どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

倉敷市歴史民俗資料館

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 前回からの流れで、学校関連を紹介します。大正4年に建てられた倉敷幼稚園(創立明治29年)の建物です。

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 正面の屋根にきんちゃくが乗っかるユニークな外観。

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 三木楽器から皇太子(現天皇)誕生祝いとして贈られたものと同型。3台しか作られておらず、献上されたものは戦火で焼失、もう一台は不明ということで、貴重なピアノ。

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 明治末期のヤマハ製。

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 昔の教科書が系統立てて説明とともに展示されています。

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 戦後すぐのもの。

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 昭和39年から教科書が順次無償となっていった。

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 八角形の遊戯室(現展示室)が特徴。

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 中央部の中が八角形となっている。

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 倉敷市役所の敷地内です。

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 岡山にいたころの写真、ときどき紹介していましたが、長いこと忘れていました…。現物が変わってしまう前に、ちょくちょく紹介したいと思います。




 
  1. 2015/09/30(水) 17:55:35|
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法勲寺小学校玄関(丸亀市・蓮光寺)

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 真宗興正派・蓮光寺(本山は京都の興正寺)です。

 
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 『ふるさと飯山』(飯山町教育委員会)によりますと、法勲寺小学校が明治30(1897)年に創立されたときの玄関の姿をとどめているそうです。

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 たぶん、建物正面や屋根だと思うのですが…。

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 屋根、関係なかったら、すいません…。

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 いい感じ。

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 すぐ近くの前谷古墳。『ふるさと飯山』に載っていたので見て来たのですが、あとから、付近一帯に古墳が群集していることを知りました。岡田万塚というそうです。

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  1. 2015/09/27(日) 17:07:46|
  2. 史跡・文化財など
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最明寺の萩(高松市)

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 真言宗・御室派(おむろは)・最明寺です。

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 護摩堂。

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 見事な彫刻の大師堂。

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 振り返る…。

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 本堂で、ありがたくお茶をいただきました。

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 本堂内からの眺め。手前は観音堂。

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 大師堂の彫刻。

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 お庭。

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 花がかなり散っていましたが、これもまたきれいでした。

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 すぐ裏に、修行の場であった滝があります。この日は水量が少なかったです。

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 修行僧による不動明王の梵字が刻まれた「拝み石」。

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 先々代のとき、妙英尼という方が一心にお願いされたところ、願いがかなったそうです。以後、「落ちない御石」に手を合わせる人々がたくさんいらっしゃるようです。

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 お寺の前の道。

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 周囲の田にはヒガンバナが咲いていました。




  1. 2015/09/24(木) 18:06:49|
  2. 自然
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愛媛県立飯山中学校礎石と常楽寺の六十六部供養塔(丸亀市飯山町)

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 飯山高校の近くにある史跡を2つ紹介します。今回は飯山町教育委員会による『ふるさと飯山』を参考にしました。

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 地図右上の須賀神社(地図中では九頭龍神社)です。

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 愛媛県立飯山中学校の礎石があります。「愛媛県」といっても、いまの愛媛県ではありません。
 1871年の廃藩置県のとき、今の香川県は高松県、丸亀県、および、倉敷県などの飛び地に分かれていました。
 1872年に一度、いまの香川県の姿になりました。
 1873年に名東県(のちの徳島県)に編入→1875年に香川県として独立。
 1876年に愛媛県に編入→1888年にふたたび香川県として独立、今日に至っています。
 ということで、愛媛県立飯山中学校の「愛媛県」は、1876~1888年に存在した巨大な「愛媛県」です。

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 飯山中学校は明治14(1881)年5月8日に、下法軍寺村に設置されました。その後、明治17(1884)年7月1日に、当時の愛媛県立8中学校は3中学校に整理・統合されました。第1中学校(松山)、第2中学校(高松)、第3中学校(宇和島)が置かれ、大洲・西条・越智・亀山・飯山中学校は廃止となりました。つまり、飯山中学校は3年余り存在したことになります。

