どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

仙遊寺(善通寺市)

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 善通寺市の仙遊寺は、空海さんが(真魚=まおちゃんと呼ばれていた)子どものころに遊んでいた場所とされています。泥で仏様をつくって、お堂に納めて拝んでいたそうです。
 中央から来たお役人さんが通りかかり、空海さんを四天王が守護しているのを見て、思わず馬から降りて手を合わせたといいます。

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 場所は、熊岡菓子店の前の道をずーっと北へ進みます。県道48号線を超えると、西側に四国こどもとおとなの医療センターがありますが、そんなことは気にせず、まだ北上。医療センターの敷地の北東角あたりを、東に入った所です。
 旧陸軍第11師団ができた時、練兵場のただ中だったので、移動させられたそうです。しかし、乃木将軍の夢枕に空海さんが現れてもとに戻すよう告げられたそうです。それで、練兵場の中にある珍しいお堂になったということです。

  1. 2013/08/29(木) 20:17:12|
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変わり兜(丸亀市立資料館)

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 ロビーに変わり兜(かわりかぶと)を展示していました。左のレーダーのようなのは、「一の谷形」というそうです。絶壁ってことでしょうか。右の「二の谷形」は、いま一つ意味が分かりません。

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 左、「鬼面」。右、「入道形」。うーん、半漁人っぽい。

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 「魅(しかみ)形」というそうです。意味不明なので調べてみたら、もとは「獅噛」という字だったそうです。獅子がぐっと歯を噛みしめているということ。仏像の十二神将などのお腹にくっついています。顔を「しかめる」や、「しがみつく」の語源という説も。SFっぽい。トンデモ好きの人なら、「これは宇宙人を見た人がつくったのだ」とか言いそう…?

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 左、「鉄錆地十六間星兜」。星に見える鋲で鉄の板を16枚つなぎ合わせています。右、「三十三間筋兜」。鋲が見えないつくりの筋兜。京極家の家紋「四つ目結紋」がついています。

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 後ろは、1802年の「丸亀城郭および城下町古地図」です。
 兜のことをいろいろ調べて、勉強になりました。


  1. 2013/08/26(月) 18:27:07|
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多度津町立資料館・戦争資料展2013

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 今年も、戦争資料展を見に行ってきました。
 右の卵のような物体は、素焼製で、中空。いっぱい穴が開いています。1941年ごろ作られた「助燃器ほのお炭(国策火玉炭)」というものです。これを豆炭や木炭と混ぜて使うと火力が長持ちするそうです。初めて見ました。9個入りで95銭だそうです。

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 遊佐正憲(ゆさ・まさのり、1915~1975、奥さんは女優・逢初夢子)さんは多度津町の生んだ有名な水泳選手。オリンピックで金メダルなどをとっている方。何かの競技の記念カップを供出し、銀の部分がなくなっているというもの…。戦争は人間的価値観を転倒する。

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 いろんな団体が幾重にも個人を取り巻いていた。

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 ひしゃく(防空用)。

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 左は、木や陶器でできた代用ボタン。右は、簡易家庭用製麺器(?)。

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 佐柳(さなぎ)島に投下されたビラ。関係ないですが、佐柳島は海援隊の佐柳高次(さなぎ・こうじ)さんの出身地。

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 貝殻の代用しゃもじ、代用鍋はショック。

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 桃陵公園に戦後作られた「一太郎やあい」像の作者によるもの。初代の像は金属回収で「出征」してしまいました。

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 紹介したのは一部です。8月いっぱいやっていますので、ぜひ、見に行ってください。
 他にも、昭和レトロなものや、貴重なものが展示されています。写真は、高見八幡宮奉納模型和船(香川県指定有形民俗文化財)です。1755年のもので、全国で2番目に古く、ほぼ実物どおり作られているそうです。

  1. 2013/08/23(金) 17:45:34|
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気になる言葉「内外」

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 高松市の南新町商店街にある、フルーツ大林さん。看板にもある通り、最初はバナナ問屋だったそうです。昔は、青いバナナを問屋で熟成させて出荷したそうで、そのための技術がいったそうです。私が写真を撮らせていただいたのは、「内外新鮮果実」という言葉にピンとくるものがあったからです。お店はいつから営業されているのですかとお尋ねすると、戦後になってからということでした。

