どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

西谷団地遺跡公園(総社市)

総社市ウィングバレイ製鉄遺跡

 総社市の古代の製鉄史跡を紹介します。

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 こんな感じで、まずは高床倉庫が目に飛び込んできます。

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 この団地とその周辺で発掘された遺跡は、以下の3つのようです。
①1900年前の弥生時代中期の集落跡(高床倉庫など)。
②6世紀後半から約100年間にわたる横穴式石室をもつ古墳36基。うち3基には鉄滓が供えられていた。
③6世紀後半から約100年間にわたる製鉄遺跡。60基の製鉄炉と16基の炭窯。

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 高床倉庫を模してつくったもの。必殺、ネズミ返しがついてないようです。これは痛い。

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 炭窯です。

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 製鉄用の白炭(しろずみ)をつくったようです。 
 最初の説明版にあった16基中、15基がこの団地にあったようです。団地は、かつての白炭づくり作業場の上に建っていることになります。ただ、時期が最初の説明版では6世紀後半から100年間とあったのに、16基中の15基が7世紀って…。確かに、「6世紀後半から100年」の中に入っていますが、そう表現するからには「6世紀後半」にさかのぼるのが1基ぐらいあって欲しいところ、もう1基が気になる。もちろん、製鉄炉や古墳など、その他の遺構・遺物から製鉄遺跡全体が6世紀後半にさかのぼることが実証されているのだとは思います。そうすると、出てきていないだけで、それにともなう炭窯も6世紀後半にさかのぼるのがあると考えられます。表記が曖昧なので、こういう解釈でよいのか否か不明。

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 反対側に煙突。

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 これらの穴から炭を掻き出しました。

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 この一番目立たないのが、製鉄炉のようです。

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 製鉄炉のほうは、60基中、団地内にあったのは5基のようです。

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 発掘中の写真と比べると、「まあ、こんな感じ」という復元です。屋外なので、贅沢は言えません。むしろ、ここまでしてもらって、ありがたい。あとは、想像力を働かせましょう。

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 最後は、古墳の復元です。

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 「移築」なので、出川哲郎さんふうに言えば、ここにあるものでは最もリアルガチです。
 炭窯の破棄後に、その場所に作られ、土師器(はじき)・須恵器(すえき)の年代(炭素14による測定?)から7世紀前半だそうです。炭窯は少なくともそれ以前。



鍛冶屋谷たたら遺跡
間所タタラ製鉄遺跡



  1. 2016/02/27(土) 11:06:45|
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栗林公園の梅

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 栗林公園の梅をご覧ください。

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 ジョウビタキのオス。

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 香川県の梅の標本木。

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 やはり、梅もここが一番きれいかな。どの植物も手入れが行き届いているし、風景もすばらしいので、反則です。



  1. 2016/02/24(水) 17:10:09|
  2. 自然
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ちきり神社の梅(高松市)

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 ちきり神社は仏生山町にあります。高松松平氏の菩提寺・法然寺の向かいです。

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 向こうに塔が見えているのが、法然寺です。

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 法然寺のある「雄山(おやま)」の上には松平氏のお墓があります。
 実は、ちきり神社はもともとは別の場所にあって、池の水の決壊などのため転々としたあと雄山に落ち着いたのでした。そのあと1669(寛文9)年に、雄山に松平氏の墓所ができることになって、向かいの「雌山(めやま)」に移ったのです。雌山は法然寺の前にあることから「前山」ともいいます。「秣(まぐさ)山」ともいうそうです。

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 いい景色です。中央の三角の山は「六ツ目山」。その左は「堂山」。六ツ目山の右の小さい三角は「伽藍山」。

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 本堂です。ちきり神社のHPによりますと、神社には6石の領地が寄進され、歴代藩主の厚い信仰があり、格式も高く、神主は藩主に拝謁することができたそうです。

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 梅の木です。

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 満足。

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 北側からも降りられます。真ん中のぴょこっと盛り上がっているのが室山で、その左が岩清尾山です。

