どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

訂正とお詫び

精神のエネルギー』(平凡社2012.2.10原章二訳)~最近見つけた誤訳に関する訂正

 原さんはメランジュに記載の講演『夢』を訳しているのではなく、ウーヴルの『精神のエネルギー』所収の講演「夢」を訳しているので、誤訳だというのは誤っているというご指摘を受けました。
 本当にボケたことをしてすいません。(ベルクソンの著書ではない)今翻訳中の本に、メランジュからの引用があり、この前後を読んでいるときに、原さんの『精神のエネルギー』を買って読んでいたので、つい、メランジュに入っているやつで確認し、ブログの前置きだったので、よく考えずにメランジュにしか入ってないなどと、ボケたことを書いてしまいました。もともと、本屋で立ち読みして「いいなー」と思って買った本です。『思考と運動』の件で、「ひでーなー」と思っていたので、「またかよ」という予断もありました。ちょっと悪く書きすぎたことも反省しています。以前書きましたように、私が原書で相当じっくり読んだのは、『試論』『物質と記憶』だけで、そのあと、『思考と運動』の「序論」を、2人の方の訳を直しながら、ざっと読んだだけです。といっても、ウーヴルに『精神のエネルギー』が入っているぐらいは知っていたはずなのに、大ボケです。

 さっそく、「夢」という講演を後で補足したバージョン(『精神のエネルギー』所収)を改めて見ましょう。

①メランジュ版
c’est une extériorisation de souvenirs,qui profitent,en quelque sorte,de la réalisation partielle qu’ils trouvent ça et là pour se réaliser complètement.

②ウーヴル版(補足したもの)
c'est une extériorisation de souvenirs, de perceptions simplement remémorées et par conséquent irréelles, lesquelles profitent de la réalisation partielle qu'elles trouvent çà et là pour se réaliser intégralement.

 原さんの訳「それは記憶を無意識の外に出して現実化すること、単に思い出されただけで、したがってまだ現実のものではない知覚を外在化してやることなのです。そうした知覚は部分的な現実化の手がかりをあちこちで見つけては、全面的な自己実現を図るのです」。

 確かに、間違いとは言えません。が、やはり、最初読んでいて、なぜ、引っかかったのかのが、むしろ、これではっきりしました。まず、原さん訳の下線部「無意識の」「現実化すること」は余計。

une extériorisation de souvenirs, de perceptions simplement remémorées et par conséquent irréellesの下線部ですが、記憶内容souvenirsを言い換えただけですね。「単に思い出されただけの、したがって非現実的な知覚、記憶を外に出してやること(「投影すること」でもいい)」。で、次に、補足がはさまれたので、qui(souvenirs記憶)じゃなく、lesquelles(perceptions知覚)が、(あくまでも記憶たる)irréellesな知覚が、部分的に実現されている知覚を見つけて、自己実現するという脈絡ですね。この部分に関しては、真意はメランジュにあるもともとの文章の方が、伝わり易いと思います。のちの補足で、ややこしくなりました。complètementをよりpartielに合わせて、intégralementに直すなど、表現をより正確化していますが、あくまでも補足ですから、意味が変わったわけではありません。
 あらためて、原さんの訳を見ると、「記憶souvenirs」を言い換えた、「非現実的な知覚」を「まだ現実のものではない知覚」としています。「まだ」の意味はないのですが、単に、ケチをつけたいわけではありません。もし、訳者が補うとすれば「もはや現実ではない知覚」でしょう。その辺に、記憶を言い換えて補足しただけという認識が原さんにはないのでは、という疑いを抱かされます。

 これに関するご意見を頂けるとありがたいのですが、ともかく、めちゃくちゃな誤訳という決めつけは、原さんを尊敬する方に申し訳ありませんでした。



  1. 2013/11/17(日) 16:48:05|
  2. 哲学する
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  4. | コメント:2
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コメント

(続き)

問題の訳について、さっそく記事を書いて頂き恐縮です。申し訳ないですが、今あまり時間がとれないので簡単に二点だけすぐ思い付いたことを書かせて頂きます。

まず、これは解説されてるのですでに念頭にあってのことかもしれませんが、問題の箇所は、『物質と記憶』のおさらい的な議論です。二章のダルマのような図がでてくる少し前で同じ話が紹介されています。これは憶測ですが、平凡社訳はこの周辺の議論を反映しているために、記憶と知覚を、わざと分けて訳されているのではないでしょうか(もちろん、だからといって文法上同格であること、内容上も説明である点が見逃されているわけではないことは訳文を見ればわかります)。

それから、「まだ」のニュアンスですが、これは、ここで問題になっている、記憶の「現実化」ないし現働化に関連するものだと思います。たしかに過去の記憶はそれ自体ではかつてあったもので「もはや」ないものですが、ここで主題となっているのはそういった話でしょうか?これから現実的になる、という観点からみて「まだ」現実的でない、と読むのが自然ではありませんか?

もっとも、私自信この訳を決定訳として全力で推したいわけではありません。訳せと言われればもっとサクっと訳してしまうでしょう。ただ、(構文のとり違いでも、明らかなに無理な解釈でもなく)解釈の余地はあるかもしれないけど間違いとはいえない、そうした水準にはあるということを主張したいだけです。

異論・反論歓迎します。テクストがより良く読めるようになるならそれが一番です。ただ、いま少し忙しいのでおそらく次のお返事は少し遅くなってしまうと思います。こちらから投稿しておきながら申し訳在りませんが、ご理解頂ければ幸いです。
  1. 2013/11/19(火) 13:59:58 |
  2. URL |
  3. Occasion #-
  4. [ 編集 ]

コメントありがとうございます。

 私の方も、すぐにお返事できません。
 唯一の贅沢と申しますか、フランス語会話に通っております。ちょうど出かける時間です。日を改めてお返事いたします。まずは、お礼まで。
  1. 2013/11/19(火) 17:16:41 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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