どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

十河の郷 昭和おもいで館(高松市)

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 前回紹介した十河(そごう)城跡。最後の地図の写真(十河歴史資料館)で示した、北側の四角い部分で東を向いています。茶色の建物が、十河氏のご子孫が経営されているお店・昭和思い出館です。写真に写っていない左の方に、資料館や十河氏のお墓があります。

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 ネットで検索するといろいろと紹介されていますので、ぜひ、行ってみてください。私は行った時刻が少し遅かったので、コーヒーを戴きながら少しお話を伺って、2階の昭和コレクションをササッと見て帰りました。

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 浮雲。成瀬巳喜男監督、高峰秀子主演、林芙美子原作の映画。情念渦巻く世界がすごい。

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 2階スペースの展示物。映像を見るコーナーもありました。

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 まん中の段の円盤が懐かしい。いまのお掃除ロボットのような動きをします。ぶつかったら方向を変えます。

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 船のおもちゃを見ると、原子力潜水艦シービュー号を思い出します。潜航、浮上を繰り返すすぐれもので、銭湯で遊んで叱られたので、海へ持って行ったところ、潜航したまま行方不明になりました。

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 右にピンク・レディーの映画のポスター。

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 1階にはベランダもあります。今回は食べ物ではなく、コーヒーだけでしたが、もうビックリな安さでした。しかも、お菓子もついてコーヒーもおいしい。十河氏の子孫であるマスターは、おだやかで落ち着きのある方。大分県での合戦祭りにすごく力を入れているようでした。デパートのそごうの十合さんも、字は違うけれど十河氏の流れを汲んでいるらしいとのことでした。
 史跡ともども、行ってみる価値のある所です。もっともっとメジャーになってほしいものです。

   
  1. 2014/03/30(日) 12:08:59|
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十河(そごう)城跡(高松市)

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 本丸跡は称念寺というお寺になっています。

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 お寺の本堂。
 十河存保(そごう・まさやす)さんは阿波の三好氏から迎えられた養子。秀吉さんと結んで、長宗我部元親と戦って敗れて脱出。その後、秀吉軍が長宗我部氏を破ると、讃岐支配を任された仙石秀久さんのもとで城主に返り咲きました。しかし、秀吉さんの九州征伐(1587年)のとき、仙石さんの作戦のまずさで、長宗我部さんともども島津氏に敗れて戦死しました。

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 お寺の方から、北側に空堀跡や、喫茶店の人が資料館をやっていると伺い、そちらへ向かいました。

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 お寺の北側の道を西へ向かう。この土の盛り上がりは当時の名残っぽい。

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 先ほどの道を少し進み、東方向を振り返る。

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 もうちょい進んで、また振り返る。

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 さらに、もうちょい行くと、道は北(写真左)へ向かう。

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 北へ向かう道。この両側が空堀。左にお地蔵さま。

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 南無大師遍照金剛…。

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 空堀。西を見ています。向こう側は池。

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 少し北へ行くと、十河氏のお墓や、喫茶店、小さな十河歴史資料館があります。ここは、お墓の入り口。

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 一存(かずまさ)さんも三好氏からの養子で、急死したあと存保(まさやす)さんが迎え入れられました。

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 南無阿弥陀仏…。

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 資料館の内部を見学させていただきました。十河氏が戦った大分県で、「大野川合戦祭り」という大掛かりな祭りが行われており、ここで戦った武将のご子孫が甲冑に身を包み、戦いを再現したりするそうです。

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 のち、蕪村さんが十河家に立ち寄ったときに歌を詠んだそうです。

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 昔の写真がすごい。お墓の向こうにお堂があるだけ。今はお堂のあたりに、資料館や喫茶店があります。

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 池の右、南(下)側の大きい部分が本丸跡で、いまの称念寺。で、北に空堀があって、小道が北に向かう。さらに北の小さな四角い部分も城跡。その部分、堀のすぐ北側は現在、たんぼ。その北の一角に、お墓・資料館・喫茶店があります。
 次回、十河氏のご子孫が経営されている喫茶店を紹介します。昭和レトロな喫茶店なので、お楽しみに。



  1. 2014/03/27(木) 17:59:30|
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栗林公園も春

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 エドヒガン(サクラ)?

