どこいっきょん?

岡山・香川の史跡を中心に、マニアックに迫ります。

宇多津町の切られ地蔵さん

宇多津切られ地蔵

 戦国時代に、親孝行な娘さんが父親の病気が治りますようにと、お地蔵さまにお願いに行っていたそうです。ある日、その途中、田尾坂で辻斬りに出くわしてしまったそうです。しかし、切りかかった辻斬りは、刀が折れ、体がしびれてぶっ飛んだそうです。娘さんの方は無傷でした。後で、お地蔵さんの肩から脇腹にかけて傷ができているのを知り、身代わりになってくれたのだと分かりました。

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 子どもの守り本尊などとして、信仰を集めているそうです。

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 格子の隙間から、拝んできました。


 これまで3日ごとに更新してきましたが、まことに勝手な都合ながら、今後しばらく、かなり間隔が空くと思います。随時更新ということになります。また、その「間隔」には、ネットを見てないと思います。コメント等へのお返事に失礼があるかもしれませんが、気づいたら必ずお返事いたしますので、お許しください。病気等ではありません。ますます気力充実中です。よろしければ、ときどき覗いてやってください。


  1. 2016/03/31(木) 17:44:55|
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屋嶋城(やしまのき)城門(高松市)

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 屋嶋城の城門復元工事が終了し、3月20日から公開されています。
 駐車場から地図左上までテクテク歩くといい運動になります。

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 到着。

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 意外に少ない?

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 城といっても中世のそれではありません。663年の白村江の戦い、つまり、倭(日本)・旧百済勢力VS唐・新羅の戦争に敗れ、中大兄皇子(称制=即位せず、政治を摂る)は翌年から西日本各地に防衛拠点を築かせました。
 667年には都を近江・大津に移しましたが、屋嶋城はこの年に築かれました。668年には、即位して天智天皇となりました。

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 ここから下へは遍路道が通じているようです。

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 見上げる。

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 排水溝。

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 見晴らしは最高。

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 以前にも紹介しましたが、屋島のてっぺんはほぼ絶壁で囲まれており、攻めにくい場所です。

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 満足。

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 城門に来る途中の展望所。

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 ヤッホーな景色。

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 タヌキ。

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 イノシシ。北嶺へ行くときは、イノシシ・サルに遭遇する可能性もあり、一人だとちょっとドキドキします。

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 タヌキだと思うのですが…イヌ???

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 たぶん、ツバキ。


 完成ずっとまえの説明会
 完成前の見学会
 屋島のタヌキ 
 屋島北嶺



  1. 2016/03/28(月) 18:04:22|
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高松城鉄砲隊演武

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 3月20日、玉藻公園(高松城)桜の馬場で、火縄銃が火を噴きました。

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 轟音。

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 火薬入れのフジ・フィルムのケース。最後は、この片付けが恒例となっています。

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 県内の諸行事で、「○○○鉄砲隊」といいつつ、いつも同じ方を目撃しますので、メンバーは一部(かなり?ほぼ?すっかり?)重なっているのかもしれません。でも、高松城では初めて見ました。

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 この日の天守台。

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 お濠のフグ。

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 お濠のタイ。水門付近はエサやりができるので、もっとウジャウジャいます。「鯛願成就」でタイの願いを叶え、自分の願いも叶うそうですよ。


  1. 2016/03/25(金) 17:40:46|
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津山弥生の里(津山市)

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 津山弥生の里は、沼遺跡(弥生中期の終わりごろ)と津山弥生の里文化財センターからなります。

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 復元された竪穴住居。接地部分の固い土がちゃんと周囲より高くつってあり、水が内部に入らないようになっています。前回見た門田貝塚の復元は、入口がちょっと怪しかったですが…。

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 「回転双曲線面」って・・・難しすぎ…。弥生人もびっくり。本人たちはブリコラージュで作っちゃったんでしょうけど、いずれにせよ、頭のいいリーダーがいたんでしょう。もちろん、知識の蓄積がないだけで、タイムマシンで現在に連れて来て、学ぶ機会があったら、学者になれる頭脳の持ち主はいたわけです。それはもう、旧石器時代のホモサピエンスのころからそうなんです。

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 中央に炉があります。古墳時代(弥生の次)には、カマドが登場します。

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 回ってます。

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 外には、小さな幸せだけが見えるような感じ。時代が下るほど、楽しみと苦しみが増大していったんだろうなー。

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 住居跡が分かるようになっています。目の前に見えるのが文化財センター。

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 弥生人の霊がいたら、「家が半分ねー」とか言ってそう。

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 高床倉庫。ネズミ返しがないのはなぜ?

