どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

「哲学する」のカテゴリの2012.9.22「哲学書の誤訳について(続き)」の<例1>の見直し

 まず、宇波彰さん(『思考と運動』レグルス文庫)・河野与一さんの(『思考と動くもの』岩波文庫)両者の訳本全般に対する評価は、全く変わっていないことを述べておきます。その後、図書館で(2012.9.22で取り上げた2か所のみ)立ち読みした平凡社のもの(『思考と動き』原章二さん2013.4.10発行)について、<例2>が正しくなっていた(私の指摘と同じ見解だった)こと、<例1>は変わっていなかったことを紹介しました(2013.10.20)。―本論と関係ありませんが、宇波さん・河野さんがあまりにひどい誤訳の嵐だったので、私はその反動で、自分の訳に自信を持ちすぎました。最近、原さんの平凡社版を図書館で借りて来て、ざっと見た限り、あの誤訳の嵐が直されていて、むしろ、私の「宇波版・河野版は誤訳だらけ」発言を裏付けてくれていて、嬉しく思いました。暇な方は、見比べてください。そうでない方には、原さん訳をお勧めします(といっても、ざっと見ただけですが、すでに2か所、誤訳ではないが不適切と思われるものを発見→機会があれば、また、書きます)。このたび、<例1>を見直さざるを得なくなり、宇波・河野訳しかまだきちんと読んでなかったとはいえ、2013.10.20に「どちらが日本語として本当に意味が通じているか、考えていただけるとありがたいです」と自信たっぷりに書いたことを後悔しています。お恥ずかしい。とはいえ、単純に、他の方が正しいという意味でもありません。以下の解説で、その経緯も分かると思います。
 また、ずっと見てくださっている方はご存知のように、見直すきっかけとなったのは、X氏(仮)からの当ブログに対する批判です。そのとき、主たる問題となったのは、こうしたことをブログに書くこと自体と、原さんの『精神のエネルギー』「夢」のなかの一文でした。これについては、2013.11.20「ちょっとがっかりした話」で決着がついた(を着けた)と思っています。私の見解で終わるのも気持ちが悪いので、X氏の主張で終わらせようとしたのですが、未だにコメントがないままです(もちろん、氏の自由です)。私は、こちらからわざわざ出向いて人を批判することはしませんが、降りかかる火の粉は払います(もちろん、公的立場、その道のプロの方の、その道での言動に対する批判精神はもっていますが、それと一私人への批判とは区別しています。……前者の場合でも出向くまではしませんが)。X氏はご自身は他人のフンドシで相撲を取りつつ、相手を見下す姿勢でしたので、彼からの最後のコメントをもってシャットアウトすることにしました。ただ、私が原さんについて悪く書きすぎたこと自体について(ブログを読んでくださっている方々に対しても)申し訳なかったとの思いは撤回していません(ただの一か所でも誤訳は誤訳、少なくとも意味不明の訳ですが)。このたび、『思考と動き』を見て、その思いは強くなりました。―
 話を戻します。

★2012.9.22「哲学書の誤訳について(続き)」の<例1>の再検討(赤の部分)

 Voilà pour la Science, et pour le reproche qu'on nous fit de la combattre. Quant à l'Intelligence, point n'était besoin de tant s'agiter pour elle. Que ne la consultait-on d'abord ? Étant intelligence et par conséquent comprenant tout, elle eût compris et dit que nous ne lui voulions que du bien.
 En réalité, ce qu'on défendait contre nous, c'était d'abord un rationalisme sec, fait surtout de négations, et dont nous éliminions la partie négative par le seul fait de proposer certaines solutions ; c'était ensuite, et peut-être principalement, un verbalisme qui vicie encore une bonne partie de la connaissance et que nous voulions définitivement écarter.

 便宜的に、原章二さんの訳(平凡社)をお借りします(なお、原文に段落分けはありません)。

 科学について、および私が科学を否定しているという非難については以上の通りである。知性については、それほど騒ぎたてる必要はなかったであろう。どうしてまず知性そのものにお伺いを立てなかったのか。お伺いを立てさえすれば、知性である以上はすべてを理解してくれるのだから、私が知性に良かれとだけ念じていたことも同じように理解してくれただろう。(→原訳では、ditを省略している)
 実際のところ、私に反対して擁護されていたのは第一に、主としてかずかずの否定から成る干からびた合理主義であるが、私はそれに対してはいくつかの解決を提出してその否定的な部分を除去している。第二には、おそらくこれが主たるものだが、そこでは言語偏重主義ともいうべきものが擁護されていたのであり、これは今日でもなお多くの認識を痛めつけているものであって、私はこれを最後に除去しようと思ったのだった。

★2012.9.22の時点で示した訳(恥ずかしながら)
(宇波)私が知性の美点du bienだけを望んでいたということを知性は理解し、語っていた
であろう。
(河野)悟性は私がそのためを思っていたということは理解して認めたに違いない。
(私) われわれが知性に望むのは利益du bienだけだと理解していて、そう答えていたは
ずだ。

 結果から言えば、今では河野訳・原訳のvouloir du bien à qn「…に好意的」「…によかれと思う」という成句による解釈を正解だと考えますただし、両者の訳がそのままでいいとは思っていません。以前、私が成句を取らなかった理由をこのあと説明します。まず、前置きですが、宇野・河野訳しか知らない(原訳は未刊)時点では、お二人の訳全般が余りにひどく、心の中のハードルが下がってしまったようで、これは反省点です。で、成句による解釈には以下に挙げる問題があったので、宇野流の解釈もあるのならdu bienは「美点」じゃなく、「利益」だろうと考えたわけです(ただし、辞書に部分冠詞duで載っていたのは「財産」だったので、直訳的には「財産」で、ひろく我々に役立つもの、有用なものという観点から「利益」としました)。

