どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

尾池玄蕃屋敷跡(丸亀市)

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 三宝大荒神さんです。丸亀市立城東小学校から丸亀橋を東へ渡ると、少し南寄りにずれて東へ行く道があります。これをちょっと行くと南北に走る大きな道に出ます(信号あり)。この大きな道を北上すると、すぐに歩道橋が見えます。ここを左折してすぐの三つ辻に神社があります。

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 説明板があります。
 以下、『丸亀の歴史散歩』(直井武久著)参照。室町幕府十三代将軍・足利義輝さんが暗殺されたとき、妃・烏丸氏の娘さんは妊娠しており、近臣とともに讃岐に逃れて尾池氏を頼り、そこで将軍義輝さんの子を生みました。その子は尾池姓を名乗り、尾池玄蕃義辰さんといいます。天正15(1587)年、生駒氏に仕え1000石を与えられました。義辰さんには3人子どもがいて、義長さんがこちらで跡を継いだようです。

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 4代目・義高さんは松平氏に仕え、土器に7町歩もらったそうです。その子・義忠さんは宇多津に移りました。それで説明板にあるように、郷照寺にお墓があるわけですね。
 しかし、『丸亀の…』の系図によれば、義忠さんの子(6代目)義知さんは播磨で医者になっており、2人子どもがあって、知存さんは郷照寺の住職、義潾さんは医者です。ネットで調べた限りでは、初代・尾池義辰さんの子どものうち、伝右衛門さんの子孫が熊本の細川氏の家臣として明治まで続いたようです。

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 郷照寺に実際にお墓があるかどうか見に行きました。
 お寺の方に、尾池氏累代の墓の場所を教えていただきました。この鐘の横を通り、2階建ての寺務所の裏にある墓地でした。私が墓地へ回ったころ、わざわざ上から声をかけて位置を教えてくださいました。大変ありがとうございました。
 確かにありました。拝んできました。写真は撮りませんでした。お墓って、写真に撮ってはいけないのではって、なんとなく思ってしまうのです。それでいて、絶対撮らないかというとそうでもなく、我ながら一貫性がありません。

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 いわれのある鐘のようです。

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 ちょっと歩いてきました。

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 その昔、臨阿というお坊さんが、犬に襲われて傷ついたタヌキを助け、育ててやったそうです。臨阿さんは細川頼之公とともに都に帰っていったそうです。その後、戦乱の時代になり、お寺も襲われそうになりましたが、このタヌキが守ったのだそうです。タヌキは常盤明神という神様としてここに祭られています。

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 梅がきれいに咲いていました。
 あと、郷照寺には庚申堂があるのですが、中を見たことがありません。庚申さんにも興味があるので、いつか公開されたら見たいと思っています。


  1. 2015/02/27(金) 18:51:59|
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遍路道標(多度津町の道隆寺・丸亀市の土器川)

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 四国新聞の「辿る―遍路道学術調査から(16)」にでてくる、遍路道標を紹介します。
 第七十七番・道隆寺は和気道隆さんが創建したと伝えられています。門の前の小さな石碑が、遍路道標です。

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 「是ヨリ 第七十八番(宇多津の郷照寺)エ 一里半」。

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 お寺の前にある、遍路の店・サンエイさん。眼蘇茶という、目に良いお茶を売っています。
 道隆寺の本尊・目なおし薬師様は霊験あらたかだそうです。京極高通さん(初代多度津藩主)の三男・左馬造さんは幼少のころ目が悪かったそうですが、お母さんが道隆寺の薬師如来様にお願いすると治ったそうです。

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 門の南の道沿いにも道標が。善通寺(75番)・金倉寺(76番)とともに、金毘羅さんを案内しています。

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 大師堂の前には、空海さんと衛門三郎さんの像。

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 お寺の北側にも道標があります。

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 「寛政六(1794)年」「是より右 宇多津道場寺(=郷照寺)迄(まで)一里半」。

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 丸亀市・土器川の蓬莱橋西側にある常夜灯です。
 向こうには飯野山が見えます。橋の下には、琴平急行電鉄の橋脚の残骸があります。

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 「川渡左遍路道」。道隆寺から来た遍路道は、風袋町を通ってここに出ます。蓬莱橋付近を渡ったあと、土器川の東側を少し北へ行き、土器橋付近で東へ折れ、JR高架下を通って宇多津・郷照寺へと向かいます。実は、道隆寺から丸亀城下へ入った遍路道は、通町から北へ行き、御供所(ごぶしょ)町を通るルートもあり、そちらは土器橋付近を渡って東へ向かいます。つまり、土器橋の東側で2本に分かれた遍路道が合流したようです。

