どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

渋染一揆(岡山市・瀬戸内市・備前市)

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 1856年、岡山藩で起こった渋染一揆は、かなり有名です。1855年、岡山藩はペリー来航以来、藩財政が逼迫していることを理由に、領民に29 か条の「御触(倹約令)」を出しましたが、その最後の五つの条文でえた・非人身分に対する特に厳しい「倹約?」(というべきか、差別待遇によって一般農民との分断と、農民に「そこまで言われなくてよかった」感を持たせるための条文というべきか)を押しつけました。
 岡山県の資料をお借りすると、「着るものは、無紋・渋染・藍染に限る。百姓に会うとき、はだしであいさつをしなければならない」などです。これに反発して強訴が起こったのです。
 写真は、最初に「嘆願書」をつくるために集まった岡山市の常福寺です。しかし、この嘆願書はつき返されました。

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 この写真は以前にも紹介しました。岡山藩筆頭家老伊木家に強訴することが決まり、1856年6月13日夜半~14日にかけて、ここ八日市河原(瀬戸内市・福岡城跡)に数千人が集まり、午後3時ごろ、家老の陣屋のある備前市の虫明に向かいました。

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 今の備前市に入り、この辺りで、伊木家の軍勢に行く手を阻まれました。

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 八反峠を越えると家老の陣屋ですが、峠の手前を西に下ったあたりです。ここで野営しました。

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 翌15日にかけて、伊木勢の陣取った佐山村榎塚で交渉が行われました。

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 「渋染一揆対決の地」の石碑。ここで「嘆願書」を受け取らせ、善処を約束させました。
 しかし、たいていの一揆の場合と同様、「嘆願書」の内容は認められましたが、のちに首謀者が囚われました。その後、赦免を願う嘆願書が出され、1859年に、残る5名が釈放されましたが、すでに6名が獄中で亡くなっていました。

 一般に江戸時代の「一揆」は、初期を除き、武器を持たない整然とした強訴でした。特に指導者は、死を覚悟していました。





  1. 2013/01/30(水) 11:55:18|
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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