★いよいよ、本論。成句vouloir du bien à qnによる解釈に伴う問題点。
 ベルクソンの主張は、知性は生活するための能力であり、物質を扱うことや、社会生活の利便性のためにあり、科学もその線上にあり、単位を固定し、これらを一定の規則性のもとに取り集めて、物質を説明し、扱えるようにする。他方、精神に向かうためには、方法論的に全く逆の方向に進まねばならず、固定することがその本質を損なう持続の全体像を見ようとすることが必要で、これを直観と命名するというもの。知性と直観とは実在を理解する上で補い合い、精神と物質の触れあう面では、哲学と科学とが互いに検証しあうことを可能にするというもの。ベルクソンの主眼は、知性の精神の分野への越境を押しとどめ、精神の現れにかかる仮象を一つずつ排除していくことにあります。vouloir du bien à qn(「…に好意的」「…によかれと思う」)、しかも、それにne… queがついて「知性にただただ好意的」という表現には違和感があります。「知性によかれ」でも、知性のためになることをしている(orしたい)という意味合いになり、知性からすれば、大きなお世話であり、ベルクソンの言動としても、押しつけがましい感じがします。「ベルクソンは知性を否定した」という(エセ哲学者からの)批判に対し、「否定していない」を超えて、そこまで言うか、という違和感です。ベルクソンの主張と反しているというより、「好意的」とか「知性のためになることをしている」などと言うことが、脈絡から浮いていて、完全にズレているという違和感です。科学は科学で発展してきたわけであり、その越境、精神分野への干渉が問題なのであって、それは、すでに形而上学の問題、科学者の中にもいる形而上学者の問題なのです。ベルクソンは、知性を冷静に分析し、位置づけ、直観の方法論的拡大を目指し、形而上学の革新を成し遂げたのです。総じて、ベルクソンの活動領野はあくまでも形而上学であって、それは何もベルクソンを小さくすることではなく、彼は真に形而上学の独自性を確立し、精神について真に語ることを可能にしたのです。行動としての知性のために何かしてやることは、哲学の仕事ではないし、実在との関係において正しく知性を位置付けてやることは、やはり、形而上学にとっての問題なのです。ぶっちゃけた言い方をするなら、ベルクソンが知性に「好意的でない」とも言えないし、「知性のためを思ってない」とも言えないけど、そういう話じゃないでしょってことです。ベルクソンのやりたいことは、形而上学が、知性が知性に適した領野で得た概念を、物質にのみ適合する知性の思考方法で、無反省に精神の分野に持ち込むことを禁じること。そして、精神の分野(持続)の直観を言葉に定着するという、逆説的で厳しい道を歩むこと。こうして、真の形而上学を確立して、誤った形而上学を退けることです。知性の否定や、科学者への攻撃とは「関係ない」に尽きます。それ以上でもそれ以下でもありません。排除されるべきは、誤った形而上学を唱える、エセ哲学者、エセ科学者だけです。そして、それだけです。知性に「好意的」かどうか、「知性のため」かどうか、どうでもいいことですし、いろいろな意味で一概には言えないことであり、そうだとも、そうでないとも言えます。読んでいて、「突然、何を言い出すの?」というのが正直な思いでした。科学や数学などの分野で、その業績が高く評価される場合は、哲学が心配するまでもなく、その分野で検証に耐える場合に限られます。知性が知性独自の方向で発展することに、哲学の出る幕はありません。その意味で、余計な発言は誤解のもとを提供するだけです。また、既成の哲学が、知性を正しく位置づけることができずに、勝手な論理で精神を神のような地位に祭り上げ、その内部で科学に勝手な地位を授けるのと比べれば、ベルクソンほど科学の地位を高く見た哲学者はいないと言えますが、しかし、それこそ形而上学のなかの話であり、誤った形而上学が問題になっているのです。知性に好意的であるとか、ないとかいう問題ではありません。さらに、En réalité以下の脈絡も大事です。
 En réalité(「実際には」)以下についても同様のことが言えます。もし、前半の記述が、ベルクソンが知性に好意的であるだの、よかれと思って何かしているというのなら、En réalité以下は、その逆で、on(エセ哲学者たち)は知性に害をなしている、と言わなければなりません。しかし、あくまでも合理主義者が勝手に精神の分野に無批判に(無自覚に、不注意に、その位置づけもなく)知性を持ち込んだだけです。知性の発展に害をなしているというより、精神の問題、形而上学に害をなしているというのが実態です。実際、科学はそんなことを知ったことではない。哲学が勝手に無用の長物となっていっただけです。言語偏重主義にしても、確かにそれは知性の発展一般に害をなしているが、やはり、科学は科学の分野で独自にこれを乗り越えてきたわけだし、その他いかなる分野についてもそういえます。知性が知性に適した分野で発展することについて、哲学が好意的に思ったり、ましてや、よかれと思って何かしていると言われても、大きなお世話であり、知ったことではない。言語偏重主義を全く乗り越えられなかったのはひとり哲学(の分野)だったのですから。
(注1)否定によってつくられた空疎な合理主義:例えば、(単に空間的イメージの)永遠の否定と言っただけで、実在する時間を捉えたと考えたり、「可能性」を単にまだ実現されていないことと見なしたりして、創造的な実在を捉え損ねる。また、「秩序」を前提に据えた上で、秩序を構成する能力を持ち出す。etc.
(注2)言語偏重主義:経験に沿って言葉の意味を豊かにするのではなく、既成の言葉の操作に終始する。経験を既成概念に組み込むことで安心する。

★vouloir du bien à qnをどう訳すか。
 実は、フランス語会話の先生(フランス人)に尋ねました。まず、成句のニュアンスですが、「相手の将来の発展を願う」ということのようです。しかも、ne …queは「だけ」と訳す必要はなく、単なる強調だと教えていただきました。つまり、「知性は、私が知性の発展を本当に願っていることを理解していたはず」という訳が可能なのです。一見、そんなに変わらないように見えますが、「発展を願う」であれば、向こうは向こうの努力でやっていることを、こちらも好ましく思うという、ニュートラルな意味になります。この点が重要です。つまり、これによって、ベルクソンの理論を、知性に「好意的」、あるいは、その「ためになることをしている」と評してもよいのだろうかという、論点を逸脱した、しかも、あまり生産的とも思えない議論を回避できます。そして実は、この場合、論点を逸脱しないだけではなく、知性と直観との対等で正常な関係、以下に述べる意味での脈絡に沿うことになります。
 ベルクソンは、物質との接触面、「表層」で直観による理論の検証に科学を使ったし、物理学の近年の傾向も彼の理論を傍証するように見えるわけだから、「本当に知性の発展を願った」のです。これに対し、ベルクソンが知性を否定したと騒いだエセ哲学者たちは、「実際には」、精神の分野に無批判に知性を持ち込んだために、自らを空疎にし、科学などが自らの分野で何とか切り抜けている言語偏重主義を、ひとり形而上学だけが克服できないでいたにすぎないのです。