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 常楽寺に向かうと、まず目に飛び込むのが角にある石灯籠と道標です。

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 味わいがあります。「右高松坂出 左丸かめ」。

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 西側。「すぐ 志ゅとく天皇(高照院) 左どうじょうじ(郷照寺) 文政十(1827年)亥四月八日」。見えませんが、『ふるさと飯山』によりますと、東側には「左こんぴら すぐぜんつう寺 世話人中又」とあるようです。

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 後ろに飯野山が見えます。

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 郷愁を誘う半鐘。

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 六十六部供養塔があります。「嘉永3(1850)年庚戌十月吉日」。世話人・願主・助力などとして、たくさんの名前が彫られています。国名だけあげると、肥後、長州、江戸、豊后、筑後、武州、奥州、江州、勢州、因州、房州、備前、大坂、佐州、讃州、京、伯州、越后、紀州となっています。


 川西町の六十六部供養塔
 大興寺・仁王門(六十六部が再建)


  1. 2015/09/21(月) 13:12:09|
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中野天満神社と広昌寺

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 高松市天神前の地名の由来となった中野天満神社です。鉄筋コンクリート造(1階が駐車場)です。
 前回の地図で現在の天神前を示してしまいましたが、戦前は周囲の町を全部含んだ広い町だったようです。神社も町内に含まれ、その面積ももっと広かったようです。明治12~17年には境内に戸長役場が置かれたそうです(戸長とは、かつての名主層が任命された行政の末端組織で、明治22年の市制・町村制で廃止)。

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 2階に上がったところ。
 『角川日本地名大辞典37香川(昭和60年)』によりますと、京都の北野天満宮の分霊を勧請し、中野天満宮といいました。はじめ中ノ村にありましたが、寛永15年に生駒高俊がこの地に移し、初代高松藩主・松平頼重さんが祭田10石を寄進、3代頼豊さんが100石に加増。明治になって、中野天満神社と改称しました。片原町の華下天満宮は「古天神」、こちらは「大天神」と呼ばれたそうです。

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 江戸時代には、神社の回りは武家屋敷や寺社がいっぱいあったようです(お寺はいまもたくさんあります)。元禄16年に2代頼常さんは中野天満宮の南に講堂を建て、安永8年に6代頼真さんは天満宮の北に藩校講道館を建てました。明治以降、講道館跡は共立病院→高松公立病院→日赤香川支部病院となりました。

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 講道館総裁・後藤芝山(ごとうしざん)さんが祭られています。柴野栗山さんも学んだ偉い方のようです。

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 ここから南を見ると、8本の松があります。『角川…』によりますと、この辺りは昔から、八本の松があったことから八本松と呼ばれていたそうです。松が戦災で焼失したため、昭和58年に、道路脇に8本の松が植えられたそうです。
 同書には、こんな記載もあります。文化年間の城下図には、「中野天満宮の前に六辻ヶ原という広場があり、そこに松の木が描かれて七本松と記されている」。その城下図は未見のため、両者の関連は不明です。

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 こんな感じ。さて、写真を撮っている私の右手、すなわち、南へ少し行けば、広昌寺があります。

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 初代・松平頼重さんが生母・久昌院(きゅうしょういん)さんの菩提を弔うために開創しました。寺領130石でした。

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 お袖狸???

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 詳細は不明ですが、愛嬌があるようなコワイような…南妙法蓮華経…。


 高松市のタヌキ





 
 
 
  1. 2015/09/18(金) 18:09:49|
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香川不抱さんの住所はどこ?

