どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

詫間海軍航空隊跡(三豊市)

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 232号線が香川高専詫間キャンパスを迂回する辺りです。この眼下に、詫間海軍航空隊がありました。

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 道の反対側には防空壕跡と慰霊碑があります。

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 海沿いには、詫間海軍航空隊滑走台がいくつか残っています。

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 土木遺産に選ばれています。

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 302人の特攻隊員がここを飛び立っていったそうです。

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 美しい瀬戸内海の島々をどんな気持ちで眺めたのでしょうか。

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 いまでは瀬戸大橋が目に入ります。

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 詫間民俗資料館で平和を考えるテーマで展示されていた、水上偵察機『紫雲』の先端。

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 日本の平和、もしくは正義の勝利を願って戦死した方々の心情、とりわけ、そのために命をささげることを覚悟された特攻隊の方々の心情を思うとき、身の引き締まる思いとともに、強い悲しみに襲われる。この戦争による死者を悼むのは当然のことである。しかし、この悲しみの意味を少し語りたい。
 日本の行なった戦争、少なくとも、満州事変に始まる十五年戦争が侵略戦争であったことは紛れもない事実だからだ。もっとも、侵略ではなかったという立場の人々が存在することは知っている。しかし、日本が武をもって支配・強要した国々が、逆に日本に攻め込んだ事実はない。今の日本が最大のパートナーとしている米国をはじめとする先進諸国すべての認識は、当時(独伊以外)も今も日本の行為が侵略であったことでは一致している(※)。また、このことは戦後日本が加盟し、その中で重きをなしたいと願っている国際連合の認識でもある(いつか敵国条項に抹消線が引かれても、国連ができた経緯として歴史には残る)。ゆえに、これは日本政府の認識でもあり、したがって外務省のホームページにも明記されている。つい最近、中国を訪問した安倍総理大臣も歴史認識については歴代内閣の立場を堅持すると明言した。
 早く過去のことにしたいと考える人々もいるだろう。しかし、一方では、一般に人々にとっての時間感覚を一方的に決めることはできないということがある。加害側には、罪の意識を背負い続ける人々もいれば、さっさと荷物を下ろしたがる人々もいる。しかし、被害側のダメージは容易に消えるものではない。たとい寛大な人々であっても、加害側の中から「間違っているのはお前たちだ」、「もういいだろ」という声が聞こえてくれば、癒えかかった傷口が広がらない人がいるだろうか。個々人の精神的ダメージには、トラウマという現在形で働き続ける過去さえある。社会的・国際的問題となれば、ことが大きければ大きいほど、過去となるには時間がかかるのは当然である。他方、過去を克服するとは、この場合、事実認識がほとんどの国民の間に根付いていることである。侵略の事実を認めるとは、何が侵略かを判断できるということであり、国際的な共通認識をもっていることである。しばしば、過去の自国の行為を教育などで徹底しているドイツに対し、日本はドイツとは違うという人々がいるが、その主張にあまり意味があるとは思えない。この世に存在する物事で、他との共通点と差異とをもたないものは何もないからだ。それぞれの仕方で行った侵略の事実に対して、真摯に向き合うことが前に向かって進むために必要なのだ。この点に変わりはない。その意味で別な道を歩むとは、過去を引きずり続け、国際的信用を欠く道を歩むことでしかない。
 靖国神社の立場は明確だ。日本は過去に誤った行為をしていない、したがって、戦犯も存在しないというものだ。正義の戦争のための死者の魂を英雄として祭り、神国日本の無謬性を主張している。先に述べたとおり、侵略によってアジア諸国に多大な迷惑をかけたというのは日本国政府の公式見解であり、世界に対して明確に発信している。その一方で、政府の要人が侵略を認めない立場に支持を与えるかのような行為をすることは、二枚舌である。怒りや不信、不快感が世界に広がったのは自然な反応だ。それに、国家の代表者に(本音がどっちであれ)表裏があるようで、子どもの心に正義感が育つだろうか。おまけに、この立場の人々の一部は、世界に明言している国の立場を個々人が口にするだけで恫喝することがあり、反社会的側面さえ見られる。そもそも、政府の主張が位置する世界の常識に逆らって、一体どんな結果を望みうるのか。「国益」を害するばかりである。私個人は(現在認められている専守防衛を認めつつ)非武装中立を目指すのが理想だが、理論上は集団的自衛権をもつという選択もあるだろう。しかし、その立場に立ってみても、何が侵略かを判断できない国というレッテルを貼られたら、どれだけ日本にとって不利益か、考えた事はあるのだろうか。経済的にも、アジア諸国との連携が欠かせない時代だ。無用の争いは避けたい。その他、領土問題等で他国の間違いを正すためにも、核兵器廃絶等で日本の主張を有効にするためにも…いろんな意味で自ら襟を正すことが必要だ。私は謙虚であることが日本人の美徳となり、同時に意見を通しやすくして国益にもつながると思う。
 戦争で亡くなった方々の心情を思うとき、私は悲しくなる。平和や正義を信じて命をささげた、その心情をこそ尊重しなければならない。いま、我々は戦時中の教育や情報操作によって、多くの国民が正しい認識をもつことが困難だったことを知っている。いまを生きる我々が誤った認識を尊重してどうするのか。平和や正義のために命をささげようとした魂に真剣に向き合い、正しい認識のもとその志をこそ受け継ぐべきではないのか。誤った認識をもたされ、国民の尊い志が利用されたのだ。権力者たちは、亡くなった人々にまだ戦争中と同じ嘘を語りかけるのか。それこそは国民の尊い志を穢す行為ではないか。そうして他方で、今を生きる国民を再びただ利用しようとしているのか。若くして戦場に散っていった人々の覚悟や無念さを思うとき、私はこんな欺瞞が存在していることに怒りと悲しみを感じる。
 特攻隊の基地の跡に立って、どうしても抑えられない思いを書いてしまいました。まだ、言い足りないことはありますが、一言触れるに留めます。沖縄戦で亡くなった方々、空襲や原爆などのために亡くなった方々、みんな国のために尽くしていました。そして、戦争に反対して、節を曲げなかったために、まるで足蹴にされるように死んでいった人々がいました。やはり、国を憂う私心のない犠牲的精神です。私にはまねできそうにありません。そんな恐ろしい時代に戻らないことを願うばかりです。江戸時代の義民を思い出させますが、今では義民の顕彰碑には地元出身の総理大臣らの名も見えます。しかし、国賊の汚名を着せられて亡くなった方々の顕彰は地元有志などに留まるのではないでしょうか。

