どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

懐かしのワールドミュージック

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 懐かしのキング・サニー・アデさん。1980年代、もともと洋楽好きの間にワールドミュージック旋風が起こりました。日本では、中村とうようさんなどの紹介で広がったように思います。私はワールドミュージックに限らず、引っ越しのたびに、たくさんのCDを手放しましたが、最近トシのせいか、昔懐かしのアルバムがリマスター再発されていると、無性に聴きたくなります。
 ナイジェリアのキング・サニー・アデさんは、ジュジュ・ミュージックといわれたジャンルで、トーキング・ドラムの音がなんともかっこいい。このCDは2010年のリマスター盤で、2枚の傑作を納めており、輸入盤だと1,000円を切っています。今聴いても、全く古くないです。他に、ライブ盤のレコードがよかったのを覚えていますが、CDはリマスターされていないようです。

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 タイのロック・バンド、ガトーン(カトーンkaton)のベスト盤。2001年に出ていたのを知りませんでした。昔はカセットか、音の悪いCDでしたが、少なくとも、このベスト盤は音がよくなっています。メロディーが絶妙にタイ風味の洋楽で、大好きです。単に変わっているのではなく、個性的ないい曲ばかりです。







  1. 2014/02/28(金) 07:44:04|
  2. 音楽
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万象園(ばんしょうえん)の梅(丸亀市)

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 丸亀・2代藩主の京極高豊さんが作り始めた万象園は、約100年かけて完成されました。京極氏の出身地にちなんで近江八景が再現されています。

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 梅を見てこようと出かけましたが、料金の高さ(1,000円!)を忘れていました。引き返すのもカッコ悪く、「やっちまったなあー」とクールポコさんが脳裏に浮かびつつ、入場。

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 樹齢600年、直径15mの大傘松。近江の美し松を300年かけて(?)形を整えたと書いてあります。寶月堂(ほうげつどう)のお菓子にもなっています。

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 左に見える邀(よう=迎)月橋もよく知られています。万象園の見どころを改めて紹介する予定です。




  1. 2014/02/26(水) 07:46:17|
  2. 史跡・文化財など
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塩江町の珍しい庚申さん

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 まず、塩江美術館を目指します。国道193号線から、県道7号線に入り、香東川を渡って少し坂を上がった所、左手(!)に庚申さんはあります。なぜ、ビックリマークかというと、私はなぜか見過ごしたからです。で、すぐ近くの右手に目立つお堂があるので、間違ってしまいました。このお堂まで来たら、もう行き過ぎですから、引き返してください。すぐ、気づきます。

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 えっ!?お地蔵さんじゃないの!?…そこが珍しいのです。

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 ちゃんと、三猿がおります。

 ちなみに、県道7号線に入って橋を渡ってすぐ、右へ行くと、塩江美術館があります。小さな美術館ですが、料金も300円ですし、駐車場もひろびろ。いいロケーションで、6月にはホタルがたくさん見られます。さらに、県道7号線に入らず、国道193号線を進めば、すぐそこに道の駅「しおのえ」と温泉・行基の湯があります。



  1. 2014/02/23(日) 09:08:37|
  2. 信仰・民俗・伝統など
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デリダ氏の不毛な議論

『デリダ なぜ「脱-構築」は正義なのか』(斎藤慶典著・NHK出版・2006)

 デリダ氏とその支持者たちによる、ペダンティックで思わせぶりな、それでいて、演繹的論理を例示的に拡大するだけの“えせ哲学”に辟易する者としては、このNHK出版の小冊子は、ただそうした敷衍を避けるという意味でのみ大いに有難い。それが、この冊子をとり上げた理由である。しかも、ここでその1,2ページに触れるだけで、「デリダ氏」を語るという、限られた短文にすぎないことを断わっておく。しかし、読み進めるごとに帰納的に意味が再編成されるのではなく、演繹的に論理展開をする氏の理論であってみれば、土台を崩すことに十分な意味があるだろう。ここに書かれていない点を持ち出して、この点はどうか、あの点に触れてない、などという批判ではなく、願わくは、ここに書かれたことに対する、内的批判を試みていただきたい。
 デリダ氏はフッサール現象学の研究から出発したそうだが、現象学には、次の一面があるように思うのは、私だけだろうか。つまり、我々は現象学のうちに、これまで自らが獲得した地点に対し、あえて不利な経験を選んでこれに語らせることで、帰納によって新たな地平を創出するという、これまでの哲学にはない新鮮さを感じたのではなかったのか。文字の世界を渉猟するデリダ氏とその支持者たちによって書かれたものは、哲学というものになんとなく知的で高貴なステイタスを求めるディマンドには合致するが、哲学的精神としては現象学よりも後退したのではないか。ましてや、現象学にも残る認識論的枠組みを批判できるだけの能力を欠いているように見える。
 現象学運動が活況を呈していたころ、豊富な科学的所見を駆使したメルロ=ポンティが経験に依拠する現象学を象徴し、その中心人物の一人として見られる傾向があったのは偶然ではない。また、ハイデッガーの存在論という方向性にも、経験に語らせることで哲学的枠組みを絶えず組み替える手法が見られる。『存在と時間』は、「現存在」という、コギトにまつわる先入見を排除した言葉から始まり、これを諸経験によって徐々に肉付けしていく。しかも、単線的な展開ではなく、そのつど新たなテーマに沿った経験的事実を通して、幾度となく全面的な意味の組み換えを読者に要求する手法で。しかし、両者ともに、フッサール以来という意味で、「現象学の」と言ってよい限界をもつ。知性(言語)のプラグマティックな本性への徹底した批判を欠き、ということは、経験の持続としての本質を逸しがちであり、経験を現象野として静的に描く傾向があり、自らを「見る」者と位置付ける、背後にある認識論的枠組みに気づいていない。とはいえ、ハイデッガーの「本来性」や「実存」、「死」は、「見る者」を定義する「一般性」を、「ひと」として相対化する力をもち、被投的投企という実践的意味を意味の根源とし、これとは逆に、「ひと」を現象の「根源」に据えてしまうメルロ=ポンティとは好対照をなす。したがって、ハイデッガーの位置づけには慎重にならざるを得ない。ただ、もし、晩年のハイデッガーが言語に特別な鍵を渡したとすれば、それは大きな誤りだと言わざるを得ない。ベルクソンが『思考と動くもの』の「序論」の最後で述べる立場こそ、現象学者以上に現象学的であるが、そのベルクソンは、言語の本質をプラグマティックなものと喝破した。
 デリダ氏は、斎藤氏のことばを借りるなら、「何かが何かとして現象すること」(p.15)だけを、現象するもののすべてであるという前提に立っている。これはしかし、ベルクソンが実在そのものとして、最も明白な経験的事実として描きだしたことの一切(持続)を全く無視するものであるが、それはしかし、無視というより無知であり、ベルクソンが暴きだした知性のプラグマティックな働き、その「自然さ」にすっかり騙され、逆に、これを自らの理論の基礎に据えるという、ベルクソンが生きていたら目を丸くするような、究極の過ちに陥っている。カントは知性の詭計に全く気づかなかった。現象学者は、知性の実践的働きを十二分に明白にしなかったために、認識論的枠組みに囚われ、持続の本質を逸した。しかし、デリダ氏は、知性の働きにすぎないものを意図的に経験の条件に祭り上げた。しかし、それは経験的事実ではなく、知性の詭計にすぎないのだから、あるのは無内容で演繹的な主張だけであり、あとは氏の理論に諸経験を当てはめることをその「証明」だと勘違いして、ペダンティックな饒舌さに終始するだけである。


