どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

根香寺(ねごろじ)の紅葉(高松市)

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 根香寺は、山門を入って一度下り、また登るのが特徴です。

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 下りてまた登るまでの通路が、紅葉のトンネルになっています。

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 水かけ地蔵。

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 白猴欅(はっこうけやき)。 樹齢1600年の天然記念物でしたが、昭和50年ごろに枯れてしまい、こうした形で保存されています。智証大師(円珍)さんがここを訪れた時、この木の下に山王権現が現れ、木から下りてきた白い猿が大師を守護し、お寺を建てるのを助けたそうです。
 円珍さんは天台宗寺門派(園城寺)の祖です。弘法大師の甥で、生誕地は金倉寺(空海さんの生誕地・善通寺の近く)。

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 紅葉を見に行く際は、付近の道路端にクルマを停めるしかなく、迷惑にならないように注意が必要です。停めるところがなく、諦めることもあります。紅葉シーズンのとき、ガードマンさんが寺への道を封鎖していて、明瞭な説明はないのですが、一部のクルマだけを中に入れています。おそらく、お遍路関係の方のみ入れている???お寺の方針なら仕方ありません。中へ入ってからも、お遍路さんの迷惑にならないように長時間の写真撮影はやめてくださいと書いています。おそらく、周囲の迷惑を考えないで、三脚を立ててじっとし続ける人がいっぱいいたんでしょう。ただ、紅葉を見たいだけ、参拝もしたい、写真も趣味だから歩きながら撮る…そんな程度だったら問題なかったと思うんです。クルマの入場制限も、もしかしたらそんなことも関係しているのかも。モラル欠如→規制という、よく見られるパターンかもしれません。





  1. 2014/11/29(土) 12:22:31|
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白峯寺の紅葉(坂出市)

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 門のすぐ手前にある、鎌倉末期の十三重石塔です。

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 客殿は江戸初期に高松藩主が寄進した建物。

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 右に見えるのは勅額門。1415(応永22)年、足利義持さんの依頼で後小松天皇が書かれた額が飾ってあります(といっても実物は別にあり、ここにあるのはレプリカ)。

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 薬師堂。

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 行者堂。

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 鐘楼堂。

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 本堂です。

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 大師堂。

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 五色台の紅葉は美しいです。
 白峯寺のHPは、「香川県の霊峰である五色台はその名の通り五峯(黄峯・白峯・赤峯・青峯・黒峯)からなる。 当山はその最も西よりの白峯(標高三七七m)に位置し、瀬戸内の雄大な景色が望める参道を上がる・・・」と紹介しています。

  1. 2014/11/26(水) 08:14:05|
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KONPIRA昭和なつかし博

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 JR琴平駅舎は1922(大正11)年に建てられました。寄棟造りの屋根と真ん中の丸い窓などがいいですねー。

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 丸金印がかっこいい。

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 駅の隣の建物で、ジオラマや鉄道模型などが展示されていました。この写真は、昔の駅とその向かいの写真。

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 秋晴れの高燈籠

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 藤棚

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 こんぴら書房(旧山下有文堂)では懐かしい本が売られていました。

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 私は古い絵のサザエさんが懐かしかったので、「これいくらですか?」と尋ねました。すると、「他にもあります」と見せてくださったので、「この絵が懐かしくて…」と言うと、「昔のサザエさんは復刻されてますよ」と教えてくれました。「あー、そうなんですね。きれいなのが普通に買えるんですね」と丁重に、お礼とお詫びをしました。実直でいい人でした。
 基本、懐かしいものに興味がありますが、出版物や音楽に関しては、中身に興味があるので復刻や、音楽なら、レコードよりむしろ音質改善されたCDのほうを選ぶ派?です。

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 ことひら浪漫館(「金陵の郷」にて)。ツイスターゲームは、当時を知る人は、ほぼ全員やったことがあるはず。今なら、セクハラ問題が起きそう。おおらかだったんだなーと思います。

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 常備薬。

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 パチンコ台。子どものころ、大工だった父がどこからか拾ってきて、こんなのが一つ家にありました。おやじも含めて、かけごとに興味のある人間はおらず、機械仕掛けがおもしろかっただけで、すぐ飽きました…。

