どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

三村VS宇喜多抗争

 1564年、三村家親が備前に侵攻して岡山城(金光宗高)を支配下にするなど、抗争がはじまり、1566年には、宇喜多直家が三村家親を暗殺、1567年、怒った三村元親(家親の子)が宇喜多方の明善寺城(岡山市・操山)を奪いました。

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 操山(みさおやま)の北西・里山センターの背後に明善寺城跡はあります。ここに自動車を停めて、城跡への行き方を教えてもらいました。

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 画像が粗いのですが、ちょうど「里山センター」の文字の下辺りに「明善寺城跡●」とあります。

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 最初のうち、「畑ん中ちゃうん?」…「竹やぶ、暗っ!」…「城はどこ?」という感じで不安で胸が膨らんできますが、ここは、気にしないで前進。で、それっぽい道が現れました。こういう時『いいね、いいねー』と心の中でつぶやいています。

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 『ややっ』、何かですね、これは…?

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 1567年、ここを取り返そうとする宇喜多直家方5,000VS三村方22,000が激突しました。これは宇喜多方の大勝利に終わり、”明善寺崩し”と言われるようになりました。

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 それなりの広さはありますが、木が生えすぎて眺望がよいとは言えません。

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 詳しくはこちらをどうぞ。

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 この戦いで、宇喜多氏は浦上氏配下での地位を確固たるものにしました。
 街中なので、見える風景もコンクリートだらけです。よく、都会のビルから見える光景を絶景と言ったりしますが、山や川が見える場合は分かるのですが、ビルばっかりでも喜ぶ人の気持ちはどうも理解できません。 

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 つぎに宇喜多直家は1568年、姻戚関係にあった松田元輝(金川城=玉松城、岡山市北区)を攻めました。内通者もあって、わずか2日で落城しました。元輝・元賢親子は死去、元賢の妻(宇喜多直家の娘)も自害しました。やっぱり、ワルです。
 地図を左回りに、「北の丸」「本丸」「二の丸」と見て回ります。

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 ここから登りました。方向音痴ということもあり、先に、妙覚寺付近の御津町郷土歴史資料館に寄って道の状態を伺いました。地図を下さったうえ、とても親切に教えてくれました。因みに、資料館には古い蔵があったり、展示資料も充実していたりします。また、地域の歴史に関するきれいなパンフ類をいっぱい戴けました。

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 宇甘川が見えます。

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 「北の丸へ」の標識のすぐ向こうで道が崩れています…。資料館で行かない方が多いと聞いていましたが、とりあえずこれを突破し、行ける所まで行くことにしました。

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 やはり怪しい道が続きます。

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 来てしまいました。実は、途中、山と落ち葉がバーッと広がり道が分かりませんでした。

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 何らかの遺構だと思います。このあと、来た方角に確信が持てなくなり、見覚えのある道に出た時は涙ちょちょぎれもんでした。そんなわけで、「白水の井戸」には行く気が消失。

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 途中経過略で、「本丸」です。長細く、かなり広いです。

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 唯一きれいな看板がありました。

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 説明が全くなく、何なのか不明…。

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 次は「天守の井戸跡」。

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 一番、強烈な印象でした。写真では伝わりにくいのですが、鳥肌が立つほど深いです…ぞーっとしました。幅も何メートルかあります。「危険、近寄るな」の立て札はあるのですが、柵もなく恐いです。落ちたら、次に人が来るまで叫ぶしか手がないです。

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 ここも「杉の木井戸跡」とあります。

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 旭川が流れています。

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 「二の丸」です。あとはスイスイ下りるだけです。というわけで、「北の丸」さえ行かなければ、散歩コースにちょうどです(井戸に落っこちなければ)。

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 ちょっと付近を散策。御津町役場跡ですが、この石垣が、岡山藩家老・日置(へき)氏の陣屋跡といわれています。

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 妙覚寺です。

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 近世の宗教弾圧として日本史の教科書なんかにも載っている、日蓮宗不授布施派が明治になって再興した寺院。土地は、江戸後期の医師・難波抱節さん宅跡を購入したもの。

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 難波抱節さん宅の門などが保存されています。

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 掲示板によれば、この梵鐘は岡山県の重要文化財で、「備前金剛寺(藤原道長建立の京都法勝寺の末寺)の鐘」だったが、「天正十年の高松城水攻め」のときに使用され、その後、土中に埋められていたそうです。どう「使用され」たんでしょうか?

 肝心なことを忘れてました。明善寺合戦ののちの、三村氏と宇喜多氏の抗争をまとめておきます。

①1570年、宇喜多さんは岡山城主・金光与次郎を切腹させ、岡山城を摂取。やっぱりワル?
 1573年、岡平内を奉行に岡山城を拡張、修築してここに移った。まだ、規模が小さく、石山城と呼ばれていました。

②1574年、宇喜多さんは、備後・鞆にいた室町将軍・足利義昭(前年、織田信長によって京を追われた)の仲介で毛利氏と和議を結んだ。逆に、これに反発した三村元親は毛利さんから羽柴秀吉さんにのりかえ!

③1575年、毛利氏によって松山城が落城し、三村元親は自刃しました。合掌…。


  1. 2012/12/02(日) 17:38:09|
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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