★p.24-25「遅れて」やってくるもの(『デリダ なぜ「脱-構築」は正義なのか』)
   注:この本は、著者がデリダ氏(「あなた」)に話しかけるという体裁をとっている。
【引用①】それだけではない。私たちが世界への差異の到来を捉えようとしても、「何」かとして世界が現象するのは当の「何」かが差異によって他の「何」かから分け隔てられることをもってはじめてなのだから、世界への差異の到来それ自体は何らの事態ですらありえない。事態もまた、それが「何」かとして現象してはじめて、一個の事態たりうるからだ。つまり思考は、私たちのあらゆる経験は、それらが「何」かについての思考や経験であるかぎりで、それらをそのようなものとして成り立たせている差異の到来それ自体にはいつも遅れているのである。差異が到来してしまった後で、すなわちその完了をもってはじめて、思考も経験も起動する。そうだとすれば現象するものとしてのこの世界は(世界はそのようなもの以外ではありえなかった)、世界がそのようなものとして成り立つその始源にいつもつねに遅れていることになる。

【①の批判】さしあたってたいていの場合、「思考」が動的なものとしての(ベルクソンにおける意味での)差異そのものを捉え損なうという意味でなら、同意する。しかし、「経験」と「世界」とが、できあがった静的な差異の体系に尽きるというのは暴論である。「状態」としての差異体系、つまり、空間的、概念的、抽象的、一般的なものは、本能から、キネステーゼ、言語、あるいは、社会的な諸コードにいたるまで、生命や社会生活を維持するプラグマティックな構成物である。しかし、我々はその根底に絶えず流れつつある生成としての時間を明らかに直観しており、前者をもってこの宇宙や自らを「説明」しようとすることは有用ではあるが、「説明」と実在とを取り違えてはならない。いうまでもなく、我々は一般化しえない自己の存在としての自由と、止めることのできない時の流れとを実感している。

【引用②】この「遅れ」こそ世界がいつもつねにその内で現象することになる「時間」の母胎なのだが、それは時間の内部での遅れと違って、いかなる時間的な「幅」ももたない「瞬間」という在り方をしている。というのも、それは世界が「何」かとして現象したそのときにはもはやそこになく、しかもそうした世界の現象に先だって何かがあるわけではないからである。すでに「ない」という仕方でのみ「ある」もの、時間の中のどこにも現前していないにもかかわらずそこからのみ時間か始まるところ、それが「瞬間」なのだ。瞬間は自己自身に遅れている、と言ってもよい。つまり瞬間の内にこそ、世界を現象へともたらす差異のあの分割線が走っているのである。

【②の批判】幅のない瞬間tこそ、実用的意味形成の究極形としての人間的知性の産物に他ならない。その本質は、空間的点である。点も線も、知的空間の構成要件であり、自然を征服する実践的道具である。プラグマティックな記号を用いてしか時間を語れないデリダ氏は、ベルクソンの洗礼を免れた希少な哲学者、哲学史を知らぬ素人学者である。
 さらに、差異が「到来する」という自らの表現から、「遅れ」を引き出す循環論法はひどい。そもそも、私には「差異が到来する」という表現が一体何を意味するものかが分からない。もし、ベルクソンのように、知性による記号を経験そのものではない実践的構築物と見なし、実在を記号の根底に直接とらえるのでなければ、差異(記号)がそこから「到来」する「思考と経験(現象)以前」は論理的要請(空想)でしかない(「差異」という術語の意味がベルクソンとは全く異なるので要注意)。意味のわからぬカルト的文言を「瞬間」という言葉の中に閉じ込めても、ナンセンスであることに変わりはない。神が瞬間ごとに宇宙を創造しているという、ほとんど意味不明のカルト的発想があるが、そのようなイメージで語っているのだろうか。論理的な先・後(仮に、それを認めるとして)を、時間的前後へと何の説明もなく、転換させている。いずれにせよ、勝手に前提した起源を、あとで打ち消すという独り言から、理論の全体を演繹するという、全く意味不明の粗雑な「理論」(戯言)である。