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 小普陀(しょうふだ、生駒家以前、地元の豪族の別邸があった)の向かいに、ハクモクレン。

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 掬月亭(きくげつてい)の南に、サンシュユ。

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 植物に詳しいわけではなく、説明を見ながら「へー」と思いながら回っています。ハルコガネバナともいうそうです。

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 掬月亭では、琴の演奏や、どういう行事か雅楽が奏されていました。

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 偃月橋(えんげつきょう)とエドヒガン(サクラ)。

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 偃月橋は人が途切れることなくやってきては、しばらく佇みます。一瞬の隙に撮影。

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 日暮亭(ひぐらしてい)です。ここで、植物のことをお尋ねしました。親切に説明してくださったうえ、裏手の辺りまで案内してくださいました。

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 裏手に咲いていたボケ。

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 ハクモクレン付近のボケ。

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 梅園はかなり散っています。

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 東門を入ってすぐ、讃岐民芸館の前にアンズ。

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 メジロがいます。

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 メジロとアンズに満足しつつ、公園を後にしました。

  1. 2014/03/24(月) 08:34:17|
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大窪寺柴灯大護摩供養(さぬき市)

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 第八十八番札所・大窪寺(おおくぼじ)の柴灯大護摩供養(さいとうおおごまくよう)を見てきました。

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 四方向に矢を射ります。ぽよんっと放ちます。キャッチした人はラッキー。

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 矢を目で追う人々。

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 点火。

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 火渡りの準備中。歩くところを地ならしして、塩をまいています。

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 読経が続くなか儀式が進行し、無事、終わりました。途中、煙が激しくなった時は、風向きによっては目が痛くなります。頭上から灰がいっぱい降って来ますし、一度、手の甲がアチッてなりました。次は、火渡りに挑戦しよう。



  1. 2014/03/21(金) 18:08:55|
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香川県園芸総合センター(高松市)

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 香川県園芸総合センター(高松市香南町岡1164-1)に、梅の木を見に行きました。センターは高松空港のすぐ北にあります(HPあり)。門を入ると、大きなしだれ梅。

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  1. 2014/03/18(火) 07:35:09|
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喜岡城(高松城)跡(高松市高松町)

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 現在の高松市の地名は、ここ高松市東部の地名に由来するそうです。生駒親正がいまの高松城を築くまでは、この辺りの方が発展していたということなんでしょう。
 現在の喜岡寺は、かつて高松城(喜岡城)というお城でした。

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 起源をたどると、建武の新政のとき、後醍醐天皇によって守護に任命された舟木頼重さんが最初に築城したそうです。地名から、高松頼重と名乗ったそうです。しかし、すぐに足利尊氏さんと後醍醐天皇方との戦争が起き、足利氏の一族・細川定禅さんに滅ぼされました。中四国は細川氏の嫡流(京兆家)の一族が制覇して行きました。しかし、高松氏は生き残り、のち、ここに城を再建しました。

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 お寺の東に隣接する部分。
 詳しい経緯は不明ですが、戦国時代には高松頼邑さんという方がここに城を築いていました。しかし、1585年の秀吉さんの四国征伐の時に、宇喜多秀家さんらの大軍に対し、たった200人で戦って全滅したそうです。というこわけで、ここの城主・高松氏については、ずいぶん時代の離れたお2人のことしか分からず、しかも、敗戦したというお話で、ちょっと残念。もっと、いろいろと分からないものでしょうか…。

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 北に、屋島が見えています。ここからだと、三角形の山のように見えます。

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 南を見る。鳥居が立っています。

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 鳥居から北を見ると、右に五剣山が見えます。もし、お城の建物があって、高い所から北を眺めたら、屋島と五剣山が見えるいい風景だったでしょう。

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 実は、お寺の敷地のすぐ横にこの石段があり、いまの鳥居があります。

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 境内に咲いていたしだれ梅。

 ちなみに、「守護」という言葉が出ましたが、鎌倉時代の守護には大きな権限はなく、守護所は宇多津にあったようです。守護職にはいろんな人が交代でなったようですが、鎌倉時代後半の讃岐守護は北条氏によって独占されたようです。室町時代はよく知られているように、宇多津に守護所が置かれ、細川氏(京兆家)が世襲しました。ただし、室町時代の守護は京都におり、現地は守護代の安富氏・香川氏が支配しました。しかも、彼らも実際は在京することが多く、現地は一族の又代官にまかせました。



  1. 2014/03/15(土) 11:18:03|
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森権平墓と庚申さん(東かがわ市)

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 東かがわ市伊座にある「森権平(もりごんべい)」さんの墓です。森権平さんは、羽柴秀吉さんが四国に派遣した仙石秀久さんの武将(兵隊を率いた人)でした。秀吉さんが賤ヶ岳(しずがだけ)の戦い(織田信長さんの後継者の地位をめぐって柴田勝家さんと戦う)の直前で、まだ、小牧・長久手の戦い(徳川家康さんとの勢力争い)もその後のことで、その地位が確立していないときのこと。四国は長宗我部さんの力が強く、これを牽制する目的でしたが、このときは、仙石さんは戦いに敗れ、淡路島・小豆島に引き返しました。森権平さんは退却のとき殿(しんがり)をつとめて、討ち死にしました。若武者の死を悼んで、地元の人がお墓をつくったそうです。

