どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

『精神のエネルギー』(平凡社2012.2.10原章二訳)~最近見つけた誤訳

『精神のエネルギー』(平凡社2012.2.10原章二訳)~最近見つけた誤訳

 ブログの最後に書いてある事情のため、そう厳密に読んでいるわけではありません。寝る前、寝転がって読んでいます。全般的に、非常にいい訳だと思います。ところがある日、147頁の中ごろ(「夢」という表題の講演)を読んでいて、意味が通じなくなり、そのうち睡魔に襲われて寝てしまいました。原文はMÉLANGES(ベルクソン思想はŒUVRESとMÉLANGESという2種類の全集に納められています。前者が主要な著作集で、後者はそれ以外の選集です)に納められています。MÉLANGESはいま絶版なので、大学などの図書館で読むか借りるかしなければなりません。
 問題の個所は、ある心理学的事実について書いてある部分。新聞などを読んでいるとき、人はほとんど字を見ていないという実験です。文を読む人は、全体的印象というか、特徴的印象をつかんで、視線はさーっと文字を通り越します。いちいち形を正確に認識していては、文を読むことができません。実験では、ある語句を書いたプレートを瞬間(実験的に確認された、読みとれる最低限の瞬間)だけ見せて、何が書いてあったかを被験者に言わせるものです。ところが、その実験にはイジワルな仕掛けがしてあります。たとえば、「入場を個く禁じる」とか。こういうプレートを次から次へと見せるのですが、困ったことに被験者は“ちゃんと”読んでしまうのです、「入場を固く禁じる」などと。そこでベルクソンはこう言うのです。「被験者が見たのは、書いてある文字と同程度かそれ以上に記憶だったのです」と。メルロ=ポンティなどの現象学派も、こうした事象を取り上げています。

 問題の個所へいきます。原さんの訳です―「それは記憶を無意識の外に出して現実化すること、単に思い出されただけで、したがってまだ現実のものではない知覚を外在化してやることなのです。そうした知覚は部分的な現実化の手がかりをあちこちで見つけては、全面的な自己実現を図るのです」。
 寝床で読んでいて、最初に、何だこりゃ?と思ったのは、「記憶を無意識の外に出して現実化する」のすぐ次に、「したがって」として「まだ現実のものではない知覚を外在化してやる」と出てきます。へ?「記憶」じゃなかったの?「知覚」?…読み返すうちに睡魔…。

 さて、原文。
c’est une extériorisation de souvenirs,qui profitent,en quelque sorte,de la réalisation partielle qu’ils trouvent ça et là pour se réaliser complètement.

 「びっくり!」としか言いようがありません。そもそも、「知覚」という単語はもとより、「無意識の外に出して」「単に思い出されただけで」「したがってまだ現実のものではない」に相当する語句がどこにも無いのです!!!!???? 主題が「夢」なだけに、この訳者は夢でも見ていたのでしょうか??? 不可解千万。

 私の訳
 それは諸々の記憶を外に出してやることです。記憶たちは、いわば、〔知覚によって〕部分的に実現されたものを、あちこちで見つけてはこれを利用し、自己実現をやり遂げるのです