【引用③】瞬間がすでにして分割であるという矛盾にも見えるこの事態にはあらためて立ち戻ることになるが(ここでの分割がそもそも何と何との分割なのかに立ち戻って考え直さなければならない)、あなたはこうした事情をもあのdifféranceという意味不明の名によって示唆したのだった。というのもフランス語の「異なる」という動詞には、日本語や英語と違って「遅らせる、延期する」というもう一つの意味があるからだ。世界への差異の到来が「瞬間」的なものだとすれば、すなわち〈世界はおのれの起源につねに「遅れる」という仕方で世界である、すなわち現象する〉のだとすれば、世界が世界であることの根本には何かこの「遅らせる」はたらきのようなものが潜んでいることになる。もちろん、繰り返せば、この「遅らせる」はたらきをそのものとして指し示すことはできないのだった。あらゆる指し示し、すなわち名付けは、このはたらきに「遅れて」やってくるからだ。

【③の批判】「名付け」られたものが現象(意味)の一切という仮説に、さらに、そうした差異体系(できあがった状態)としての世界(現象)が「思考と経験」(現象)以前から「到来」するという仮説を加え、だから、この「到来」(つまり、「遅れ」)はそれとして現象しない(意味を欠く)のだという。ここにカントの亡霊を見ない者があろうか。カントの物自体と現象界という枠組みがそっくり維持され、しかも、両者の形而上学的で理論的な関係を、時間的前後関係に見たてるという、全く理解できない言葉遊びをやってのける。当人にしか意味のない仮説の中を回るだけの、ほとんど病的な独り言であり、デリダ氏とその支持者(哲学オタク)たちは、この単純極まりない発想を隠すために、言葉の上での演繹作業を滔々と繰り広げたり、経験をその枠に当てはめるだけのペダンティックな敷衍を延々と続けたりすることになる。

 総じてデリダ氏は、プラグマティズムやベルクソンが言語に与えた実用的地位に気づかず、カントと同様の構成力を与えた上で、脱構築という倫理的方位を付け加えたにすぎない。そこには、始めから哲学独自の領域はなく、歴史学や、政治経済学などの人間科学の体系(言語による文化世界)に出入りして、ただ、脱構築を行うだけである。彼は、「声の形而上学」として、いわゆる哲学的領域を認めないが、それは言語による構成(状態)以上に遡れないという、彼の「発想」(勝手な前提)から来るにすぎない。こうして、哲学の領域を「起源」と呼んで、その不在を「宣言する」。これほどまでに、プラグマティズムとベルクソン哲学という大きな潮流を一顧だにしない「哲学」がまかり通る、それが、残念ながら、哲学の受容(需要)のされ方である。未だに、言語に形而上学的地位を与える古典的哲学に、新たなページを加える者が哲学者と呼ばれる、それが「知識階級」の実情だ。デリダ氏は、形而上学は言語(エクリチュール)の軛を脱し(外部に捨て)、真理と内的に合一できると思い込んでいるという(デリダ氏は、形而上学者のこうした特別な言葉をパロールと呼ぶ)。しかし、パロールだろうが、エクリチュールだろうが、言語である以上はプラグマティックな道具であり、一般性を帯びているのは始めから明らかだ。むしろ、この世界を最初から知的(言語的)なものと見なすという、古典哲学的偏見に囚われているのは彼の方である。外部/内部という2項対立、現象/本体などといった道具立てを、彼の奇妙な論理的構築物のために必要としているのは、デリダ氏の方である。経験そのものが、厳密にはそもそも知性の求める2項対立や同一律などの空間的図式を拒絶しており、ただ、事象によってこれとの親和性に程度の差があるにすぎないことを、経験的に立証したベルクソン哲学を全く無視している。