(※)戦争の結果として、千島列島に米軍・ソ連軍が、沖縄に米軍が攻め込んだが、千島列島はソ連→ロシアが不法占拠。

(蛇足)
 もし仮に、神がいて、信じるべき宗教があるとすれば、それは決して、政治を語ったり、戦争を導いたりなどしない。祭政一致は神を人の手垢にまみれたものにする、神の名を騙るアナクロニズムでグロテスクな政治である。神の名をみだりに唱えるなかれ。神を政治の具にするなど、神を穢すにこれほど甚だしいものはない。私は決して、戦死した人々の魂の美しさを否定しない。さらに、神を否定しない。だが、生身の人間は過つのだ。無謬ということはない。死んだ人の魂に戦時中と同じ嘘を語りかけ、戦時中と同じように神意を代弁する。神をも恐れぬのは誰か。
 別の追悼施設をつくったらどうか、という意見もあるようだが、むしろ、当時の限られた認識のもとで尊い命をささげた人々の魂にただ手を合わせ、平和を誓う場所になって欲しいと思います。政治的主張をやめてほしい。また、政治がそこに関わることをやめてほしい。亡くなった方々の魂を、いつまで苦しいあの時代に閉じ込めるのか。人間界の思惑から解放してあげてほしい。極端なことを言えば、本当に政治(人間)を超越した神であれば、他方でA級戦犯も穏やかに眠れるでしょう。

