どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

石の民俗資料館(高松市牟礼町)

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 源平の里・牟礼町にある石の民俗資料館です。この付近は、庵治石という花崗岩で有名です。

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 石のアートがたくさん置かれています。

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 何故か、ネズミ。

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 ポツンと離れた岡の上に一体。空を見つめる宇宙人…?

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 結構いい景色です。右に屋島が見えています。

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 中の展示の一部を紹介します。まず、目を引くのが昔の石工たちの作業を紹介するコーナー。写真は、石引きの様子です。大きな石の時は、ロクロを回してロープを引きました。石の下にはコロを置きますが、コロが地面にめり込まないように、歩板(アイビ)という板を敷きました(香川県人はたぶん、「しく」ことを「ひく」と言います)。

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 丁場(採石場)で石切りをしている様子。割れやすい方向は岩脈といって決まっているそうです。この辺りは、東西方向だそうです。

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 加工風景です。墓石や灯籠が多いそうです。

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 こうやって磨いていたんですねー。

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 中国で穀物を粉にしている様子。

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 ここから見える遠くの山並み。

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 すぐ近くの六万寺。源平合戦のとき、安徳天皇の行在所となりました。

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 お寺のHPによれば、今の建物は延宝7年(1679)年に初代高松藩主松平頼重さんが再建したそうです。お宝も多く、香川県立ミュージアムに保管されています。また、安徳天皇を慰めるためにはじまったといわれる、子ども相撲が高松市無形民俗文化財になっています。





  1. 2013/07/31(水) 21:37:39|
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琴平駅と松里庵など(琴平町)

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 昨年、有形登録文化財になったばかりのJR琴平駅です。1922(大正11)年に建てられました。

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 駅の横の建物で「昭和の映画ポスター展」が行われています(11月いっぱいまで)。歴史好きなので、「天平の甍(いらか)」(1980年)はとても感動しました。奈良時代、普照(ふしょう)、栄叡(ようえい)などの若い僧が日本に高僧を招こうと中国へ渡る話。鑑真さんという願ってもない超えらいお坊さんが、国禁を犯してまで自ら来てくれることになるが、みなさんご存知のように、大変な苦難に見舞われます。鑑真さんは盲目となり(あとで盲目になったという説もあり)、生きて帰れたのは普照ただ一人でした(親友の栄叡も亡くなりました)。鑑真さんは有名ですが、何をした人か、知っている人は少ないと思います。まして、その意味などは…。さらに、その陰に隠れた普照たち青年僧のことなど、歴史に埋もれています。人が一生かけてできることは実に少ない。しかし、中国の国禁を破ってでも、つまり、権力に逆らってでも、彼らを命がけの冒険に駆り立てたもの、内からほとばしる情熱に感動したのでした。その根底にあるものが、文化的価値へのエロースであるのか、仏教的人類愛なのか、それとも…なんてことは分からないが。

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 「猿の惑星」は、映画で見たのかテレビで見たのか忘れましたが、SF好きの範疇を超えて、相当話題になりました。アポロに感動して育った世代ですから。最近また、宇宙への夢が再燃していますが、間に挟まれた世代はちょっとかわいそう。

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 バットマンの動きが植木等に見える。

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 「スティング」はそうとうはまった映画でした。

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 「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」は、2007年の映画「ふみ子の海」や、『鋼の女 最後の瞽女・小林ハル』(下重暁子著)などと頭の中でごっちゃになっています。後の2つは実話で、私としては、こちらのほうが感動しました。戦前までの盲目の女性へのひどい差別と、生きるために山深い村々を命がけで回り、神秘的な歌声で神のようにあがめられる彼女ら。どちらも真実。

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 駅前にも古い石灯籠が保存されています。

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 琴平の勤皇家・日柳燕石(くさなぎえんせき)さんがひいきにした料亭・松里庵(しょうりあん)。外から見るだけで、中は入れません。燕石さんは長州の有力者と交流があったので、いろんな人が来ていると思います。特に、高杉晋作さんがここの座敷の抜け穴から脱出した話が伝えられています。

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 すぐ近くの、三亭(さんてい)地蔵です。最初、丸亀市中津の万象園(旧京極家別邸)の隅にあり、信仰を集めていました。ところが、一度洪水で流され、その後、奇跡的に多度津の漁師さんの網にかかりました。藩に相談した結果、こちらに安置されることになりました。