 ハイデッガーは、一般性をプラグマティックに操るだけの「ひと」を、死によって覚醒させる。死を如何に思考しようと、それはすべて「ひとの死」であることが明白になる。実存としての死が突きつける(浮き上らせる)のは、一般性(「ひと」)に回収されない実存だ。国家が戦争遂行のために人の死を意義づけるのは、実存を根こそぎにして一般性(他の誰でもよい)の中に回収する作業である。死を他ならぬ自分の死として引き受けざるを得ない実存は、その存在自体において、一般的な「ひと」ではありえない、自由の主体、己れの行動が世界の在り様を創造することの自覚(責任)を有する存在だ。単に「何か」で有ったことは一度もなく、常に、何かをしようとしている。それは、言いかえれば、(ハイデッガーの影響を受けたフランクルが『夜と霧』の中で述べるように)何をなすべきかといつも問いかけられていることである。しかし、この問いは、死だけではなく、様々な苦悩をもたらす。「ひと」は死も、苦悩も回避し、自由を、本来の実存を、逃れようとする。こうして、世間話・好奇心・曖昧さを生きる。しかし、こうした空気がまん延する社会は危険である。かけがえのない命を「ひと」の死として回収する社会になっていくだろう。
 デリダ氏は、ハイデッガー哲学の主張を理解できないだろう(デリダ氏が、ハイデッガーのナチス入党問題をもって単純にハイデッガー思想を排除する動きに反対し、彼自身がナチスに加担する者として批判された…云々の表面的なもの知り知識に基づく批判は無用に願いたい)。デリダ氏によれば、意味や現象は「何か」であり、つまり、人間は「ひと」でしかない。ハイデッガーは、人間はいかなる意味でも「ひと」一般ではないと言っているのではない。「ひと」が実存の本来性を損ねかねない、実存の一側面だと言っているのだ。自由という形而上学的軸をはっきりと打ちたてたのだ。それに比べ、デリダ氏はなんと世間的、世俗的な視点しか持ち合わせないことか。それは、哲学でも何でもない。全く、哲学的次元を欠落させている。プラグマティックな、世俗的な「何か」しか見ないでおいて、ただ、これを脱構築し続けるのだという。確かに、ハイデッガーはナチスに入党した。大切なことは実存論(哲学的一般論)よりも、実存することだという観点からするなら、生身のハイデッガー本人はファシズムという名の「世間」に「頽落」したのだ。少なくとも、科学者になるには科学的素養が必要なように、正しい社会認識には、社会経済体制の歴史や思想を、事実や証言(とりわけ弱者の)に基づいてよくよく吟味することが不可欠だ。ハイデッガーは一知識人・一社会人としては、特にその地位に見合った罪に問われるべきだ。その意味で、彼は人生で失敗を犯した。しかし、そもそも哲学は、あれやこれやの具体的状況に応じた行動を導くための理論ではない。そのようなものなら、他に学ぶべきことがたくさんあろう。哲学は何の役にも立たない。むしろ、ある国家が、国民に過大な負担を強いるとき、通常の政治・社会上の理由づけを逸脱している場合にこそ、(カッコつきの)「思想(哲学)」が持ち出されるのだ。これに対し、本物の哲学は、社会体制や具体的行動を根拠づけるものではないと、思い定めるべきである。哲学は哲学でしかできない側面からのみ、人間や社会を見つめ直す力をもつ。喩えて言えば、物理学が物理学でしかできない領域をもつがゆえに力を発揮できるのと同様である。ひるがえって、デリダ氏の主張を見れば、脱構築などという、哲学でも、社会科学でも、ジャーナリズムでもない、知識人の言葉遊びが、何の意味を有しているのであろうか。

★ついでに、もう少し、本文に沿って批判してみました。

p.30~「反復」:「何ものか」=「最初のもの」は、最初からあったものの反復として現れるが、現れの以前はすでに失われている。現象は、「差延」の働きがもたらした「効果」、「痕跡」だという。反復を創造性のうちに回収するスピノザ、ニーチェ、ベルクソン、ドゥルーズらは、生き生きとした、すぐそこにある経験的事実に気づかせてくれる。これに対して、デリダ氏は真理についての古典的で認識論的な枠内に留まっており、単に、お決まりの「現象界」を、すでに失われた根拠を探すあてどなき旅という物語で解釈したにすぎない。プラトンの洞窟の比喩レベルのお話し、そのヴァリエーションである。
p.34 上記の自説を、「真理」の「既在性」と「想起説」というかたちで説明し、プラトニズムを肯定…。
p.35 ここでは信じがたい哲学素人ぶりが発揮されている。まず、数学の理念や物理法則の普遍性と、過去の事実(歴史的事象)の確定性とを、全く同じものだと定義するという粗雑極まりない理論(実用的真理と形而上学的真理との混同)。次に、「<最初のものがすでにそれの「反復」である>」(<>は著者)ことの意味を、歴史上の事実は、そのようなものとして予知できていたものとしてのみ生起する、と説明する。ベルクソンが『試論』で自由を論じる際、回顧的錯覚として批判した考え方を、歴史上の哲学者たちなら様々な理屈をつけてごまかそうとしたであろう、その誤った考え方を丸裸で堂々と差し出す勇気は、とても正気とは思われない。
p.36 このような構造を「エクリチュール」と呼ぶ。それは、世界が「何か」として読み解かれる「痕跡」で満ちている、という意味だという。ベルクソンなら、生命は生きるために、有用で頑丈なものを芯として、世界を「何か」として切り分けるというだろう。
p.36~「声」という現象について
 「誰か」という本体と「声」という現象との関係を、こともなげに、「言わんとするところのもの」と「声」との関係に言い換えているが、こんなところにも著者(もしくはデリダ氏)の粗雑さ(少なくとも、読者を無視した主観的思い入れの強さ)がうかがえる。「聞きとられうるものは声以外にはない」とは、言葉によって表現されることの中にのみ思考はあるという意味なら、そのとおりだろう。しかし、哲学初心者向けのこの本で、物質的音としての声が表現からの抽象にすぎないことを、読者が理解していることを前提とした書き方は如何なものだろう。それにしても、話者の存在がさしあたっての関心(会話)に尽きるわけでもないのに、「声」に対して「本体」がないというのも乱暴だろう。著者の思考回路はほとんど、何を言っているのか理解不可能なレベルに達している。
p.38 いまのことと関連して、「当人が居合わせること」は、声や「ジェスチャー」という「痕跡」なしには現象しないという。ものも言いようである。それなら、そもそも身体という(あえて彼らの表現を用いるが)「痕跡」やら、ありとあらゆる当人の存在を前提した社会的、物質的諸関係が「痕跡」としてある。全く、常識的な当たり前の話。短いおしゃべりを採り上げて、痕跡以外に本体はない、などと大仰な言い方をするが、会話の相手は、時空的広がりをもつ人格的全存在として現象しており、常識的にはそれをもって、短いおしゃべりの本体と捉えているわけである。氏の論法で言えば、それらを「痕跡」と呼ぶことに何の支障もない。つまり、ここでは、常識的なこと以外に何も語られてはいない。
p.38~39 「書かれたもの」は「書き手がそのつど不在になるという仕方でのみ」、「何か」が読みとられうるものとして現象する。「書き手は書くそのたびごとに、その瞬間瞬間において」、「死ぬ」のだ…。正直、この著者(デリダさん)は大丈夫?なのかと思う。先に、「語られたこと」と「声」との関係で述べたのと同じカラクリが使われている。「言わんとすること」と「書かれたもの」との関係を、「書き手」と「書かれたもの」との関係へと意図的に置き換えている。実際、私は寡聞にして、書く瞬間ごとに死ぬ人を見たことがない。社会生活を前提にして生まれた言語は、同一種の本能的行動にも似た、一般性をもつ。あらゆる表現は、主体のうちなる一般性によって可能であり、表現は主体性のうちなる敵によってのみ表現される。表現は一般性を介することなく、他者によって追体験される可能性をもたない。ただ、それだけのことだ。主体が死ぬことで痕跡になる、などといった大仰なもの言いは、よく言って文学的表現にすぎない。ここまで見て来ても、いまだに「痕跡」という言葉を用いる必然性が全く理解できない。
 著者はアリストテレスの『動物誌』の言葉、「生命の最も原初的な形態は、同じものの反復である」を新たに読み直したことになる…という。会話も、著作も、生命も、同じ言葉で語るという、単純極まりないデリダ氏の演繹的手法をよく物語っている。テーマに即して、新たな科学的研究成果を学び直し、経験的事実に語らせ、自らの理論を新たな次元から組み直す作業を行ったベルクソンの手法とは正反対の姿勢が見られる。
p.39~ 「痕跡は、世界が現象するための必要条件でしかない」。ここで、著者は世界が「何か」の体系でしかないという持論、プラトン主義的、古典哲学的立場をいさぎよく認める。その上で、「何」ものかが現象するとは、それが「何」ものかに対して現象することだとして、さらに「読むこと」を世界の現象の必要条件とする。こうして、認識主体という古典的哲学における登場人物が出そろったわけだ。私にはこれまでのところ、著者(デリダ氏)の言うこと(それを主張とか、ましてや、理論などと言う気にもなれない)に、カントの亡霊しか見えない。
 著者は「読むこと」自体が、新たに「痕跡」の追加となるという。そして、言わなくてもよいことまで述べる。自然の風景を見る際の、視覚中枢の神経興奮パターンも、「見てとられたこと…現象したことの痕跡」だという。しかし、それらが実際には身体行動の下書きだということはベルクソンが精密に立証したとおりである。それにしても、痕跡が見る者にも痕跡を残し、多重化していくこと…という薄っぺらな抽象が、一体、哲学なのか。そもそも、我々は認識論的な「見る者」ではなく、行動する者であり、ゆえに新たな何かを付け加えるのであり、また、そもそも行動が物質的一般性をうちに含んでいるがゆえに、あらゆる次元で新鮮味のないものでもありうるし、真に創造的な行動であっても、反復可能性を含んでいるのではないか。

