どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

香川不抱さんの住所はどこ?

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 香川不抱(かがわふほう)さんは1889(明治22)年生まれの歌人で、1917(大正6)年に29歳の若さで亡くなりました。与謝野鉄幹の新詩社に入り、『明星』『スバル』などに歌を発表し、高く評価されていました。 
 丸亀市川西町の生家跡はすでに紹介しました。『新修高松市史Ⅱ』によりますと…

 ①明治40年の春、高松市天神前高等小学校の正門前に転居。丸亀中学校へは汽車通学しました。
 ②のち、「かどのお宮を南へまがった家に移った」という説もあるようです。

 中学時代から新詩社に入り、『明星』に短歌を発表していたそうです。中学卒業後は、相場に手を出して大阪でしばしば寝泊まりし、東京へ行って与謝野夫妻宅2階にいたこともあるそうです。また、石川啄木、北原白秋、吉井勇らと交友関係があったようです。

 ③しかし、大正4年に病気になり、高松に帰り、西浜新町の家で療養しました。一時回復して、作品もたくさん詠みましたが、大正6年10月5日に亡くなりました。

 地図の右下のオレンジ囲みが天神前ですが、そこにあった高等小学校正門前に引っ越したということで、この付近です。また、さらに引っ越した「かどのお宮」が何を指すのか不明です。天神前の地名の由来になっている中野天満宮のこと???ちょっと、公式の市史にしてはあやふやすぎ…。
 終焉の地である西浜新町の家もどこか全く分かりません。地図の左上オレンジ囲みが西浜新町(今の茜町と西町)です。

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 天神前のすぐ北、中央公園南側にある石碑。

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 「高松市高松高等小学校跡」。市史にいう「高松市天神前高等小学校」ってこのこと???

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 道路を渡ったすぐ南には、「菊池寛生家」の石碑があります。

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 菊池寛さんは明治22年にここで生まれ、「明治41年に上京するまで、ここに住んでいた」そうです。香川不抱さんが天神前高等小学校の正門前に引っ越してきたのが明治40年。ということは、お2人は1年間ですが、すぐ近くに住んでいたことになります。

 「?」だらけになりましたが、もっと詳しいことが分かり次第、報告したいと思います。
 ついでに、中央公園にあるものを紹介します。

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 まずは、菊池寛像。

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 高松市生まれの水原茂さん(1909~82)の像。1977年に野球殿堂入り。

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 漆芸家・玉楮象谷(たまかじぞうこく)さん(1806~69)。高松藩主に仕え、香川漆芸の礎を築きました。

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 イサム・ノグチ遊具彫刻。   一の宮公園のイサム・ノグチ遊具彫刻

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 中河与一さんの石碑。ご本人の文字で「こよなくわが愛せし詩句を  自由なる人永遠に海を愛さむ」とあります。ボードレールの詩の一節だそうです。

 恋愛無限文学碑など
 西行庵の歌碑


P.S. 謙介さんから、貴重なコメントをお寄せいただきました。ぜひ、お読みください。



  1. 2015/09/15(火) 18:40:51|
  2. 史跡・文化財など
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
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コメント

西浜新町

私、その西浜新町に住んでおりました。
今の浜街道のあたりから南は畑で、香東川沿いに市営住宅があったのと、今のJRの線路沿いに
家がありました。おそらくその線路沿いあたりに
家があったのではないでしょうか。
浜街道から北は全部塩田でした。
今の青春ゴルフセンターの北側に当時は
塩釜神社があったのですが、塩田の廃止と
ともにお社ごと消え失せてしまいました。
それから「菊地寛」は「きくちひろし」と読むのが
正式できくちかんは間違いです。
(とはいえ、きくちひろしでは変換できないん
ですけど。笑)うちの母方の祖母の兄が
菊地寛と高松中学で同級生で、うちの家に
よく遊びに来たのだそうです。
あるとき祖母が「かんさん、すいか食べまい」と言って出したら、
「わしゃ、かんでない。ひろしやが」と本人から
訂正依頼があったそうで、祖母が生前
「あの人はひろしが正しいんで」と口癖の
ように言っていましたから間違いは
ありません。 
  1. 2015/09/15(火) 19:01:33 |
  2. URL |
  3. 謙介 #IUDLvDjM
  4. [ 編集 ]

貴重でおもしろいお話、ありがとうございます。

 「浜街道から北は全部塩田」ということは、不抱さん終焉の地は、いまの西町に間違いないですね。しかも、浜街道の南(今の西町)は畑で、香東川沿いの市営住宅と、今のJRの線路沿いの家しかなかったとのこと。かなり、場所が特定されました!!!

