どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

旧下野呂内小学校(徳島県三好市)

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 ここは徳島県ですが、香川県に近い場所です。香川県三豊市から徳島県三好市に入る県道6号線沿いにあり、国道32号線に出る少し手前です。県道6号線と国道32号線との合流地点は猪鼻峠を抜けたところで、香川県人にとっては「すぐそこ」です。

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 下野呂内小学校については、三好市のHPにたくさんの写真と図面までが載っています。たぶん、学校名で検索するとすぐ出てきます。

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 いい感じです。

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 「村の写真集」という映画(2004年)で、ほんの一瞬ですが出てきます。私はレンタルで借りて見たのですが、本編でのこのシーンの短さに比べ、メイキングではかなり長々と撮影シーンが出てきます。監督さんがコメントで、この学校がすごく気にいったとおっしゃってました。
 映画は感動しまくりです。これぞ日本映画といえる、一つの典型だと思いました。役者とその演技、そして、あの風景がなければ成立しない、映画である必然性がひしひしと感じられる、いい作品でした。


  1. 2015/10/15(木) 17:37:50|
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おいでまい!高松運転所(10月10日)

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 いま流行りの鉄道ファンというわけではありませんが、普段、見ることのない場所なので、新鮮な風景でした。


  1. 2015/10/12(月) 11:23:22|
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遍路道標(多度津町の道隆寺・丸亀市の土器川)

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 四国新聞の「辿る―遍路道学術調査から(16)」にでてくる、遍路道標を紹介します。
 第七十七番・道隆寺は和気道隆さんが創建したと伝えられています。門の前の小さな石碑が、遍路道標です。

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 「是ヨリ 第七十八番(宇多津の郷照寺)エ 一里半」。

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 お寺の前にある、遍路の店・サンエイさん。眼蘇茶という、目に良いお茶を売っています。
 道隆寺の本尊・目なおし薬師様は霊験あらたかだそうです。京極高通さん(初代多度津藩主)の三男・左馬造さんは幼少のころ目が悪かったそうですが、お母さんが道隆寺の薬師如来様にお願いすると治ったそうです。

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 門の南の道沿いにも道標が。善通寺(75番)・金倉寺(76番)とともに、金毘羅さんを案内しています。

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 大師堂の前には、空海さんと衛門三郎さんの像。

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 お寺の北側にも道標があります。

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 「寛政六(1794)年」「是より右 宇多津道場寺(=郷照寺)迄(まで)一里半」。

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 丸亀市・土器川の蓬莱橋西側にある常夜灯です。
 向こうには飯野山が見えます。橋の下には、琴平急行電鉄の橋脚の残骸があります。

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 「川渡左遍路道」。道隆寺から来た遍路道は、風袋町を通ってここに出ます。蓬莱橋付近を渡ったあと、土器川の東側を少し北へ行き、土器橋付近で東へ折れ、JR高架下を通って宇多津・郷照寺へと向かいます。実は、道隆寺から丸亀城下へ入った遍路道は、通町から北へ行き、御供所(ごぶしょ)町を通るルートもあり、そちらは土器橋付近を渡って東へ向かいます。つまり、土器橋の東側で2本に分かれた遍路道が合流したようです。

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 「文政四(1821)年」。
 四国新聞「辿る―遍路道学術調査から(16)」では、常夜灯と遍路道標を兼ねるものとしてもう一つ、寿覚院付近の金比羅灯籠をあげています。台座に「右七七番鴨道隆寺二八丁・左七八番宇多津道場寺三三丁」とあるそうです。よろしかったら、以前紹介した寿覚院近くの金毘羅燈籠の写真を見てください(手の印がある道標にも「右七拾七番・左七拾八番」と書かれています)。

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 ついでに、少し古い写真ですが、2つの常夜灯の向かいにあったお地蔵さまです。

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 いまは、土居町北部自治会前に移動しています。中野餅屋のある通り沿いですが、これが遍路道。風袋町からここを通って、蓬莱橋西側に来ます。

