どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

田宮坊太郎の墓

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 金毘羅へと向かう丸亀街道が始まってすぐ、南条町に立つ「田宮坊太郎の墓」を案内する道標。これを見た旅人の胸の高鳴りや、「おおっ!これだゼッ!」、「ほんに、ほんに」という声が聞こえてきそう。歴史を今に伝える遺物をアスファルトに沈めてはいけません。

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 そして、これが玄要寺内にある坊太郎の墓(正面奥)。昭和13年の『丸亀商工案内』によると、浄瑠璃や大衆小説、講談、演劇などでおなじみの話で、始まりは寛永2年、生駒氏時代に山北八幡宮の改築があった際のこと。足軽・田宮源八が藩士・堀源太左衛門に惨殺された。源八の妻ツジは妊娠中であったが、翌年、坊太郎が生まれた。大きくなった坊太郎は父のことを聞き、敵討ちを決意。江戸で柳生流を学び、17歳のとき、父の亡くなった八幡宮馬場先で敵を討った。-(以上、要約)と述べ、名物「坊太郎餅」を紹介している。このころまでは、全国区な話であり続けたのでしょう。残念ながら、私自身はそのようなお菓子の幻にも出会ったことがない。

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 実は、玄要寺は京極氏の菩提寺で、地元を愛した名君6代・高朗(たかあきら)さんの墓所があることで有名。歴代藩主で唯一丸亀にお墓がある。以前紹介した、団扇の生産や庶民に開放した敬止堂設立のほか、歴史書『西讃府志』の編纂など、多くの治績を残した。ちなみに、『西讃府志』によると、田宮坊太郎の話は史実かどうか不明。今では、ほぼ講談話といわれている。

 ついでに、以前紹介した尼崎里也さんの敵討ちは正真正銘の史実ですが、『西讃府志』から、仇討場面とその後を要約します。里也さんが伝内の脇腹に切りかかると、伝内はこれを払って切りかかる。里也さんは身軽にこれを受け流し、左肩先に切りつけて伝内を負傷させた。これで「タヂタヂ」となった伝内に対し、すかさず、「大袈裟に乳の下まで」切りこんで、「アッ」とうつ伏したところへ乗りかかって、「静かに首をかきおとし」た。そのあと、検使に礼をして、泣きながら帰って行った。のち、召し出して姫君に仕えさせ、名を永井と改め、永井の局と呼んだとある。
  1. 2012/08/06(月) 20:39:57|
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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