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 降りたところ。神崎時計店寄贈の時計付き灯籠や、画面から切れてしまいましたが大きな石灯籠があります。

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 石段横のいい感じの家。

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 りっぱなお屋敷。1980年代ごろまで古い町屋が並んでいたそうです。

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 神社の西側の道。こちらもいい感じの家。立て札に「前山坂道」とあります。松平頼重公がつくらせた仏生山街道の終わり近くで、江戸時代は偉い人だけの道だったそうです。明治以降、芝居小屋や小料理店が立ち並んだそうです。私の左手後ろにも立て札があって、1914(大正4)年に大黒座という芝居小屋ができ、1944(昭和19)年に解体、市街地に八雲座として再開されたものの、戦災で焼失したそうです。


法然寺1
法然寺2




  1. 2016/02/21(日) 12:45:48|
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黒岩天満宮の梅(坂出市)

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 黒岩天満宮は坂出市、郷師山西面のふもとにあります。

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 坂出市(「古のロマンのまち さかいで」)によりますと、888(仁和4)年の大旱魃のとき、菅原道真さんがここで降雨に感謝する祈りを上げたのだそうです。雨乞いをした場所は、郷師山の東にある城山(きやま)の明神原(みょうじんばら)というところです。

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 やはり、梅の木が植えられています。

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 本殿です。
 道真さんを記念して祠がつくられたそうですが、神社になったのはずいぶんあとのようです。再び、坂出市の資料を引用しますが、1692(元禄5)年の旱魃のとき、高松藩士・山口弥衛門さんが降雨を祈願し、見事雨が降ったことから、天満宮を創建したそうです。

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 向こうは、飯野山です。

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 いい感じ。


 石井天満宮





  1. 2016/02/18(木) 17:47:45|
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滝宮天満宮の梅(綾川町)

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 ちょっと前の様子です。いまはもっと見ごろかもしれません。

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 花なのに、なんだかすっぱそう…。

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 讃岐国司(886~890年)だった42歳のころの菅原道真さん。道真さんの建議で遣唐使が894年に廃止されました(白紙に戻す遣唐使!)。そのせいもあって、藤原氏全盛期(平安中期)は国風文化が栄えます。花といえば唐風に「梅」だったのですが、だんだん「桜」になっていきます。庭の梅が好きだった道真さんが901年の昌泰の変で大宰府に左遷され、「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」と詠んだのも、図らずも時代の移り変わりを印づけることになりました。

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 おみやげ屋さんの前のしだれ梅。

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 お店の方によれば、メジロがよくやってくるそうです。今頃は、たくさん来てるかも。
 ネット上ではまことしやかに「ウグイスは梅の木には止まらない」って書いていますが、あれはウソです。山中などでは、梅の木にウグイスが止まっているのを何度か目撃しました。メジロとウグイスの区別はつきます。

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  1. 2016/02/15(月) 17:39:56|
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岩屋(総社市)

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 鬼ノ城のすぐ北に、岩屋と呼ばれる巨石群があります。
 『総社市埋蔵文化財調査年報(鬼ノ城周辺)』によりますと、ここを含む一帯は岩屋寺という「古代~中世にかけて隆盛を極めた寺院」の跡であり、「室町時代に入ると、新山寺と、もともと一山であった岩屋寺が独立化を強め、両寺とも別々に存在するようになる」。「天文~ 天正年間(1532~ 92)の戦乱にまきこまれて、両寺の伽藍はほとんど消亡した」。「岩屋寺の場合は東塔院の毘沙門堂を残して消失破壊されたものの、近世に入ると少数の子院が再興され岩屋寺の法灯を伝えている」…なのだそうです。
 写真は、鬼の差し上げ岩。

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 巨石がゴロゴロ。

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 鬼の餅つき岩。登りやすく階段付き?