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 「文政四(1821)年」。
 四国新聞「辿る―遍路道学術調査から(16)」では、常夜灯と遍路道標を兼ねるものとしてもう一つ、寿覚院付近の金比羅灯籠をあげています。台座に「右七七番鴨道隆寺二八丁・左七八番宇多津道場寺三三丁」とあるそうです。よろしかったら、以前紹介した寿覚院近くの金毘羅燈籠の写真を見てください(手の印がある道標にも「右七拾七番・左七拾八番」と書かれています)。

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 ついでに、少し古い写真ですが、2つの常夜灯の向かいにあったお地蔵さまです。

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 いまは、土居町北部自治会前に移動しています。中野餅屋のある通り沿いですが、これが遍路道。風袋町からここを通って、蓬莱橋西側に来ます。

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 おまけ。丸亀市資料館にある、四国遍路の父・真念さんがつくった道標です。奥に見える小さい道標。どこにあったのかは不明です。その左の大きいのは、「烈女 尼崎里也(あまがさきりや)宅跡」の石碑。





  1. 2015/02/24(火) 18:38:56|
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宝幢寺(ほうどうじ)跡(丸亀市)

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 宝幢寺跡からは7世紀後半(白鳳期)から平安時代ごろの瓦が出土しています。寺は戦国時代に焼失し、お寺の跡には江戸時代に入ってから溜め池が造られました。宝幢寺池です。写真は池のほとりの石造物です。写真左の方に飯野山が見えます。
 丸亀郡家(ぐんげ)郵便局の近くです。私は、郵便局から少し西へ行った池の北側、堤の登り口付近にクルマを停めました。この石仏があるのは、堤を上がって東側を南下したところ。ちなみに、郡家という地名から察せられるように、寺は郡司をしていた古代豪族によって建立されたようです。郡司の役所を郡家(ぐうけ、ぐんけ)とか、郡衙(ぐんが)とかいいます。

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 池の中央を東西に走る道(西を見ています)。池は3つに分かれていて、北側(右)が下池、南側が上池(東)と仁池(西)に分かれています。塔心礎が見られるのは北側の下池です。この道を西へ進みます。向こうに見える山は、形が分かりやすい善通寺市の筆ノ山です。

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 池にはたくさんの鳥たちが集まっていました。カラスの群れもいて、彼らは排他的な集団をつくっていました。

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 何やら見えてきましたよ。

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 写真の真ん中にデンとあるのが塔心礎です。手前にあるのは建物礎石のようです。後者は市のHPにあったのと位置が変わっています。

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 近寄って見ると、かなりでかいです。

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 飯野山(讃岐富士)と宝幢寺・塔心礎。
 池に下りるとき、少し離れた位置にカラスの大群がいて、いやだなーと思っていると、いっせいに飛び立って、しばらく上空をあちこち旋回し続けました。縄張りに入るなという威嚇?

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 西側の堤まで来て、振り返る。北側(左)が下池、南側(右)が仁池。写真中央あたり、下池に小さく塔心礎が見えますでしょうか?

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 池の西側を回って帰ります。

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 池の北側から南を見る。写真左の方に見えるのが塔心礎。南の山々は、よく分かりません。城山・猫山あたりが見えているんでしょうか……?

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 途中、堤を散歩されている方を3人ほど見かけました。いい散歩コースになっているようです。
 塔心礎は、池の水が少ない冬の間が見るチャンスです。
 市のHPによると、発見された瓦は郡家小学校に保管されており、同様の古瓦は丸亀市資料館や三豊市の「宗吉かわらの里展示館」でも見ることができます。





 
  1. 2015/02/21(土) 09:27:15|
  2. 史跡・文化財など
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栗林公園の梅(高松市)

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 満足。

  1. 2015/02/18(水) 17:07:45|
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阿瀬の地蔵(善通寺市)

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 善通寺市弘田町阿瀬に善通寺市指定文化財のお地蔵さんがあります。

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 「入江某」というのがよく分からないのですが、市のHPでは「弘田町下所の入江氏」か「天霧山城主・香川氏の配下である入江一馬氏」か、とあります。特に、前者はどういう方なのかさえ謎です。もちろん、私にとってという意味です。また、ちょっと調べてみたいことができてしまいました…。

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 隙間から写真を撮らせていただきましたので、ピントがあってません。
 先の説明板にありますように、桧の寄木造で、高さ約2mです。市のHPによりますと、作者は不明で「鎌倉期以降」。文化財には制作年代が分からないという理由で、県や国の文化財になっていないものが多く、解体修理やレントゲン撮影などで何か分かることもあります。鎌倉期以降といっても、伝承が正しければ、室町後期(戦国期)にはあったことになります。
 錫杖(しゃくじょう)はお地蔵様がよく持っています。弥勒菩薩さんが人類を救いに現れるのは、お釈迦様が亡くなって56億7千万年後ということで、少々待ち時間がありますので、その間、人間を救ってくださるのがお地蔵様なのだそうです。宝珠(ほうじゅ)はあらゆるお願いをかなえてくださる不思議な玉です。そういえば、ウルトラマンで、古代遺跡にウルトラマンの像が現れ、手に青い玉をもっていて、最後はこの玉で怪獣が退治されるって話がありました。大昔の地球に現れたウルトラマンが神様として崇められていたのでした。関係ない話でした。