★改めて訳
 科学と、私が科学と戦っているという非難とに関しては以上の通りである。知性に関する私の見解については、そのことでそんなに動揺する必要はなかったのだ。ひとはなぜ最初に知性に尋ねなかったconsulter(意訳)のか。知性たるもの、何もかもちゃんと分かっており、私が知性の発展を本当に願っていることを承知していて、(尋ねたなら)そう答えていたはずだelle eût compris et dit(意訳、条件法過去第2形)。
★En réalité以下…くだけた訳を提示
 ところが実際には、人々(「ベルクソンは知性を否定した」と非難するエセ哲学者)が我々(ベルクソン)に抗して擁護したのは(知性を不用意に精神の問題に持ち込んだせいだが)、先ず、無味乾燥な合理主義だった。合理主義はとりわけ否定から作られているが、我々はいくつかの解答を示しただけで、合理主義の(ほとんどを占める)否定的な部分を退けた(つまり、合理主義はほとんど空っぽだ)。次に、おそらくこちらが主たるものだが、言語偏重主義だった。これは今でも認識のかなりの部分をそこなっており、私はこれを決定的に取り除こうとした。
*「否定」「言語偏重主義」は、上記の説明を参照のこと。


<余談>日本語感覚について
 訳語について「違和感」と言う言葉を使いましたが、本当にそのとおりで、決して後からムリヤリに難癖をつけているわけではありません。哲学に限らず、書くことに関心のある方は分かると思うのですが、自分で何か書いているとき、「いや、これ違うなー」と理屈じゃなく、まず、何とも言えない居心地悪さを感じます。適切な言葉を探して、すぐ見つかるといいのですが、微妙な場合には、いつも使っている言葉でも、改めて辞書の意味や用例を調べて、いろいろと比較検討してみたりするものです。「よかれと思う」という言葉にも、同様の収まりの悪さを感じたわけです。普通、「よかれと思って(願って)……する」という脈絡でしか使いません。第三者的に「よい結果を願っています」というふうには使いません。例えば、入院した友人を見舞った帰り際に、「あなたに良かれと願っています」とは言いません。病院側の処方・助言などを嫌がる患者に、医師が「あなたに良かれと思ってしている(勧めている)のですよ」という場合に使います。
 
PS  ごく簡単に論点整理しました→「続きを読む」

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  1. 2013/11/30(土) 16:18:30|
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岩部(いわぶ)八幡神社(高松市塩江町)のイチョウ

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 でかっ!! クルマや人と比べて、大きさを感じてください。

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 もう少し、接近。落ち葉の掃除は大変そう。葉が道に降り積もった様子もきれいなので、ぼちぼちにお願いします、なんて言ったら叱られますかね…。

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 どちらも雌株だそうです。樹高33m、幹周は東側9m、西側6mとあります(香川県のHPでは、樹高30m、幹周9m、枝張り20m)。1392年ごろ、細川頼之さんが社殿を修築し、そのころこのイチョウが植えられたと言われているそうです。

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 ありがたや、ありがたや。 

  1. 2013/11/27(水) 07:52:26|
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栗林公園の紅葉(11月21日撮影)

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 今年は紅葉が遅い?もう散った?…残念ながら、鮮やかとまでは言えません。

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 「紅葉前線標本木」。香川県のモミジの標本木です。

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 ……とまあ、そこはかとなく秋を感じてきました。

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 ついでに、入ってすぐ右手にある、「鴨引き堀」を紹介します。最初、「大覗」から餌をやったりして、アヒルを餌付けします。つられて、鴨もやってきたりします。「叩込(たたきこみ)」では、板木(ばんぎ)で音を立てながら餌付けをします。アヒルは、音がすると寄ってくるようになります(条件反射)。最後に、いよいよ鴨を捕獲するシーズンになると、アヒルをこの「鴨引き堀」に誘導します。

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 で、こんな感じで捕まえます。人が出てくると、鴨は驚いて飛び立ちます。そこを網で捕まえます。アヒルは飛べないので、そのまんまです。

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 これが「鴨引き掘」です。全国に残る5つのものの中で、最大です。
 ちなみに、栗林公園は南北に長く、北庭・南庭と分けて呼ばれています。北庭はもとは藩主別邸があったりして、下屋敷としての機能があったようです。政務をとるなど実用的な意味が強かったそうです。11月2日のシンポジウム『ニッポン第一の回遊式大名庭園』で聴いた話の受け売りですが。近代になって、美術館や動物園ができたのも、そうした意味合いをなんとなく受け継いだ側面があるそうです。といっても、「講武榭(こうぶしゃ)」(弓矢・馬術の訓練場)や平賀源内が管理した「百花園」(薬草園)は、南庭側に入っていますが。あと、昔の絵にも描かれていますが、お城まで通じる道の両側には松が植えられていたようです。

  1. 2013/11/24(日) 09:02:06|
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柏原(かしはら)渓谷・弘法庵(綾川町)

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 柏原渓谷を西から入ると、マウンテンドームを少し過ぎたあたりに、弘法庵はあります。少し通り過ぎたところに、クルマを停めてもOKな道幅の所があり、歩いて戻ります。

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 弘法庵は、弘法大師が八十八個の石仏をつくったという伝説の地です。えっ、あの橋を渡るっぽいですよ……。壊れそうで恐い。石橋を叩いて渡るって言いますが、よく考えたら、叩いたぐらいで落ちたら、すごすぎです。

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 秘境っぽい。ただ、電線?らしきものがいっぱい通っていて残念。

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 すぐ、到着。

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 石像がいっぱい。もちろん、のちに作られたものですが、何体あるのか数え忘れました。写真で見る限り、88体には足りないような…。

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 お堂に近づくと、昆虫が服に付きそうなので……

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 弘法大師と書かれた石仏に、手を合わせてきました。

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 綾川の水は透明でした。

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 不思議なもので、一度渡ってしまうと、なんの不安も感じないのでした。慣れって早い。

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 柏原渓谷の道は、基本的にクルマがすれ違えません。ところどころ、ちょっとした出っ張りがあるので、そこで交わすしかありません。心臓の弱い方と、平日に行ける方は、休日は避けましょう。



  1. 2013/11/21(木) 17:25:37|
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ちょっとがっかりした話

前回の私の回答に対し、以下の反論が寄せられました。要約するのが面倒なので、そのまま載せさせていただきました。ただ、2つの論点に①②とこちらで番号をつけさせていただきました。再反論するまえに、まず、申し上げておきます。一度は、自分が間違った根拠に基づいて批判をしてしまったという罪悪感から、なんだか、余計に謝りすぎました。でも、お互いに人間という感情の生き物ですから、お相手の方(私が批判した人を尊敬する方)に対しても、いったん、チャラにしていただく上でそれもいいのでは、と考えていました。今度は正しい原文に基づきつつも、「確かに、間違えとは言えません」、「…という疑いがあります」と婉曲な表現をしたのもその流れです。ここらで「謝りすぎた」分をあるべき位置に戻させていただきます。お詫びの気持ちは、すでに十分に伝わったことと思いますので、再反論は気持ちを切り替えていきます。

