どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

風袋(ふうたい)町・御供所(ごぶしょ)町の遍路道標など(丸亀市)

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 「四国八十八箇所霊場電子国土地図(国土地理院)」から遍路道の地図を借りています。この地図のすぐ南に丸亀城があります。赤い線が遍路道です。左(西)から風袋町の手前までは本町通りといいます。以前に、多度津の道隆寺から宇多津の郷照寺へ向かう遍路道が、丸亀城下で2つに分かれることを述べました。そのとき、蓬莱橋の西にある常夜灯は紹介しました。今回は、1から4の順に紹介します。

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 1~3は風袋町です。まず、1番目。「左 遍路道」。裏に「明治十九(1886)年」とあります。

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 2は、こっち向きの手が遍路道を示し、左向きの手は来た方向で「道隆寺」を教えています。裏に「明治二十六(1893)年」とあります。この付近が仇討で有名な尼崎里也(あまがさきりや)宅でした。

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 3の道標「右 遍路道」。あとは土居町に入って、土器川に出ます。

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 4は御供所町の遍路道標。「弘化2(1845)年」とあります。

 次は、地図上の緑の○部分(「通町」の所)に関する話です。

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 黄色い宮脇書店ビル(映画udonに出ていた気がする)の前を南北に走るのが通町。これと交差する青線が遍路道(本町通り)。左上に見えるのがJRの線路で、すぐ左辺りに丸亀駅があります。
 『丸亀の歴史散歩』(直井武久著)によれば、元禄時代(1700年前後)の地図では、赤で囲った部分は、丸亀港の海が入り込んでいた。現在のJRの線路から北あたりは海で、この赤囲み周辺は地面が低くて、もともと海がここまで入り込んでいたそうだ。元禄時代の地図には、赤囲みが中断している部分に橋が描かれていて、京橋とある。青線は遍路道で、京橋を渡った場所(通町)で一度突き当たり、さらに東へ伸びるが、遍路道のちょうど地図に見えるあたりを本町通りという。道が突き当たること自体は、城下町ではよく見られ、不思議でもなんでもない。敵が攻めてきた際、見通しが利かないように、ずらすことが多いから。京橋は貞享4(1687)年6月に架けられ、浜町の宗左衛門さんという方が渡り初めをしたそうだ。京橋ができるまでは、下の赤囲みを南へ迂回していたようだ。京橋の西の付け根は現在SPACE114(もと百十四銀行支店)です。下の赤囲みの西面・南面を通る迂回路のL字部分を、カギ町と呼んでいたそうだ。先に、道が突き当たること自体は不思議でもなんでもないと述べたが、最初、橋を架けることを全く考えてなかったなら、ここに関しては、偶然ずれちゃったのかも知れない。ちなみに、通町から東の海は、最初の遍路道の地図で、御供所を通る半円形の道のすぐ北側でした。

 最近、『古地図で歩く香川の歴史』(井上正夫著)という本を買ったが、その初っ端にこの話が出ていて、江戸時代の地図として直井氏が引用したのより少し古い『讃岐国丸亀絵図』(正保年間・1644~48年)を引用している。しかし、肝心の部分の地形は同じだし、『丸亀の…』の方が詳しい地図になっている。さて、井上氏はL字型の細くて「へんな道」があるのは何故か、本町通りが通町でぶつかって、ずれて東へ向かう「へんな道」になっているのは何故か、という疑問から、いろんな時代の地図を調べ、江戸時代に原因(入江の存在)があったことを突き止めたという。城下町で道がずれていることを「へん」だと考えるほうがよっぽど変で、ムリやり感がある。お城好きの初心者でも、わざとずらされた道が多いというのは常識だからだ。事実、氏の引用している絵図でも、外堀の内側にそんな道がいくつか描かれている。さらに、入江の左右(東西)の町が互いに無関係につくられたから道がずれたと、氏は結論付ける。しかし、それを図示するために引用された正保期の地図をよく見れば、もう一つ海側につくられた道が、橋もないのに入江の東西でちゃんと一直線につくられている…。何より解せないのが、たくさん載せられた地図の一つの説明(小文字)の中で、「このあたりには、17世紀の終り頃に京橋という橋がかけられたという(直井武久『丸亀の歴史散歩』119頁)」と、橋の話に矮小化してではあるがわざわざ直井氏の本に触れておきながら、井上氏が言っている肝心な点はすでに直井氏が詳しく述べてあるということを、全く伏せてあることだ。『丸亀の…』の愛読者の一人としては、納得のいかないことである。井上氏は明治の地図を引っぱり出したりしながら、場所を特定する証拠を積み上げるといった風に話をもっていくが、ほとんど余計な回り道で、地図を見れば一目瞭然なのだ。そのうえ、子どものころから、細くて「へんな」「L字型」が気になっていたといい、地元ならではの独自の着目として語る。が、直井氏は、L字部分は一昔前までカギ町と呼ばれていて、それなりに由緒ある場所だったことを明らかにしている。
 『古地図で…』は、でかい写真などで水増しされた感のある薄さの割に高価な本ですが、誤解のないように言っておくと、私は買いました。地元大好きで歴史を歩きたい人間には、魅力的な本でしたから。しかし、『丸亀の歴史散歩』の愛読者にして直井氏を尊敬する一人として、ひとこと言わずにはおれないのでした。




  1. 2015/03/05(木) 18:28:26|
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丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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