どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

仁尾・八朔人形まつり

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 今年も、仁尾の八朔人形まつりに行ってきました。今年は、黒田官兵衛の人形が多かったです。
 いただいたパンフレットによると、戦国時代、仁尾城主・細川頼弘さんの統治で、仁尾の町は商業などがとても発展したそうです。しかし、1579(天正7)年の3月3日、城内でひな節句の祝宴が開かれている時、長宗我部軍の攻撃で落城しました。その後、仁尾の人々は3月にお雛さまを飾らなくなり、男の節句の八朔にいっしょに祝うようになりました。

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 黒田官兵衛の出陣。

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 備中高松城の水攻め。
 手前両側に見えるのは西讃の風習、八朔だんご馬。

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 眠たいんだよー・・・。

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 浦島太郎さんと乙姫さん。

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 機械仕掛けで浦島太郎の物語が展開する。

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 赤穂屋さん。写真を撮らせていただいていると、詳しく赤穂屋の歴史を教えてくださいました。その名の通り、赤穂から寛永のころに移ってきて、手広く商いをしていたそうです。かつては典型的な町家建築で、敷地が奥にものすごく長いのです。
 そういえば、仁尾はかつて塩田の町でしたが、有名な坂出の塩田の起源も生駒氏のころ赤穂から来た人々でした。坂出市HPによると、宇多津の人が、「坂(田尾坂)を出るといつの間にか所々に家が建ち、寄洲を埋め立てて村が出来ている」と驚いたことから、「坂出(さかいで)」という地名になったそうです(田尾坂は33号線の坂出・宇多津の境)。

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 機械仕掛けの「花咲じじい」が子どもたちに大人気でした。

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 落城した仁尾城跡の覚城院です。

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 石段で振り返る。

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 空海さんの修行の様子が人形になっていました。

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 重要文化財の鐘楼堂(桃山時代の様式)。

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 金光(きんこう)寺の細川頼弘公の墓所です。

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 力作、平和への祈り。

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 普門院の前にある、高札場(県指定史跡)。辻の札場と呼ばれています。瓦には丸亀藩の家紋・四ツ目結があります。交通の要衝に立て、藩のお触れを周知しようとしました。当時、仁尾が栄えていたことが分かります。三豊市によりますと、昭和54年まで町の掲示板として使われていたそうです。


PS 以前の「弁慶の伝説」で分からなかった『弁慶がこしらえし菜は武蔵坊』の意味が分かりました。高松市に問い合わせたところ、丁寧に教えてくださいました。気になる方は、少し前のブログ「弁慶の伝説」の最後に「PS」として載せましたので、ぜひ、ご覧ください。高松市文化財課の方には感謝申し上げます。
 ついでに、赤穂つながりで坂出の塩田のことに触れましたが、仁尾の塩田そのものはそこまで歴史が古くはありません。また、触れる機会があればいいなと思っています。


  1. 2014/09/24(水) 17:31:59|
  2. 信仰・民俗・伝統など
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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