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 香川不抱(かがわふほう)さんは1889(明治22)年生まれの歌人で、1917(大正6)年に29歳の若さで亡くなりました。与謝野鉄幹の新詩社に入り、『明星』『スバル』などに歌を発表し、高く評価されていました。 
 丸亀市川西町の生家跡はすでに紹介しました。『新修高松市史Ⅱ』によりますと…

 ①明治40年の春、高松市天神前高等小学校の正門前に転居。丸亀中学校へは汽車通学しました。
 ②のち、「かどのお宮を南へまがった家に移った」という説もあるようです。

 中学時代から新詩社に入り、『明星』に短歌を発表していたそうです。中学卒業後は、相場に手を出して大阪でしばしば寝泊まりし、東京へ行って与謝野夫妻宅2階にいたこともあるそうです。また、石川啄木、北原白秋、吉井勇らと交友関係があったようです。

 ③しかし、大正4年に病気になり、高松に帰り、西浜新町の家で療養しました。一時回復して、作品もたくさん詠みましたが、大正6年10月5日に亡くなりました。

 地図の右下のオレンジ囲みが天神前ですが、そこにあった高等小学校正門前に引っ越したということで、この付近です。また、さらに引っ越した「かどのお宮」が何を指すのか不明です。天神前の地名の由来になっている中野天満宮のこと???ちょっと、公式の市史にしてはあやふやすぎ…。
 終焉の地である西浜新町の家もどこか全く分かりません。地図の左上オレンジ囲みが西浜新町(今の茜町と西町)です。

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 天神前のすぐ北、中央公園南側にある石碑。

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 「高松市高松高等小学校跡」。市史にいう「高松市天神前高等小学校」ってこのこと???

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 道路を渡ったすぐ南には、「菊池寛生家」の石碑があります。

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 菊池寛さんは明治22年にここで生まれ、「明治41年に上京するまで、ここに住んでいた」そうです。香川不抱さんが天神前高等小学校の正門前に引っ越してきたのが明治40年。ということは、お2人は1年間ですが、すぐ近くに住んでいたことになります。

 「?」だらけになりましたが、もっと詳しいことが分かり次第、報告したいと思います。
 ついでに、中央公園にあるものを紹介します。

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 まずは、菊池寛像。

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 高松市生まれの水原茂さん(1909~82)の像。1977年に野球殿堂入り。

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 漆芸家・玉楮象谷(たまかじぞうこく)さん(1806~69)。高松藩主に仕え、香川漆芸の礎を築きました。

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 イサム・ノグチ遊具彫刻。   一の宮公園のイサム・ノグチ遊具彫刻

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 中河与一さんの石碑。ご本人の文字で「こよなくわが愛せし詩句を  自由なる人永遠に海を愛さむ」とあります。ボードレールの詩の一節だそうです。

 恋愛無限文学碑など
 西行庵の歌碑


P.S. 謙介さんから、貴重なコメントをお寄せいただきました。ぜひ、お読みください。



  1. 2015/09/15(火) 18:40:51|
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無量寿院(高松市)

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 真言宗・無量寿院は、もと室山(地図下の方赤囲み)の麓にあったそうです。今回も『わが町の文化財探訪』を参照しました。
 ①ここもまた、讃留霊(さるれ)王が退治した悪魚の霊を慰めるために建てられたそうです。聖武天皇の時代に行基さんが建てたということなので、ずいぶん昔のことです。

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 いまの無量寿院です。
 ②空海さんが伽藍を整備し、讃岐七談義所(真言宗の学問所)の一つだったそうです。
 ③近くで生まれた観賢(かんげん)僧正のおかげで、宇多天皇の御祈願所となったのをはじめ、多くの天皇の信仰を集めたそうです。
 ④戦国時代に焼失、移転。その後、生駒さん・松平さんの時代にも転々と移動。最終的に現在地に落ち着きました。
 ⑤明治12(1879)年~大正5(1916)年まで38年間、高野山出張所として讃岐の真言宗の中心地であったそうです。