★以下、寄せられた反論

 問題の訳について、さっそく記事を書いて頂き恐縮です。申し訳ないですが、今あまり時間がとれないので簡単に二点だけすぐ思い付いたことを書かせて頂きます。

①まず、これは解説されてるのですでに念頭にあってのことかもしれませんが、問題の箇所は、『物質と記憶』のおさらい的な議論です。二章のダルマのような図がでてくる少し前で同じ話が紹介されています。これは憶測ですが、平凡社訳はこの周辺の議論を反映しているために、記憶と知覚を、わざと分けて訳されているのではないでしょうか(もちろん、だからといって文法上同格であること、内容上も説明である点が見逃されているわけではないことは訳文を見ればわかります)。

②それから、「まだ」のニュアンスですが、これは、ここで問題になっている、記憶の「現実化」ないし現働化に関連するものだと思います。たしかに過去の記憶はそれ自体ではかつてあったもので「もはや」ないものですが、ここで主題となっているのはそういった話でしょうか?これから現実的になる、という観点からみて「まだ」現実的でない、と読むのが自然ではありませんか?

 もっとも、私自信この訳を決定訳として全力で推したいわけではありません。訳せと言われればもっとサクっと訳してしまうでしょう。ただ、(構文のとり違いでも、明らかなに無理な解釈でもなく)解釈の余地はあるかもしれないけど間違いとはいえない、そうした水準にはあるということを主張したいだけです。

 異論・反論歓迎します。テクストがより良く読めるようになるならそれが一番です。ただ、いま少し忙しいのでおそらく次のお返事は少し遅くなってしまうと思います。こちらから投稿しておきながら申し訳在りませんが、ご理解頂ければ幸いです。

★私の再反論と最後のアドバイス

②について
 純粋記憶、潜在的な記憶、無意識、なんと呼んでも構いませんが、それらは現実的な身体活動と結びつくことで現実化しますが、もちろん、ここでその一様態が描かれているわけです。しかし、ここで、「まだ現実的ではない」といわれているのは、記憶ですか?もし、研究者を目指されているならば、正確に読むことを心掛けてください。irréellesは記憶を修飾していますか。そもそも、ベルクソンがirréelsな記憶という言い方をしますか。irréelles はperceptionsを修飾しているのですよ。そして、「まだ現実のものではない知覚」という日本語は、記憶の反対、未来しか意味しえません。実際は、souvenirsを言い換えただけですから、<もはや現実ではない(過去になった)知覚>と言っているのです。ただ、それだけのことです。そう読むのが「自然ではありませんか」。「ダルマのような図がでてくる少し前」の話で、記憶の投射が語られていませんでしたか。

①について
 「記憶と知覚を、わざと分けて訳されているのではないでしょうか」、まさに、原さんはそうしているのでしょう。だから、誤訳だと言っているのです。知覚における記憶の侵入について語られていますが、いいですか、c'est une extériorisation de souvenirs, de perceptions simplement remémorées et par conséquent irréelles,この文中には、知覚のことは何一つ語られていません。「それは、記憶(=ただ思い出されただけの、つまり、非現実となった知覚)の投射であり」と言っているだけです。あなたは「二章のダルマのような図がでてくる少し前で同じ話が紹介されています。これは憶測ですが、平凡社訳はこの周辺の議論を反映して」いるのではないかと言います。実は、私も、原さんが<そのような混同をしているのではないか>と「憶測」していました。ここでの主題は夢です。「注意的知覚」(「反省的知覚」)ではありません。記憶の能動的働きと知覚という、ヒトである限り共通の大枠がそこにあるという話です。だが、「夢」では、知覚が豊かになっていく過程の分析は出てきません。

まとめ
 はじめて、原さんの日本語を読む人がどう感じるか、素直に考えてください。「知覚」を形容する2つの言葉、「単に思い出されただけ」と、「まだ現実のものではない」がどう整合性をもつのですか。一方は過去を指し、他方は未来を指しています。意味不明です。さらに、何の意図(勘違い)もないとすれば、「それは記憶を無意識の外に出して現実化すること、単に思い出されただけで、したがってまだ現実のものではない知覚を外在化してやることなのです」と、わざわざ下線部の言葉を付け加えてまで、何やら2つの側面が同時進行しているかのような、間違った読み方を誘導するような書き方ができますか。後半にしても、lesquelles profitent de la réalisation partielle qu'elles trouvent çà et là pour se réaliser intégralement.のlesquellesと ellesが、「ただ思い出されただけの、つまり、非現実となった知覚(=記憶)」であってみれば、私なら、思い切って、「記憶は……」と意訳します(ベルクソン自身がもとの講演ではそう言ったぐらいですから)。くどいようですが、ここでは「注意的知覚」における知覚と記憶の追いかけっこの話は出てきません。むしろ、行動の一種である注意的知覚とは正反対の、三角形の底辺がちらりとその姿を見せる現象が主題となっているからです。ベルクソンを金太郎飴式に読むことほど、非ベルクソン的なことはありません。テーマごとの差異をよく見極めましょう。

★もう一件と最後のアドバイス

この[犬の知人の]投稿はどの訳を購入するか検討中の方を迷わせてしまうのではないか(そして先に書いたように必要以上に訳者の方の印象を悪くしてしまっているのではないか)という思いからコメントに至った次第です。……例えば「この訳の評判はどうなんだろう?」と、ごく一般の方が[犬の知人のブログを]覗いた場合、購入を見送ってしまう可能性はある(あった)と思います。←[ ]内は私・犬の知人による補足