……………

★読むたびごとに馬鹿げた議論で、徹底して批判したい気持ちと、時間がもったいないという気持ちとの均衡が、ここらで釣り合ったようです。もう、いい…(もちろん、ばかばかしいが、最後まで読みました)。もう2点だけ、述べておきます。

*「誤読の可能性」という奇をてらった言い換えは、知的であることを気取りたがる人種には受け入れられよう。しかし、都合のいい事例だけを採り上げるのでは、床屋談義と変わらない。カントやフッサールなど、まじめな哲学者を悩ませた自然科学の問題はどうなるのか。誤読と真の創造性とを区別することこそ重要なのではないか。両者をひっくるめて「誤読」と名付けるだけでは無意味である。すでに芸術分野や科学の諸分野で現に行われていることを、後付けで「誤読」として勝手な「説明」を加える(「凝視」すれば、「よりふさわしい」何かが「到来する」…!)だけなら、「哲学」など用がない。古典哲学を知り、正しくもそうした哲学の無内容さを実感した人々からすれば、デリダ氏はいっそう「哲学」の無内容さをアピールするのみだろう。

*デリダ氏は、古典哲学の枠組みに依拠している。そのうえで、現象界をどう位置付けるかという、古典哲学的ヴァリエーションにすぎない。不可知論の焼き直し。失われた原型が、「何か」(世界、経験と思考の場)として「現れ」る。前者は「何か」ではないし(「不在のもの」)、「何か」の出現も「何か」ではない(「差延」の働き)。いわば、原型や起源は現れることなく、「何か」(無秩序ではなく)が現れる保証として担保されている。というのも、「何か」の脱構築(再構築)を通して、たえず「不在のもの」への「暴力」(「何か」という枠)を緩めて「より正当」な「別の仕方で」の「何か」を目指すこと、方向としての「正義」が可能だと言いきっているからである(「不可能なものとしてのみ可能」などという、哲学オタクをくすぐる言葉づかいには苛立たされる)。脱構築の倫理が唐突な主張でないとすれば、「不在のもの」が実践的根拠として前提されているからに他ならず、他方、「何か」の「解釈」によりよい方向があるという前提とともに、まさに、カントの実践理性、判断力の焼き直しに過ぎない。さらに言えば、法にただ従うだけという極論に、主体的判断の重要性を説く自らの主張を対峙させて、さも、新しいことを説いているかのように見せるための、哲学オタクな奇妙な言葉で飾り立てられた文章をみていると、空しくなってくる。そのようなことはデリダ氏に言われなくとも、通常の事態にすぎない。裁判所では日々、法を個別事案に即して解釈するための、熱い火花が散らされている。そして、平重盛の「忠ならんと欲すれば…」ではないが、誰もが様々な倫理観の間で苦悩して答えを出している。さらには、アイヒマン(ファシズムのもとでの自由の放棄)の突き付けた問題など、デリダ氏(「あなた」)に言われるまでもなく、既成品としての正義を疑い、主体的に正義を再構築していくことのあり方は、もうすでに、より具体的かつ実証的に、多くの心ある人々によって模索されている。デリダ氏、あなたは不要だ。
 これに対し、生命のプラグマティックな範疇である一般性(類似性)と、例えば運動といった様々な経験そのもののうちに明らかな、持続という経験的実体とを対比させるベルクソンは、実証的研究を通して、見失われがちな主体、生命の価値、あるがままの経験の神秘性を取り返してくれる。ここでは哲学が、哲学独自の輝きを放っている。