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 1945年の高松空襲で寺は焼失、再建されました。

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 左から、役行者(えんのぎょうじゃ)・倶利伽羅不動(くりからふどう)・聖宝理源大師(しょうぼうりげんだいし)。空襲で焦げたりした跡が残っています。
 石造の役行者はめずらしいそうです。倶利伽羅不動は、剣に倶利伽羅竜王が巻きついているそうです。それぞれ、お不動様の剣と索とをあらわすそうです。理源大師は天智天皇の6世の孫で、弘法大師の高弟に学び、宇多天皇の帰依を得ました。醍醐寺の開祖。頭に鉢巻きをしていますが、これを枕の下に入れて休むと、頭の病気が治るそうです。


 玉藻城・桜御門の空襲の跡
 岡山市の戦争遺跡
 岡山大学の戦争遺跡





 
  1. 2015/09/12(土) 19:57:58|
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平賀源内先生旧邸(さぬき市)

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 平賀源内先生旧邸は、以前にも紹介しましたので、基本情報はそちらをご覧ください。
 内部が以前よりきれいに整備されていました。

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 銅像を建てるために、そのぶん家を削っちゃったのは個人的には複雑な思いですが、郷土の偉人をこれほど大切にしてくださっていることには、感謝感激です。源内さんの横にあるのはエレキテルで、寅さんのカバンではありません。

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 ホルトノキという木。

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 オリーブ油のことをホルト油と呼んでいたらしい。木が似ていて間違えた?

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 源内さんは薬草のエキスパートでした。薬草茶を飲むことができます。

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 おいしくいただきました。

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 志度は桐下駄が特産品です。

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 源内焼の作品が売られています。すぐ近くの平賀源内記念館でもグッズが販売されています。

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 裏庭。薬草園になっています。

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 源内さんは世界初の博覧会といわれる「薬品会(やくひんえ)」を5回も主催しました。そして、『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』という本草学の書、本文4巻、図絵1巻、付録1巻(砂糖製造法)を著しました。

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 『物類品隲』に載っている薬草をいくつか紹介します。

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 あまどころ(萎蕤いずい)、強壮剤。

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 ホルトソウ。下痢に効くそうです。

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 あまちゃ。

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 庭から見た建物。以前紹介した源内焼の窯は写真右の方にあります。
 機会がありましたら、ぜひお立ち寄りください。


  1. 2015/09/09(水) 18:11:42|
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志度散策(さぬき市)

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 地図の左(西)から見ていきます。

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 この辺りに、年貢米を納める米蔵がありました。平賀源内の家は代々そのお蔵番をしていました。

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 嘉永4(1851)年に、津田村大庄屋・上野氏と志度村庄屋・岡田氏が、お蔵の用心のため建てたそうです。

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 9m×27.3mの蔵が3棟と関連施設があり、堀に囲まれていたようです。

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 いい感じの街並みです。

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 平賀源内大先生の旧宅。これについては、改めて詳しく紹介します。

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 新町の自然石灯籠です。町のすぐ南の山中にある石鎚(いしづち)神社に奉献されたもので、「志度の浜辺から玉浦川の川口にかけて繋留する漁船の道しるべ」にもなったようです。

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 「もとや醤油初代当主小倉嘉平が、石鎚神社の信仰に燃える実弟、高松藩士・田山助造のすすめによって、弘化3(1846)年に建立した」そうです。

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 86番札所・志度寺へ向かう遍路道なので、道標があります。

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 「雲間山石鉄(いしづち)大権現」灯籠。「嘉永五(1852年)…八月吉祥日」とあります。後ろは元屋醤油。

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 志度寺奥の院・地蔵寺です。さぬき市文化財保護協会HPによりますと、かつては、志度寺を創建した薗子尼(そのこあま)が住んでいたので「薗子屋敷」といわれたそうです。

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 本堂・鐘楼。

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 南無大師遍照金剛…。

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 なんと、悪魚伝説とも関係があり、別名「魚霊堂(うおのみどう)」ともいうそうです。

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 巨大なエイの姿をした怪魚。軒下にぶら下がった姿は、エイの干物のようで、あわれ。

