どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

喜岡城(高松城)跡(高松市高松町)

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 現在の高松市の地名は、ここ高松市東部の地名に由来するそうです。生駒親正がいまの高松城を築くまでは、この辺りの方が発展していたということなんでしょう。
 現在の喜岡寺は、かつて高松城(喜岡城)というお城でした。

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 起源をたどると、建武の新政のとき、後醍醐天皇によって守護に任命された舟木頼重さんが最初に築城したそうです。地名から、高松頼重と名乗ったそうです。しかし、すぐに足利尊氏さんと後醍醐天皇方との戦争が起き、足利氏の一族・細川定禅さんに滅ぼされました。中四国は細川氏の嫡流(京兆家)の一族が制覇して行きました。しかし、高松氏は生き残り、のち、ここに城を再建しました。

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 お寺の東に隣接する部分。
 詳しい経緯は不明ですが、戦国時代には高松頼邑さんという方がここに城を築いていました。しかし、1585年の秀吉さんの四国征伐の時に、宇喜多秀家さんらの大軍に対し、たった200人で戦って全滅したそうです。というこわけで、ここの城主・高松氏については、ずいぶん時代の離れたお2人のことしか分からず、しかも、敗戦したというお話で、ちょっと残念。もっと、いろいろと分からないものでしょうか…。

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 北に、屋島が見えています。ここからだと、三角形の山のように見えます。

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 南を見る。鳥居が立っています。

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 鳥居から北を見ると、右に五剣山が見えます。もし、お城の建物があって、高い所から北を眺めたら、屋島と五剣山が見えるいい風景だったでしょう。

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 実は、お寺の敷地のすぐ横にこの石段があり、いまの鳥居があります。

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 境内に咲いていたしだれ梅。

 ちなみに、「守護」という言葉が出ましたが、鎌倉時代の守護には大きな権限はなく、守護所は宇多津にあったようです。守護職にはいろんな人が交代でなったようですが、鎌倉時代後半の讃岐守護は北条氏によって独占されたようです。室町時代はよく知られているように、宇多津に守護所が置かれ、細川氏(京兆家)が世襲しました。ただし、室町時代の守護は京都におり、現地は守護代の安富氏・香川氏が支配しました。しかも、彼らも実際は在京することが多く、現地は一族の又代官にまかせました。



  1. 2014/03/15(土) 11:18:03|
  2. 史跡・文化財など
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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