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 昔はここから中津の砂浜が見えたそうです。中津は私が子どものころは海水浴場としてにぎわってました。丸亀市の人はここか、坂出市の沙弥島(しゃみじま、当時から陸続き)に泳ぎに行ったものです。ちなみに、写真の石灯籠は幕府につかえた連歌師・里村玄陳さんが承応3(1654)年に寄進した、琴平町で最も古いものです。




  1. 2013/07/28(日) 09:20:12|
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金倉寺客殿(善通寺市)

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 善通寺市の金倉寺(こんぞうじ)、仁王門は南の端。実は、駐車場は北西角にあり、歩いてすぐに大師堂や本堂に至ります。門の方に回る必要はないのですが、門から入る形で紹介します。

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 「鶏足山(けいそくざん)」の号は、乃木将軍に書いてもらったものを模写したもの。

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 変わった鐘楼。ちょうど、チョウチョが飛んできました。(関係ない話ですが、丸亀では、飼い犬なんかを叱るとき、「チョ!」と言ったりします。)

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 正面が本堂です。右に見えるのが「妻返しの松」です。善通寺第十一師団長の乃木さんは金倉寺を仮住まいとしていました。大晦日の夕方、夫人が訪ねて来ました。

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 夫人は直接入らず、寺の者に声をかけ、面会の取り次ぎを頼みました。妙栄(みょうえい)という小僧さん(のちの住職)はびっくりして、乃木将軍に声をかけますが、最初は聞こえぬふり、次には「別に会う必要はないでしょう」と言います。妙栄さんは住職・俊良(しゅんりょう)さんに相談します。住職さんは夫人を別室に通し、将軍を説得することを約束し、今日の所は旅館に戻るように言いました。(この旅館は、多度津の「花びし」で、現在は跡地の石碑があるのみです。)帰る際、夫人がこの松の前にしばらく佇んでいたことから「乃木将軍妻返しの松」といわれるようになりました(いまの木は3代目)。一般には、ここまでしか知られていませんが、実際には、住職さんの説得により、翌日の夕方、夫人はやっと面会でき、1週間ほど滞在しました。(寺報『ユジュ』4号より。)

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 金倉寺は、空海さんの甥、智証大師・円珍さんの生誕地です。

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 客殿です。乃木将軍遺品と合わせて、12月まで、第1・第3土日のみ公開されています。

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 ここで乃木将軍が生活していました。

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 ランプと囲碁の道具は実際に使ったものです。

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 こちらがダイニングです。

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 食器もそのときのものです。

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 寝室です。皇居に足を向けられないということで、床の間の方に足を向けて寝たそうです。

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 寝室前の庭。

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 当時の、お役所関係者全員が載った分厚い名簿。

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 遺品の帽子です。数々の遺品は、お寺を去るときに、わざわざ目録を記して残していったものです。

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 客殿前の庭です。

  1. 2013/07/25(木) 17:57:49|
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海女の玉取り伝説(さぬき市・高松市)

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 志度寺の海女の墓です。

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 藤原氏北家(のち摂関政治を行う)の祖・房前(ふささき)さんの母が、命と引き換えに竜神からお宝を取り戻した海女さんだったという伝説。のち、能の「海士(あま)」として有名になった物語です。

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 高浜年尾さんの句碑。「盆に来て海女を とむらふ心あり」。

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 高浜虚子さんのご長男のようです。

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 ちょっと前に撮った写真ですが、なんで木で囲われているのか謎。見づらいので、かなり以前に撮った写真をつぎに載せておきます。

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 すっきり。

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 海女さんが、命と引き換えにお宝である玉をとり返した、真珠島は徳島文理大学の北西500mほどの場所。いまは埋め立てで陸地になっています。

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 西側にある小さな駐車スペースの前。こんもりした小山が、真珠島です。

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 周りを小道がめぐっています。

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 南側から登れるようになっています。ここに来るまでに、セミのおしっこがかかり、「たっ、たたりじゃーっ!」と、すっかり意気消沈していたので、上がるのはやめました。

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 どうやら、こちらが正面のようです。

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 小さな無人島だったようです。

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 志度寺や真珠島のすぐ西側にある高松市の庵治半島。正面に太鼓の鼻が見えます。

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 岬に舞台を組んで、音楽を奏で、竜王を引きつけたそうです。下の方が、草ぼうぼうで読めません。マダニが恐くて、草むらに入れません。結構、わけのわからぬウイルスに感染するほうなので・・・。

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 なかなかの雰囲気。

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 左側の岩の上には石仏があります。南無阿弥陀仏・南妙法蓮華経・南無大師遍照金剛・・・。




  1. 2013/07/22(月) 21:11:24|
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こんぴら昭和劇場(琴平町)

