どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

猿掛城と庄氏(岡山県矢掛町)

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 猿掛城跡の絵は前回のブログで確認してください。小田川沿いにある登り口の標識です。杖とお持ち帰り自由の地図もあり、楽勝モードで矢印の方向に向かうと、道は小川の前で大きな鉄の壁に遮られます…。『あれっ?立ち入り禁止?』と引き返し、地元の方に尋ねると、「(鉄板の)横をすり抜けてください」ということでした。謎の鉄板でした。

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 おそらく、地元有志の方によって維持されているんでしょう、あとは道がきれいでした。ご苦労様です。
 猿掛城の歴史は、治承・寿永の合戦(源平合戦)、一ノ谷の戦いで功績を挙げた庄家長(しょういえなが)が地頭としてこの地に来たことから始まります。

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 しばらく登るといい景色。西を見ています。戦国時代、庄元資(しょうもとすけ)の反乱から備中の動乱が始まります。石川氏(幸山城)・上野氏(木村山城)・三村氏(鶴首城)・新見氏(楪城)・多治部氏(塩城山城)などが台頭しました。


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 「寺丸」の遺構から。一度は1492年の戦いで落城の憂き目にあいました。城を守るために孤軍奮闘して亡くなった香西氏一統の冥福を祈る位牌堂が建っていた所です。

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 何か遺構が残っています。

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 この辺は「太夫丸」といわれてます。庄元資の子・為資は1533年、松山城を本拠に備中の半分を支配しました。猿掛城は一族の実近(さねちか)に守らせましたが、三村氏との戦闘ののち、毛利元春の仲介で和議が成立。三村元祐が庄為資の養子として猿掛城に入りました。ここは隠居した実近が住んだ場所だそうです。

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 こういう段々が何回かあります。両側に道があります。

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 「三の丸跡」です(五・四はとばしました)。木は多いのですが、草はよく刈っています。

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 「井戸跡」だそうです。

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 一番上まで来ました。けっこう広く、土塁かな?と思える所なんかがあります。

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 上の写真の盛り上がっている所が、図の上の端でカッコ状になっている部分。

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 振り返ってみると、石の行列が…。

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 図の本丸左は一段下がった「出丸」で、ここにに降りてみました。振り返ると石垣が少し残っています。下りる際に、『これ、登れるんかなー』という不安がなきにしもあらずでしたが、『ま、いいか』という性格なので、いろんなものにつかまって下りたんですが、案の定、登れないのでした…。『白骨化はいやだー!』と必死でもがいて上がりました(泥だらけ…)。

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 「大手門」と書いてありました。

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 絶景ですが、ここを上がるのは至難です。城跡はこんな感じです。次は、矢掛町横谷の庄氏館跡です。

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 畑のずっとあちらに石碑が立っています。向こうは竹やぶです。

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 なんにもない所です。むしろ、この隣の「福武家住宅」(庄屋さん)がすごいです(これも改めて紹介します)。

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 こちらは庄氏の菩提寺、曹洞宗・洞松寺です。

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 門は江戸時代の再建(1843年)です。

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 左が庫裡、右が本堂です。

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 本堂の中です。本堂の右には座禅をする建物があります。庄元資のお墓を教えてもらいましたが、とても感じのよいお坊さんでした。

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 庄元資宝篋印塔です。
 のち、山陰の尼子氏が侵入してくると、庄氏・三村氏など備中の有力者はその支配下に入りました。ところが、毛利氏が強大化して尼子氏を圧倒して備中に侵入してくると、三村家親は毛利氏について、1560年に庄高資(為資の子)の松山城を奪いました。その後、庄高資は一時、松山城を取り戻すのですが、1571年の三村氏との戦いで討ち死にしました。



  1. 2012/11/30(金) 22:15:30|
  2. 史跡・文化財など
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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