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 昭和なつかし館。ちょっと雑然としすぎ? 博物館の倉庫かレトロ雑貨店みたいになってしまいました。それぞれの展示が状況を思い出させる展示方法の方がいいように思います。
 スクーターが懐かしい。小学校の担任の先生がこれとそっくりなのに乗っていました。これまた、しょうのない事件で覚えています。教室で女の子に投げ飛ばされて4針ほど縫うけがをし、スクーターの後ろに乗せられて病院に直行したのでした。

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 カタカタって、誰が考えたんでしょう?よく売れたんじゃないでしょうか。

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 乳母車。丸亀では、「おんばぐるま」とか言ってました。

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 ナツカシアターで展示されてたポスターの一つ。

 KONPIRA昭和なつかし博は、11月30日まで。金陵の郷のコーナーだけは12月末まで。



 




  1. 2014/11/23(日) 12:31:59|
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2014ドイツ兵俘虜収容所in丸亀(塩屋別院、11月16日)

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 丸亀ドイツ兵俘虜楽団の足跡を辿る会・丸亀市福祉事業団文化事業部主催の行事でした。1914~17年にかけてドイツ兵俘虜324名がここ塩屋別院に収容所されました。その後、松山・徳島の収容所のドイツ兵とともに、徳島県板東収容所に送られました。その様子は、映画『バルトの楽園』に描かれています。

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 最初、本堂で1時間の講演会がありました。ハーグ条約(1907年)に基づいて、俘虜の人間らしい生活への配慮がなされました。特に、所長さんは人徳のある方だったようです。とはいえ、住環境に関しては一人一畳という劣悪さでした…。講義では、生活の様子や、楽団のことなど詳しく学べました。俘虜が暴行に対する訴えを起こしたこともありますが、おおむね人道的な収容所であったことがアメリカ人の報告に見られます。
 私としては、1907年のハーグ密使事件と第三次日韓協約(外交権に続き、韓国の内政権を奪い、軍隊を解散させた)のことや、1915年の中国への二十一カ条の要求など、白人への敬意とは裏腹のアジアへの強圧的・侮蔑的姿勢が思い出され、それはそれ…と単純には割り切れません…。

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 ドイツ兵の愉しんだ演芸、滑稽芝居の再現。といっても、詳しい資料はなく、ほぼ余興。丸亀市専属住みます芸人、まるがめ→ゼさん(吉本)。ちょっとキワドイ発言は、お客が引いてましたが、若さあふれる楽しい漫才でした。

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 手前は進行役の方。

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 組み立て体操をしている様子。

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 藤井高校体操部のみなさんによる再現。地面が固いので落ちたら大変。すばらしい演技でした。

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 ドイツ人らしき方もいました。
 本当は、午後に楽団の演奏を再現するというメイン?行事があったのですが、疲れてここで帰ってしまいました。実は最近、腰を痛めたばかりで、午前中の講義を本堂の床に座って聴いたので、講義中モジモジし続け、ちょっとヤバイ感じになっていました。加えて空腹もピーク。予定表では11:00~15:00バザー(ビール・ソーセージ)開店とあったのに、昼にはほぼ片付いていて…そーなのぉーな感じでした。
 行事の方は、新発見の写真などの展示もあり、かなり充実していました。

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 丸亀駅にクルマを停め、塩屋まで歩いたのですが、香川県団扇商工業協同組合というナイスな建物を発見。


 映画「バルトの楽園」ロケ地




  1. 2014/11/20(木) 17:35:57|
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引田町の建物(3)(東かがわ市)

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 笠屋邸です。

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 和三盆の型抜き体験ができるようです。

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 中を覗いてみました。かつて何をしていたところ? ネットで調べてみると、建物は地域活性化のためにいろいろな用途で使われてきたようです。

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 裏手、というか、すぐ右側。

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 手袋ギャラリー。東かがわ市は、手袋の全国シェアが90%です。
 この建物は古い工場の一部だそうです。

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 内部は使われてきた機械などを展示しています。

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 その他、アート作品の展示もあります。
 東かがわ市の手袋会社では有名人の方の特注品なども多く手掛けているようです。

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 いい感じ。
 実は、この町で特に有名なのは今回紹介していない、讃州井筒屋敷と、醤油のかめびし屋だと思います。市のHPなどで紹介していると思います。いずれ紹介したいとは思っていますが、3回にもわたってしまったので、また今度…。

 讃州井筒屋敷(ちょっとだけ)
 旧引田郵便局

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 井筒屋敷の売店で購入。意外に、おいしいキャラメルとしか言いようのない、よくできた味でした。