 そうとしか読めませんし、これで十分に前後の意味が通じます。〔 〕内は、先の文章をちゃんと読んでいれば無くても理解できますが、分かり易くするために補足してみました。最後のcomplètement「完全に」の意味は「やり遂げる」に込めました。ベルクソンが斜体字にしている理由は、ここですっかり自己実現されるのは知覚ではなく(知覚は部分的にしかなされない)、記憶だと言いたいからです。また、en quelque sorte「いわば」を斜体字で強調しているのは、「こんなふうに言うことが可能なら」と但し書きをしているのです。記憶は、一方では、個々の人生、人格として、動的全体として、現在のこの瞬間に向かう(さらに未来へと向かう)、(表象ではなく)“生き方”として姿を現しているが、他方で、個別的記憶については、どれをどの次元で(たとえば、水泳という言葉、泳ぎ方の記憶、ある日の海水浴での思い出、etc.)蘇生すべきかを決めるのは、現在、あるいは、現在を生きる身体、今の関心であり、これが、現実化しようとする膨大な記憶に対し、「有用なもの」しか通れない狭き門を設定するからです。この実験の場合、プレートを読もうとする姿勢が、おそらく全体の数十%の知覚された断片的要素と近親関係のある、特定の文字の配列からなる一つの語句の記憶を呼び起こすのです。もちろん、呼び出された記憶の周りには、そのとき「ここから連想される言葉を言ってください」と言われたら、おそらく、すぐ出てくる語句の記憶たちが、わさわさと集まっているのをどこかで感じていると思います。しかし、昨日の友人がおもしろかったなどという記憶は完全に無意識の底でしょう。
 身体が眠りにつくとき、「関心」という、記憶を制限する門が全開になります。眠っている時も、我々と外界との関係は保たれていて、ぼんやりとした印象(瞼の光、体内の感覚、音、触覚、手足の動き…等々の曖昧な印象)をもっています。そして、「関心」の不在は他方で、それらの知覚を絞り込むこともない状態を招いています。曖昧な夥しい印象を意義づけるべく、あらゆる記憶が(大きく開かれた門を通って)飛びかかって来ます。さらに、脈絡のない記憶のつらなりに、緩んだ知性が緩んだ脈絡をつけようとしますが、不条理は増大します。これが夢です。
(注)もちろん、実験とは逆に、本を読むとき、正しい語句に、誤った記憶が置き換わることもあります。それは広い意味で、その人の現在の関心を反映した読み間違えでしょう。知覚が不完全だからこそ、呼び出される記憶がその人の関心を反映しうるといえます。「注意」によって知覚の正確化を行う行為は、これとは別に説明されねばなりませんが、今回のテーマではありません。

 原さんは全体的にいい訳してるなーと思っていただけに、がっかりしました。こんな訳、本人も意味が分かってないはずなのです。指導的立場にある方々が、「ま、いいや、どうせ分かるものか」と平然とそんなものをポイっと出してしまういい加減さ。哲学は、自ら哲学することにしか意味がないもの。自分が納得すること(少なくとも、その努力)抜きに成立しないもの。哲学に対する裏切りです。功績が客観的に検証される理系では考えられないことが、文系ではまかり通ります。ちなみに、この箇所、以前にやり玉に挙げた(『思考と運動』「序論」―ほぼ全ページに誤訳あり)宇波彰さんの訳(『精神のエネルギー』レグルス文庫)を確認したところ、なぜか似たような感じの、不可解なものだったことを付け加えておきます。

ついでに、以前、宇波さんを批判した際に取り上げた『思考と運動』ですが、『思考と動き』(平凡社2013.4.12)という名で、新しい訳が出ました。図書館で立ち読みした所、以前私が指摘した(カテゴリ「哲学する」2012.9.22のブログ)誤訳2か所のうち、2番目のものが直されてました。ご覧になれば、私の指摘した通りだったことが確認できると思います。自慢しているのではありません。無名の人間の悲しさです。本当は、こんな仕方で自分の正当性を主張したくありません。権威主義的な人々を説得するためです。この部分は、難しい哲学的なことを述べているのではないので、誰が見ても、日本語としてどれが正解かが歴然としています。裏を返せば、その程度の誤りに気付かない方々が、日本の哲学界では尊敬されているのです。ちなみに、私の指摘しておいたもう一か所は、今回の新訳でも全く変わっていませんでした。どちらが日本語として本当に意味が通じているか、考えていただけるとありがたいです。

 いつか、ベルクソンの著書を私なりに訳したいと思っています。しかし、今は、ベルクソンが平易に感じられるような難解な本の読解にトライ中で、全く余裕がありません。その本は数年前、大学生時代の恩師から勧められたもので、すごく刺激的で、思索を深めてくれます。それをきちんと日本語に置き換えていっています。そうしないと、やはり、読みが浅くなるからです。すべて翻訳するのに、あと最短で1年半はかかります。読み切るだけでも価値のあるものです。