……ということですが、百万歩譲って、そういうことが「ある(あった)」とすれば、それはその人の勝手です。私は公人でも、学者でも、社会的影響力のある人間でもなく、社会の片隅でひっそり生息している名もなき「一般」人です。むしろ、一私人が書いてあるブログを、ただ真に受けるだけで、自分の頭で考えないとすれば、その方が問題でしょう(私は、このブログを読んでくださっている方々を、そのように考えてはおりません)。しかも、見てくださる方は40名ほどですよ。日本中で。その半数は、同じFC2ブログの方で、こちらからも見に行きますが、写真や歴史、地方の行事が趣味の方ばかりです。私も、そちらを主にしています。何を恐れているのですか???日本の人口が何人だとお考えでしょうか。被害妄想もいいところです。
 あなたはもっと冷静で思慮深い方だと思い込んでいました。哲学研究でも、社会常識でも。私の年齢はおよそお分かりだと思います。すでにしっかり、社会に貢献してきました。あなたは学生さんです。私の一歩引いた書き方に対し、あらゆる面で明らかに自分が正しいという立場からものを言う、上から目線の文章に、うんざりしました。今回、しっかり真似をさせていただきました。いいですか、私の諸先生方への批判は、世間一般から見れば、雲の上の人に対してコビトが徒手空拳で向かっている図です。あなたと私のやりとりは、一対一です。その違いも分からない。おそらく、私のブログを見てくださっている大人の目には、あなたが「慇懃無礼」に映っているはずです。あなたとのやり取りは、打ち切りにさせていただきます。おっしゃりたいことがありましたら、最後にコメントしてください。そのまま表示させます。こちらからはノーコメントにします。個人のブログがこういう仕組みになっている意味をよく考えてください。仮に、あなたのコメントを載せなくても、決して、不公平なやりかたではありません。「異論・反論歓迎します」って、まるで、あなたのブログに私がコメントを寄せているかのような書き方ですよね。そうです、あなたは、ご自分のブログを立ち上げ、そこで言いたいことをおっしゃればいいだけです。あとは、読者が判断します。


  1. 2013/11/20(水) 08:16:39|
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訂正とお詫び

精神のエネルギー』(平凡社2012.2.10原章二訳)~最近見つけた誤訳に関する訂正

 原さんはメランジュに記載の講演『夢』を訳しているのではなく、ウーヴルの『精神のエネルギー』所収の講演「夢」を訳しているので、誤訳だというのは誤っているというご指摘を受けました。
 本当にボケたことをしてすいません。(ベルクソンの著書ではない)今翻訳中の本に、メランジュからの引用があり、この前後を読んでいるときに、原さんの『精神のエネルギー』を買って読んでいたので、つい、メランジュに入っているやつで確認し、ブログの前置きだったので、よく考えずにメランジュにしか入ってないなどと、ボケたことを書いてしまいました。もともと、本屋で立ち読みして「いいなー」と思って買った本です。『思考と運動』の件で、「ひでーなー」と思っていたので、「またかよ」という予断もありました。ちょっと悪く書きすぎたことも反省しています。以前書きましたように、私が原書で相当じっくり読んだのは、『試論』『物質と記憶』だけで、そのあと、『思考と運動』の「序論」を、2人の方の訳を直しながら、ざっと読んだだけです。といっても、ウーヴルに『精神のエネルギー』が入っているぐらいは知っていたはずなのに、大ボケです。

 さっそく、「夢」という講演を後で補足したバージョン(『精神のエネルギー』所収)を改めて見ましょう。

①メランジュ版
c’est une extériorisation de souvenirs,qui profitent,en quelque sorte,de la réalisation partielle qu’ils trouvent ça et là pour se réaliser complètement.

②ウーヴル版(補足したもの)
c'est une extériorisation de souvenirs, de perceptions simplement remémorées et par conséquent irréelles, lesquelles profitent de la réalisation partielle qu'elles trouvent çà et là pour se réaliser intégralement.

 原さんの訳「それは記憶を無意識の外に出して現実化すること、単に思い出されただけで、したがってまだ現実のものではない知覚を外在化してやることなのです。そうした知覚は部分的な現実化の手がかりをあちこちで見つけては、全面的な自己実現を図るのです」。

 確かに、間違いとは言えません。が、やはり、最初読んでいて、なぜ、引っかかったのかのが、むしろ、これではっきりしました。まず、原さん訳の下線部「無意識の」「現実化すること」は余計。

une extériorisation de souvenirs, de perceptions simplement remémorées et par conséquent irréellesの下線部ですが、記憶内容souvenirsを言い換えただけですね。「単に思い出されただけの、したがって非現実的な知覚、記憶を外に出してやること(「投影すること」でもいい)」。で、次に、補足がはさまれたので、qui(souvenirs記憶)じゃなく、lesquelles(perceptions知覚)が、(あくまでも記憶たる)irréellesな知覚が、部分的に実現されている知覚を見つけて、自己実現するという脈絡ですね。この部分に関しては、真意はメランジュにあるもともとの文章の方が、伝わり易いと思います。のちの補足で、ややこしくなりました。complètementをよりpartielに合わせて、intégralementに直すなど、表現をより正確化していますが、あくまでも補足ですから、意味が変わったわけではありません。
 あらためて、原さんの訳を見ると、「記憶souvenirs」を言い換えた、「非現実的な知覚」を「まだ現実のものではない知覚」としています。「まだ」の意味はないのですが、単に、ケチをつけたいわけではありません。もし、訳者が補うとすれば「もはや現実ではない知覚」でしょう。その辺に、記憶を言い換えて補足しただけという認識が原さんにはないのでは、という疑いを抱かされます。

 これに関するご意見を頂けるとありがたいのですが、ともかく、めちゃくちゃな誤訳という決めつけは、原さんを尊敬する方に申し訳ありませんでした。



  1. 2013/11/17(日) 16:48:05|
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塩屋別院・大門(丸亀市)

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 塩屋別院(丸亀市塩屋町)は浄土真宗本願寺派です。以前、テレビの瀬戸内芸術祭関係の番組で、この大門が塩飽大工によってつくられたということを聞きました。

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 四国新聞のHPによると、海運業の衰退とともに、船大工の技術を生かして、大工さんに転身した人がたくさんいたようです。明治の初めの戸籍では、塩飽の三軒に一軒は、大工さんだったそうです。

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 吉備津神社本殿・拝殿、備中国分寺五重塔、善通寺五重塔なども塩飽大工がつくったそうです。

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 以前の宇多津町「町歩きでも、町家から塩飽大工が施工したという木札が出てきたのを紹介しました。

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 塩屋別院は、第一次世界大戦中のドイツ兵・俘虜収容所(約330名)となったことでも知られています。亡くなったドイツ兵は、駒ヶ林の旧陸軍墓地に埋葬されました。


  1. 2013/11/16(土) 19:16:17|
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飛渡(ひわたし)神社と仁池(にいけ)・丸亀市