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 琴平町では「こんぴら昭和劇場」と題して、7月~11月にかけて、いろんなイベントを行っています(うどん県・時間旅行物語のHP参照)。写真は商店街にある「こんぴら昭和テアトル」。

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 スクーターのシルバー・ピジョンがかっこいい。

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 戦後の日本を走りまくりました。

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 鉄人28号のおもちゃ。ぱっちんの絵が何なのか不明…。

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 この怪獣は?バラゴン? 中央下のヨーヨーには宇宙エースが描かれています。

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 てっぽうのオモチャは男子の必需品でした。戦争を知っている母親は、武器関係のおもちゃを嫌っていましたが、子どもの頃は、その意味が分かりませんでした。

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 でたっ、昭和の象徴、ミゼット。

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 アイスクリームの入れ物が懐かしい。駄菓子屋さんによっては、自家製のコーヒー・アイスなどをつくっていて、これがたまらなくおいしかった。

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 看板、盛りました。うどん県の冊子には、「昭和の雑貨屋を再現」と書いていましたが、雑貨屋といわれると、ちょっと違う気がします。田舎のお店は、いわゆる雑貨もあるけど、野菜~お肉~食料品一般、文房具、はかり売りのお菓子、アイス、時には、サトウキビまで売っていました。

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 後ろの棚が懐かしい。近所のお店にもありました。文具や歯磨きなどを入れてありました。

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 目一杯詰め込みました…。

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 隣の薬屋さんには、古い看板がかかっています。

  1. 2013/07/20(土) 18:39:42|
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おいり

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 「おいり」という甘いお菓子です。香川県西部(西讃)で、結婚式のときご近所に配られていたものです。昔は紙の袋に入れて、一番上に平たいやつが2枚入っていました。いまでは、こんなふうに普通に売っています。中は空っぽで、食感はふわふわ。すぐ溶けます。

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 容器もいろいろ。一見、工場かなんかでしゅっとできそうですが、手間のかかる手作業です。主な原料は餅米です。詳しくは四国新聞社のHP「21世紀へ残したい香川」に載っていますので、ぜひ、見てください。意外な作り方で、職人技が必要なのがわかります。
 県立文書館主催の近現代史講座で、講師・秋山照子さんの近世~近代への「婚礼儀礼」に関する講義で「おいり」が出て来たので、ちょっと紹介したくなりました(何でも記録したがる人間なので、写真はこれまでに撮っていたもので、このために用意したわけではありません)。講義の内容は、特に近代になってからの、お金持ちさんの結婚式での供応食の中身を詳細に分類・検討したものです。お招きする人々を階層によって分け、1週間にもわたって供応するという豪華さ・・・。で、食事(+酒・肴)や食器、みやげの中身が、(6~8の)階層によってあからさまに区別されています。その量たるや半端ではなく、差異化をはかるといっても、材料は一括購入なので、そこにいろんな工夫が凝らされたりします。
 配布された資料で、土産ものの中に「煎物」「いり米」という名で、「おいり」がありました(その他のお土産は、人形とか、墨・筆・鉛筆…など)。「おいり」は3石とか、6石とか準備されていました。といっても、お米が3石とかではなく、「おいり」そのもののことです(石はご存知のように、重さではなく量を表す単位です)。



  1. 2013/07/17(水) 18:32:07|
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ひまわり(まんのう町帆山)

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 まんのう町仲南(ちゅうなん)地区帆山(ほのやま)のひまわりでした。道路の向こう側にも畑があって、町のHPによると全部で25万本!!!だそうです。

  1. 2013/07/16(火) 21:24:06|
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庭瀬・撫川の町並み(岡山市)

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 この前、岡山市の庭瀬(にわせ)城跡・撫川(なつかわ)城跡を紹介しましたが、この辺りは古い町並みやたくさんの掘割が残っています。

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 「吉備津(大坂・岡山)道」、「金毘羅(ゆが・倉しき・玉島・かさ岡)道」の道標。古い道標はたくさん残っています。

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 倉敷市児島の由加山はご存知のように、古来から信仰の場として栄えました。江戸時代に金毘羅参詣ブームがおこると、「両参り」で御利益倍増がキャッチフレーズになったようです。
 町の産業・歴史についての解説や図もたくさん設置されています。

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 町の自転車屋さんだけは、時代が変わっても各地で活躍中ですが、このたたずまいはノスタルジックです。欲を言えば、ブリキの看板が見たい。