<補足>
 夢に関する分析だけを見ていると、哲学ってやっぱり怪しいなあ、という印象をもたれた方もあると思います。おそらく、これを読んでくださっている方々の大半は、哲学門外漢だと思います。そういう方々に向けた、思い切った言い方をすれば、夢の分析はベルクソンにとってオマケ的なものにすぎません。もう少し、厳密に言うなら、彼の議論の構成要素における、最も蓋然的な表現しかできない一方の極を表示するものです。
 もし、ベルクソンを実際に読む機会があれば、自然科学分野の(当時最先端の)知見にあふれているのを見出すでしょう。『物質と記憶』には、失語症理論を中心とする精神病理学や心理学、生理学などの理論や実験が豊富にちりばめられています。当時、有力視されていたある理論について、その根拠となる解剖学的所見に誤りがあることをベルクソンが初めて発見したものがあるぐらい、科学者ベルクソン(彼は学生時代に数学者として将来を嘱望されていました)の観察力・分析力は侮れません。
 また、アメリカのW.ジェームズとたびたび書簡を交わし、互いに尊敬していたことはよく知られていますが、ベルクソンの理論はプラグマティズムと完全に整合性をもっています。その形而上学的視野のうちに、矛盾なくきれいに収まっています。実は、夢の分析を支えている記憶理論は、その核心部に行動の観点を置いています。巷にあふれるベルクソン関連の書物で、こうした観点を前面に据えていないものはすべて、理解の浅いものです。『物質と記憶』のなかでベルクソンは、プラグマティックな観点から、実念論と唯名論という古くからある形而上学的問題をあっさり解いています。
 最後に、ベルクソンの講演「夢」は、そもそも知覚と精神(記憶)との関係に軸足を据えています。しかし、知覚には、「純粋知覚」という物質的“側面”があります。いつか機会があれば、触れるかもしれません。


  1. 2013/10/20(日) 10:33:25|
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J'ai ouvert les yeux.

フランス語 ようやく過去形の章に入りました。
だんだんむずかしくなって来て 棒を折りそうです。
もう二年にもなるのに、、、足踏み状態から抜けられません。でも フランス語の耳心地?が癖になってやめられないのです。先生はせぇがないことでしょう。

ベルクソン 難解そうですね。前述の方の翻訳だと日本語として意味が通じないようですが、犬の知人さんの訳も哲学の知識がないと ん?ってかんじです。
何度か読んでいると なんか分かって来るような気にはなるところがありますが。(変な表現ですね)

以前 ご紹介いただいた讃州堂さん 行ってきました。 
おっしゃるとおりの がいにすごげ!なとこでした。
また 半日覚悟で行きたいです。ああ、散財も覚悟しないと、、。

出版なさるんですね。うんとがんばってください。



  1. 2013/10/28(月) 14:59:22 |
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  3. かこのはな #-
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Re: J'ai ouvert les yeux.

①フランス語、がんばってください。会話の得意な人は、どんどん力がついていくと思います。
私は、ずいぶん昔に2級に受かって以来、そこで止まっています。外国語を昔ならった人間の典型で、音で理解したり、反応することが苦手だからです。そういう力を伸ばしたいのですが、全然、進歩がありません…。
②讃州堂さんにお得意様が増え、うれしい限りです。 
③実は、「出版」できたらいいなあという気持ちがあります。書いてなかったのに、よくお分かりなりましたねえ。びっくりです。しかし、現実はどうでしょうか。ベルクソンでさえ、世間的には難解なのに、それに輪をかけて難しい本なんて、まず、無名の人間が理解してもらえるか否か、自信がありません。私にそれを読むよう勧めてくださった先生ご自身が、「最高に難解なレベル」と嘆いていた本で、その先生も退官されました…。また、別の教授も、絶対売れない本の上、著者が生きているので、お金の面でも出版はかなり困難だろうと言ってましたので…。
 でも、励ましてくださり、本当にありがとうございます。がんばります。


  1. 2013/10/28(月) 21:19:18 |
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  3. 犬の知人 #-
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J'ai reve. eのうえに^を付けたい

早速のレスポンス ありがとうございます。

①ありがとうございます。いつの日か現地で使う気持ちでがんばります。二級合格なんですね、、尊敬いたします。先生がフランス人なので 聞き取りはまだましなんですが、、
②年中無休(元日のみお休み)とお聞きしました。並大抵ではできないことです。ふらりと寄ってもいつも開いているのはありがたいですね、次回は古地図を探そうと思っています。

③てっきり出版を前提に翻訳されるのかと、、せっかくなのでぜひ、ぜひ。
サルトルとボーボワールのようなモデルが日本にも出現すると もしかして哲学が身近になり 破綻した日本語は白日の元にさらされ、果ては犬の知人さんの著作物も注目されるようなことになれば c'est magnifiqueですね。キンドルという手もあります。ただで翻訳となれば 話はすすむかもです。乱文お許しください。

ps.県下の秋祭り たくさん拝見いたしました。ありがとうございました。
  1. 2013/10/29(火) 16:11:59 |
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  3. かこのはな #-
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Re: J'ai reve. eのうえに^を付けたい