  1. 2014/02/20(木) 12:42:44|
  2. 哲学する
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瀬戸内海歴史民俗資料館・企画展(高松市)

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 「瀬戸内海国立公園指定と観光開発」展が行われています。個人で楽しむ範囲なら、写真はOKということなので、商用でなければという意味だと思うのですが、細部まではっきり写った写真は避け、かつ、一部だけ紹介します。
 江戸時代の名所絵図などから始まり、明治以降の交通の発達にともなった観光案内。さらに、タイトルにもある瀬戸内海国立公園指定にからんだ動き。昭和10年代は時局がら、体力増進のためのハイキングや、天皇の聖跡めぐりなどが増加。他方、鬼ヶ島ブームも到来。そして、戦後の復興。さらに、クルマ社会、瀬戸大橋、現在の観光。観光というおもしろい観点から、歴史が学べます。

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 昭和30年ごろの行き過ぎ(ヤラセ)。女木島で実際にはあまり見られなかった、頭上運搬が観光用に行われたり、日本初(世界初)のハマチ養殖で有名な引田の安戸池では、これまた演出で、鳥羽(三重県)から海女さんをスカウトしてきたそうです。
 以前、友人からの話として、香川にも少し前まで海女さんがいたらしいとのコメントを寄せていただき、ずっと気になっていました。もしかして、このことかも知れません。コメントがなければ、今回の展示資料に興味を持たず、きっとスルーして記憶に残らなかったと思います。面白い話に行きつくことができ、感謝! ときどき、ちらっとですが、図書館で香川の生業などを調べてみていたのですが、まったく記載がなかったので、たぶん、このことだと思います。資料館の方にうかがったところ、平安時代ぐらいの記載はあるそうで、それ以降は香川ではなかったようです。ただし、それほど調査研究がされていないので、断言はできないそうです。歴史は奥が深い。

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 昭和24~30年にかけて、九州から香川県に石炭を運んだ船だそうです。

 あまり写真を載せませんでしたが、けっこう資料が豊富で楽しいです。ぜひ、見に行ってみてください。五色台は、向かいの自然科学館駐車場から少し登った場所や、休暇村讃岐五色台などからの夕日も美しいので、オススメです。



  1. 2014/02/18(火) 17:26:22|
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まんのう町の山奥

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 国道438号線を徳島県堺(美馬市)近くまで行きます。エピアみかど(道の駅・温泉・三霞渓谷)を越えてすぐ、三頭トンネル手前を左へ入り、県道154号線を進みます。しばらくすると、道の左手に大きな杉の木が目に飛び込んできます。

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 付近の様子。県道から外れる道はすべて、地図にないという所…。地元の人でなければ、うっかり入れません。

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 巨大な杉。根元のあたりを埋める前は、うろの中に子どもが25人入れたそうです。

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 樹齢800年以上、高さ50mで、県下最大だそうです。

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 杉王神社の杉です。

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 神社をあとにして、先へ進みます。

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 案内板の水色部分は、池ではなく、県立公園の範囲を示しています。

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 道を登っていくと、非常に分かりやすい感じで、民家横に庚申さんが見えます。

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 道路反対側に駐車できます。

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 明治五年の申年でしょうか???? 落書きっぽい三猿がシュール?

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 県道はここで行き止まりになります。

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 謎に包まれています。ネットで百円食堂といううどん屋さんがあると知ったのですが、閉店でした。家に帰って、もう一度調べると、11:00開店で、売り切れ次第閉店とありました。実は、この付近にも庚申さんがあるらしいのですが、見つけることができませんでした。

  1. 2014/02/15(土) 10:11:50|
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讃岐国府跡現地説明会(2月9日)

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 開法寺塔跡です。今回の発掘現場はすぐその先です。讃岐国司・菅原道真の菅家文章に「開法寺は府衙(国府の役所)の西に在り」と書かれています。いま、北東を向いています。

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 この直後、周囲は人でいっぱいに…。

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 北西方向に鼓岡(つづみがおか)神社のある小山が見えます。崇徳上皇の住居となった「木の丸殿(このまるでん)」があった場所です。

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 建物跡は主として、①7世紀中ごろ~終わり、②8世紀(国府や官道がつくられた奈良時代)、③10世紀に分かれます。写真で、埋蔵文化財センターの方が示しているのは7世紀の建物跡で、柱の跡がきれいに東西方向に並んでいます。

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 8世紀の建物跡は、少し西に傾いています。このラインから北へ垂線を引くと、どんどん開ける平野が広がり、その平野には、この線を基準に条里制の(碁盤の目に区画された)田地が広がっています。つまり、条里制のラインに合わせて、国府の向きが決められています。国府は平野の扇の要に位置し、基準線に沿ってまっすぐ進むと港に出ます。

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 先ほどの建物跡を横から見る。1.3m四方の穴に直径30㎝の柱を立てていました。今後、建物の全貌を調査する予定だそうです。