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 以前のブログに載せた『丸亀商工案内』(1938年)の広告ページです。左の重元商店さんの広告に、「内外果物」とあったのを思い出したのです。また、「台湾バナナ」という言葉も見られます。台湾は、日本の最初の植民地でした。「内外果物」というのは、文字どおりには「国内外」という意味ですが(そういう意味もあったのでしょうが)、もともとは、むしろ、「内地・外地」の意味が強かったんじゃないでしょうか。「外地」というのは、武力を背景に日本が進出した植民地・租借地・その他のことです。
 先の、大林フルーツさんは戦後に始められたそうですが、バナナ(戦前はバナナといえば、台湾バナナ)問屋から始められたということで、戦前から看板などに書かれていた言葉が自然に使われたのではないでしょうか。

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 重元果物店の建物(1923年~)は今も残っています(国の登録有形文化財)。

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 これまた、以前紹介した善通寺市の熊岡菓子店です。創業1896年で、建物や菓子のケースは1913年のもの。

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 日露戦争の携行食開発から生まれたという、おそらく、硬さ日本一のカタパンで有名。

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 レトロな菓子の袋。

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 そしてここにも、「内外砂糖」という言葉。砂糖もやはり、戦前は台湾からたくさん「輸入」(カッコつき輸入)されたもの。どうも、内地&外地の砂糖という意味のような気がする。もしかすると、そういう砂糖会社の名前かもしれない。戦前の企業名に「内外…」というのがけっこうあるようだから。ネットで検索すると、ウィキペディアに「新内外綿」という会社のことが載っており、戦前は有力な在華紡(ざいかぼう、中国に進出した紡績会社)であったようだ。
 ちなみに、国会図書館のネット・サービスで、戦前の辞書をひも解いてみたが、「内外」という言葉は載っていませんでした。気になる……。


  1. 2013/08/20(火) 20:41:58|
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算額(高松市・三豊市)

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 石清尾(いわせお)八幡宮(高松市)です。

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 随身門です。

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 ここをくぐって、まず、左を見てください(自動車で来ると、左手が駐車場なので、先にそこを見ることになりますが)。

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 高松松平家10代藩主頼胤の兄、松平頼該(よりかね、1809~1868)の描いた石清尾八幡宮祭禮図巻の一部を拡大したもの。本物は県立ミュージアムにあり、同HPで見ることができます。

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 高松市の名木に選ばれているクスノキ。

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 さて、目的に向かって進みます。

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 拝殿です。右手の方に見えるのが…

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 絵馬堂です。

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 ここに、算額が掛けられています。文化3(1806)年とあります。山本利助一武という長いお名前…。算額は、映画『天地明察』を見て、そんなものがあることを知りました。映画の主人公・渋川春海は5代将軍・綱吉さんの元禄時代なので、写真の算額はそれより100年も後のものですが。

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 三豊市の詫間町民俗資料館です。ずーっと前に、ここで見たような気がして、写真を探すと…ありました(ここは写真、可でした)。

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 写りが悪すぎ。そのときは別の目的で来ており、『江戸時代の和算を書いたものだ、へー!珍しい』と思って撮っておいたんですが、この写し方からして興味が薄かったのが分かります。映画を見て初めて、算額の価値が分かった次第。

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 上の算額の内容を分かりやすく書いたもの。

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 よく分かりません…。
 他にも、算額が残っているようなので、機会があれば見ておこうと思います。また、内容もいつか(そのうち?)勉強してみたい…かな。



  1. 2013/08/17(土) 11:11:06|
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善通寺市・前池のオニバス

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 善通寺市の前池では、絶滅危惧種のオニバスを見ることができます。連日の暑さのせいか、なんだか他の植物も大繁栄しています。

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 大きな葉。

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 毎年咲くわけではない花は、8月下旬といわれていますが、もう十分暑かったので見に行ったら、咲いていました。ラッキー。ちょっと見づらいのですが、葉にトゲがあります。

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 サギが乗っても大丈夫。

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 自分の影を避けて写したら、少し左が切れていました…。種子が何年も、場合によっては、「数十年間」も「休眠」するようです。ビックリ。

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 オニバスを採ったら、懲役になるかも知れません。見るだけにしましょう。