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 おまけ。丸亀市資料館にある、四国遍路の父・真念さんがつくった道標です。奥に見える小さい道標。どこにあったのかは不明です。その左の大きいのは、「烈女 尼崎里也(あまがさきりや)宅跡」の石碑。





  1. 2015/02/24(火) 18:38:56|
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あけまして、おめでとうございます。

2015年賀状

 羊で一番に思い出したのが、ポール・マッカートニーさんのアルバム『ラム』。そして、ジョン・レノンさんがアルバム『イマジン』において冗談で返した写真。
 干支にあたるものが西洋には全くないのかなと思って、ネットで調べてみましたが、ロシアやベラルーシには中国から干支が伝わっているようですが、他には全くないようです(もちろん、干支を発明した中国と周辺諸国は今も干支を使っています)。私が調べてみよう思ったのは、干支そのものではなくって、干支と起源を異にするエトっぽいものが他にないのかなということでした。不思議とないようでした。なぜ、「不思議」と思ったのかというと、12や60を特別な数とするのは時計などを見れば分かるように全世界共通だからです。おそらく、メソポタミアの太陰暦(30日×12カ月を基準とする)なんかから発祥したんだと思うのですが…。たぶん、円を角度360度で一周することにしたのも、そんなところから来たんだと思います。ついでに、1日(ないしは昼・夜それぞれ)も12等分しちゃえってなったんでしょう。…たぶん、ですけど……。
 やはり、クールな西洋人には(忌み数を除いて)数字は数的な価値しかないんでしょうか。もちろん、干支を重視したのは年や方位に対する呪術的な意味からなので、明治政府が嫌ったように迷信のもとでもありました。年賀状に絵をあしらったりする今ぐらいが、ちょうどよい楽しい文化なのかも。

 全く話が変わりますが、今朝テレビを何げにつけると、ニュース解説っぽい番組をやっていました。どこかの先生が、「円安で外国人観光客がたくさん来ている、円安は悪いことばかりではない」と言います。「悪いことばかりではない」って、そもそも輸出産業が活気づくので景気回復につながるって理由で、円安にしたんでしょ。当初、マスコミはメリットばかり言っていました。よく覚えています。私はそのころのNHKネットクラブのアンケートに、経済が難しいので解説してほしいという趣旨で、こんなことを書きました。輸出産業が1台100万円で売ってたクルマが、1台110万円で売れたらもうかるのは分かります。でも、ここ数年、輸入超過の日本がこうむる痛手も大きい。なんとなく、雰囲気で輸出産業が経済をけん引するっぽく言ってるけど、輸入品をもとに物を作る下請けが、どの時点でどういう仕掛けでプラスに転じるのか明確に説明してほしい。そもそも、経済成長が常に景気をけん引するのは後進国だけではないのか。お金という量的拡大しか指標になかったら、夏目漱石が互いに競争してお腹を膨らませ合うカエルみたいに、いつか破裂しちゃうよと言ったけど、結局、そんなところに向かってるのではないんですか。…って。いまごろになってマスコミは、輸入価格高騰の悪影響や産業空洞化のことなども言いだしましたが、相変わらず、それはソレ、これはコレで、長短両面を総合的に論じて、全体としてどうなるという説明を聞いたことがありません。
 話が脱線しました。テレビの先生です。本当かどうか知りませんが、「観光客10人程度の消費が、日本人1人の1年間分の消費をしてくれます」って言うのです。円安のおかげ様様です、みたいなことを言うのです。この先生は観光客増加がこんなに役立っていることに驚いたかっ!て言いたかったんでしょうけど、もちろん、驚きました。平均的日本人は、そんなに貧乏だったのかって。外国人観光客10人が何日かの遊びで使うのと同じ金額で、1年間を食いつないでるのか、と。すごいミジメな気持ちになりました。格差も拡大してるし……外国人観光客に群がって物を売る子どもたちという、どこかで見た光景がオーバーラップして見えた気がしました。ドラッグを売る人も増えているし、少なくとも、外国人観光客が危険を感じるフツウの国にはなって欲しくないなあ。と言って、さて、年寄りに何ができるかなあ。
 とりあえず、今年も感謝の気持ちを忘れず、元気出していくとしましょう。