  1. 2014/11/17(月) 07:04:15|
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引田町の建物(2)(東かがわ市)

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 前回(「フィールド・ミュージアム・サヌキ2014」)の続きです。
 ここは「煙突ひろば」と名付けられていました。

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 右の建物は「山本醤油」。その前に、左の建物を覗いてきました。

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 趣きのある入口を進むと、小さな庭があります。

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 山本醤油店の方へ入ってみます。

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 展示・販売しているアート作品が、ちょうどいい雰囲気を醸しています。

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 「藤澤南岳先生誕生之地」という石碑が立っていました。
 説明板によりますと、この方は「通天閣」「仁丹」「寒霞渓」「愛珠幼稚園」(日本初の民間幼稚園)などの命名者だそうです。へーーーーー!!!!ボタン押しまくり。
 藤澤南岳さん(1842~1920)の父は藤澤当畡さん(塩江出身)。大坂に漢学塾「泊園書院」を開いていたが、高松藩に召し抱えられたそうです。慶応元年に南岳さんが後を継ぎ、24歳で藩の儒官になりました。1868(慶応4)年に藩論を佐幕から勤王へと転換させ、藩を滅亡の危機から救ったそうです。1873(明治6)年に「泊園書院」を再興し、著書もたくさんあるそうです。また、二人の子どもも学者として活躍し、孫の桓夫さんは小説家だそうです。

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 建物の方は、「長崎家」。
 説明によれば、江戸時代後期から廻船業(塩・大豆・海産物)をしていましたが、鉄道の発達などのために昭和初期に廃業しました。明治中期ごろから醤油を製造。昭和55年までここで操業し、のち同業者とともに協同組合をつくり移転しました。醤油蔵を街かどギャラリー「遊々」として開放しています。

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 門を入った所。

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 同じ建物。2階で、トンカチ・トンカチ音がしていて、修理中のようでした。

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 こちらも覗いてみました。高そうなお皿が、ところ狭しと立ててあり、ちょっと緊張しました。

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 「はぎの商店」。
 説明によりますと、老舗(操業100年以上)に並んでいた昭和20~60年代の生活用品のようです。また、本町通りは昭和39年までは国道だったそうです。
 アルミの弁当箱が懐かしい。確か、安物を買うと、梅干しで穴が開くとか言われていたような…。私自身は、穴が開いた経験はありませんが。昭和30年代には穴が開くようなのがあったんでしょうか、もうなかったのかな…。ちょっとイイカゲンなところもあったけど、許容力のある時代でした。近所に、着物に帯をしめてフラフラ歩いているおじさんがいて、よくいっしょに遊びました。このおじさんの特技は、海岸で貝がいる場所を見つけることでした。たくさんいそうな場所という意味じゃなく、1匹だけ、「ここにおる、こっち動っきょる」とか言うんですが、掘ると出てくるから不思議でした。軍服を着たおじさんが演説をしていたり、托鉢のお遍路さんが軒下でお経をあげていたり、建物や野原もけっこう雑然としていました。闇市の名残のような、道端に座ってテンプラなんぞを売っている場所もありました。そんな雰囲気もあって、社会に許容力があったのかなあ…って感じがします。今は、ちょっと違うことしていると、ホウキで掃いて捨てられそう…。







  1. 2014/11/14(金) 18:16:20|
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引田町の建物(1)(東かがわ市)

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 11月8日に「フィールド・ミュージアム・サヌキ2014」を見てきました。古い建物を使って、アートな作品を展示・販売するものでした。作品はもちろん堪能してきましたが、実は建物の方に関心のある異分子でして、観光客に紛れ込むとは不届き千万、こんな私ですがすいません的な顔で歩いてきました。

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 松村家は、江戸時代中期に「多嶋屋」の屋号で魚の卸商をしていました。そして、四代目のとき、田嶋屋弁吉さんが分家してこの地に薬種商を開店しました。その後、明治中期の六代目が医院も開業し、屋敷の北半分を診療室としました。昭和3年には教科書販売権まで取得。書店・文具店も兼ねます。戦後しばらくは、実弟が外科医院を開業していましたが、その後、書店専業となり店舗は別の場所に移ったそうです。

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 ・・・てなことを書いてあります。江戸末期の建物で、庭園とあわせ江戸期商家の姿を残しています。

