
総社市の北部は西へ高梁川をまたいで倉敷市の上に乗っかる形になっている。そこに、西明寺があります。

このお寺の裏に、六蔵さん・甚右衛門さん・喜惣次さんのお墓があります(総社市重要文化財)。

江戸時代この辺りは、新本村といい、岡田藩(伊東氏)の領地でした。城をもたない小さな藩です。岡田藩は農民の入会地(共有地)を藩のものにしてしまいました(「お留山」)。しかも、享保元年(1716年)には、そこの木を切って運ぶことを農民に命じました。生活に困った農民は4人の代表を選んで、江戸にいた伊東長救(ながひら)という殿様に直訴しました。願いは聞き届けられ、山林は農民のもとに返ってきました。しかし、こうしたやり方が江戸時代の通常ですが、その後、リーダーの4人は処刑され、家族も追放されてしまいました。

村民が彼らを神として祭った義民社です。お寺の住職さんから教えていただき、見てきました。寺の敷地をずーっと歩いて行きなされって感じで指差された方へ、なにげに歩いてここに出ました。しかし、後ろを振り返ってびっくり。小学校の敷地内ではありませんか(新本小学校)。いまどき、黙って小学校の敷地なんかに侵入したら、不審者情報に載せられかねません…。

彼らが処刑された新本川のほとりに立つ、犬養毅さんの題字による義民碑です。

岡田藩・陣屋跡に残る囲炉裏跡です。こちらは岡田小学校の敷地内です。もちろん、事前に電話で許可を得ています。

囲炉裏のことは知っていたのですが、井戸のことは知りませんでした。休日出勤でいらっしゃったやさしげな先生が、親切に教えてくださいました。ラッキーでした。余計な心配ですが、二つの小学校は仲がいいんでしょうか。
農民一揆のことを知るには、藤沢周平の『義民が駆ける』をお勧めします。これを読んで、農民のほうがよほど頭がよくて勇気もあるし、高潔な人格者だと思いました。
- 2013/03/22(金) 21:34:01|
- 史跡・文化財など
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