 聞きとり・会話ができるというのが、一番だと思います。あとは、知識を増やすだけですから。実際に話ができれば、知識も繰り返すことで身につくので大丈夫です。私は頭でっかちでダメです。関係あるか否か分かりませんが、ワープロもまず文字の位置を暗記してから始めたり、自動車の免許を取得するのに実技に半年かかったりと、どうも、からだで覚えるのが苦手のようです。
 関係ない話ですが、倉敷美観地区の楠戸家は、サルトルとボーボワールが訪れていて、写真が飾られています。私が学生時代にサルトルが亡くなりました。大学にサルトルがご専門の教授がいたせいで、一時期、はまっていたので、感慨深いものがありました。この年は、年末にジョン・レノンが亡くなり、大ショックでした。うれしはずかし青春の日々が、思い出されます…。
 いつも見てくださり、ありがとうございます。
  1. 2013/10/29(火) 21:42:13 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
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へぇ~ボタン!!

サルトルとボーボワールが美観地区を訪れていたのですか、、、へぇ~ですね!楠戸家要チェックですね。
人も多いけど 紅葉の美観地区は格別ですし。


  1. 2013/10/29(火) 23:58:52 |
  2. URL |
  3. かこのはな #-
  4. [ 編集 ]

へぇ~ボタン!!いただきました。

 楠戸家=はしまや呉服店です。HPがあります。
 もう見られたかも知れませんが、大橋家住宅(国指定重要文化財)などが見ごたえがあります。両方とも、人通りの多い場所から少し離れていた気がします。

  1. 2013/10/30(水) 17:35:37 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
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誤訳の指摘について

邦訳に関する記事、拝読しました。

確かに、ベルクソンは他の哲学者・思想家に比して訳に恵まれていないところがあります。これは仰るとおりだと思います。

ただ、平凡社の訳に関しては、いくつか誤解があるように感じたので指摘させてください。

まず、『精神のエネルギー』の底本はウーヴルであって、メランジュではありません(カドリージュ版の頁数が振ってあるのになぜわざわざメランジュを参照されたのでしょうか)。そして該当箇所には異同があり、ウーヴルの方にはメランジュにない単語(知覚、思い出された、非現実的等)が登場しています。もっとも「無意識」は当該のセンテンス自体には登場しませんが、少し前に形容詞的に使われている語ですし、単に「記憶の外化」とした場合の分かりにくさを配慮した敷衍でしょう(最後の点に関しては、いやいやと疑問が残るかもしれませんが、これは訳そのものの問題というより解釈ないし翻訳のスタイルの問題ではないでしょうか)。

次に、『思考と動き』について、bien を利益と読みたいという趣旨だったかと思いますが、これについてはまずは、vouloir du bien à 〜 の成句ではないかと検討をつけるのが普通ではないでしょうか?そしてなにより、ベルクソンが「利益」というとき、用いられる語は intérêt であって、bien ではないはずです。

もちろん探せば誤訳は見つかるかもしれません。完全な翻訳などというものはあり得ないのですから。これは原先生自身、『思考と動き』の訳者あとがきで述べられていることですし、原典の頁数が添えられているのもそうしたお考えがあってのことでしょう。

「こんな訳、本人も意味が分かってないはずなのです。指導的立場にある方々が、「ま、いいや、どうせ分かるものか」と平然とそんなものをポイっと出してしまういい加減さ。哲学は、自ら哲学することにしか意味がないもの。自分が納得すること(少なくとも、その努力)抜きに成立しないもの。哲学に対する裏切りです。功績が客観的に検証される理系では考えられないことが、文系ではまかり通ります。」

たしかに、残念ながらこういった非難がそのまま当てはまる人は数多くいらっしゃると思います。私も実際そうした人を何人か知っています。しかしながら、これらの邦訳や書かれたものを読む限り(私は実際にお会いして指導を受けたことがあるわけではありません)、原先生はこのような非難から一番遠いところにいる方のように思います。