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 隣の泉家です。江戸中期から続くが、その当時の家業は不明です。明治期には海産物販売を本業に、酒・たばこの小売りを行いました。海産物は尾道など県外からも塩物・乾物を仕入れたそうです。大正末期から大浜で煮干しの製造を行い、こちらが事業の中心となったようです。しかし、漁獲量減少などのために、昭和28年に廃業しました。

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 …てなことを書いてあります。江戸末期の建物で、欅(けやき)無彫りの一枚板の入った欄間が珍しいそうです。裏庭には樹齢200年前後の姥目樫(うばめがし)・木斛(もっこく)があるそうです。

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 説明はありませんが、いい建物です。

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 裏に医院がある松村邸。

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 路地を入って振り返る。左手に医院の入口があります。

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 こちらでも展示・販売が行われていました。内部は、病院で使った器具が棚にあったり、手術室といった掲示があったり、さすがに写真に撮る気がしませんでした。

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 医院の裏手。

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 通りに面した門。

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 こっちにも門。写真撮ってもいいですかと尋ねると、「どうぞ」と即答してくださいました。家が撮りたいんなら「そう言え!」と怒られそうですが、そう言ってしまうと「ちょっと退(の)いてください」と言うようなもので、狼藉者になります。
 その後も、ひたすら恐れ入りながら徘徊するのでした。



  1. 2014/11/11(火) 17:17:06|
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鶏鳴学館跡(丸亀市)

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 遍照寺(丸亀市新浜町)です。1903(明治36)年に遍照庵の住職・蓮井麗厳さんが、貧しくて小学校を卒業できなかった勤労青少年が学ぶ場として鶏鳴学館を創立しました。
 鶏鳴学館の名前の由来、授業時間は朝の4時から5時30分まででした。早っ!

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 すぐ東は西汐入川で、すぐ北に丸亀港があります。

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 通学のために架けられた鶏鳴橋です。
 1915(大正4)年には感化慈善・公益事業を目的とする財団法人に変わったそうです。
 その他、お寺には『西讃府志』を編集した加藤梅崖さんのお墓があるそうです。

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 1923(大正12)年に通町に、1925(大正14)年に南条町のここに移転し、1959(昭和34)年に丸亀市社会福祉協議会に土地・建物が譲られました。
 建物は1979(昭和54)年に社会福祉センターとして建てかえられ、2009(平成21)年にさらに城乾コミュニティセンターとして新築されました。

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 少し南に北向き地蔵さんのお堂・丸亀城外堀跡の石碑があります。道路を挟んで右手は城乾小学校です。お城の北西、乾(いぬい)にあるという意味です。

  1. 2014/11/08(土) 11:23:09|
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三原城(広島県三原市)

 前回の「軍師官兵衛」、番組おわりの「ゆかりの地」で三原城が出てきて、ずいぶん昔に行ったことが懐かしく思い出されました。とてもインパクトのある状態になっちゃってるんで(?)、「ああ、コレコレ」って…。

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 ペアシティ三原の西側。この辺りから向こう(北)にかけて、本丸の遺構が残っています。南には海がせまっていました。写真左、ずっと向こうにちらっと見えるのが三原駅で、あとで見ますが天守台にめり込んでます。天守台とそれを囲む濠までが主たる遺構です。「臨海一番櫓跡」とあります。

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 北へ向かって歩きます。

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 「本丸中門跡」。

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 現在地、ダイダイ色の丸。その右の、四角形の右角が壊れた図形が本丸。

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 三原駅が目の前に見えます。写真はずいぶん前に撮ったものですが、いまも様子はほぼ変わらないと思います。

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 駅の西側をちょっと迂回して、駅の北に見える「天守台」。

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 駅構内に入ると、案内があります。地図の「南」という字の上にあるのが本丸。で、その上の端が天守台。

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 赤い三角形が現在地。すぐ上の部分が天守台で、この地図の横のドアから行けます。

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 上はこんな感じ。駅構内から天守台へ上がるお城とは、いとあやし。

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 北東隅。

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 振り返ると。駅がめり込んでいる。反対側も似た光景なので割愛。

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 今度は外から。さっき天守台の北東部から見えた辺りから。

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 次は、また南へ。先に、現地の案内板で位置を示します。天守台から東南、丸印のところです。「船入櫓跡」です。

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 こんな感じ。

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 上にあがってみました。春はツツジの美しい公園になってます。

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 帰りにネコと遭遇。「たっしゃでな」。

  1. 2014/11/05(水) 08:10:19|
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黒田官兵衛・巡回展(NHK高松放送局)

