どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

岡山の源平争乱~水島の戦いまで

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 岡山市吉備津、平家物語で「有木の別所」として登場する有木山です。1177年、鹿ヶ谷(ししがだに)事件で首謀者の一人として捕まった藤原成親(なりちか)がこの地に流されました。同じく首謀者として鬼界ヶ島に流された僧俊寛はのち自害しましたが、成親はこの地で殺害されました。

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 石段の上の囲いの中にちっこい石塔があり、おそらくそれが成親さんのお墓だと思います。山をかなり歩いて登らないといけません。
 私が来たとき、倒れたデカイ木がお墓にかぶさってました。これを「んがっ!」と昔のサザエさんのような声とともに持ち上げて横(写真手前)に落とすと、ボキッと先が折れたので、それだけでも片付けました。幹側は重くて動きませんでしたが、それが写真左に写ってるやつです。
 
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 高麗寺の跡です。藤原成親は有木の高麗寺に流されたとする書もあります。

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 先ほどの供養塔よりは、ずいぶん麓近くです。
 ところで、「鹿ヶ谷事件」の「鹿」って字が何で「しし」って読まれるのかというと、もともと「しし」とは「肉」のことで、イノシシでもシカでも食えればどっちでも同じだったんですね。動物を見たら、「食い物!」って叫んでたようなものです。

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 1179年、やはり後白河上皇と謀って反平家的な行動をとっていた関白藤原基房が流された所です(岡山市湯場)。

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 この方は翌年には許されて京に戻り、87歳の長寿を全うしました。

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 平家方の武士・妹尾兼康は倶梨伽羅峠で源義仲に敗れて捕虜になりましたが、自分の領地・岡山に近づくと源義仲軍から脱出しました。義仲に従うふりをしてここまで来て反旗を翻したのです。
 しかし、息子とともにこの地で没しました(総社市・妹尾兼康の墓)。太りすぎで動けなくなった息子を助けようとして、敵の大群に突撃して亡くなったのです。義仲さんも「あっぱれ剛の者かな」と感心しました。

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 1991年に隣の鯉山小学校で工事があり、その際、校庭から妹尾兼康の頭蓋骨らしきものが発見されました。年代も、骨の年齢も合致し、びっくりでした。

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 玉島の円通寺から水島合戦の戦場付近を見ています。源義仲軍と平家軍が戦いました。アーチ型の橋が架かっていますが、その写真右手側が平家の陣地、橋の左手側が源氏の陣地でした。ちなみに、円通寺は良寛さんが修行したので有名です。

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 玉島大橋の西が柏島(かしわじま、今は陸地)で、橋の付け根に源平・水島合戦・記念碑があります。こちらが平家側です。源平合戦で負け続ける平家が唯一勝った戦いです。

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 橋を東の対岸に渡ると乙島(おとしま、やはり陸地)です。

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 橋のすぐ近くの小高い山に源氏軍の陣地がありました。いまは常照院というお寺です。

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 2月ごろに行ったのですが、梅にウグイスがいました。よく、ウグイスは実際には梅の木にとまらないなどと書かれているのを見ますが、そんなことはありません。ホーホケキョって鳴いてました。

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 総社市の宝福寺近くに井神社があり、この中に兼康神社があり、妹尾兼安が祭られています。

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 この付近の用水は妹尾兼康が整備したといわれ、神様として祭られているのです。

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 神社の目の前にある、現在の高梁川の湛井堰(たたいぜき)です。流れを堰き止めた右手に取水口があります。

 大事なことを忘れるところでした。源義仲さんですが、源頼朝の朝廷工作に驚いて京へ引き返すものの、なんだかんだあって源義経にやられてしまいます。そのすきに平家も一の谷まで戻ったのですが、こちらも義経にやられてしまい、岡山の児島を前線基地とします。






  1. 2012/11/08(木) 21:26:16|
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Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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