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 東に見えているのは飯野山(讃岐富士)です。

  1. 2013/08/14(水) 07:51:53|
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三友堂(高松市)と奉還町商店街(岡山市)

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 高松市の片原町商店街に三友堂はあります。商店街のちょうど真ん中あたり、北側にある和菓子屋さんです。
 三友堂は、1872(明治5)年、高松藩士3人の仲間が創業したのだそうです。前年の廃藩置県で藩はなくなり、武士という職業?がなくなりました。しかし、秩禄(明治になって以降の武士の給料)が廃止されるのは1876(明治9)年の「秩禄処分」のときです。そこで、転職としてよくあるパターンが、1873(明治6)年の「秩禄奉還の法」(家禄奉還ともいい、希望者に6年分の給料を現金と公債の形で渡して、秩禄を打ち切る)に応じて、まとまったお金を手にして商売を始めたというもの。三友堂さんは、それより一年早いので珍しいのでは?
(注1)士族身分(もと武士)の給料は、廃藩置県(1871年)後、政府が支給していました。
(注2)1873(明治3)年の徴兵令で、武士の存在が明白に過去のものとなります。
(注3)1876(明治9)年の「秩禄処分」では、いままでの給料数年分を金録公債証書の形で支給して、秩禄を打ち切りました。「士族の商法」という言葉通り、商売を始めた士族の多くが失敗していきました。他方、この秩禄処分と併せて、国立銀行条例改正があり、お金に余裕のある士族(華族)たちが国立銀行(国の認可した銀行)を立ち上げました。1878(明治11)年には、高松第百十四国立銀行がつくられました。

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 三友堂では、「木守(きまもり)」というお菓子が有名なのだそうですが、創業当時からあるということで、「披雲閣(ひうんかく)」というお菓子を買ってきました。

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 この見た目のお菓子って多いですが、はっきり、おいしいっ!と思いました(あくまでも個人の見解です)。

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 岡山駅西口に近い、奉還町商店街は、家禄奉還などによる奉還金をもとに元池田藩の武士たちがつくった商店街です。

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 やはり、「士族の商売」で失敗したり、いろいろあって、現在まで残っているのは、写真の杉山種苗(しゅびょう)さんだけです。

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 なつかしい感じですが、写真は2009年の撮影です。いまは少し変ったかもしれません。HPによると、経済産業省の「がんばる商店街77選」を受賞したそうなので。

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 昭和だなーと思って撮影したのですが、いい意味で、変わりゆく町の記録写真になってくれればと思います。岡山駅西口の再開発にともなって発展してほしいものです。大学生の頃、下宿から少し離れてはいますが、自転車に乗ってレコード屋さんなどに行きました。付近に、学生の喜ぶ食堂があり、500円も出せば、大食漢の学生でも死ぬほど満腹になるという、本当に儲け度外視のボランティアのようなお店でした。そのお店は、自動車をもっているリッチな友人のクルマで行ったので、方向音痴の私は場所が思い出せません…。私の普段の食事は150円~300円ぐらいの学生食堂だったのです。
 思い出が尽きないのですが、大学院のとき、週一のペースでいつも飲食に連れて行ってくださった講師の先生(のち教授)がいらっしゃいました。だいたい決まったメンバーですが数人の学生に、おいしいものを食べさせてくださいました。お金の心配はするな、給料はこれに使ってしまったって構わないみたいなことをおっしゃっていました。奥さんとの関係も良好で、いつも笑顔で、学生を喜ばせるのが趣味のようでした。昔は、こんな方がいらっしゃったのです。




  1. 2013/08/11(日) 09:08:19|
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ベンガル島(高松市サンポート地区)

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 バングラデシュ・プロジェクトが開催されています。

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 一般的な交通手段、リキシャ。

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 インドの絵と雰囲気が似ています。ただ、宗教は90%がイスラム教徒だそうで、ヒンドゥ教の神様が見当たりません。といっても、ヒンドゥ教徒の方もいらっしゃるので、現地ではそういう絵も見られるかもしれません。ちなみに、イスラム教では神様を描くことは御法度です。

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 絵は横断幕に描かれる映画の広告(バナー・ペインティング)のようです。

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 ショケール・ハリという装飾土器で、ヒンドゥー教の祭事で用いられるそうです。