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 ちょっとした散歩コース。

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 屏風岩。かなりの大きさで、実際に見ると圧倒されます。私は、クジラに見えました。

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 右側、馬頭観音様。

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 方位岩。「何の!?」と突っ込みを入れたくなる。

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 汐差岩も、名前の由来が不明。潮の干満差ぐらいの高さってことなのでしょうか???…適当なこと言ってますが…。第六管区海上保安部HPによりますと、高松の最大干満差は4.0mぐらいだそうです。

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 宇宙家族ロビンソンになった気分。

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 これまた、かなり大きな岩です。左の岩に観音様が彫られています。

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 岩切観音様といいます。

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 三十三の観音様のうち、3つが特徴的ということですが、そのうち2つは紹介しました。あと1つは、鬼ノ城の方にあります(最初の青字「鬼ノ城」を押してみてください)。つまり、観音様をめぐるコースは鬼ノ城も含んだかなり広いエリアです。

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 岡山県指定・石像美術「皇の墓」です。総社市観光ガイドによりますと、「岩屋寺の開祖で文武天皇の皇子・善通大師の墓塔」と伝えられています。南北朝時代のもの。文武天皇の子で、もっとも有名な方といえば聖武天皇。奈良時代ど真ん中です。言い伝え通りだとしても、ずいぶん後につくられたものということになります。とはいえ、同ガイドによりますと、岡山県内の無縫塔(卵塔)では最も古い様式だそうです。




  1. 2016/02/12(金) 18:41:49|
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高梁川に架かる土木遺産的な橋

霞橋騒道橋・井原線高梁川橋梁・川辺橋地図

 ちょっと前に、川辺橋を事のついでに、ちらっと紹介しました。あと2つの橋と一緒に、もっと、ちゃんと紹介したいと思います。

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 まずは、川辺橋です。昭和8(1933)年に木橋から架け替えられたもの。

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 トラス橋。いまは自転車・歩行者専用です。450mあります。

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 向こうが後からつけられた自動車用。朝夕は大渋滞します…。

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 橋から見た、渡し場跡と下流(南)方向。

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 次は、井原線高梁川橋梁です。716mの長ーいトラス橋です。井原鉄道井原線は1999年の開業なので、古いものではないです。が、ちょっと有名です。

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 カーブしたまま道路の上を通過します。この道路はかなりクルマの通行量が多いです。こんなとこ立ってたら、危ないので、一瞬で退散しました。
 このカーブはかなり急なのだそうです。私も何度か乗りましたが、川の上はレールに継ぎ目がないので、カタンコンいわずに、シャーッて走ります。

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 土手の下にも道があります。
 なんとも、かっこいいトラス。錆びているようにも見えますが、実はすごいんです。表面だけ錆びて、内部まで錆びない特殊な鋼材が使われています。「デジタル岡山大百科」によりますと、普通は錆びてて危ないと誤解されないよう、塗装するそうです。もちろん、見た目だけの話なので、塗装は必要ありません。このストイックな美しさは、よそであまり見られない貴重な景観です。

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 電車が来ました。トラスの大きさがよくわかります。

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 最後は、霞橋です。600mあります。昭和3(1928)年につくられました。

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 河原にはきれいな花が咲いています。

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 これまた、かっこいいトラス橋。

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 美しい。

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 橋から高梁川を見る。広ーい。

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 言い忘れてました。こちらも自転車・歩行者専用です。600mは歩きがいがあります。

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 井原線高梁川橋梁の黒っぽいいかつさとは対照的な、白くて優美な橋です。
 そういえば、私の住んでいた地域では「錆びる」ことを「しゃびる」って言ってましたが、丸亀全域ではないかも…。


  1. 2016/02/09(火) 17:54:53|
  2. 史跡・文化財など
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真金一里塚など(岡山市)

真金一里塚付近地図

 前回、改めて紹介しますといった、原形をとどめている一里塚。真金(まがね)一里塚といいます。これと、付近で見られるものを紹介します(赤い■、赤線)。

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 旧山陽道沿いに残る、真金一里塚です。えっ、どれが?ってなると思います。右の榎、軽四の横の枯れた色の松です。