以上、長くなりましたが、ベルクソンの一読者として、原典で読まれている方がいらっしゃることを嬉しく思うとともに、だからこそ残念に思うところがあったので指摘させて頂きました。誤訳の存在は、権威主義的な人からすれば、無視したい問題だと思います。しかし、まともな研究者・翻訳家であれば、誤訳の指摘があれば(増刷・復刊の機会などに)訂正するでしょうし、こうした場で告発するよりも、出版社に直接指摘する方が生産的ではないでしょうか?
  1. 2013/11/17(日) 06:30:10 |
  2. URL |
  3. Occasion #-
  4. [ 編集 ]

ありがとうございます。

 これまで哲学研究とは全く縁のない仕事をし、人生を引退した名もなき者の個人的趣味(読んでくださる方もかなり少ない)に対し、これだけ真剣な指摘が頂け、光栄です。本格的に研究されている方とお見受けいたしました。まずは、お礼を申し上げます。
 人生のいろいろな事情から、精神的にもくじけそうな日々を送っています。たくさんの写真からは想像もつかないでしょうが、なんとか精神のバランスを保とうとしています。そんな中、現在、残りの人生を意義あるものにしたいと、相当困難な翻訳(ベルクソンの著書ではありません)にトライしています。ご指摘のか所につきましては、必ず、改めてお答えをしますので、猶予を戴きたいと思います。
 すぐ書けることをまず、書きます。「こうした場で告発するよりも、出版社に直接指摘する方が生産的ではないでしょうか?」ということですが、まず、研究者でもない一読者の見解など出版社が相手しません。このブログ自体、現実に「告発」になっているとは思ってもいません。そもそも見てくださる方が少数の上、哲学に関することは、残念ながら一人相撲で、これまでほとんど何の反響もございません。「こうした場で」とおっしゃいますが、誰もが「この人はこう考えているんだなー」という前提で見るだけの個人のブログです。もちろん、個人の場であっても、誹謗中傷はゆるされないと思いますが、私としては真面目に書いております。私の批判をちゃんと受け止めてくださって、反論していただければ、こんな光栄なことはありません。真剣に検討し、自分のためにも、間違っていれば、訂正します。
 「なぜわざわざメランジュを参照されたのでしょうか」。それだけ、私がベルクソン研究者ではないというだけの話です。あなたほど詳しくありません。以前述べましたように、私が原書で読んだのは、『試論』と『物質と記憶』、そして、『思考と運動』の「序論」だけです。まず、その程度の奴だということです。これは、はっきりと断っております。実は、最近、「寝転がって」原さんの本の続きを読み、版が違うのを知って、「しまった」と思ったところです。あなたのご指摘を受け、『精神のエネルギー』自体が、ウーヴルの方に入っていたのに、「夢」がなんでメランジュにしか入っていないと思い込んだのか、ほんとに不思議に思いました。バカです(実はいま翻訳している本に、メランジュからの引用があり、それ読んでいるときだったので、つられたようです)。少なくとも、このか所に関しては、なるべく早めに、訂正文を出します。ただ、意味の分からないことは書けないので、ウーヴルの方の意味を考える時間が必要です。あなたのお力が借りられたら、もし、教えていただけたら、こんな嬉しいことはありません。
 『思考と運動』「序論」に触れたとき、「vouloir du bien à 〜 の成句」は検討しました。なぜ、それを退けたのか、見直します。これも、お待ちください。「ベルクソンが利益というとき、用いられる語は intérêt」ということまでご存知のあなたは、研究者の方ですか?もし、私同様、在野で熱心に研究されている方なら、今後、やり取りができれば嬉しいなと思います。

 「たしかに、残念ながらこういった非難がそのまま当てはまる人は数多くいらっしゃると思います。私も実際そうした人を何人か知っています。しかしながら、これらの邦訳や書かれたものを読む限り(私は実際にお会いして指導を受けたことがあるわけではありません)、原先生はこのような非難から一番遠いところにいる方のように思います」。→以前のことがあったので、つい言いすぎたようです。ましてや、今回、こちらの勘違いであってみれば。

 誤訳を取り上げたのは、私の文を読んでくだされば分かっていただけるはずですが、これをキッカケにベルクソンの考えを紹介したかったということです。誤訳を指摘したいだけなら、直接関係ないことをわざわざ書きません。とりあげた文章からすれば、相当広げた内容を解説しています。なるべく簡潔でやさしく書くことに苦心しました。もちろん、その内容に根拠あるご批判が寄せられれば、それは望むところです(あなたであればお分かりでしょうが、ネット上には、意味不明の哲学と称する文章が散乱していますので、めったなことは言えませんが)。