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 矢延平六(やのべへいろく、1610~85年)さんを祭った飛渡(ひわたし)神社は、平六さんが晩年に住んだ丸亀市綾歌町冨熊にあります。後ろに見えるのが、平六さんが工事にあたった仁池です。ことでん栗熊駅の近く、ちょうど綾歌図書館のあたり、32号線の北に仁池があり、神社は池の北側です。

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 初代高松藩主・松平頼重さん(徳川光圀さんの兄)は400を越えるため池を作らせましたが、その多くを手掛けたのが矢延平六さんです。

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 仁池は慶安元(1648)年から翌年にかけ、のべ約7万人の人足によって作られました。土器川の水をまんのう町で引き込んでいます。おにぎり形の山は堤山(つつまやま)です。

  1. 2013/11/13(水) 18:46:02|
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塩飽勤番所の写真(丸亀市・本島)

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 10月19日の高松市サンクリスタル講演会『写真が語る香川の歴史』(講師:香川県立ミュージアム・野村美紀氏)で、以前、丸亀市・本島の塩飽勤番所で見た写真のことが触れられました。
 松尾延次郎(えんじろう)さんは本島出身、向井仁助(にすけ)さんは本島の隣の(丸亀市)広島出身です。咸臨丸でアメリカに行き、1860年にサンフランシスコで撮影されたものです。
 コロジオン湿板方式(湿板写真)といい、1851年にイギリスで発明されました。それ以前のダゲレオタイプ(銀板写真、1839年、フランスで発明)では、左右逆に写るので、刀や衣服を左右逆にして撮る必要がありました。露光時間も長くて首押さえなどが必要でした。しかも、焼き増しができませんでした。コロジオン方式では、これらをすべて解決しました。とはいえ、ガラス板にコロジオンという薬品を塗るなど面倒で、露光も一瞬ではありません。講演のあとで、湿板写真を一枚撮るのにいくらかかったのか質問しました。あとで調べてくださり、今の価値で(米価換算で)だいたい1万円強ということでした。
 写真が一気に広がったのは、1871年にイギリスで乾板が発明されてからです。ほどなくフィルムも発明されました。乾板以降、写真師が増加したそうです。香川県では明治30年代(1900年前後)に写真が一般に広がったようです。きっかけは日露戦争の出征の写真だったそうで、それ以外では、学校の記念写真で広がっていったようです。
 
 写真の話から離れますが、塩飽出身者が幕末以降、咸臨丸など洋式艦船の時代に活躍したことはよく知られています。『海援隊烈風録』(二宮隆雄著)では、多度津町・佐柳島出身の佐柳高次(さなぎこうじ)さんが主人公として描かれています。この小説を読む限りでは、坂本竜馬さんの行動の大筋は勝海舟さんのアイデアであり、陸奥宗光さんなんかは亀山社中の仕事をまじめにせず、結構ちゃらんぽらんだったようです。洋式艦船を学び、水夫の育成やら経営面やら、中心になっていたのは佐柳高次さんだったようです。外国の政治経済、法律なども意欲的に吸収していたようです。

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  1. 2013/11/10(日) 11:26:07|
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聖跡記念館などについて(再び)

 以前、「明治5年の天皇行幸と丸亀」というタイトルで、明治天皇行在所(あんざいしょ)跡(丸亀・市営大手町第一駐車場の前)を紹介した際、「大正8年に、幸町に市庁舎がつくられた際、建物の一つに玉座を収め、聖蹟記念館とし、その隣に玉座のあった建物も移築されていたらしい。記念館は昭和38年に、柞原町に移築され、現在、三船病院の一角にある」として、三船病院の建物を紹介しました。資料によって書かれてあることがまちまちで、ずっと引っかかっていました。
 最近、香川県立ミュージアムの方に伺ったところ、やっと謎が一つ解けました。

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 三船病院の聖跡記念館。
 その説明は『香川県の近代化遺産』(香川県教育委員会2005年)に載っていました。大正8年に、行在所の建物の用材を使って記念館を作り、幸町の新市庁舎の隣に建てられたのでした。記念館は昭和38年に移築され、現在、三船病院の管理下にあり(写真)、屋根の形のみが当時のものということでした。

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 昭和9年に、文部大臣による史跡指定されたことを示す石碑。「行在所建物」と書いていますが、正確には行在所建物の部材を使った記念館です。「用材を使った」という表現だけでは、行在所建物を「再現」したものか否かまでは分かりませんが、石碑の言葉を重視するなら、再現したものなのかな???

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 全体像が写せません。その後、県立図書館にあった『ふるさとの思い出 写真集 明治・大正・昭和 丸亀』(国書刊行会・昭和54年)でも、同様の説明を見つけ、さらに、幸町の市庁舎と聖跡記念館とが並んだ写真まで見ることができました。それで、「屋根の形」が今も残っていることが確認できました。オオーッと納得。

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 ついでに、以前「坊太郎餅はあった」で、明治5年の天皇行幸のとき、御召艦をはじめ11隻の艦船が近くに停泊した下真島を紹介しましたが、上陸地の石碑もありますので、ここで紹介しておきます。

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 ここはどこかというと…

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 太助灯籠のある所です(「太助灯籠」参照)。

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 右手が、江戸時代に作られた港「新堀湛甫(しんぼりたんぼ)」。

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 対岸へ行ってみます…

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 「京極船魂(ふなたま)神社」。このあたりには、藩船の船倉や会所などがあり、船魂神社が祭られていたそうですが、大正時代の埋め立てで山北八幡宮に移され、最近再び、元の場所に近いこちらに遷されたそうです。また、京極藩の船番所が派出所として使われて、戦前までは残っていたそうです。

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 左に太助灯籠、真ん中に讃岐富士(飯野山)、右端に小さく丸亀城。

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 昔は、お城が港からデーンと見えていたことでしょう。




  1. 2013/11/07(木) 18:23:09|
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ことでん、レトロ電車

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 1000形120号です。大正15(1926)年から2007年まで定期列車として走っていました。

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 窓はこんな感じ。

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 音が大きいです。

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 到着。

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 連結されていたのは、5000形500号でした。昭和3(1928)年製造。

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 今となっては、ステップが不思議な感じ。

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 さらばじゃ。



  1. 2013/11/04(月) 11:05:11|
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タイムマシン

 多くの人々が興味を持ちそうなテーマで、哲学的視点を示してみたいと思う。とはいえ、これを続けようと思うと、幾分面倒くさい。「哲学する」のカテゴリーで、気が向いたら、また、こういうテーマで何か書くかもしれません。