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 巨大な柏の木があります。かつては東西に2本ありましたが、西側のは天保年間の落雷、昭和9(1934)年の室戸台風による被害にもなんとか持ちこたえましたが、昭和58(1983)年に倒壊の危険があったため、惜しまれつつ伐採されました。かつては「夫婦柏」とも呼ばれていたそうです。伝説では、薗子尼が志度寺十一面観音像を彫った際、残った部材から芽が出て成長したといわれ、樹齢千年以上の霊木。

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 いい感じの家が多いです。

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 旅館いしやは、明治の建物で国の登録文化財です。

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 最後は、志度城跡です。雨滝城を中心にした安富氏の出城の一つで、多田和泉守という武将がいたそうです。

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 詳しくは、さぬき市文化財保護協会のHPをご覧ください。
 各地の城跡にはよく神様が祭られていますが、もともとお城に祭られていたもののようです。



 


  1. 2015/09/06(日) 13:03:44|
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源平合戦の超マイナー史跡(in讃岐)

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 源平合戦については、これまでに岡山県や、屋島の有名な、あるいは、マイナーな史跡を紹介してきました。今回は、「超マイナーな」史跡をいくつか紹介します。
 まず、さぬき市の志度町にある、「松ヶ崎義経十二本松」です。志度町には志度寺や平賀源内生家など、他に見るべき所がたくさんあります。行ってみようかと思われる方は、事前調査をお勧めします。その上で、ついでがありましたらこちらもお立ち寄りください。

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 こんな感じ。かつて12本の松が生えていて、松に白鷺がとまっているのを源氏の白旗と見間違えて平家軍が逃げたという話も。

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 説明板によりますと、屋島の戦いののち、ここで戦闘があったようです。その後、平家は壇ノ浦へ向かったようです。

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 高松市の屋島(地図左上)近辺です。今回は右から、「瓜生が丘」 「祈りヶ丘」「義経鞍掛の松」を見ていきます。それ以外はこれまでに紹介済み(末尾にまとめておきますので、興味のあるかたはぜひご覧ください)。

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 「瓜生が丘(うりゅうがおか)」。義経軍が本陣を置いた場所だそうです。石碑には「宇龍ヶ岡」と書いています。

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 丘の上にある妙覚寺が、「祈りヶ丘」。見晴らしのいい場所で戦勝祈願をしたようです。

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 詳しい地図。高松市の「たかまっぷ」をお借りしています。文化財の位置を教えてくれます。「長刀泉」の場所を調べた際、表示された地図です。クルマで行くなら、「瓜生が丘」は北側から行って川のほとりの広い場所に停めた方がいいです。狭い所へ入るといろいろと面倒です。停めた時に迷惑だし、最悪、動きがとれなくなったり、溝に落ちます。

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 「義経鞍掛の松」です。

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 屋島を攻める直前、ここで最後の一休みをしたそうです。狭くて写真がこうなります。

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 ⑤の高松城(喜岡城)跡も前に見ました。

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 何代目かの松だそうですが、とにかく狭くて、うまく撮れません。

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 詳しい地図。
 マイナー史跡、それは山奥だけとは限らない。物かげや近づきにくい場所にあるのです。私はマルナカで買い物をして、「5分間ほど停めさせてください」とお願いしました。お互い、人の迷惑にならぬよう気をつけましょう。今回に限りませんが、他人の怒りを買ったり、どこかに転落しても、自己責任でお願いします。
 (注)今回紹介した所は、JRの駅・線路付近です。すぐ北を走る「ことでん」の駅・線路と間違わないようにしてください。


 大坂峠
 赤牛崎
 弁慶の伝説 (こちらのページから、超有名な屋島の史跡と、岡山の源平関連を見ることができます。)
 静薬師庵など
 剃髪塚
 矢止めの松


  1. 2015/09/03(木) 18:11:40|
  2. 史跡・文化財など
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犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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