PS
 夏目漱石が引用したイソップ物語は「カエルと牛」でした。すいません、記憶違いでした。牛に対抗してカエルがお腹を膨らませる話でした。ただ、今の諸外国に対する日本の立場は漱石のころと違い、牛に対するカエルの立場ではないので、比喩としてはカエル同士の戦いなので、合った喩えとして無意識に記憶を加工したようです。
 しかも、経済の面ではグローバリゼーションという名の世界的な資本力優先化が進んで、弱者を守るという民主「国家的な枠組み」が崩壊しつつあります。単純な国対国の図式ではありません。テレビでよく聞く発言で一番いやなのが、「(福祉優先とか、給料をどんどん上げるとか、お金のある所から税を取るとか)そんなことを言ってたら、資本が外国に逃げちゃうでしょ!」というステレオタイプの常套句です。そんなのは分かった上で、人間の顔をした経済にしていこう、そうでなければ資本主義そのものがもちませんよ、っていう話が全く見えていない。お金儲けという点からすれば、そりゃ、国民みんなが奴隷で、それに満足している国が理想でしょうよ。必要な労働力が維持(死なない)され、更新(子を生み育てる)される最低限のコストですむんですから。作られる製品は、労働力維持・更新のための製品と、一握りの人々のための贅沢品でしょうか。これでは市場が縮小するのは目に見えています。マンガっぽい図式化ですが、本質はここにあると思っています。金融商品が発達した現在、目先のお金を生むことが至上命令としてマンガっぽい力を発揮しますから。兵器産業が戦争を欲するのが「現実」というものです。分かったような顔をして、「やれ人間らしさだの、環境(原発反対)だの、甘いことを言って現実の競争に生き残れるのか」などと言う人は、「現実」がマンガだと気付いていない。ゲームで生き残る前に、現実世界のほうが崩壊します。彼自身がマンガだとは気づいていない。そういえば、「コミック雑誌なんか要らない」っていう昔の歌がありました。










 
  1. 2015/01/04(日) 10:55:56|
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よいお年を

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 香川県立ミュージアムは、一部写真撮影OKなところがあります。こちらは昔の学校の様子として、小豆島の岬の分教場(田浦分教場)の教室を再現しています。

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 私が小学校1年生の時にも、黒板の上に「あいうえお…」の表が貼られていました。不思議なのは、幼稚園のころには「キンダーブック」などを読んでいたはずなのに、ときどき「あかさたな…なにぬ…」とか、表を見て字を確認していたのを覚えています。大人になり、人前で緊張して、アタマがもやもやする性格に気づきましたが、小さいころからその傾向があったのかも…。

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 こんな学校で育ったら、性格がよくなりそう?

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 岬の分教場は、戸板で教室が仕切られていて、外すと講堂になりました。
 私の通った小学校は、後ろに私物が置ける棚、今で言うロッカーがありました。あるとき、図工の時間に、河原で拾った石に絵を描いて、棚の上に名札を付けて展示しました。たまたま、授業参観があり、それを見た親に「もお、恥ずかしかったわ!」と後で叱られました。拾った石の色・形に何故かすごく心を奪われ、そのまま、ポンッ!と展示していたのでした。先生や周囲の反応は記憶にありません。

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 「アイウエオ」がカタカナです。戦前の様子でしょうか。当時は、公式文書にカタカナを使うので、カタカナから習いました。

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 ぜひ、小豆島で実物と二十四の瞳映画村を尋ねてください。→小豆島
 ミュージアムでは、香川県の歴史に関する常設展の一部と、藩主の御座船「飛龍丸」内部などが写真撮影可です。もちろん、展示そのものに見ごたえがあり、お持ち帰りできる美しい説明シートが充実しています。企画展や講演会なども力が入っています。こちらもぜひ、おいで下さい。

 今年も、見に来てくださり、ありがとうございました。来年は、1月上旬には開始する予定です。よろしくお願いします。
 また、その間、パソコンから離れます。コメントへのご返事など遅れますが、お許しください。 
 みなさんにとって、よいお年でありますように!







  1. 2014/12/30(火) 11:42:56|
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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