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 ドラマ黒田官兵衛の巡回展を見てきました(注:高松放送局は終了)。

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 小道具はうまく作られています。さすがに、刀はこうして置かれるとオモチャっぽいのは仕方がない。本物は、官兵衛さんが信長さんからもらったといわれる、国宝「へし切長谷部」。

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 軍師の象徴、軍配。あまり実用性はなかったようです。日本はシンボル的なものやデザインが豊かだと思います。その心理を探ってみるのもおもしろいかも。

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 ガラス玉と別珍のきんちゃく。

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 右端の『三略』以外は、兵法書じゃないです。『論語』『孟子』はもちろん、『太平御覧』は辞書的なもの。左端は字がよく見えませんが、本草学の書物みたいです。

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 ドラマの中で出てきたところを覚えていませんが、こんなメモ帳?も持ってたんですね。

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 秀吉・官兵衛・家康の衣装。


オマケ 黒田孝高の時代(1546~1604) 信長~秀吉~家康   (×=敗者)


1.織田信長1534~

1560尾張・桶狭間の戦い(今川義元×)
1567美濃・斎藤龍興×(岐阜城「天下布武」)
1568入京(足利義昭15代将軍)
1570近江・姉川の戦い(近江・浅井氏×、越前・朝倉氏×)
1571比叡山延暦寺の焼打ち
1572武田信玄、遠江・三方ヶ原→1573三河で死去
1573足利義昭を追放(室町幕府滅亡) 浅井氏×朝倉氏×
1574伊勢長島一向一揆×
1575三河・長篠の合戦(武田勝頼×→1582天目山の戦いで滅亡) 越前一向一揆×
1576近江・安土城
1580摂津・石山本願寺(顕如)と講和 加賀一向一揆×
1582山城・本能寺の変:明智光秀の謀反により自害(長男・信忠×)

★経済政策:関所の撤廃・堺の直轄・安土城下に楽市令


2.豊臣秀吉1537~

1582山崎の合戦(明智光秀×)
1583賎ヶ岳の戦い(柴田勝家×信長の三男・信孝×)→大坂城(石山本願寺跡)
1584小牧・長久手の戦い(織田信雄&徳川家康と和睦)
1585関白  惣無事令(九州・関東・奥羽)・四国平定(長宗我部元親×)
1586太政大臣・豊臣姓
1587九州平定(島津義久×)
1587バテレン追放令(←大村純忠のイエズス会への長崎寄進)→高山右近の領地没収
1588聚楽第で後陽成天皇のもと諸大名が忠誠  海賊取締令(倭寇などの海賊禁止令) 刀狩令
1590小田原攻め(北条氏政×)全国統一
1596スペイン船・サン=フェリペ号事件→26聖人殉教(フランシスコ会)
1592~98朝鮮侵略(文禄の役・1597慶長の役):李舜臣に苦戦→秀吉の死で撤兵

★政策
経済:蔵入地/佐渡金山・生野銀山・大森銀山/都市直轄=京都・大坂・堺・伏見・長崎
天正大判 
太閤検地(「浅野家文書」)/京枡(1.8ℓ)/石高制/検地帳/一地一作人/村請
身分統制:刀狩令1588(一揆の防止/方広寺大仏)&人掃令1591(身分固定)
1592豊臣秀次の戸口調査(朝鮮出兵)→兵農分離
大名統制:大名に検地帳(御前帳)・国絵図を提出させる1591→石高に応じ軍役
五大老:徳川家康・前田利家・毛利輝元・(小早川隆景)・宇喜多秀家・上杉景勝
五奉行:浅野長政・増田長盛・石田三成・前田玄以・長束正家


3.徳川家康1543~(江戸幕府の成立)

1600関ヶ原の戦い:徳川家康(東軍)VS石田三成(西軍)×
1603家康、征夷大将軍(後陽成天皇)→江戸幕府
   →諸大名に命令:江戸城などの普請、国絵図・郷帳の提出
16052代将軍・秀忠(徳川氏の世襲を示す)/家康は大御所:駿府(静岡)で実権
     (大御所になった人:2代秀忠・8代吉宗・11代家斉)
1614~15大坂の役(冬→夏)→豊臣秀頼・淀君死去(「元和偃武」)
        *方広寺鐘銘事件「国家安康 君臣豊楽」




  1. 2014/11/02(日) 09:16:41|
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犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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