 最後に、取るに足らない市井の中年(老年?)ブログに、本格的な批判を寄せてくださり、大変ありがとうございました。





  1. 2013/11/17(日) 11:12:41 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
  4. [ 編集 ]

こちらこそ、丁寧なお返事ありがとうございます。

まず少しだけ身分を明かしておきますと、私は大学院でベルクソンを中心に哲学を学んでいる者です。ですので、専門家でない方のブログにこうした指摘をするのはかえって失礼にあたるかと思い、躊躇う気持ちもありました。ただ、この投稿はどの訳を購入するか検討中の方を迷わせてしまうのではないか(そして先に書いたように必要以上に訳者の方の印象を悪くしてしまっているのではないか)という思いからコメントに至った次第です。

また、このブログに辿りついたのは、最近出たベルクソンの訳の評判をGoogleで調べていた際に、「ベルクソン 誤訳」で上位にヒットしたためです。なので、『このブログ自体、現実に「告発」になっているとは思ってもいません。そもそも見てくださる方が少数の上、哲学に関することは、残念ながら一人相撲で、これまでほとんど何の反響もございません。「こうした場で」とおっしゃいますが、誰もが「この人はこう考えているんだなー」という前提で見るだけの個人のブログです』とのことですが、例えば「この訳の評判はどうなんだろう?」と、ごく一般の方が覗いた場合、購入を見送ってしまう可能性はある(あった)と思います(私も全然専門と関係のないところではやってしまうことはあります…)。

(続きは次の記事に書きます)
  1. 2013/11/19(火) 13:57:32 |
  2. URL |
  3. Occasion #-
  4. [ 編集 ]

誤訳箇所のご教示,お願い。

拙訳の誤訳箇所、直したいと思いますので具体的に、お教えねがえませんでしょうか。
  1. 2014/04/15(火) 21:04:31 |
  2. URL |
  3. 原章二 #-
  4. [ 編集 ]

Re: 誤訳箇所のご教示,お願い。

 誠に申し訳ございませんが、ご本人様である確認は、どのようにすれば取れますでしょうか。
 有名大学の先生が名もない一庶民のつぶやきに対し、連絡をとられるとは信じられません。
  1. 2014/04/16(水) 12:34:25 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
  4. [ 編集 ]

訂正されていない誤訳箇所について

お手数かけて申し訳ありません。
『精神のエネルギー』宇波彰氏訳で誤訳で、拙訳でも直っていなかったという箇所、いくつかあるとご指摘ですが、今回、訂正できる機会が回ってきましたので直したいと思います。該当箇所、どこであるか、お教えいただけませんでしょうか。
  1. 2014/04/19(土) 11:30:10 |
  2. URL |
  3. 原章二 #-
  4. [ 編集 ]

???

 正直、誰かに担がれている気がしつつも、メール送信したのですが、うまく送信できずにいます。
  1. 2014/04/19(土) 18:49:23 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
  4. [ 編集 ]

誤訳について

メールはなぜか繋がらなかったようですが、お手紙拝受しました。ありがとうございます。詳しくは私の返信でご覧下さい。『精神のエネルギー』でのお取り違えは、どなたか分かりませんが上のメールの指摘で氷解されたことを期待します。いずれにせよ、ご指摘ありがとうございました。このたび再版が出ますので、気がついた2,3の個所の校正ミス・入力ミス等、直しました。読みにくい「原文に忠実」というやつを避けると、翻訳に完成はありません。乞う、御叱正。                                          原拝
  1. 2014/05/11(日) 15:49:58 |
  2. URL |
  3. 原章二 #-
  4. [ 編集 ]

ありがとうございました。

 半信半疑のままお手紙をさし上げましたので、簡略な文で大変失礼しました。
 高名な方の中にも、先生のように気さくかつ誠実な方がいらっしゃることに、驚き、感動しました。この世に生れて、哲学というものに興味を持ったことに、(理屈とは別に)半ば後悔する気持ちがなくもなかったのですが、何か心からこれでよかったのだと思えそうです。
 また、わざわざご返信くださり、ありがとうございます。拝読するのが楽しみです。

  1. 2014/05/11(日) 17:39:46 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
  4. [ 編集 ]

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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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