(蛇足2)
 互いに矛盾し、両立しない論理を平然と並べて持ち出すことを、「ああ言えばこう言う」といいます。日本が過去に行った行為は間違っていないという立場から、悪いのは日本だけではないという理屈が平然と飛び出してくる。日本は侵略をしていないし、侵略をした(!)のは日本だけではない…という。
 あえて、後者について述べておきたい。近代資本主義的な帝国主義が世界を席巻したことを言いたいのだと思います(※)。しかし、そもそも帝国主義自体が否定されるべき、責められるべきことだとすれば、それを極端に推し進める行為が正当化されるはずがありません。また、帝国主義の歩みを、歴史に沿って最低限、教科書程度には具体的に見るべきだ。少なくとも、第一次世界大戦後、国際連盟の方針として民族自決が打ち出され、あらゆる国や階層の本音ではなかったかもしれませんが、帝国主義に対する一定の負の評価が共有されたのです。国際連盟常任理事国だった日本が、これに真っ向から逆らったのが満州事変でした。まだまだ矛盾を抱える帝国主義諸国の譲歩にもかかわらず、日本は合意を探る努力をせず、連盟を脱退したのです。他方、このころの日本が国家としての体をなしていなかったことは、歴史学者はいうまでもなく、松本清張さんや半藤一利さんなどの多くの著書から学ぶことができます。軍の出先機関が独走する、政府や軍中央の命令も聞かない、で、独走を追認する。マスコミが国民を煽る。そんなことの繰り返し。しかも、軍中枢を担う人の中には、出先機関にあるときには自ら暴走し、軍中央にいるときには止めに入る者もいる。立場によって一貫性がない。その最初の動きは軍人による外国の要人暗殺だったが、これに対する天皇の怒りで総理大臣が辞任するほどのことだった。しかし、軍は関係者を軽い処分にしただけで受け流した。国内でも、統帥権干犯問題から浜口首相狙撃事件が起き、その後、クーデター未遂事件と要人暗殺が続く。言論圧殺は社会的抹殺・生命抹殺にまで強化される…。満州事変前後から、日本が先進諸国のなかでどんどん浮いた存在になっていったのは明らかです。世界中どこも同じだったという議論が大雑把すぎるのは明白。だれもが知っていること。「ああ言えばこう言う」の心境が、そんなことすら見えなくしている。

(※)資本主義という用語はマルクスから発し、その発展段階としての帝国主義という概念はレーニンによる。

(本当の蛇足)
 歴史を流れとしてつかむ必要があります。大きな流れはどこに向かおうとしていたのか。その中で、ある国や、社会、階層、集団、個人がどこに向かおうとしていたのか。大きな流れの中で、可能性のあるバリエーションを描こうとしていたのか、もっと先を目指していたのか、とりあえず流れに棹さしていたのか、それとも、流れに逆行しようとしていたのか、流れを大きく変えようとしていたのか…等々。例えば、アメリカで黒人差別が問題になったからといって、どこかの独裁国家が「所詮アメリカだって人権無視じゃないか、五十歩百歩だよ」という理屈で自分を正当化したらどうか。問題は、その独裁国家が世界の流れに逆行して進んでいることであって、他方で、アメリカが奴隷制の時代から真に民主主義的な国家へと前進していること、人々がさらにそれを推し進めようと意志していることは明白だ。