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 右にお墓、左に庚申さんがまつられています。

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 湿田に足をとられているとき、討ち死にしたそうです。

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 森権平さんのお墓。

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 庚申さん。三猿が記号っぽい。

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 向かいにある森権平庵。足腰の神様として祭られています。巨大わらじは2013年12月、地域住民によって半世紀ぶりに新しく製作されたそうです。

 ちなみに、仙石氏は近世大名として生き残っています。また、賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦いなどのときには、地方大名も敵味方に分かれています。やはり、秀吉さんの勢力が大きかったようです。

  1. 2014/03/12(水) 08:40:17|
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滝宮天満宮の梅(綾川町)

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 ちょっと前、滝宮天満宮の梅を見てきました。

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 橋本仙太郎さんは以前にも紹介しました。女木島観光に一役買った楽しいお話として、ぜひ、伝えてもらいたいことではあります。でも、「知ってますか!」はやりすぎの感、なきにしもあらず…。実際のところ、御伽草子(おとぎぞうし)は室町時代にできたというのが通説で、そのまた元ネタとなるときりがなく、岡山県も黙ってはいないでしょう。

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 本殿です。菅原道真さんが讃岐国司(886~890年)に赴任した際、この付近に官舎があったとされています。

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 土産物屋さんの前のしだれ梅。こぶ茶をサービスしていました。

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 何か買ってかないと悪いかなーと思って、棚を見ていると、味のある置物が…。これください、と言ったのですが、持ってみてビックリ。紙でできたものでした。おそらく、一番安い商品だったのではないでしょうか…。



  1. 2014/03/09(日) 16:46:29|
  2. 自然
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読書メモ…『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』

読書メモ…『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』桧垣立哉(NHK出版)

 先に誤解のないように言っておきたいことは、ドゥルーズの立場がベルクソンのそれであるかぎり、全面的に賛同する。また、著者のデリダ批判もそのとおりだと思うし、この本に書かれてあることには、基本的に同意できる。しかし、第一に、ドゥルーズ本人の著書に対しても感じることだが、ベルクソン哲学などが理解できる人でなければ、著者の言いたいことが本当に理解できるとは思えない。第二に、「哲学として」肝心なことはベルクソンやニーチェ(著者はそのように考えないだろうが、さらに、ハイデッガー)などがすでに述べていること以外にないように思われる。

 以下、気になった点をメモしておく。

 著者は結論部で、他者や死を倫理の原理とすることに反対する。基本的に、私も賛成である。ここで、おそらく著者はレヴィナスやデリダ、また、ハイデッガーを念頭に置いているのではないかと推測される。間違っていたら申し訳ないが、もしそうなら、前2者に関してはいざ知らず、ハイデッガーの「死」をこのように受け取るのは、甚だしい勘違いだと言わざるを得ない。死を何らかの「対象」(p.99)として描き出すことは、この著者の言うとおり、「<私>の中心性を向こう側に反転させたものでしかない」(p.98)。しかし、ハイデッガーにとって、そのような行為は「ひとの死」を描くことにすぎないとして、退けられることなのだ。彼が「実存の」死を持ち出すのは、実存の「描けなさ」、(言葉のもつ)一般性に収まらないその特異性を示すためにすぎない。むしろ、桧垣氏(ドゥルーズ)のいう「開かれた(未決定の)システムと個体」という発想は、ハイデッガー(または、サルトル)における、世界=内=存在(状況と自由)にすっかり重なるようにみえる。

 私はずいぶん昔、ドゥルーズの『ニーチェと哲学』『スピノザと表現の問題』『カントの批判哲学』『差異と反復』などを読んだ。いや、正確には、読もうとした。あまりに自己流の表現で、閉口しつつも、ハイデッガーの『ニーチェ講義』にも通じる創造的な実在の肯定に共鳴した。非常に分かり易いピエール・マシュレの『ヘーゲルかスピノザか』もこれに近いと感じた。『ニーチェと哲学』からは、桧垣氏の言葉を借りるなら、「<私>の中心性を向こう側に反転させたものでしかない」神が、様々の名前で蘇える系譜を学び、『カントの批判哲学』からは、すべての能力を物自体と関わる実践理性へと有機的に統合する読み方を学んだ。等々、その唯我独尊な表現方法にはうんざりするものの、哲学史家としてのドゥルーズは尊敬する。しかし、そこから先の評価は保留するしかない。読んでいない。というか、全く読めないし、私には理解できないから。
 それにしても、少なくとも、この著者(桧垣氏)の立場には賛同しかねる。著者は結末近くで、哲学が世界を救うと語る(p.107)が、この勇ましさに恐れ入ってしまうのだ。私は、哲学が哲学の立場から描く倫理は、かけがえのない価値をもつと思う。しかし、哲学的立場からは、社会や人間のあれやこれやの具体的諸問題に関して、「正しい問いの解き方はない」(p.106)と言うにとどめたい。フーコーの権力論にしても、理論的価値は認めるが、それを何時いかなる状況にも当てはめようとするなら、それ自体が神学になってしまう。桧垣氏に聞きたいが、権力による死の強制はいまでも多く見られることではないのか。逆に、マルクスの描く経済も、いまでも有効な「側面」を有しているのではないか。それがドゥルーズであれ、フーコーであれ、哲学を祭壇に掲げようとする氏の立場こそ、私には最も危うく見える。現実社会で起こる問題に対し何が「有効」かについては、哲学的視点も大いに参考にすべき理論だとは思う。しかし、少なくとも、各自の置かれた社会状況の、あれこれの問題領域で、何が「問題」なのか、どう見ることが解決への道筋なのかは、大学の先生方や、ましてや、哲学者の頭の中にあるとは全く思われない。たくさんの尊敬すべき心ある人々が、鋭い思索を巡らせ、勇気ある行動で立ち向かう姿を、私の身の回りにも見ています。大事なことは、民衆の言葉で十分語られ得るというのが、私の実感です。良識はすべての人に平等に配分されている(『方法序説』)というデカルトの言葉は、その意味で正しいと思っています。


