どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

岡山県の白鳳期廃寺

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 笠岡市の関戸廃寺・塔の心礎(心柱の礎石)です。白鳳時代(だいたい7C後半~710年)から平安時代末期まで存続しました。完全に田んぼの中で、隣に箱庭的な公園?があります。
 この近くには、かつての軽便鉄道・新山駅舎を保存した、井笠鉄道記念館があります。私が行った時には最後の駅長さんが館長をされていました。また、紹介したいと思っています。

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 乙巳(いっし)の変後、大化の改新という政治刷新が始まりました。645年に孝徳天皇の名で、諸国の豪族に寺院建築を奨励する詔が出されました。

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 倉敷市真備町の岡田廃寺です。ここは本当に分かりづらいです。地元住民の方に尋ねながら探すしかありません。いまは、マダニが恐くて近寄れないかも…。
 こちらの近くには、すでに紹介した横溝正史疎開宅などがあります。

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 この説明板以外に何もなく、そっとして置かれています。蓮華文の瓦が何種類か出土し、花弁の数が8弁のものは白鳳時代末、16弁のものは奈良時代のころらしいです。

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 倉敷市日畑の日畑(ひばた)廃寺です。遺跡がどれなのかよく分かりません。ここも探索が難航します。倉敷市がんばって!(ただし、貝塚をはじめ、他の史跡はとても場所が分かりやすく、また、市のHPの充実度はAクラスです。ランク付けしたことないですが…。)

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 場所は、楯築(たてつき)墳丘墓(以前紹介した、弥生時代では日本最大の墓)と、王墓山古墳群という古墳密集地帯の間にあります。歴史のある有力豪族が寺院をつくったと思われます。

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 総社市南溝手の栢寺(かやでら)廃寺です。近くに真新しい岡山県立大学があります。四角い部分が塔礎石を復元したものです。

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 ただ、心礎は石塔の土台にされています。

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 2008年に近辺の道路工事に際し、大量の瓦が見つかり、文字の書かれたものが2点ありました。「評(こおり)」という文字もありました。701年の大宝律令で「国」の下の行政単位とされた「郡(こおり)」は、それ以前は「評」と書かれていたことが分かっています。評(郡)の長にはその地方の有力豪族が任命されており、この寺をつくった有力豪族の館や評(郡)の役所などがあったと思われます。

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 総社市秦の秦(はだ)廃寺です。巨大な心礎と、その右にも礎石を横にして台に使っています。

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 飛鳥時代(だいたい7C前半)にさかのぼるといわれ、岡山県最古です。

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 でかっ。岡山市中区赤田の幡多(はた)廃寺の塔心礎です。

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 近くの賞田廃寺などとともに、有力豪族・上道(かみつみち)氏の氏寺であろうといわれています。上道氏は5Cに造山古墳(全国第4位の大きさ)や作山古墳(全国第9位)をつくった一族です。

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 岡山市中区賞田の賞田(しょうだ)廃寺です。備前国府跡といわれる場所が近くにあります。

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 広大な史跡がよく整備されています。初めて見に行ったときには、草ぼうぼうでした。近くの人に伺うと、草の中を探せば礎石が見つかると言われ、コワゴワと草むらに足を踏み入れると、ウンチの臭いが鼻をつき、さらに、あちこちで草がガサガサーッ、ガサガサーッというので、思わず脱出しました。車に戻っていると、大きな犬が3匹出てきてビックリ。危うく行方知れずになるところでした。こんなに整備していただき、ありがたや・ありがたや。
 余談。寺院建築・仏教が大王(→天皇)を中心とする国家統一の思想的バックボーンだったことは教科書にあるとおりです。聖徳太子の頃の、蘇我VS物部の崇仏論争は有名です。その後も仏教は、奈良時代では鎮護国家を担い、平安時代になっても密教、浄土教などが影響力を持ちました。神様は本地垂迹(ほんじすいじゃく、仏様の仮の姿)という地位でした。武家政権においては禅宗が政府に庇護されました。江戸時代になると幕府は仏教も神道(吉田家を本所)も統制下に置きました。 


  1. 2013/02/20(水) 19:52:17|
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丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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