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 先ほどの現場の北に、東西に長く掘った部分。センターの方が立っているのは大きな溝。今のところ、開法寺との間を画するものだったのでは?と推測されています。溝に沿って柵があったようです。

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 瓦が一か所にまっすぐ並んで出てきた場所。まだ、その性格は不明。

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 もう一度、今の場所。

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 その反対側。よく見えませんが、向こうに10世紀の建物跡があります。向きは8世紀のものと同じです。

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 今回の一番北側。やはり8世紀の柱跡で、方角も同じ。

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 近くの、香川県埋蔵文化財センターで、これまでの出土物がたくさん展示されています。

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 文字の書かれた須恵器。

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 ベルト飾りにあたる石帯。

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 役人の身分を示すもので、サヌカイト製だそうです。

 普段からセンターでは、いろいろな展示が行われています。HPで調べて、ぜひ、出かけてみてください。


  1. 2014/02/12(水) 07:47:08|
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福山城跡(総社市)

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 登山口です。標高302mの、まあ、山です。登ると疲れます。

 岡山県総社市の福山城は、1335年末~1336年にかけ、足利尊氏さんが後醍醐天皇の建武政権に反旗をひるがえした際の、激戦地の一つです。
 足利氏は源氏の一族で、彼らの一所懸命の地・足利を名乗りました。鎌倉時代には、執権・北条氏以外では、御家人のなかでも最大勢力を誇り(室町幕府の管領、畠山・斯波・細川の3氏が足利氏一門であることからも、なんとなくわかると思います)、北条氏とも姻戚関係を結んでいました。足利高氏は、後醍醐天皇の呼びかけで鎌倉幕府を倒した、実質上の最大の功労者です。しかし、1333年に始まった建武の新政は武士たちの求めるのとは、ほぼ逆方向へ舵を切ったため、足利尊氏はこれに反旗を翻し、室町幕府をつくることになります。
 1335年に、鎌倉で北条氏残党の反乱(中先代の乱)が起こると、これを兵をあげる好機とし、反乱を鎮圧したのち、鎌倉から京へと進軍しました(お話としては、弟・直義による説得などイロイロ伝わってますが、アッサリ言うとこんな感じ)。大軍で攻めのぼった尊氏軍ですが、おそらく、数頼みで、戦略・統制などで油断があったのではないかと思うのですが、天皇方の北畠・新田・楠木軍などに撃退され、一度、九州まで退きます。ここから態勢を立て直して再び京へ攻めのぼりました。こうして、岡山でも激戦になったのでした。

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 こんな感じで、登っていきます。

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 巨石。

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 頂上には、たくさんの石碑が建っています。こちらは大正十三年と書いてあります。

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 左の地図で「現在地」の少し北に、幸山城という戦国時代の城跡が見えます。また、紹介するつもりです。遺構は、右図の配置になっています。

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 福山城には、後醍醐天皇側がいました。新田義貞軍の武将・大井田氏経で、わずか1500ほどの軍勢でした。ここへ、足利直義(尊氏の弟)率いる約30万の軍が攻めよせました。戦いは三日間におよびました。討ち首1353という恐ろしい結末に…。

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 井戸の跡。

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 土塁跡。

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 門?

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 入口?

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 土塁跡。

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 頂上付近からの風景。

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 登山口付近には、古墳群があります。

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 後醍醐天皇関連は、以下。足利尊氏上陸地点(下津井)。児島高徳さん。醍醐桜宇南寺

  1. 2014/02/09(日) 09:25:31|
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細川家住宅(さぬき市)

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 場所が分かりづらいので、初めて行ってみようという方は、事前の場所の確認が必要です。史跡を見に行くとき、私はふだん、よほど分かりやすい場合でなければ、ネットの地図上で位置を確定してから出かけます。位置表示のズレも多いので、一つの情報に頼らず、なるべく多くの情報を集めることが大切です。

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 見えてきました。アジサイで気付かれたと思うのですが、昨年の写真です。たまっている写真も多いので、小出しにしています。

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 18世紀初頭の農家だそうで、国の重要文化財です。

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 最初に見えた、手前の納屋のような建物。

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 さて、肝心の住宅をじっくり見ましょう。カヤの分厚い屋根が目に付きます。私は子どものころ、ワラブキって雨漏りが大変だろうなと思い込んでいましたが、縄文時代の竪穴住居というものを知ったとき、あれで雨漏りしたら、寝てる間におぼれ死んじゃう…って気付き、図書館で調べて、昔の人の知恵に感心しました。

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 土間。柱は、栗だそうです。

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 シンプル。テレビや映画に出てくる江戸時代の農家のイメージ…で、ふと思ったのです。江戸時代の町部の長屋住まいの発狂寸前(夏は暑くて蚊も多く、発狂者も出たそうです)な暮らしと比べたら、断然いいじゃん。そもそも、権力者でさえ、衣類・調度品ぐらいでしか差異化をはかれず、一般武士なら、この程度の家じゃないの?…農民、いいじゃん!…なのか?