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 大事な部材はヒノキのようです。ちゃんと材質を理解していたようです。摘んだ稲穂をそのまま置いたようです。

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 高床倉庫跡。

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 文化財センター。展示室の入り口が竪穴住居を通るようにできています。

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 炉の上を通ります。

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 栗・トチ・シイ・ドングリ・クルミ。栗の類は、すでに縄文時代から栽培していたことが分かっています。DNAから品種改良していったことも分かっています。

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 磨製石器は新石器時代からで、日本では縄文時代の始まりと重なっています。日本の新石器時代は、土器づくりがとても早いのですが、反面、世界の新石器時代は農耕の始まりでもあり、日本では弥生時代までちゃんとした農耕はありません。あと、打製石器は旧石器時代に始まりますが、当然、のちの時代にも使われています。いつ始まったかがポイントです。
 磨製石器は意外と簡単につくれます。やってみると分かりますが、石は簡単に磨けます。むしろ、打製石器の方が職人的コツを要します。

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 沼遺跡の模型。

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 木製品。
 田植えをしている人がいますが、弥生初期には湿田に種を直播きするのがほとんどでした。乾田に田植えは中・後期に普及しました。湿田は深く、身動き取れなくなるほどです。田植えをしている人の頭近くに展示してあるハシゴ状のものは、田下駄といい、湿田に足が埋まるのを防ぐためのものです。その横のは大足で、肥料を踏み込むためのもの。

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 石包丁で穂首刈りをしています。やはり、湿田だったからでしょうか。摘んだ穂首は田舟にのせました。
 鉄製の刃先をもつ農具が普及して、耕しやすくなって乾田が増え、また、鉄鎌で根刈りするようになります。

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 穂首刈り用の石包丁。穴にひもを通して持ちました。

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 竪杵(たてぎね)で脱穀している様子。餅つきではありません。

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 機織り。
 服は貫頭衣(かんとうい)といいます。学生のころ、何日も風呂に入れなかったとき、ゴミ袋貫頭衣をつくって、台所でシャンプーしました。

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 財産の出現とともに社会の階層化や戦争がはじまりました。
 フンドシがこの時代にあったか否かは知りません。日本の場合、女性が下着を着けるのは近代になってからです。男の場合、やはり、戦場・仕事・狩りなどで動きやすい服装にする必要があったのかもしれませんが、それでも、フンドシはずっと後の時代ではないでしょうか?

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 文化財センターにはその他の時代のものも、一通り展示されています。
 マッチラベルが懐かしい。昔の人間なら、一度は集めたことがあるのではないでしょうか。戦時中には、戦意高揚マッチなど時代を映すものでもありました。ネット上を探すと、そういう趣味のページがあります。それを印刷して、100均の象の絵などのマッチに貼り付けると、人をビックリさせることができますよ。



 
  1. 2016/03/10(木) 18:37:38|
  2. 史跡・文化財など
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門田貝塚(瀬戸内市)

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 現地の掲示板です。門田(かどた)貝塚は国指定の史跡です。

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 こんな感じで、貝塚が発掘されたときの様子が再現され、竪穴住居が復元されています。
 ここは、弥生時代~鎌倉時代にかけての集落遺跡が発掘された場所です。貝塚というとすぐ縄文時代かと考えがちですが、こちらは弥生時代のものです。弥生人だって、貝食ってもいいんです。貝塚ができるぐらいだから、「今日も元気だ、貝の炊き込みご飯がうまい!」って感じだったのでしょうか。コメの収穫がいまより少なかったことを考えると、お粥っぽかったのかも。甑(こしき)というコメを蒸す道具もあったので、炊いたとは限りませんが。

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 貝塚の主流であるハイガイは、いまはとても珍しいそうです。
 魚介類以外の動物性たんぱくとしては、定番のイノシシ・シカはともかくも、タヌキまで食べたんですね。他には、サルやウサギも食べたようです。

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 公園はこんな感じです。

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 竪穴住居は、地面付近は粘土などの堅い土です。でないと、雨が降るたびに、中で浮いちゃいます。また、屋根はのちの藁ぶき屋根と同じで、雨は中まで通りません。竪穴住居は、地熱のせいもあって一定の温度が保たれやすいようです。よくできています。ちょっと心配なのは虫です。藁ぶき屋根と違って、全体が煙でいぶされないでしょうから…。奈良時代ごろまで、庶民は竪穴住居に住んでいたようです。奈良時代にだんだん、掘立柱住居に変わっていったようです。

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 写真の大きさを間違ったようです。
 邑久郷土資料館の資料をいくつか紹介します。現在は建て直しのため閉館中のようです。

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 高坏(たかつき)はご飯をよそったもの。

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 「弥生」のいわれとなったのは土器の発見場所、東京都文京区弥生です。

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 骨角器は縄文時代からあります。骨は水でぬらすと削りやすくなります。

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 鋤(スコップ)のようです。水稲耕作関連は弥生時代ならではのもの。

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 糸を撚るための道具。弥生時代には、簡易な機織りなどもありました。

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 何か呪術的なものでしょうか。

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 個人的には、これが一番うけました。昔、ガチャガチャかなんかで、恐竜のフン(ほんのカケラ)を売ってたような…。

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 これは昔、資料館わきに建っていた謎の建物。もうないでしょうね…。



  1. 2016/03/07(月) 18:02:23|
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プロフィール

犬の知人

Author:犬の知人
丸亀で生まれて、いまは高松の住人。2・3歳のころ見たマリンコングや七色仮面を覚えている。高校生の頃に使ったある参考書の臭いをありありと覚えている。etc.・・・記憶が残るほうなので、郷愁を感じるものが好きである。

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