どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

フランクルとハイデッガーにおける、死の問題

 フランクル Viktor Emil Frankl (1905―97)は言うまでもなく、オーストリアの精神医学者であり、第二次世界大戦中のナチスによってユダヤ人として強制収容所に入れられ、その時の体験を綴った『夜と霧』が、極限状況における人間を精神分析家の目から鋭く描いたのみならず、彼の思想の実践の記録として高く評価されている。他方、ドイツの哲学者であるハイデッガー Martin Heidegger (1889―1976)は、周知の如くそのナチスとの関わりがしばしば断罪されている。しかし、そのような両者について、フランクルの精神分析の方法がハイデッガーの影響を受けているとも指摘されている。
 もちろん、フランクルが実存的精神分析を標榜している以上、両者に何らかの関係が見いだせるのは当然である。ここで重要なのは、比較によって両者の思想をともに明晰にすることである。その点から、両者の思想を内的に関連付けるのがここでの目的である。フランクルへの思想的影響に関する実証的探求ではないことを断わっておく。
 フランクルの『夜と霧』に見られる思想は、そこで起こった事実を通して読まれるとき、強い説得力をもつ。しかし、ここではこの著作が既に読まれていることを前提とする。「創造的及び享受的生活は囚人にはとっくに閉ざされている。しかし、創造的及び享受的生活ばかりが意味をもっているわけではなく、生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死もそうである。苦難と死は人間の実存を初めて一つの全体にするのである!一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命とそれが彼に課する苦悩とを自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち、人間が彼の苦悩を彼の十字架としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれているのである」(霜山徳繭訳・みすず書房、傍線は私)。言うまでもないが、ここで「創造的」という言葉は狭義の、常識的な意味で使われている。問題はまさに、いつ如何なる時も、人は「生命を有意義に形づくる豊かな可能性」に開かれていること、その意味では“創造的”であるという点にある。下線部には、死の自覚を通してはじめて本来的に実存するという、ハイデッガーの立場の直接的な反響が見られる。が、これは一つの傍証の類にすぎない。
 もっと一気にフランクルの思想の核心部からはじめよう。「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない」(同上、傍線は私)。ここに、彼の思想の一切が表現されているといっても過言ではない。つまり、私たちが求めてやまない「意味」というもの。その一切(つまり、「意味の意味」)、それは<私たちに何が求められているのか>ということなのであり、それに行為で応えていくことなのである。したがってまた、意味とは、自由、創造のことでもある。
<10.19のブログに書いたことを、もう一度ここに載せておく。>
 『夜と霧』の作者・フランクル(1905~97年)は、ユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に送られ、家族はみな殺されている。奴隷労働の果ての死、さらに、死体まで凌辱される(髪の毛や金歯などすべて利用される)極限状況の中、人生の意味とは何か。フランクルは一つの答えを見出す。「人生に何が期待できるか?」という問い、そこに最初から人生の意味はない。人生が私に対して「何ができるのか?」と問うているのだ。人間に、「できる」事がある限り、それが人生の意味だ。ただし、誤解してはいけない。それは、何かのために簡単に命を懸けるという話ではない。フランクルは、収容所で「強く生き抜いたのは」、そのような生き方をした人々だと述べている。人生に期待しかしない人々は、すぐ絶望して死んでいった。戦争が終わった後でさえ、絶望して自殺する者があった。フランクル自身は、生き残った自分に何ができるかを自分に問いかけた。再婚し、国の再建に尽くし、人類のために自らの体験を本に書き、精神科医として社会に貢献し続けた。
<この本の内容で、記憶に残っていることを付け加えておく。>
 戦争末期に、収容所内にあるうわさが流れる。×月×日にアメリカ軍がここにやって来る、というもので、人々は希望を取り戻し、生きる気力がわいてくる。しかし、精神科医フランクルは、一人、不安を覚えずにはいられなかった。そして、その日がやってきた。アメリカ軍は来なかった。翌日から、多くの方が力尽きて亡くなってしまった。こんな過酷な毎日において、フランクルは精神の輝きを数多く目撃する。自分のパンを残して、弱った人に分け与えている人々がいたのだ。