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 榎のわきに「史跡 真金一里塚」の石碑が立っています。

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 国の史跡指定になっています。江戸時代に、日本橋を起点に一里ごとに、道の両側に榎や松を植えました。ここはかつて真金村と呼ばれていたようです。

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 反対側は松です。説明版にあるとおり、現在の木は(おそらく両方とも)何代目かのもの。

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  国道180号線沿いにある、「是(これ)より東 備前国」の石碑。

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 福田海(ふくでんかい)という宗教のお寺です(福田海本部)。

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 近代になって起こされた宗教のようですが、建物がいいかんじ。

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 巨大な釜が・・・。

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 「はなぐり塚」です。全国から送られた約600万といわれる牛の鼻ぐり(鼻輪)で、牛たちを供養しています。下は横穴式の古墳だということです。

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 軍艦・鎮遠(ちんえん)の碇。鎮遠は、清国がドイツから購入した、当時は最新鋭の軍艦でした。有名な李鴻章がつくった北洋艦隊の主力艦でした。

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 日清戦争で、日本軍に拿捕され、日本海軍に編入されました。意外なものに出会えてビックリです!

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 最後は、備前一宮駅ホームにある、吉備中山(きびのなかやま)にある岩舟塚古墳の石棺のふた。なぜか、縦に真っ二つになったもの。いろいろな意味で珍しい。

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 2008年に取り壊された旧・備前一宮駅です。古い駅舎の好きな私としては、とても残念。




 吉備津神社や吉備津彦神社については、少し前の「総社市の磨崖仏など」補足の参考ペ-ジを見てください。吉備中山には、藤原成親の墓などもあります。




  1. 2016/02/06(土) 11:09:02|
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倉敷市真備町の石造物など

真備町の石造物

 前回、総社市から高梁川を渡ってすぐ、川辺という宿場に至ることに触れました。今回は、まず、その渡し場跡を紹介し、2つの宝篋印塔と、境界石、そして、石仏を一つご紹介します。地図中には、他の史跡も示していますが、関係ありそうなページを最後に載せておきます。

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 ここが、かつての渡し場跡です。高梁川の下流方向(南)を見ています。杭は当時のものって聞いたことがあるような、ないような…。

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 川辺宿の渡し舟の発着場であること、川に沿って高瀬舟が行き来していたこと、大正8(1919)年に橋が架かったことなどが書かれています。

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 上流方向(北)を見ています。手前は歩行者・自転車用です。これもかなり古い橋です(昭和8年)。

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 先ほどの渡し場跡が、この土手の向こう側にあります。一里塚があったそうです。一里塚というのは、かなり大きな土盛で、榎なんかを植えて目印としたものです(原形をとどめているものもあります。また今度、紹介しましょう)。

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 一里塚跡から西を見る。上陸したあと続く山陽道で、ここが川辺宿。かつての面影はありませんが、歩いていくと、本陣・脇本陣跡を示す石碑が建てられています。

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 堂応寺宝篋印塔(どうおうじ・ほうきょういんとう)です。正和3(1314)年のもので、国の重要文化財です。

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 猫さんがくつろいでいました。

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 こちらは満願寺(まんがんじ)宝篋印塔です。堂応寺のものと同時期と推定されています。県の重要文化財。倉敷市HPによりますと、「かつてここには満願寺という真言宗の寺院がありました」が、「高梁川の洪水」で流されました。「この宝篋印塔も…埋没」しましたが、江戸時代に発見されて、ここに建てられました。

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 倉敷市真備ふるさと歴史館の前にある、境界石。真備町のほとんどは岡田藩領(1万石)でしたが、中に岡山藩の飛び地(矢田村)があり、それを示すための境界石です。歴史館には岡田藩関係の資料や、川辺宿の模型があったような記憶があります。

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 最後は、線刻(せんこく)阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像(ざぞう)です。

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 右側です。石灰岩で高さ89㎝。なんと寛元4(1246)年のもの。

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 石仏としては、岡山県で最古。もちろん、県の重要文化財です。


 吉備真備
 白鳳期廃寺



  1. 2016/02/03(水) 18:10:11|
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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