 塩田の思い出。少し古い香川県人に共通の思い出ですね。私も、丸亀の塩田付近でよく遊びました。流下式の下に立つと、ザーッという音がしていたのを覚えています。

 菊池寛さんが遊びに来たってすごい話ですね。おばあ様のお話、すごく面白く、また、貴重だなあと思いました。中学時代?にご本人が、名前の読み間違えを気にしていたというエピソードは、記念館に教えてあげた方がいいぐらいに思います。おばあ様がスイカを出したときというシチュエーションも微笑ましいし、互いの言葉もユーモラスでいいです。
  1. 2015/09/15(火) 21:23:50 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
  4. [ 編集 ]

補足です

西浜新町ですが、去年閉めてしまった一富士
という食堂がありましたが、その並びに
比較的古い家がありました。ただわからない
部分がありまして。 今の高松運転所が
昭和27年にできました。私の生まれた時には
当然ありました。ただ、私の小さかった時は
高松機関区、と呼んでいました。戦前の
話ですと、運転所はないので、ひょっとしたら
そこにあった可能性もないとは言えません。
ただいずれにしても西浜新町で言えば
南の方だっただろうとは思います。
塩田の枝条架、懐かしいですね。
近くに行ったら、やはり塩水の細かい細かい
水粒が飛んでいたのでしょう。帰ったら
なんとなくべたべたしていたのを思い出します。
菊地寛さんの話は、一度菊地寛記念館で
会合があった時に話をしました。その時
たまたま寛さんの息子さんが来ていて、
「本人はもうずーっとひろしやひろしや、と
言い続けていたのに、周囲がかんさんかんさん
と言うばかりしていた。それでとうとう最後は
根負けしてしまって、かん、という名を
受け入れることになった、とお聞きしました。 
やはり本人はひろし、という呼び名にずいぶんと
こだわっていらっしゃったようです。
  1. 2015/09/16(水) 22:38:11 |
  2. URL |
  3. 謙介 #IUDLvDjM
  4. [ 編集 ]

さらに詳細な情報、ありがとうございます。

 100年近く前の話なので、確証を得るには当時を語る明白な資・史料や信頼できる証言が必要だとは思います。ただ、50年前にほぼ畑だった地域のこと、100年前も家があったのはほぼ同じ付近に限られると思います。50年前までそのまま残っていた可能性も高いと思います。ほんとうに、貴重な情報ありがとうございます。また、高松運転所付近がどんなだったのか、ちょっと興味を持ちました。
 丸亀の塩田は土器川の東にずーっと広がっていて、南北も子どもにとってはすごく長く、土器川の土手を海まで歩いたことが何度かありますが、ちょっとした冒険だったことを覚えています。土手には、子どもの背丈より高い草がボーボーと生えているか所もあり、これがまた何か潜んでそうでマジカルな世界を演出していました。
 菊池寛さんの、あるある話になっているのですね。でも、記念館からしたら、実際の証言は貴重だったと思います。「あ、やっぱりな」と。そんな話が伝わる、というだけでなく、実際の証言が多く得られたっていうことは貴重だと思います。私は「事実」にこだわりたい人間なので、そう思います。
  1. 2015/09/17(木) 08:20:39 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
  4. [ 編集 ]

西浜新町絵葉書

たびたび申し訳ありません。
今日、ちょっと用事があったついでに
旧西浜新町辺を車で走ってきました。
高松運転所の北側、旧一富士食堂の
西に古い洋館があります。
その洋館が今もあるかどうか見に行ったの
ですが、なんとなくその洋館が
その建物なんじゃないかなぁ、とか
思っています。
それからイギリスから持って帰った
絵葉書とありましたが、
これはおそらく西浜新町の古い風景と
思います。
http://www.snowdrop-postcards.com/product/14805
やはり南のほうしか家が見えていません。
  1. 2015/09/18(金) 17:59:39 |
  2. URL |
  3. 謙介 #IUDLvDjM
  4. [ 編集 ]

こちらこそ、ありがとうございます。

 「一富士食堂の西に古い洋館」。興味津津です。ただ、貧しい借家住まいだったと思いますので、「洋館」というイメージとは合わない気もします。部屋を間借りしていたのかもしれませんし、何とも言えません。ちょっと勇気を出して、というか…勇気が出せた時に…というべきか、この付近の方に尋ねてみたい気はします。
 付近の明治・大正期の絵ハガキ、よく見つけられましたねえ。すごいです。とんでもなく田舎風景ですねー。高いものの無さといったら、不謹慎かもしれませんが空襲のあとみたいです。人間の見る光景が100年でこんなに変わったんですねー。おそらく、高層物のなさでいったら、人類の歴史始まって以来ほぼ同じだった景色が、ここ100年で変わった感じですかねー。
 いいもの見ました。ありがとうございました。
  1. 2015/09/18(金) 18:31:55 |
  2. URL |
  3. 犬の知人 #-
  4. [ 編集 ]

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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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