ん中あたりに月見櫓が見えます。

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 東の桜の馬場が少し見えます。

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 さて、来た道を戻ります。正面が桜の馬場。

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 最後にもう一度、天守台を眺めて帰りました。

  1. 2013/04/03(水) 21:11:39|
  2. 史跡・文化財など
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高瀬通し(岡山県倉敷市)

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 前回にちらっと出てきた高瀬通しを詳しく紹介します。高梁川(右の土手の向こう)から水を引いた小川がそれです。江戸時代に玉島を支配していた備中松山藩によって、玉島との交通機関として整えられました。

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 一の口水門と小屋です。

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 江戸時代の初期につくられたようです。

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 石垣がいい感じです。

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 下におりて覗いてみると、アヒルの住み家になっていました。

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 「白神源次郎記念碑」の近くにある、二の口水門跡です。

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 両岸から綱で引きました。

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 さらに南に、しっかり残る又串水門です。

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 水門の上から南を眺める。

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 終点は、玉島船だまりでした。

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 NHK岡山放送によると、「上流からは鉄やベンガラなど、下流からは海産物などが運ばれ」ました。

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 現在の玉島船だまりの辺り。何もありません。確か、映画『ALWAYS三丁目の夕日』で一平くんと淳之介くんが帰りの電車賃がなくて泣いていたシーンの水門がこの付近だったと思います。写真を撮らずじまいで、今では取り壊されてしまって残念です。








  1. 2013/04/02(火) 21:11:49|
  2. 史跡・文化財など
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白神源次郎さん(倉敷市)と木口小平さん(高梁市)

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 倉敷市船穂町です。高梁川(右の土手の向こう)に沿ってこのような小川が流れ、玉島にまで続いています。かつての高瀬船の水路です。ずっと向こうに見えるのは江戸時代につくられた水門の一つです。さて、写真を撮る私のすぐ左手を見ると・・・

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 「白神(しらがみ)源次郎記念碑」がこの上にあります。

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 1906年に建てられた記念碑です。

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 教育委員会の説明にある通り、日清戦争の軍国美談として有名になった方です。

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 白神源次郎さんは、高瀬船を曳く仕事をしていました。軍隊ではラッパ手として高い評価を得ていました。しかし、のちに、日清戦争のときにはラッパ手ではなく歩兵であり、水死であったことが判明しました。

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 ここは高梁市の「小平園」です。つぎに軍が美談のラッパ手だと認めたのは、高梁市成羽町の木口(きぐち)小平さんでした。1902年に教科書も改められました。

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 この公園は1914年に造られました。

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 1914年の顕彰碑です。生家も残っているそうです。以前、多度津の「一太郎やーい」のことを紹介しましたが、はからずも国家権力によってか弱い庶民がほんろうされる姿が見え隠れします。





  1. 2013/04/01(月) 22:37:17|
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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