 こうしたフランクルの言葉と実践に対し、ハイデッガーの思想はどう関係するのか。

 ここでは、余り理論的な問題には首を突っ込まないことにする。しかし、現象学的世界観がドイツ観念論とさほど隔たっていないことだけは指摘しておきたい。現象学者のよく用いる「前-人称的」にせよ、「根源的信念」にせよ、「人称的」なものや「信念」との差異が明確ではないがゆえに、容易に汎神論的世界に回帰していく。いわゆる「カッコに入れ」たものは亡霊のように復活してくる。特に、メルロ=ポンティではその傾向が強く、物質を単に文化上のものとし、絵画的で詩的な世界観を根底に置く。木田元氏のハイデッガー解釈も同様である。しかし、そのような絵画的視像こそは、社会的財産たる文化的なもの、まさに「神話」であり、非本来的なものといえよう。ニーテェが系譜学的に明らかにした、繰り返し息を吹き返す神の一亜種ではないのか。さらに言えば、ロカンタンが唾棄した、市長室に飾られた肖像画の類ではないのか。私は、ハイデッガーの「本来性」はこの傾向にブレーキをかけていると見る。真に実存を開示する感情は「安住」ではなく、どこまでも「不安」である。メルロ=ポンティの「意味の揺籃」は、ハイデッガーの立場では(ベルクソン流に言うなら)回顧的錯覚である(「ひと」一般は、ベルクソンとハイデッガーでは、プラグマティックな一般性の次元に置かれる)。とはいえ、ハイデッガーを規定する現象学的方法論とベルクソンの方法論とのすれ違いは埋まらない。両者の共通点と食い違いはかなり複雑で、繊細に正確に解きほぐさなければならない。が、この問題にはここでは触れない。
 たとい、日々を世間話に明け暮れる惰性的な人生や、世間的向上心のみに生きる俗物であっても、(本来は創造的であるべき)実存的選択による世界を(非本来的な仕方で)生きている。サルトルの言うように、自然に流れる時間はこれっぽっちも存在していない。行動する「実存(自由)にとっての」世界を誰もが生きている。無意識にであれ、実存によるその切り開きと一対の世界が、意味という限りの意味のすべてであり、時間の本性は「将来する」ことにある。このような実存にとって、死(世界=内=存在しなくなること)は、実存にとっての意味の限界である。それは<実存する(実存しない)ことの意味を描くこと>の無意味さを示す。が、実存の無意味さではない。実存することにしか意味がないのだ。こうして、「実存にとっての意味ということ」の意味が最終的確認を得る。つまり、ハイデッガーにとっての現象学的な意味での「死」は、そもそも、実存がその純粋な姿に自覚的に立ち返ることである。実存的意味、それは、描かれた意味たる、誰でもよい「人」にとって意味があること、辞書的既定的なものではない。ただ一人の私に向かって投げかけられた問いに、自己に与えられた能力の全てをあげて(共闘への呼び掛けも含めて)ただ一人で応答していくこと、それが、およそ世界=内=存在にとっての意味という限りの意味のすべてなのだ。こうした呼びかけと応答は、潜在的行動の段階で「良心の呼び声」といえよう。他でもなくこの私に課された意味を創出することが自由であり、意味である。是か非かを言うのはヒトである。実存とは、一人神に向かう覚悟と言い換えられるかもしれない。採点を待つのではない。行動で答えるのはこちらであり、あえて言えば、言葉ではなく、その人に実感されるがままの人生そのものがその答えだ。人生は究極の贈与だ。○も×もないが、そんな軽いものではない。



  1. 2012/12/29(土) 19:17:15|
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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