 タイムマシンは、残念ながらできない。楽しそうなSF世界は現実には望めそうにない。しかし、「残念ながら」というのは、深く考えない限りの話。「論理矛盾が存在するから、過去へは行けない」とは、つとに言われていることである。しかし、もっとよく考えれば、タイムマシンで時間を自由に行き来できるとすれば、<我々を待ち受ける全時間が過去から未来に渡ってすでにある>ことが前提されている。タイムマシンの出現で、時間軸に沿って始めから終わりまで決まっている宇宙の在り様を、いつでも別様に変更しうるとすれば、そもそも、それ自体が前提と矛盾することになる。しかも、その「いつでも」の意味が理解しえない。SF映画の一つのパタンとして、タイムマシンの「動き(?)」をも組み込んだものとして時間軸はすでに成立しているというものがあるが、これはただ、タイムマシンが可能だという思いを、言い換えたにすぎない。時間軸が厳然と先在しているというのが彼らの前提だから、それを改めて表明しただけであり、言うまでもなく、もともとのタイムマシンの仮説とその前提との矛盾を解決するものではない。つまり、タイムマシンはそもそも論理矛盾なのだ。……敷衍して言えば、いま挙げた理屈は、起きたことは変えられないので、考えるのはやめて、とりあえず(矛盾していようが何だろうが)起きたことにして納得するわけだ。現実の時間においては、「すでに」「決まっている」のは過去であり、現実にありえないことをあったことにできるのは、躁状態であり、それは楽しいことには違いない。ちなみに、これからのことを「済んだこと」と感じるのが鬱状態(木村敏氏による)。
 話を戻そう。ここに、ベルクソンというノーベル賞を受賞した哲学者がいる。その時間論は20世紀の哲学に後戻りのできない大きな衝撃を与えた。もっとも、厳密にこれを理解するには、彼自身の著書以上に適切なものは存在せず、相当な苦難を覚悟する必要がある。しかし、ここでは粗雑のそしりを覚悟で、ある一点だけを借りよう。彼は、自由という哲学的問題に対して、こんなふうに答えている。人は自然科学の発展に気をよくして、宇宙は隅から隅まで因果法則に従っていると考えるようになった。現在の量子力学では、ラプラスの悪魔は退治されたようであるが、これにしても因果律的宇宙を絶対的正確さで「把握する」不可能さが明らかになったのか、そもそも因果律が絶対的には成立していないとの主張なのか、はっきりしない。科学が神の方程式への信仰を手放したようには思えない。素朴な因果律は、法則(関数)で世界が表されるということだから、つまるところ、同一律に帰する。y=f(t)から時間tにおける状態が分かるが、その曲線全体はあらかじめ存在していて、それ自体に変化はない。つまり、A=Aの同一律だ。タイムマシンの「前提」する時間がここにある。しかし、神の方程式は、それ自体が形而上学であり、紙の上の方程式かもしれない。では、ベルクソンはどう言ったのか。彼は決して、別の<極論>を対置したのではない。ただ、事象そのものを見るように言っただけだ。物質が因果律に「従う」ことは事実だ。しかし、生命が自由に「行動する」こと、意志をもつこともまた明らかな事実だ。なぜ、この二つの事実をまとめる際、一方を幻覚か何かのように扱うやり方をとるのか、どうして、<同一律>によるとりまとめをするのか。同一律は物質に親和的だから、豊饒な知識体系をもたらしてくれる。そもそも、物質界に生命が適応するには、これに寄り添うことがなければ、生命を維持できない。物質によって生命は自己の姿・形を維持し、また、活動している。物質があまりに重要なため、人間は自己自身を振り返る際にも、物質に合わせて解釈する。しかし、この姿勢は、もとをただせば物質を扱い利用する態度だ。それは、人間自身をも「利用する」という視点しかもたらさないだろう。もう一度、単純な事実に戻る必要がある。自由意思と因果律とは、現に同居している。事実は、因果律は近似的に、物質においてしか確認されておらず、生命の意志は物質の傾向を利用する形で発揮されている。因果律が物質の従う傾向にすぎず、決して同一律ではなく、現に今、刻々と同一傾向の引き継ぎを繰り返していることならば、自由が今そのときに介入することは矛盾でも何でもない。科学が従うべき、繰り返し確認される経験的事実はこれである。同一律、数式で示された法則、etc.はプラグマティズムによって解されるべきであり、それは物質のもつ傾向を説明するモデル、便利な道具にすぎない。科学のふりをした形而上学は、科学の発展とは何の関係もなく、何ももたらさない。
 こうして、ある意味での常識に戻ってみたうえで、改めてタイムマシンという発想のバカバカしさを捉え返してみたい。あらゆる論理矛盾に目をつむって、タイムマシンができたと仮定しよう。本当は何一つ新しいことは起きず、すべては決まっているとしたら、タイムマシンでの冒険や活躍もすべて幻覚にすぎなくなる。逆に、常識的な、いま刻々と過ぎゆく実在的時間がいつも新しく、自由と冒険の場であるからこそ、冒険物語としての「タイムマシン」が生まれたのだ。そもそも、タイムマシンの前提たる同一律的世界が実在ならば、自由も意志も幻覚だから、タイムマシンを作ろうとする意志が幻覚、いや、神の方程式を目指す科学者の苦闘からして幻覚にすぎないことになる。物理法則に従って、岩が波に削られるようにして、たまたま、生命と呼ばれるカタチができ、ニンゲンができ、ニンゲンの脳に電気が走り、その手足の運動に沿ってジドウシャやヒコウキができ、タイムマシンもできる…。こんな滑稽な説明がまじめに受け取れるとして、そこに「意味」や「熱意」が入り込む余地が理論的には見いだせない。せいぜい、ふしぎなカラクリが生まれて、例えば、脳と呼ばれる物質的過程の内部にイシキとかタマシイという名の、物質ではない不思議な(説明不可能な)炎が現れると言うのみだろう。科学の名を借りた形而上学は、実は、ピノキオのお話と変わらない。物質全体の中に系を切り離すのは、人間の論理であるから、脳という系とその「内部」も、物質だけの世界にはそもそも実在できない、などというツッコミを入れたりし始めるときりがないので止めておくが、科学の皮をかぶった形而上学は、あまりにナイーヴでボロボロすぎて、どこからでも際限なく切り崩される。少し冷静に考えれば、経験的実在から始めに排除しておいたものは、あとから持ち込むことは絶対にできないというだけの話だ。だから、意志や自由に関することだけでは終わらない。同一律的、関数的世界は、y=f(x)によって何兆年前にも、何兆年後にも一足飛びできるのであり、まず、現実の時の流れを排除したのだ。後からリアリティを復元できないのは、それこそ論理的必然なのだ。同一律や関数は、人間が物質的世界を探求し、切り開くための道具であって、この行為をも含めた実在の全体は、この道具を握る我々の手の背後に残されたままだ。
 まとめよう。タイムマシンが前提するのは、突き詰めると、一兆年でも数分でも長くも短くもない、物理現象だけの世界、そこに<住む>生命も、それを<見る>動物も、それを<考える>人間も完全に居場所のない世界という神話だ。時の流れない、ということは、今というもののない、そんな世界は現実には想像すらできない。当然である。それは、実在から実在的時間と生命とを引き算した、そもそも実在ではない抽象の産物だからだ。タイムマシンの矛盾は、その存在から生じる論理的矛盾以前に、その作り手の存在しえない世界を実在と見なすことにある。根底には、人間が物質の傾向を描くために創造した数式が、換言すれば、精神活動の一部でしかない物理学するという行為が、それを生む精神活動の一切とその存在とを説明できるという単純極まりない思い込みがある。しかし、それだけではない。それと表裏一体に、そこには、物質を扱うやり方で、人間を実用的観点でしか扱わない傾向がある。
 科学的な、一種の空間としての時間には、事実としての今、「現在」が不在であり、逆に、事実としての時間を前提に、そこから「今」を借りて来て、「仮に、ある時点を今とする」ことができるだけだ。現実の時間こそは、一切の前提だ。一切の説明抜きに、時が流れる。それが、他のあらゆる出来事の説明原理であり、むしろ、説明ということの意味はそこからくる。我々の知る限り、時は流れている。ありとあらゆる変化そのものに立ち会っている。そして、それ以外のことを知らない。なのに、科学は、我々が変化の端っこの点しか知らず、記憶によってこれを結びあわせなくてはならないと考える。しかも、この記憶を脳内物質とする。こうして、時間を空間的直線として再構成して見せる。それが空間とは異なること、絶対に同時性の知覚ではないことを、始めに与えられた経験によって確認しているはずなのに、おかしなことに、がんとして最初に与えられた経験そのものを認めようとはしない。実在が変化そのものならば、時間はどこからどこまでが現在で、どこからが過去かを言えない。どこまでも一続きである。現在の関心が除外したものが過去とされるだけなのだ。実在そのものに切れ目はない。この意味で、宇宙そのものが記憶をもっているとも言える。これを集約し、活用するのは生命の働きだ。膨大な数の波形の繰り返しを、一瞬に集約して、色という質に変換する。過去の出来事から、一つの傾向を導き出し、一般観念を作りだし、目前の事態に対処する。いずれにせよ、変化そのものとしての実在の、絶えず新しいということ、ここに時間の本質があるから、物質的傾向も意志的傾向も同居できる。しかし、科学のまなざしには、実在から実在的時間や生命を引き算した部分が、あまりにも有難いため、人はこれを実在と取り違え、その上で、自己自身をその中に位置づける。こうして、科学のふりをした形而上学者になるのは容易だ。すべてを石に変えるメドゥーサが、鏡で自分の姿を見て石になるようなものである。