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 映画の看板ぽいです。

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 かっこいい。マジカル・ミステリー・ツアーな絵(関係ないですが、改めて見たら、ビ-トルズの映画のバスが意外とシンプルだった…)。

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 左の敷き物はシタール・パティというそうです。ベンガル地方(バングラデシュと、インドの一部も含む)で発展したそうです。右は、先住少数民族(約100万人)の織物で、民族ごとに特色があるそうです。

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 ベンガル・タイガー。昔、私の友人がインドへ行った時、森で迷ってしまい、トラの足跡に遭遇したそうです。しかも、踏まれた草が少しずつ起き上がってきているのを見て、ゾーッとしたそうです。

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 ここでは、瀬戸内の伝統的な小船をつくっています。

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 魚の行商(高松では「いただきさん」といいます)用のリアカー付き自転車。高松市内ではまだ見られますが、高齢化が進んでいます。

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 お見事!

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 金属スクラップによるアート。

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 他にも、たくさんあります。飲食物の販売なども行っています。15:30からはステージ・パフォーマンスもあります。私は土曜日の午前中に行って、暑さに打ちひしがれてパフォーマンスを見ないで帰りました。再チャレンジしたいと思っています。入場は無料なので、香川県在住の方はぜひ。





  1. 2013/08/08(木) 18:08:01|
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被爆者のお話(2010.8広島)

 3年前、広島で聞きいた講演・パネルディスカッションの内容です。要点をメモしたので、文章として通じるように補っています。また、現場で言葉として聞いたものをそのまま文章にしても分かりにくいということもあります。この2つの理由で、発言内容をできるかぎり忠実に再現していますが、発言そのままではないことをお断りしておきます。

①2010.8.5被爆者・Kさんのお話
<略歴>
1920(T9)広島市生まれ。市内で小・中・高校に通学。
1941(S16)中国電力株式会社(当時は日本発送電)に就職
1945 秋まで山口県宇部市に勤務。
   原爆投下1週間後の8月14日に、両親・兄・姉・妹たちの安否を尋ねて広島市内に。
1975 同社定年退職