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 と思って、さぬき市に問い合わせてみました。①細川家の格付けは?名主レベルー本百姓(だんだんと貧富の差が拡大したので、細川家のレベルは?)ー水呑み。②建物は現在見られるものが、すべてだったのか。③もし、名主レベルなら、農業以外にも関わっていたと思えるが、その場合、詳しく分かっているのか。④細川家の歴史。

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 市からは、以下の丁寧なご回答をいただき、感謝感激しました。
①山間部にあるため、農家の格付けはあまりなかった。
②現存の家屋(母屋・納屋・便所・水汲み場等)が総て。
③庄屋より下の世話役? と想像されている。
④細川家の歴史はよくわかっていない(書物が無い為)。
 「前山おへんろ交流サロン」に多和地区の真部家古文書があります。

 実は、昨年、県の古文書講座を受講したのですが、初級までで挫折しました。あれこれ手を広げ過ぎて、いっぱいいっぱいすぎのようです。昨年はドイツ語も自分で勉強しなおしたので…。
 少し前になりますが、ちょっと訳してみたので、誤りがあったら、ドイツ語が得意な方、教えてください。
 ドイツの新聞、Die Welt(「世界」1月23日付)です。

Verhältnis zu China 対中国関係

Japan fühlt sich wie Deutschland vor dem Weltkrieg
日本は、自国が大戦前のドイツのようだと思っている。

Die Beziehungen sind gespannt: In Davos vergleicht der japanische Regierungschef das Verhältnis seines Landes zu China mit dem zwischen Deutschland und Großbritannien vor dem Ersten Weltkrieg.
関係は緊張している。ダヴォースで、日本の首相が自国の対中国関係を、第一次大戦前のドイツとイギリスの関係に喩えた。

Der japanische Regierungschef Shinzo Abe sieht in den Spannungen mit China Parallelen zu dem Verhältnis zwischen Deutschland und Großbritannien vor dem Ersten Weltkrieg. China und Japan befänden sich in einer "ähnlichen Situation" wie die beiden europäischen Staaten 1914, sagte Abe am Mittwoch auf dem Weltwirtschaftsforum in Davos der BBC und der "Financial Times".
日本の安倍晋三首相は中国との緊張関係を、第一次大戦前のドイツとイギリスとの関係に類似していると見ている。中国と日本は、1914年のヨーロッパの両国と「似た状況にある」と、水曜日、ダヴォースの世界経済フォーラムで安倍はBBCと「フィナンシャル・タイム」に語った。

Gute Handelsbeziehungen zwischen den Ländern hätten den Ausbruch des Krieges nicht verhindert. Abe ergänzte, dass die steigenden Militärausgaben Chinas eine bedeutende Quelle der Instabilität in der Region seien.
国家間の良好な貿易関係は戦争の勃発を防げなかった。安倍はさらに、中国の増大する軍事支出がこの地域の不安定化の大きな原因だと述べた。

Abes Sprecher bemühte sich am Donnerstag, die Aussagen zu relativieren. Der Ministerpräsident habe keinesfalls sagen wollen, dass er einen Krieg zwischen den beiden asiatischen Staaten für möglich halte, sagte Chefkabinettssekretär Yoshihide Suga. Zwar kenne er die Details der Äußerungen nicht. Abe habe aber in seiner Rede in Davos darauf hingewiesen, dass für Frieden und Wohlstand in Asien Dialog und die Einhaltung der Gesetze und nicht Waffen und Drohungen notwendig seien.
安倍の広報担当者は木曜日に、発言を相対化しようと努めた。首相は決して、アジアの両国間に戦争の可能性があると言いたかったわけではない、と菅義偉・内閣官房長官は語った。さらに、発言の詳細は分からないものの、安倍はダヴォースでの演説で、アジアの平和と繁栄のためには、武器や脅しではなく、対話と法令遵守が不可欠であると指摘した、と続けた。


Streit um Inselgruppe belastet Beziehungen schwer
島々をめぐる確執が両国関係にのしかかっている。

Die Beziehungen zwischen Japan und China sind wegen eines Streits um eine Inselgruppe im Ostchinesischen Meer belastet. Beide Länder beanspruchen die Inseln für sich. Auch Abes Besuch eines des Kriegsschreins Yasukuni war in China auf scharfen Protest gestoßen.
日中関係には、東シナ海の島々をめぐる確執がのしかかっている。両国とも島々を自分のものとして求めている。さらに、安倍の靖国神社参拝が中国内に強い抗議を引き起こしていた。

In dem Schrein werden neben japanischen Kriegstoten auch verurteilte Kriegsverbrecher geehrt.
神社では、日本人戦死者とともに、戦争犯罪者もまた顕彰されている。

China und Japan, die weltweit zweit- beziehungsweise drittgrößten Volkswirtschaften, sind wirtschaftlich eng verbunden. Der bilaterale Handel im Jahr 2012 hatte japanischen Angaben zufolge ein Volumen von annähernd 334 Milliarden Dollar.
中国と日本は、世界で第二位、あるいは、第三位の国民経済規模であり、経済的に緊密に結びついている。2012年の輸出入を合わせれば、日本の主張によれば、約3,340憶ドルの規模である。




  1. 2014/02/06(木) 08:27:09|
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道の駅「源平の里むれ」(高松市)の謎のオブジェ

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 デジャ・ビュ?…実は以前にも紹介しました。この鉄のオブジェの作者が気になっていました。

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 やはり、ちゃんと紹介されていました。

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 香川県が誇るアイアンシェフ…じゃなく、アイアン作家です。

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 大きな広場には、石のオブジェがたくさんあります。この写真のオブジェは、丸い穴に向かって話しかけると、向こうの穴に耳を近づけるとよく聞こえます。

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 深海生物???

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 広場の北東には琴電の線路と海。電車好きの方は、ここでねばってみてはいかがでしょう。

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 顔がコアラのマーチっぽいクマ。

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 アートな公園です。

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 北西の一段下がった所にも、オブジェが…。

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 飛び出し注意。

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 小さいヴァージョン。

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 五剣山もよく見えて、風光明媚。
 
 今日は、節分。昨年は、田村神社に行きました。節分の強烈な思い出は、子どもの頃、「オニは外ーっ!!」と、窓から外へ豆を投げた時、父に「食べ物を粗末にするなっ!!」と激怒されたことです。



 
  1. 2014/02/03(月) 19:44:42|
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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