(注1)科学が「神の方程式」に近づこうとすることは、もちろん、有益だ。問題は、その行為に意味づけをする(科学者の中にもいる)形而上学者にある。有益なのは、物質の方程式がより精密になる、そのこと自体である。科学が発展するために、最初に意志や自由をその対象から排除しておいたことをすっかり忘れて、こうした方法論をどこまでも発展させれば、いつか意志や自由を数学的論理で説明できるという信仰心、形而上学は有害である。逆に、数学的論理は意志や自由が物質に対して用いる道具に過ぎない。
 古代ギリシャの自然哲学は、物質的なものの本質を素朴に意志的なものと見た点で、あきらかに誤った古代的発想の内にある。ケプラーやニュートンは正当にも、魔術的なもの(錬金術など)への関心を慎重に排除し、近代科学を基礎づけた(ニュートンは魔術的なものへの関心を捨て切れず、それに関する著書を残したが、自身の科学からはこれを除外した)。しかし、今や、自由意思は自ら生み出した道具の見事さに我を忘れ、自らをもその道具で扱えるもの(物質)と同一視するに至った。これはもう、逆-自然哲学という信仰の蔓延ではないだろうか。
(注2)SF物語を否定するつもりは全くない。科学を名乗るエセ形而上学が問題なのであり、エンターテイメントや文学の話をしているわけではない。
(注3)「物質的過程の内部にイシキとかタマシイという名の、物質ではない不思議な(説明不可能な)炎が現れる」という、科学とは何の関係もない原始的な発想が、科学者の中の形而上学者に生まれると述べた。これは、世界を映すカメラのようなイシキ(何のために存在しているのか分からないイシキ)を考える観念論的形而上学と表裏一体である。ここでは、生命や精神の現象は、物質の同一律的傾向に対する、意志的傾向、自由のうちにこそ、その本質があることだけを指摘しておく。


P.S.
 「この意味で、宇宙そのものが記憶をもっているとも言える」と、あえて挑発的な表現をしましたが、ベルクソン自身は、<記憶>という言葉を、自発的なもの、精神的なものとして、創造性に関わるものの意味でのみ用いています。混乱を招いたら、すいません。「この意味で」とは、持続が時間そのものの本質であって、決して、いわゆる心理的なものではないという意味であり、この点を強調したかったのです。正確な意味は、『物質と記憶』の終盤にやっと、実在における総合的視野をもたらす段階で主題化される、ベルクソン理解の最も困難なテーマと関わっています。しかし、時間が流れであるための最低限の条件が、過去が現在に受け継がれることだということは理解していただけると思います。
 持続はベルクソン哲学のαであり、ωであります。ベルクソン哲学が、古典的な形而上学的主張と異なる点は、持続が、様々な主題に沿って、科学的実験などを通した小さな事実確認の積み重ねによって、徐々にその意味を明らかにしていく点にあります。漸進的で、蓋然的な真理性を主張する点にあります。ただ、この哲学の目指すところ、その関心が、始めから実在であって、個別的関心によって確定されていないのです。実在としての持続を決して手放さず、その自覚された蓋然的意味を深化させていく。その意味で、持続はベルクソンにとってαであり、ωであります。






  1. 2013/11/01(金) 20:18:13|
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犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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