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 振り返って南を見ると、中央におなじみの筆ノ山です。もっと左には甲山が目の前にあり、前回の鷺井(さぎのい)神社からぐっと甲山に接近した位置ということになります。と、話が一段落(?)したところで・・・・

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 1921年からある明治のカルミンがこの3月で製造中止になると知り、近所のショッピングセンターで買いました。

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 1921年前後というと、立憲政友会の「平民宰相」原敬さん~高橋是清さんのころで、大正デモクラシー、ワシントン体制(国際協調路線)の時代。ただ、国内の民主的運動には政府の弾圧があり、また、中国・朝鮮での反植民地運動に対しては弾圧的で、さらに、汚職問題などが原因とはいえ原首相刺殺という物騒な事件も起きていています。総じて、利益を独占しようという利己的趨勢に対して内外の民主的なNOが盛り上がってきた時期でした。しかし、結局、1925年の政党政治の開始とともに作られた治安維持法も大きな力となって、田中義一内閣あたりから怪しくなって…1927年、第1次山東出兵(満州軍閥・張作霖支援)、東方会議(満州権益を実力で守る)、1928年、無産政党・労働運動の弾圧、第2次山東出兵→済南事件(国民革命軍と武力衝突)、張作霖爆殺事件(満州某重大事件)…1930年には浜口首相狙撃事件、そして、1931年の満州事変後は暴力的方向へ雪崩を打っていきます。カルミンが売れ続ける時代にできなかったのでしょうか。


  1. 2015/02/15(日) 10:15:14|
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鷺井神社(善通寺市)

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 善通寺市の吉原小学校から南西へ100mほどに位置する鷺井神社です。古墳もあり、守護代から戦国大名になった香川氏との関連もあり、なかなか興味深い神社です。神社はほぼ東(私は西)を向いています。

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 5世紀後半の円墳が神社の裏にあり、「周庭部」といわれる部分が回りを囲んでいます。

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 南に広がる周庭部です。右に神社の建物があります。周庭部はぐるっと神社の西側に回り込んでいます。 
 周庭部の端が盛り上がり、道が見えます。香川氏の天霧城も近く、戦国時代に土塁をつくって、何かに利用した可能性があるようです。

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 建物の裏(円墳)を回る道。

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 円墳の西側はこんな感じです。実は、東側は少し掘り崩して神社を建てています。
 最初の説明板にあったように、北側には葉が片側だけにつく「片葉の葦」が自生しているというので、ワクワクしながら先へ向かったのですが、季節がずれているからでしょう、全く見当たりませんでした。

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 道を隔てて神社の前にあった井戸とポンプ。
 神社の東100m程の所に、「鷺井の泉」と呼ばれる眼病に効くという伝説の井戸(今は枯れてしまった)があるはずです。近くのお家の方に場所をお伺いすると、指差して教えてくださいました。

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 民家の方の庭先から。あぜ道の向こうの電柱の所です。ちなみに、そこは小学校から南に行く道が通っています。もし、見に行こうかと思われた方は、そこを通ってください。たまたま、道を尋ねた方のご厚意で家の前を通らせていただいて、写真の道に出ています。
 右に見える山は筆ノ山で、左の小さいのは甲山です。

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 あぜ道を行くと…ややっ、見えてきました。

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 「鷺の井」とあります。戦国大名・香川信景の子、頼景がこの水で眼病を治したと言い伝えられています。

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 鷺井神社に祈って、井戸の水で目を洗ったようです。神社は香川氏も信仰し、多くの人々の信仰を集めたようです。 
 善通寺市のHPによると、平安時代に、片羽が傷ついた青い鷺がこの地に降り立ち、傷を癒して飛び立った後に水が湧き出したという伝説もあるそうです。

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 向こうに見えるのが香川氏が城を構えた天霧山です。


 天霧城跡


  1. 2015/02/12(木) 17:42:46|
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相模坊まつり(坂出市)

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 2月7日(土)、坂出市の「天狗まつり」の一環として、「相模坊社」で行われる「相模坊まつり」を見てきました。
 餅投げは、主に子どもさんを対象にしている様子。

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 菓子投げです。

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 相模坊天狗は、崇徳院の霊前につかえ、白峰の霊域を守護しています。

