
三豊市・弥谷(いやだに)寺には神秘的な磨崖仏が多く、密教らしい空気が流れています。そもそも弥谷山は死者の行く山と信じられていました。ここに、天城城主・香川氏歴代の墓があります。そして、ここからすぐ天霧山へと向かう道が通じています。

こんな道が続きます。ちょっと怖い。

ところどころに石仏があって、雰囲気を盛り上げます。

「ええーっ!? やめようかなー・・・」と迷いが生じない人がいるでしょうか。香川県の山にはクマがいないのだけは助かります。近年、場所によってはイノシシに遭遇しますが。

そうこうしているうちに、最初に見るのが「隠し砦跡」。外の光が懐かしい。

その後、やっと普通の登山道に。目指すはあの天霧山の上。1時間半で行けるらしいが、もう早くも疲れ気味。香川氏の祖先は相模の鎌倉権五郎景政。後三年合戦で右目に矢が刺さり、抜いてあげようとした武士に足で顔を踏まれ、怒って切り殺そうとしたことで有名。

喜んだのもつかの間、前よりひどい道に・・・。ジャングルです。滑り落ちそうです。いくら、いくさ用の城とはいえ、鎧を着けてたらヤバイでしょう(普段の館は多度津町の桃稜公園にありました)。

井戸です。岩をくりぬいてます。ご苦労様です。

忍者の道ですね。実は、この後、道が消え、まったくのジャングルになり、諦めかけました。が、ええい、ここまで来たんだ、と滑る急斜面を適当によじ登りました。

で、出ました。三の丸跡。まずは振り返って、登って来た方向を確認。ひどい方向音痴なので深刻な話。

これは・・・何かですね・・・。ところで、香川氏は南北朝期に北朝側として活躍、守護・細川頼之に仕えて西讃に勢力をもちました(戦前なら、不忠者です)。その後、守護代として戦国時代を迎えますが、長宗我部元親軍に敗れて配下となり、さらに、今度は豊臣秀吉に敗れて城から撤退しました。厳しい。

二の丸です。ジャングルからは解放されましたが、相変わらずクモの巣が多い。クモは苦手ですが、もう、やけくそになるぐらいクモだらけです。

ついに本丸です。この立て札の向こうは、前回、大麻山から見た大絶壁で、ちょっと覗く気がしません。

狭いです。何か設備はあったのでしょうか。

向こうに、物見台があるらしい。

秘境っぽいです。

どこまで行くのか不安になってきます。

まだ行くかー!?

そろそろ帰るかな? 物見台って、むちゃ遠いのでは?

結局、そういうことです。「急な下りになってて、つんのめって、そのまま落ちやすいです」、みたいなことを書いてある。で、「道は途切れています」って・・・一番にそれを書くべきでしょう。

これが最後に見た部分です。高所恐怖症なので、もう限界です。その先まで行けば、きっと夢に見ます。こんな伝説があります。香川氏が長宗我部氏に攻められたとき、水がなくなったので、米を水に見立ててザザーッとやって、ごまかそうとしたそうです。しかし、旅の尼さんがそれを目撃して、敵に教えたために落城、落ち武者の一人がこの尼さんを殺したそうです。それで、尼斬城ともいわれたそうです。
ちょっと、恐くなり、さっさと退散することにしましたが、案の定、三の丸からジャングルに下りる際、周囲にまったく見覚えがなく、「やりましたよ! 出ましたよ、方向音痴! まずいよまずいよ!」とリアクション芸人みたいな言葉が頭をめぐりました。偶然、来た道に戻り、もう、天霧城跡にはすっかり満足しました。
- 2012/09/04(火) 23:16:41|
- 史跡・文化財など
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