(本当の蛇足2)
 戦時中、哲学者が侵略戦争に加担したことを理由に、あるいは哲学がそれに対して無力だったことから、現代哲学はこの問題を核心に据えたものでなければならないかの傾向が見られる。私は、それに断固反対する。
 似たものとして、宗教者が戦争に関わった反省から、「宗教者」の立場から平和を語る責任ということが言われます。もちろん、宗教者は世間のことに無関心でよいということにはなりません。その意味で、宗教者も一人の人間の立場から平和を考える必要があります。しかし、それは「宗教」の立場から平和を考えるということではありません。問われているのは、社会に生きる人間としての責任であって、宗教という超越的な立場からの見解を打ち立てることではありません。理性的な批判の余地のない見解は、個人の内面の問題にとどまるべきであって、政治的主張へと拡張すべきではありません。戦争への関与が批判されたのは、まさしく、御仏の道に適うものとして戦争賛美を行ったからに他なりません。実際には、賛成にせよ反対にせよ個別具体的な戦争についてできるのは、個人の見解を述べることですし、それ以上の内容はもちえません。そこに「御仏の道」を冠したのが間違いです。それは「私の考え」を「御仏の道」と呼んで権威づけるとともに、「私の責任」を回避することにすぎません。これからも「御仏の道」に適うような、超越的、絶対的な政治的主張などあろうはずがありません。宗教は政治に介入せず、それこそ、時代を超越した教えとして、不殺生を力強く唱えて欲しいと思います。そして他方、人間である以上、過つこともあることを前提に、一市民としての責任から真剣に平和を考え、(仏の教えとしてではなく)人として地に足の着いた発言をしていく…求められているのはそういうことだと思います。
 哲学もこれに同じです。宗教者の「御仏の道」が哲学者の超越的な議論に置き換わるだけです。一般の人々がどこからどう切り込んでよいやら分からぬ、独自の論理で高みから社会を云々するなら、それは批判を許さぬ独断論にしかなりません。大学の偉い先生だから、庶民より高度な絶対的な視点をもっているに違いないという幻想のほうが危険です。現実社会で起きることについて絶対的見解を語れるのは、真の宗教でも真の哲学でもなく、神の代弁者だけでしょう。そして、神は実際には人々に、知恵と勇気と行動力とを(つまり、自由を)与えただけで、答えを用意してはいないでしょう。神から与えられたものをフル稼働させる責任の自覚以外に、神を信じるということはないのかもしれません。宗教や哲学は、魂の問題について、一方は信仰の面から、他方は理論的に関わるものだと私は思っています。それぞれ重要な意味を持ちますが、人としての責任はそれだけでは果たせないという、当然のことを認識すればよいだけのこと。人としての責任を宗教や哲学が見渡せるという思い上がりが、神の代弁者というへたな役回りを演じさせるのだ。

  1. 2014/12/10(水) 06:35:09|
  2. 歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

はじめまして

郷土史に興味があり、拝見させていただきました♪
随分と詳しく書いてくださっていて、全く知らなかったことを知ることができたことをまず感謝します。

さて、この詫間海軍航空隊跡、うちの地元で昔からよく知ってる場所ですが、今年子どもの夏休みの自由研究のテーマにして様々な文献や当時を知る人のお話を聞いたりと、掘り下げればまた知らなかった事実に出会うことができました。

私にとって興味深かったのは、航空隊ができる以前の村の存在。
ここは詫間町香田という所ですが、昭和16年まで『香田浦』という集落が存在していました。
その土地による生活、生業の実態など、かつてを知る人の証言で、今に至るまでにどういうものがあったのか?これが知れたことはとても良かったと思います。
1つ、今では有名な仁尾町のみかんですが、香田浦には全国的に有名な果樹園『森殖産園』なるものがあり、航空隊が造られた余波で閉鎖せざるを得なくなったものの、この温州みかんの原木を仁尾に移し、今の仁尾の『曽保みかん』の礎となったそうです。余談でした(^_^;)

色々読ませてもらいましたが、太助燈籠の項と尼崎里也の仇討ちの項、とても興味深かったです♪
  1. 2015/10/16(金) 20:13:38 |
  2. URL |
  3. ぴる郎 #-
  4. [ 編集 ]

仁尾のみかん

 香田浦の果樹園『森殖産園』の歴史、とりわけ戦争による閉鎖と、戦後の再生。とても興味深く読ませていただきました。仁尾の歴史に興味が湧いてきました。郷土のことを調べていると、知らなかった事実に際限なく出会います。私は行き当たりばったりですが、汲めども尽きぬ讃岐の歴史って感じです。
 とはいえ、本に書かれたいわば二次資料を見て、へーって言ってるだけの単なる郷土史マニアですが…。研究の前線に立たれている方々に頼って、ワクワクさせてもらっています。
 このたびは、見ていただき、ありがとうございます。

  1. 2015/10/17(土) 16:13:16 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
  4. [ 編集 ]

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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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