  1. 2014/03/07(金) 23:35:06|
  2. 哲学する
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万象園を歩く(丸亀市)

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 丸亀藩京極氏の中津別館・万象園の景色をもう少し紹介します。名称は、文字通り森羅万象という言葉から来ています。きちんとした説明は、ぜひ正式HPをご覧ください。なぜか、正式HPを簡略化し、画像を落としたHPもあって、検索するとこちらが第一番にあがります。事情は不明です…。

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 邀月橋の向こうに飯野山が見えます。高い建物がなかった時代には、いい借景になっていたのかも…。

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 池にある島の一つに祭られた弁財天さん。藩祖の地・近江の竹生島・弁財天をこちらにもお祭りしたそうです。

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 稲荷社。藩主や人民の信仰が篤かったそうです。

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 丸亀市指定文化財・観潮楼。日本最古(江戸後期)の煎茶室と考えられています。煎茶は黄檗(おうばく)宗の隠元(いんげん)さんが伝え、幕末ごろから大流行したそうです。池に面する2方向の窓を開けると、かつては海まで見えたそうです。ちなみに、隠元さんはインゲンマメを伝えた方です。

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 大傘松といっしょに写っていた建物の裏。

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 かつて庶民の信仰を集めていた、石投げ地蔵尊。右手に白い石が積まれているのがちらっと見えますでしょうか。

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 石に願い事を書いて、ここに投げます。

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 筆記用具と、お賽銭箱(一回100円)が置いてあります。

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 魚楽亭。

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 向こう岸、右手に見えるのが観潮楼です。

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 池の島々を橋がつなげています。

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 ぜったい渡りたくなるのは、なぜ?

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 実はこの鴨、楽しそうに跳ねまわってました。さっきの飛び石付近にも出没しますが、人には近寄りません。

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 邀月橋の上から。

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 屋形船を模した建物。写真に捉える事が出来なかったのですが、水紋が屋根裏にきらきら反射しています。




  1. 2014/03/05(水) 08:07:03|
  2. 史跡・文化財など
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ロシア隕石

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 香川大学博物館へ、昨年ロシアに落下した隕石を見に行きました。これが世間を騒がせた、あの!隕石(の破片)です。今日(2日、13:00~16:00)も展示しています。関係者の方がたくさんおられ、質問もできます。

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 1516年に中国に落下した隕石4.1kg。磁石を置いていて、くっつけたりできます。

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 1986年に国分寺付近に落下した隕石。かなりの数が落下し、大きなものは10kgを越えるそうです。すごい音がしたでしょうね。自分ちの庭に降ってきたりしたら、奇跡を信じたくなりますよね(家宝にする?)。ちなみに、隕石の所有権はどうなのか、尋ねてみました。国によって法律が違うそうです。日本では、基本的には拾った人のものらしいです。あとでネットで調べると、必ずしもそうではないようなので、気をつけましょう…その前に、隕石と出会えますように…。私は化石ですら、有料の発掘体験でしか掘ったことありません。

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 これは鉄分の多い貴重なもので、典型的な模様が現れているそうです。惑星の中心部などを知る手がかりになるそうです。ふと、SF映画を思い出し、地球にない物質とか見つかったことあるんですか、とバカな質問をしました。宇宙はどこもまんべんなくできたので、基本的にはないそうです。当たり前か。ただ、惑星のでき方などを知る、貴重な資料だそうです。

 香川県では、まだ、国分寺ホール・ロビーで4日~6日13:00~16:00、eートピアかがわで8日~9日10:00~16:00展示されます。

  1. 2014/03/02(日) 09:37:48|
  2. 自然
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犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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