 私は広島の美術系の学校に進学したが、紀元2600年祭では、酒を飲んで繁華街を歩いて、警察に怒られたりしたことを覚えている。その学生時代の友達は今も、広島の町を見たくないと言っている。昔の町の面影が全く失われたから。
 宇部の火力発電所に勤めていて、家族は広島に住んでいた。会社の本社も広島にあり、原爆投下の1週間後、広島に戻った。山陽線が寸断されていたので、石炭を運ぶ船を待って広島へ行った。よく晴れた8月14日の朝に着いた。その日が終戦前日になるなどとは全然考えなかった。部分的に鉄道が通じていて、西広島の駅から広島へ行った。大昔しに広島デルタができたころの、もとの砂浜に戻った感じだった。西の端から自宅あたりまでがはっきりと見えた。何もなかった。小学校や寺に救護所ができていた。行方不明者の遺骨・遺骸を捜し歩く人がちらほらいるだけだった。後から広島に入ったから、苦しんでいる人々の姿が、その全体像が広範に見えた。現地にいた人は本人が苦しんでいたから、まわりを見るどころではない。西広島は爆心地から2km半隔たっていたが、建具や天井が飛び、松などの木の葉が茶色になっていた。壁は真っ黒に焦げていた。
 私は8月6日の1週間ほど前に結婚したばかりで、いつ召集されるかわからないので、家内は神戸の知り合いに預けていた。
 ドームすぐ近くの兄の家族の家は跡形もなかった。流しのコンクリートの下を見ると、火消し壺が置いてあり、そこに弁当のふたが立てかけてあった。それに兄の筆跡で、妻・×××、娘×××何歳、嫁の母の名などが書かれていた。それで、兄が生きていることが分かった。そこで、役場に行ってわかる範囲の事を聞いたのち、会社の上司を尋ねた。その上司は、光ったとき建物の陰にいて熱線を直接浴びることなく、そのあとすぐ、向かいの防空壕に駆け込んだので爆風もよけることができ、「運が良かった」と言っていた。しかし、8月31日に内出血と高熱で亡くなってしまった。いつ、誰が、どういう病気になるかと不安になったが、今日でも、その不安は続いている。
 次の日に自宅へ行ったが、跡形もなかった。通りがかった人が、7月中旬にトラックに荷を積んでいたと教えてくれ、「助かったかも知れない」と思った。その後、発電所関係の家族の安否を、朝5時ごろから1日中捜し歩いた。爆心地から3kmぐらい離れていると、かろうじて過ごせそうな家が残っていた。
 原爆はぴかっと光った時に熱線にやられる。その瞬間に顔が焼けてしまう。顔の皮膚がはげてしまう。ワカメのようになって、肉が1、2cmの深さまで焼け、取れてしまう。戦後、顔や手足に火傷のある人がいたが、だんだん亡くなっていった。爆風は13kt級の火薬の威力という表現があるが、これは原爆の威力を小さく見せる表現になっている。恐ろしいのは放射線の影響で、わけのわからん病気になって衰弱していく。孫の代にも被害を残す。爆風は1㎡あたり7tの圧力で、1軒の家にトラックが何十台も乗った感じ。市内の死者の8割ぐらいは、家の下敷きになって火災で焼かれたものだ。名古屋大学教授だった沢田昭二さんは、母が下敷きになって焼け死ぬという体験をした。
 原爆の社会的な面、人間社会の破壊という面をもっともっと考えていただきたい。友人の中には、家族を全部失って、再婚し、仕事をして、家も建てた人がいる。息子の嫁の父は、三菱の徴用工で働いていて、自分だけ助かった。自宅を見に行ったら、自宅のあったところに家族がそのままの姿で下敷きになって焼け死んでいた。峠三吉の「人間を返せ」という詩があるが、人間らしい精神状態でおれない。妹は小学校の先生をしていたが、疎開児童の父母が子どもを連れに来て、だんだん減って最後に6人残り、1月後に子どもたちを連れて広島に戻ったが、子どもをどこに預けようかと、引き取ってくれる伯父さん叔母さんを捜し歩いた。これまでの人生を全く消し去られ、新しい人生に入ることを余儀なくされた人々。人間らしい生活を根底から消し去られた人々。
 戦争中は戦争に勝つことに協力してきた。今思うのは、なんであんな馬鹿な戦争を許したのかということ。学校の教育は教科書も「ススメ兵隊」に変わり、学校の制服もカーキ色の軍服に似たものになった。正義の戦だ、いい政治を世界に広めるのだと教えられた。大半は満州・朝鮮だったが、就職口があるのも戦争の「おかげ」という考えで、国の政策に何ら批判の目を向けなかった。これはいけない戦争だと言う人は厳しい弾圧に遭い、目も耳もふさがれ、正義の戦争だと思いこまされた。ひと月もふた月も発電所に泊まり込みで仕事をした。なぜ、一歩引いて考えることができなかったのか。
 戦後、憲法九条ができたはずが、強大な軍事力をもつことに慣れっこになっている。いまでは国民の声が政治を動かしている。広島の平和記念式典に潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が来たり、オバマ大統領がアメリカのしたことを反省し、核兵器廃絶を目指すと発言したりしている。その一方で、あの戦争は正しい戦争だったという人もいるし、憲法改悪の動きもあるし、油断がならない。希望はあるけど、油断がならない。特攻隊に行くとか、罪のない人が被爆被害に遭うことがないようにしなければいけない。
 ビキニ環礁が核戦争の惨禍を伝える負の遺産として世界遺産になったが、こういう動きに期待したい。

※峠三吉『原爆詩集』の序
「ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ/にんげんの にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ」

②世界の被爆者のお話

1.マーシャル諸島共和国・前上院議員、アバッカ・アンジャイン・マディソンさん
 ヤッコエ(こんにちは)。ロンゲラップ島はハワイとグアムの間にある。ビキニ環礁が核実験の場所に使われたとき、ビキニの風下にあって、放射能被害を直接受けた。1946~58年にかけてアメリカ政府は67回の核実験を行った。1954年3月1日が最も破壊力のある核実験で、ヒロシマ、ナガサキの原子爆弾の1000倍の威力をもつ。ロンゲラップ島には87人が住んでいたが、放射能の影響について全く知らなかった。灰が降ってくると、きれいな雪のように見えたので、いとこは外に出て遊んでいた。手にとったり、顔に塗ったりした。灰を口に含んでいる時、口がしびれ、そのうち目がしびれた。夜になって、吐き気がしたり、全身がかゆくなったりした。
 アメリカ政府の役人が飛行機でやってきたが、体をスーツで覆っていた。島民には何も教えず、島の真ん中まで行ってガイガーカウンターで測定して、何も知らさずに立ち去った。3日後に戻ってきて、87人を別の島、クワジェレン島に移した。残っていたら全員死んでいたといわれる。クワジェレン島の米軍基地に住むよう言われた。髪を失うなどの症状があったので、元からの住人から差別を受けた。モルモットのように実験の対象にされ、隔離され、調査された。医療検査といっても、人体への影響の調査でしかなかった。
 1957年にロンゲラップ島に戻っていいと言われた。このころから病気が多発した。癌・奇形児・流産など。1985年に移住を決断し、クワジェレン環礁のメジャット島に移った。 