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 天狗うどんが無料でいただけます。

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 これでもかと具材がいっぱい。銀杏・にんじん・さつまいも・しいたけ・ごぼう・むかご・大根・れんこん・栗・豆腐のあげ…具が10…10(テン)具…天狗となっています。すごくおいしい。サツマイモの甘さがたまりません。うどんそのものは、ちょっとダンゴっぽくて個性的。具やダシと合っていると思いました。忘れられないおいしさでした。

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 相模坊天狗と西行さん。

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 屋台も出ています。

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 偶然、人がはけた瞬間の写真。お参りしました。木造の鴉天狗さんが祭られているそうです。

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 天狗劇。

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 崇徳上皇の怨霊も登場。
 鴨川福神太鼓も聞きたかったのですが、寒すぎてジョージ・ハリスンのサムシングが頭の中を回り始め、劇のあと帰りました。

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 ここからの景色。曇っていて残念。

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 晴れていたら、夕日も美しい場所です。

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 ここから、三つ子島が見えます。右、手前は小瀬居島。
 三つ子島の一つの上に橋脚が建っています。


  1. 2015/02/09(月) 17:34:11|
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源頼政の伝承

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 多度津町立四箇(しか)小学校から少し南に行った所に、加茂神社があります。ここで南を振り返ると…

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 参道が残っています。

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 端っこに来ました。向こうに見えるとんがった山は、総本山善通寺の西にある筆ノ山。その左の低い山は手前が甲山、後ろが香色山です。低い山の背後のうっすらと見える大きな山が金毘羅さんのある象頭山です。

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 来た道(北)を振り返るとこんな感じ。

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 改めて、南の山々。とんがった筆ノ山の右(西)には我拝師山などが続きます。

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 さて、左(南東)を見ると、田んぼの中に小さな神社が見えます(木が生えたところ)。
 「若宮」と呼ばれていて、源頼政さんを祀っています。この付近に居館があったとされています。近くには御門・的場という地名があるそうです。

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 こんな感じ。頼政さんの娘に、歌人・二条院讃岐さんがいます。何か讃岐と関係があったように思われます。

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 さて、北側の道まで戻って来ました。若宮からずっと南、善通寺市の札所・甲山寺(こうやまじ)のある甲山(かぶとやま)までまっすぐ線でつなぐと、真ん中あたりに「矢止めの松」という石碑があります。

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 国道11号線の一本南に旧伊予街道がありますが、この道をやどめ調剤薬局からほんの少し東へ行った所です(道の北側)。

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 「史跡 矢止めの松」とあります。

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 源頼政さんが西の方から東に向けて遠矢を試みた際、矢が松の幹に命中したそうです。
 以上、『善通寺市史』によります。

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 オマケ。高松市にある「矢止めの松」。国道11号線から栗林公園の北側の道を入ってすぐ、駐車場の手前です。
 こちらは源平合戦と関係あるようです。『義経、讃岐を駆ける』(津森明、ビゴー出版)によると、合戦の矢止めになった松と説明されていたのですが、合戦の矢止めが何を意味するのか恥ずかしながら知りません。辞書を引くと「矢止め=休戦すること」みたいな説明しかなく、これは違うようです。あとは、弓道場で矢がよそへ飛んで行かないように塞ぐ板などを矢止めといいますが、これも当てはまらず…。とりあえず保留…。

 蛭子湧
 加茂神社の前の道を東へ500mほど行くと三井正八幡宮


  1. 2015/02/06(金) 18:19:50|
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滝宮神社(綾川町)

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 滝宮天満宮と綾川に挟まれているのが、滝宮神社です。

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 近世以前は牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていたそうです。念仏踊は天満宮と合わせて行われます。

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 法然上人念仏修行石。
 法然の教えが各地に広がると、延暦寺や興福寺など旧仏教の反発が高まりました。法然は、他宗派を批判しないよう七カ条の制戒(弟子への戒め)を書きました。延暦寺や興福寺などは後鳥羽上皇に専修念仏停止を訴えました。こうした時に、院の女房が法然の弟子住蓮・安楽を尋ねて出家。怒った上皇は、住蓮・安楽を死罪にし、法然を讃岐に配流しました(1207年2月~12月)。1211年、京都に入ることを許され、1212年1月25日、80歳で没しました。
 法然の足跡は讃岐中に残っています。

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 この地で、念仏を唱えながら踊ることを教えたのは法然だとされています。

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 西行法師昼寝石。
 
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 国分石。
 讃岐国の中心であることを示しています。

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 10世紀につくられた十一面観音が納められていました。国指定重要文化財。

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 現在は、綾川町生涯学習センターで見ることができます(撮影禁止)。とてもきれいに保存されており、立派さに圧倒されます。

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 綾川。府中ダムができるまで、この付近は急流だったそうです。オミタライといわれる淵には龍が棲み、阿波の鳴門まで龍の通り道があると信じられていたそうです。





 
  1. 2015/02/03(火) 19:56:53|
  2. 史跡・文化財など
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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