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 庭瀬・撫川のさかいの境川。

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 ここにあった常夜灯が、通行の邪魔になって、すぐ隣のお寺に移されたようです。

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 ひっそり。

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 文化2(1805)年。11代将軍・家斉のいわゆる大御所時代。化政文化が花開くころですが、他方、貧富の差が拡大したころ。資金のあるものは問屋制家内工業を始めるが、無い者は小作人・年季奉公・日用稼ぎに従事し、無宿人も増えてきます。1805年には八州廻り(関東取締出役)が置かれています。ロシアをはじめとする外国との緊張関係も高まっている。オマケに、少し前に松平定信失脚の一因となった尊号一件が起こり、朝幕関係がぎくしゃくし始めているころ。この常夜灯が何を見てきたのか、気になるところ。

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 薬屋さんだった所。

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 誰が描いたんでしょうか?

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 看板もいいです。

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 川野屋というお醤油屋さん。醤油を一本買いましたが、おいしかったです。

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 撫川うちわという特産品もあります。
 私の生まれた丸亀もうちわの全国シェア9割で、特産品です。私のおじいさんは骨組みを作り、母と、私たちと一緒に暮らしていたよそのおばあさんは、糸を通して、紙を貼る前までの工程をしていました。ただし、昔の「内職」なのでひどい賃金でした。最近、ブラック企業という言葉がありますが、ともかく、子どもが夢を持てる明るく正しい社会づくりをしてほしいです。正義を口にしないことを「オトナ」と呼ぶ暗い社会体質をなんとかしてほしいものです。
 話が脱線。

PS.(訂正・補足)うちわ製造についてネットで調べたところ、今は作業場で「アルバイト」の形で、ちゃんとした時給で働いているようです。昔の「内職」の賃金があまりにひどかったので、子どもに少しでも菓子でも買ってやりたいという当時の母親たちの気持ちを考え、少し、怒ってしまいました・・・。うちわは故郷・丸亀の代名詞なので、ホッとしました。

(注)一般論として、今でも「内職」というものは「最低賃金」の対象ではなく、「最低工賃」として個別に認められなければ放置されています。








  1. 2013/07/13(土) 09:45:49|
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藤尾城跡(高松市)

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 高松市の香西宇佐神社、戦国時代の藤尾城跡です。自動車を置く所があるものと思っていたら、付近にありません。「クルマはこちら」みたいな絵があったので、その通りに行ってみると、上に登り始め、信じられない狭い所を通ることになり、心細くなりました。泣きたい気持ちで進むと、まま広い所があったのですが、「駐車禁止」!・・・で、仕方なく、さらに登って本殿まで行くと、駐車場らしき場所がありません。たまたま、ご近所の方がいらっしゃったので、「ここ、停めていいんでしょうか?」と尋ねると、「いいと思いますよ」ということなので、不安な気持ちのまま、まず、下まで降りてきました。自転車でくればよかった・・・。

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 特に遺構は残っていないようですが、水軍を率いた戦国大名・香西氏の拠点でした。

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 中心近くに描かれた城跡がそれです。左手の方には勝賀城跡、北には芝山城跡があり、まだ、訪れていません。「歴史のまち」と書かれているように、おもしろそうな所がたくさんあって、少しずつ自転車で回ろうかなと思っています(涼しくなってから・・・)。地元では「香西はむきむきの町」といわれています。筋肉質という意味ではありません。城下町として意図的に、道が入り組んで作られたという意味です。

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 道が小山をぐるぐるっと回っています。石垣は神社が整えたものではないかと思います。

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 本殿は新しいです。秋祭りには飾り船の山車を引いて練り歩きます。

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 初めにお会いしたご近所の方が、歴史的なことは分からないが、「社務所の人に聞いてみてあげましょうか?」とおっしゃってくださったので、「ありがとうございます、あとで自分で尋ねてみます」と社務所を訪ねました。が、残念ながらお留守のようでした。社務所横に、きれいな花が咲いていました。

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 あとで調べたら、ノウゼンカズラというそうです。

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  1. 2013/07/10(水) 21:34:06|
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善通寺市吉原町付近

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 善通寺市吉原町、大池のほとり。

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 「古験松」? 右には西行さんの歌碑。この辺りに庵を建てたそうです。「月見よと芋の子どもの寝入りしを 起しに来たが何か苦しき」と詠んで、イモを分けてもらったそうです。

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 お堂の中に、空海さんが彫ったといわれる七仏薬師が祭られています。拝むと母乳の出がよくなるそうです。

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 池の北側です。後ろは天霧山。左手に大きなお地蔵さまが立っています。