2.フィジー核実験被ばく復員兵士の会 ポール・アーポイ副会長
イギリスは、太平洋上のクリスマス島で7回、核実験をした。兵士として参加し、被爆した。現在までに59回手術を受けた。娘は3歳半で死んだ。息子はおそらく子どもをもてない。いま、ロンドン裁判所で、イギリス国防省に対して補償を求める裁判をしている。時間がない。

3.エジモレ・フィデルさん world youth peace organization
 核兵器保有国や保有しようとする国がナイジェリアでビジネスをしないように運動している。

4.ロシアのチェリャビンスク核被害者支援団体 アレクセイ・アドゥシェフさん25歳
 チェリャビンスクはロシアの真ん中、ウラル地方。主要な工業都市のひとつで、鉄鉱石など金属、化学工業が盛ん。1957年に史上最も大きな爆発事故が起きた。23,000㎢が汚染された。家畜も多く死んだ。マヤク(灯台)と名付けられた工場では、潜水艦用のプルトニウムを製造していた。工場は今でも、核兵器用ではないがプルトニウムを作っている。

  1. 2013/08/06(火) 10:05:20|
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飛龍丸(高松市)

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 香川県立ミュージアムにある、高松藩・御座船「飛龍丸」の中のお殿様の部屋を再現したもの(ミュージアムの中は、一部、写真撮影可になっています)。
 この飛龍丸については、詳しい絵図が残っていて、全国的にもめずらしいそうです。御座船(ござぶね)の全長は29m程です。その中に、二階建ての家が建っている感じです。再現されているのは1階部分の一部屋です。船の操船人数は90人で、乗員人数は30人ほどだったようです。
 今回は7月28日の、香川県立ミュージアム講座「瀬戸内を渡るお殿様の船」を聴きにいったことの報告です。内容の一部を紹介します。

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 金ぴかです。寝そべっていても、外から「殿!」とか言われたら、あわてて正座してロウ人形みたいに本を読んでいないといけない空気。
 戦国時代の軍船では、安宅船(あたけぶね)が一番大きく、次に、巡洋艦クラスが関船(せきぶね)でした。武家諸法度寛永令で500石以上の大船建造が禁止され、関船クラスまでとなり、これを改造したのが御座船だそうです。参勤交代の際、四国の大名は、大坂までは船で行ってもよかったそうです。高松藩は53艘持っていたそうですが、50艘で参勤交代したそうです(大坂まで2泊3日)。操員は940名ほど必要だったようです。

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 船の飾り付けには、三葉葵紋以外に、水戸藩の副紋・六葉葵が描かれていました(高松藩初代・松平頼重は、初代水戸藩主・徳川頼房の長男)。また、帆には船印(高松藩の船のマーク)として、黒い丸が大きく描かれていました。

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 参勤交代以外に、「舟遊(ふなあそび)」と称して、ものすごい回数、島々を周遊しています。特に、頼重さんが着任した初めの1年間は、52回に及んでいます。巡視と操船技術習得を兼ねたものではないか、というお話でした。また、1648年には、小倉まで出かけています(家老は先に出て、長崎まで行きました)。前年に(1639年に来航禁止されていた)ポルトガル船が来航していたので、このことと関係があるかも、というお話でした。うーん、ありかもと思いました。そういえば、教科書的には、親藩・譜代が外様を監視するように配置された、と抽象的に記されているだけですが、そうした意味での親藩などの具体的な活動を聞いたことがありません。そんなことに興味がわいてきました。





  1. 2013/08/03(土) 17:01:14|
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犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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