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 高さ3mのお地蔵様(下からの高さは5m近い)。「大地蔵」って呼ばれています。本島の有力者・宮本氏と与島の有力者・岡崎氏が弥谷寺(いやだにじ)に収めようと運んできたものの、大きすぎて山の上に運ぶのを諦めて(?)ここに立てたという言い伝えがあります。

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 11号線を南西に鳥坂峠(とっさかとうげ)を超え、大地蔵から1kmほどのところ(北に細い道を入り、高速道路下をくぐってすぐ)。峠を越えると三豊市です。後ろに弥谷山が見えます。

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 1776(安永5)年に大井助左衛門惟義さんが建立した高さ約2mの石碑です。

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 旅人はここで、花を供えて、弥谷寺に向かって拝んだそうです。

  1. 2013/07/07(日) 21:12:06|
  2. 信仰・民俗・伝統など
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戸川家記念館など(岡山県早島町)

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 旗本・戸川氏を2回続けて見てきました。今回も、戸川氏の陣屋あとなどを紹介したいと思います。まず、早島・戸川家の陣屋跡ですが、最初に、その書物蔵を改造した「戸川家記念館」をのぞきましょう。

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 中はこんな感じで、きれいに展示してあります。

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 実は、写真を撮ってから日が経って、この絵が何だったか覚えていません。

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 ずらーっと続きますが、途中略。

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 参勤交代のほか思いつきません。本家(前回紹介した撫川陣屋)は交代寄合という大名扱いの偉い旗本なので、参勤交代しました。もしかして、おそらく、たぶん、きっと、その絵じゃないかなと思うのです?

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 こちらは、確か、名主さんなどが正月のあいさつに来ている絵だったと思います。

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 ウサギの前立がかわいらしい。関ヶ原で活躍し、江戸時代での地位を確立した戸川達安(みちやす)さんの干支がウサギだったからといわれています。

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 戸川家の家紋。三本杉と梅鉢。

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 戸川家では、戸川達安さんが関ヶ原で島左近さんを討ちとったと伝わっていて、これが島さんの兜の緒だそうです。合掌。

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 早島・戸川家に兜と一緒に伝わっていて、ご子孫の方が戦前に、兜は久能山におさめ、緒をこの袋に入れておいたんだそうです。

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 この辺の塀も、たぶん(でたっ!)屋敷の一部・・・。

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 広い。

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 堀と石橋が残っています。

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 ちょっと、水が汚くて残念。

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 早島は歴史ある町で、他にも見どころがありますので、また改めて紹介します。ただ、こんな思い出もあります。古くからの名主さんで、超有力者の方の家が代々続いていて、中に山がある広大な屋敷があります。自転車で史跡めぐりをしていると、そのお屋敷の門が開いていて、非公開の重要文化財のお庭が見えていました。おおーっと思って見ていると、そんな所で見てないで中へ入れと言われました。で、写真撮っていいですかと伺うと、撮りゃーいいよということで、2・3枚撮りました。ありがたやーって思い、お礼かたがた、一つ質問をしてみたところ、実は、お庭の手入れの業者さんでした・・・。というわけで、その写真は、公にできません・・・。

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 さて、こちらは妹尾・戸川氏の陣屋跡の井戸です。

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 ここは岡山市に入っています。どうでもいいことですが、庭瀬にも妹尾にも、チーズケーキのおいしい店がありました。なつかしい。

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 ずーーーっと西へ行って、笠岡市。塀の向こうは笠岡小学校グランドです。実は、この建物が妹尾・戸川家の陣屋にあった長屋門です。

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 幕府直轄領だったので、ここに代官所が置かれていました。

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 明治の初めごろ、小田県が設置され、その県庁の門として、妹尾戸川家の長屋門が使われたのです。ややこしい・・・。







  1. 2013/07/04(木) 17:30:04|
  2. 史跡・文化財など
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撫川陣屋跡(岡山市)

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 前回の地図に出てきた、旗本・戸川氏の撫川陣屋跡です。

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 総門です。元は別な場所にありました。

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 家紋の梅鉢紋。

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 説明がないですが、井戸に違いありません。大きな石でフタをしています。

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 中に遺構らしきものはありません。

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 付近の様子。アイガモ農法??? 白いのはアヒルですねー・・・。

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 古そうな石の橋。

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 右、おかやまみち。左、ゆか(ゆが=由加)・こんひら(金毘羅)道。この石標も古そう。



  1. 2013/07/01(月) 17:52:28|
  2. 史跡・文化財など
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犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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